キリストの傷痕

https://diamond.jp/articles/-/352692 【キリストの傷痕、見方によっては…美術史家が指摘する「意味深」なウラ解釈とは?】より

岡田温司: 京都精華大学大学院特任教授

聖痕。それはイエス・キリストが磔刑になった際についたとされる傷のことを意味する。様々な画家によって聖痕の解釈は異なるが、実は聖痕を女性器と見立てた図が中世には多く描かれている。何故画家たちは聖痕を女性器と見立てたのだろうか?西洋美術史家・岡田温司氏がその謎に挑む。※本稿は、岡田温司『キリストと性:西洋美術の想像力と多様性』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。

キリストの傷が女性器に見える?中世西洋のキリスト像の裏解釈

 意外に思われるかもしれないが、中世の西洋では、キリストの傷を女性器に見立てたような図像がくりかえし描かれている。なかでも14世紀から15世紀に制作された時祷書と呼ばれる装飾写本のなかにかなり頻繁に登場する。時祷書とは、修道院での実践を模範としつつ、とりわけ一般信者に向けた祈りの手引き書となったものである。

 たとえば、『ボンヌ・ド・リュクサンブールの時祷書』のなかの図像(1345-49年、ニューヨーク、メトロポリタン美術館)を見てみよう。

 まず何よりもわたしたちの目を引くのは、真ん中に大きく描かれたアーモンド状の傷口である。周辺から中央に向かって徐々にオレンジ色から深紅に変わり、さらに中心部は濃いあずき色になっている。このような色彩の巧みなグラデーションは、あたかも子宮のなかへと見る者を引き込むかのような効果をもっている。

 また、あえて垂直に置かれているのも意味深長である。十字架上で槍に突き刺されてできた傷口だとすると、おそらくこのように縦にまっすぐにはならないだろう。実際、磔刑図などにおいては伝統的に、胸元にやや斜めに刻まれている姿で描かれてきた。

 この形状はまた同時に、キリストやマリアを囲む光輪――アーモンド型から「マンドルラ」と呼ばれる――を連想させるものでもある。聖なるものは性的なものへの連想を排除するわけではないのだ。

 とはいえ、この細密画が表わしているのは、たしかにキリストの傷口である。その証拠に、両脇には、十字架や槍や茨の冠、(両手と両足に打ち付けられた)釘や(そこに縛られて鞭打ちにされた)円柱などが描かれているのである。これらキリストを苦しめた道具の数々を並べた図像は、文字どおり「アルマ・クリスティ(キリストの受難具)」と呼ばれ、やはり同じ時期に大流行したものである。

 聖職者や修道者のみならず、平信徒もまた、こうした図像を見ることによって、キリストの受難に思いを馳せ、想像のなかで受難を追体験していたのである。ちなみに、この豪華な時祷書の発注者にして所有者とされるボンヌ・ド・リュクサンブールは、ボヘミア王の娘として生まれ、神聖ローマ皇帝を弟にもち、フランス王のもとに嫁いだやんごとなき貴婦人である。

キリストの「縦長の傷」をこれでもかと強調する画家たち

 このように性的な暗示のある傷の表現には、多彩なヴァリエーションが存在している。そのいくつかをここで見ておくことにしよう。

たとえば、《悲しみの人と傷》(5-1、14世紀末、ニューヨーク、モルガン・ライブラリー)では、両手を胸元で十字に組んで石棺から上半身を出したイエス―「悲しみの人(イマーゴ・ピエターティス)」―と並べて、その傷が配されている。

 通常「悲しみの人」の図像では、斜めないし真横に刻まれた胸元の傷が描かれるのだが、この写本細密画では、キリスト本人は両手の傷だけをみせていて、胸元の傷は左の図によって強調されているのである。

 また、5つの傷とも同じ外陰部状のかたちをした細密画の例(『ロフティー時祷書』、15世紀半ば、ボルチモア、ウォルターズ美術館)も伝わっている。

 槍に刺された胸元の傷ならいざ知らず、他の4つは、釘に打たれて両手と両足にできたとされるから、円くえぐられた傷口だったと想像されるのだが、そんなことにはおかまいなく、同じ形状で大きさだけ変えて、ちょうどそれぞれの傷に対応する位置に並べられているのである。

 どの傷口からも、これでもかとばかり真っ赤な血のしずくが滴り落ちている。その様は、絵筆で描かれたというよりも、まさしく絵の具を垂れ流した結果であるようにすらみえる。それはどこか、戦後アメリカの抽象表現主義の画家ジャクソン・ポロックのドリッピング絵画さえ連想させるといえば、牽強付会に聞こえるだろうか。

 外陰部状の傷口のなかに、心臓が埋め込まれていて、その心臓の表面にさらに5つの傷が刻まれているような作例(15世紀、オックスフォード、ボドリアン図書館)もある。

 大きな傷口の表現は、その色彩といい形状といい、これまでのものよりいっそうストレートで生々しい。心臓のなかで、この胸元の傷がもういちど入れ子状にくりかえされ、さらに両手と両足の円い傷跡も刻印されていて、それらのいずれからも、やはり血が滴っている。

 この心臓は、キリストのものでもあれば、こうした絵を見ていた信者たちのものであるだろう。ハートは文字どおり、キリストとの愛の象徴である。その愛はもちろん、アガペーとしての愛にちがいなかろうが、こうした図像が証言しているのは、エロスとしての愛ともまた矛盾するわけではない、ということである。

キリストの傷口へのくちづけで民衆は罪の赦しを願った

 スピリチュアルなものとセクシャルなものとは、必ずしも互いに排除し合うわけではない。むしろ相性がいいとさえいえるのではないだろうか。

 ウォルターズ美術館にはまた、布に刻印された傷を2人の天使がかざしている珍しい細密画(15世紀半ば)も所蔵されている。

 ここでもやはり傷はまっすぐ縦に置かれ、そこからは血が滲みだしている。まるで貴重な聖遺物でもあるかのように、天使がこの布をうやうやしく掲げている。

この図像はおそらく、「ヴェロニカの聖顔布」から着想されたものだろう。ヴェロニカなる架空の女性がゴルゴタに登るイエスの顔を布でぬぐうと、その布に主の顔がぼんやりと浮かび上がってきたという中世の伝承に基づくもので、彼女や天使がこの「聖顔布」をかざすところが、やはり中世末期から盛んに描かれてきた。

 ここまで見てきたのは、主に時祷書写本のなかの細密画で、これらを手にすることができたのは、裕福で身分の高い階層――主に女性――だったと想定されるが、同様の図像は、もっと安価に入手できる版画としても広く流布していた。

 このことは、たとえば木版画の《キリストの脇腹の傷の寸法》(5-2、15世紀末、12×8㎝、ワシントン、ナショナル・ギャラリー)などが証言している。「ヴェロニカの聖顔布」を頭部にして、アーモンド型の傷が胴体となり、さらに両手と両足が添えられる。傷口のなかには十字架と心臓も見える。

 さらに傷の両脇にはドイツ語の銘文が刻まれている(以下の訳は美術館ホームページの書き起こしに基づく)。

 左には、「これは、十字架上で刺されたキリストの脇腹にできた傷口の幅と長さである。悔恨と悲しみと信心をもってこの傷に口づけする者は誰でも、そのたびに教皇インノケンティウスから7年間の贖宥が与えられるであろう」とある。

 右には、「信心をもってこの傷に口づけする者は誰でも、突然の死や災難から守られるであろう」と書かれていて、まさに「口づけ」の対象であったこともわかる。

ここで名指されている教皇は、時代から推し量るにおそらくインノケンティウス8世(在位1484-92年)で、「贖宥が与えられる」とあるからには、贖宥状(免罪符)として売買されていたものと推定される。

 15世紀後半から16世紀初めにかけて贖宥状が乱発されたこと、そしてそれがルターによる宗教改革のひとつのきっかけになったことはよく知られているが、この傷の絵は、そうしたもののひとつだったのだろう。キリストの傷に「口づけ」することは、罪の赦しを請い願うことでもあったのだ。

中世の巡礼者たちは女性器に護られつつ聖地の教会を目指した

 女性器としてのキリストの傷に関連してさらに面白いことに、それが護符のような役割も果たしていたらしいことを証言する例が比較的豊富に伝わっている。

 巡礼者たちが旅のお守りとして身に着けていた鋳造のバッジに、ほかでもなくこの図像が使われているのである(Reiss)。そのひとつ(5-3、14世紀頃)では、外陰部としての傷が、まさしく巡礼者のいでたちで表わされている。巡礼の帽子をかぶり、右手に杖、左手にロザリオをもっているのである。

 こうして女性器に模したキリストの傷のバッジを身に着けることで、中世の巡礼者たちは旅の安全を祈願しつつ、聖地の教会堂を目指していたのだろう。母体に戻りたいという無意識の願望を、心理学では胎内回帰と呼ぶことがあるが、外陰部はその入り口でもある。とすると、聖地とはまた母体の置き換えなのかもしれない。

同様のものとして、女陰を3本(あるいは3人)の男根が運んでいるようなバッジ(5-4、14世紀頃)も伝わっている。

 それはあたかも、大切な聖遺物をうやうやしく運んでいるかのようにも見えて、ユーモラスでほほえましくさえある。まるで当時のジェンダー関係を転倒させるかのように、ここでは、男性器が女性器に仕えているのだ(ちなみにこれらは、1992年にオランダのコレクターによって設立された非営利団体、中世バッジ財団MedievalBadgeFoundationの所蔵になるもので、そのコレクションは、聖俗合わせて12世紀から16世紀までの数千点に及ぶ。図はいずれもその公式サイトによる)。

 このような男女の性器の組み合わせはまた、どこかヒンズー教の「ヨニ(女陰)」と「リンガ(男根)」を連想させるところがある。とはいえ、だからといってもちろん、ヒンズー教の図像がキリスト教の図像に影響を与えたとは考えにくい。おそらく宗教的なものの根源には、おしなべて性的なものや生殖にたいする崇敬の念があるという意味に解するべきだろう。


https://www.scripturesshare.com/ja/the-connection-between-christian-symbols-and-sacredgeometry/#:~:text=%E4%BA%94%E8%8A%92%E6%98%9F%E3%81%A8%E4%BA%94,%E3%82%92%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82【キリスト教のシンボルと神聖幾何学の関係】 より抜粋

キリスト教美術における神聖幾何学の重要性

 円は、神の統一と永遠を象徴する幾何学的なデザインを作成する際の出発点としてよく登場します。もう一つの重要な幾何学的形状は キリスト教芸術 正三角形です。三角形は 聖トリニティ キリスト教のシンボルである「父、子、聖霊」は、この 3 つの存在の神聖な一体性を体現しています。この幾何学的なモチーフは、ステンドグラスから写本に至るまで、さまざまなキリスト教美術に見られ、信仰の中心となる教義を強調しています。。

一方、五角形はキリストの 5 つの傷、つまり手足の釘跡と脇腹の槍の傷を思い起こさせるのに使われます。これらの幾何学的なデザインはキリストの犠牲と救済の力を強く思い起こさせます。

円は神の永遠性と統一性を表しています。

正三角形は三位一体を象徴しています。

正方形は地上での存在における安定性と基盤を表します。

五角形はキリストの傷を思い起こさせ、救済を強調します。


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