https://www.kikumasamune.shop/blog/?p=2423 【夭逝の俳人「正岡子規」は、知る人ぞ知る無類の柿好き。】より
法隆寺 有名な“柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”にまつわる物語。“柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”という句は、正岡子規が生涯で詠んだとされる約20万句以上の俳句の中でもっとも有名なものといえるでしょう。この句の初出は、1895年(明治28年)11月8日の「海南新聞」での掲載です。この句が誕生した背景には、持病の結核が大きく関係しています。
後に子規と名乗る正岡常規(つねのり/別名は升(のぼる))が、故郷の松山から政治家を志して上京し、東大予備門(旧制一高の前身/現在の東大教養学部)に入学し、生涯を通じて友となる夏目漱石と出会いました。
また当時アメリカから入ってきたばかりの“ベースボール”に熱中する血気盛んな青年でしたが、ある日突然の喀血。その翌日、結核と診断されました。1889年(明治22年)、彼が22歳の時のこと。
ちなみに、自らの俳号を“子規”としたのは、中国の故事で“血を吐くまで鳴く”とされるホトトギスの漢字表記を用いたもので、喀血した直後から“子規”を名乗りはじめます。
結核により、政治家になる夢がついえた子規は新聞記者になり、周囲に反対されるなか、日清戦争に連隊つきの記者として従軍。しかし大陸に渡った2日後に下関条約が締結。
日清戦争は事実上の終戦を迎え、帰国の途に着いた1895年(明治28年)5月、子規は船中で喀血。結核の再発です。そのため、神戸須磨での療養を経て、故郷の愛媛県松山に戻り、約半年間の療養を余儀なくされることとなりました。
故郷の松山では、松山中学の教員として赴任していた夏目漱石と約2ヵ月近く同居していたそうです。やがて病状が回復して東京に戻る途中、数日間、立ち寄った奈良で詠まれたのがこの有名な俳句です。
それと一緒に、“渋柿やあら壁つゞく奈良の町”“渋柿や古寺多き奈良の町”“柿落ちて 犬吠ゆる奈良の 横町かな”“奈良の宿 御所柿くへば 鹿が鳴く”という、すべてに“柿”という言葉を使った句が残っています。
また、この句が詠まれた日にちなんで、全国果樹研究連合会によって、10月26日は「柿の日」に制定されました。
後に子規の随筆「くだもの」で、当時の滞在していた奈良の宿での出来事が紹介されています。
それによると、宿屋の下女が持ってきた御所柿を食べている時に東大寺の釣り鐘の音が響いた
と記されていることから、実際は法隆寺ではなく東大寺の鐘の音ではないかという説や、
病み上がりということもあって、そもそも法隆寺には行かなかったという説があります。
また、この句を発表する2ヵ月前の1895年(明治28年)9月、同じ「海南新聞」に掲載されていた、漱石の“鐘つけば銀杏散るなり建長寺”という句に引きずられたのではという説もありますが、当人たちがそれに触れることはなく、どの説も定かではありません。
親友の夏目漱石も舌を巻いた、正岡子規の無類の柿好き。
子規の俳句には、しばしば柿が登場します。というのも、子規は無類の柿好きで、“樽柿”を一度に7〜8個も食べるのを常としていたとのこと。
“樽柿”とは、酒樽に渋柿を詰め、樽に残ったアルコール分によって渋を抜いた柿のことで、
どちらかといえば安物の柿。
また晩年には、“我死にし後は柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし(私が死んだら、柿食いの
俳句好きと言ってほしい)”という言葉が残っているほどです。
友人の夏目漱石の「三四郎」に“子規は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでなんともなかった。
自分などはとても子規のまねはできない。…三四郎は笑って聞いていた。”と、
正岡子規の柿好きを表した場面が登場します。東京に戻った子規は、1902年(明治35年)9月に34歳で亡くなるまで、ほとんどを病床に臥せって過ごすことになりますが、俳句や和歌に関する造詣はより研ぎ澄まされ、病床から旺盛な創作活動を亡くなる直前まで続けました。
友人や門人たちは子規の柿好きを知っていて、こぞってお見舞いに送ったのが柿で、
それを食べ過ぎて腹をこわし、医師から告げられたのが柿の断食。それを知らずに届く柿のお見舞いを、病床の周りで家族が食べる様子を恨ましく思ったようで、その時の心情を俳句にしたためたものが数多く残っています。
“柿くはぬ病に柿をもらひけり” “我好の柿をくはれぬ病哉” “胃を病んで柿をくはれぬいさめ哉”
“側に柿くふ人を恨みけり”。
柿好きの正岡子規にとって、病気の苦しさもさることながら、大好物の柿を口にできないことが、さぞ悔しかったようで、若くして死を迎えるまでの数年間に詠まれた柿の句には、その心情が見事なまでに描かれています。
https://www.famille-kazokusou.com/magazine/manner/325 【【死生観】輪廻転生の意味とは。四十九日との関係も解説】より
輪廻転生(りんねてんしょう)とは、魂が生まれ変わりを繰り返すことを意味する言葉です。仏教における輪廻転生を深く理解するには、六道と呼ばれる6つの世界を知る必要があります。本記事では、輪廻転生の意味と仏教における輪廻転生の考え方、六道の意味、四十九日との関係を解説します。
輪廻転生の意味を紐解く
生まれ変わりを意味するサムサラの車輪
輪廻転生(りんねてんしょう)は、魂が生まれ変わることを意味する言葉です。その言葉の基となっているのは、“輪廻”と“転生”。これら2つの言葉は意味が重複する部分も多いですが、実は細かな部分に違いがあります。まずは、輪廻と転生の意味をそれぞれ解説します。
輪廻の意味
輪廻は、人を含む生き物が亡くなったとき、動物などを含めた生類に何度も生まれ変わることを指す教えを意味します。命を持つものが生命の転生を無限に繰り返す様子を、車輪の軌跡に例えたことが輪廻の由来だそうです。
ちなみに、輪廻という言葉は、インドにおける「ヴェーダ」という思想の中や、仏教の聖典の「仏典(ぶってん)」の中に登場します。
転生の意味
転生は、「てんしょう」のほか、「てんせい」とも読みます。人の肉体が死を迎えた後、その人の魂は別の肉体に宿り、新しい人生を始めるという考え方です。つまり、転生は「生まれ変わり」そのものを指す言葉です。
輪廻と転生の違い
どちらも生命の生まれ変わりを意味する点では大きな差はありません。輪廻が繰り返すことに対し、転生は必ずしも繰り返しではないという違いがあります。「輪廻転生」は合わせて使われることが多いです。
仏教における輪廻転生とは
水面に浮かぶ蓮の花
お釈迦様は、輪廻転生の目的を説いています。仏教の知識を深めるために役立つであろう、六道輪廻という考え方と、六道の意味、仏教の目的を解説します。
六道輪廻という考え方
仏教において、輪廻転生とは「六道(ろくどう、りくどう)と呼ばれる6つの世界を、生まれ変わりながら何度も行き来するもの」と考えられています。
ここで言う六道は、地獄・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人間(にんげん)・天上の6つ。つまり、魂が生まれ変わる先が6種類あるというわけです。このことから、仏教では輪廻転生ではなく六道輪廻と表現されることもあります。この六道輪廻の考え方は、仏教が成立するよりも前に存在し、古代インド思想が起源とも言われています。
六道は苦しみの世界
生まれ変わり先である六道は、どれも苦しみの世界とされています。中でも特に苦しむことが多いとされるのは「三悪道(さんあくどう、さんなくどう、あんまくどう)」と呼ばれる、地獄、餓鬼、畜生の3つです。落とされる道のことは趣とも書き換えられ、三悪趣(さんあくしゅ)とも呼ばれます。一方で、天道、人間道、修羅道の3つの世界は苦しみが少ない「三善道(さんぜんどう)」と呼ばれます。
また、三悪道に修羅を加えて「四悪趣(しあくしゅ)」、三悪道に人と天を加えて「五悪趣(ごあくしゅ)」とすることもあります。どの世界に行けるかは、生きているときの行動で決まるとされます。天道が極楽浄土ではないというのがややこしいところです。
仏教における目的
お釈迦様は、六道にいる間は誰しもが苦しみから逃れられない、としています。六道の先にある世界こそが極楽浄土という考え方であり、仏教の目標は苦しみの六道から抜け出すことなのです。
ちなみに、苦しみの六道から抜け出すには、むさぼる心を表す「貪(とん)」、怒りの心を表す「瞋(じん)」、真理を知らないおろかな心を表す「痴(ち)」の「三毒」を克服することが重要とされています。
六道を詳しく知る
開かれた本
輪廻転生の中で、魂が行き着く場所とされる六道。天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道、それぞれの世界について解説します。
天上道
天道、天界道と呼ばれることもある天上道。六道の中で最も楽しいことが多く、苦しむことが少ない世界です。人間よりも秀でた「天人」が住んでいると考えられています。しかし、天上道は極楽浄土ではないので、迷いや悲しみは存在する上、悟りの世界には行けません。
人間道
ここは苦しみだけでなく楽しみも感じられる、私たち人間が生きている世界です。六道の中で生まれ変わりを繰り返す、輪廻転生から逃れるために欠かせない、仏教の教えを学べる唯一の世界でもあります。
修羅道
その名の示す通り、阿修羅という鬼神の住まう世界が修羅道です。常に争いごとが起きており、怒りや苦しみに満ち溢れていると考えられています。それに加え、この世界にいる者は欲望を抑えられません。
しかし、この修羅道までが、比較的苦しみの少ない「三善道」。六道の世界がいかに苦しいものか、ひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。
畜生道
ここからが、特に苦しみのある「三悪道」と呼ばれる世界。畜生道は犬や猫、馬や牛などの動物が住む世界です。弱肉強食ですので、ここにいる者は常に不安を抱え、自分だけが助かれば良いと考えています。人間道と違い、仏教の教えに触れられる機会もないため、救いのない世界とされます。
餓鬼道
餓鬼は苦しみと飢えによっておなかが膨らんだ鬼のこと。人を思いやる気持ちがないと餓鬼になってしまうと考えられています。餓鬼道は何も飲み食いができず、嫉妬や欲望に満ちあふれた世界です。一度餓鬼道に入ると、ここから脱出するのは難しいとされます。
地獄道
六道の中で最も苦しい世界です。この世界で受ける苦しみは、言葉では表現できないと言われるほど。また、これまでに重ねてきた罪を償わせるための世界とも言われています。
輪廻転生と四十九日の関係
座る僧侶
人が亡くなってから49日目におこなわれる四十九日法要は、故人の魂の行き先にも関係してくる大切な法要です。こちらでは、輪廻転生と四十九日の関係性と、四十九日法要の意味を紹介します。
四十九日に生まれ変わり先が決まる
仏教では、亡くなってから49日目までは、魂がたどり着く先が決まっていないと考えられています。選ばれる場所は、極楽浄土、または六道のうちのどこかです。
亡くなってからの49日間は、いわば仏になるために極楽浄土を目指す期間。不殺生・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・不飲酒・不妄語という「五戒」について、亡くなった日を1日目と数えて7日ごとに審判を受ける機会があると考えられています。四十九日までにおこなわれると考えられる、審判内容は以下の通りです。
<49日目までの審判内容について>
7日目:無益な殺傷に関する審判がおこなわれる
14日目:盗みに関する審判がおこなわれる
21日目:不貞に関する審判がおこなわれる
28日目:嘘に関する審判がおこなわれる
35日目:閻魔大王によって、どの六道になるか決まる
42日目:六道の中で、どの場所に生まれるか詳細が決まる
49日目:生まれ変わる姿や行き先の判定がくだされる
四十九日法要をする意味
審判では生前の罪が裁かれ、罪が重いほど苦しみの深い世界に行くとされます。その審判の結果が出るのが四十九日です。僧侶を呼び、読経をしてもらう四十九日法要は、家族や親族らも「故人が極楽浄土へ行けますように」と願い、応援する意味があるため、特に大切な法要と考えられています。
ちなみに、命日から49日目までの裁きの期間は「中陰(ちゅういん)」と呼びます。四十九日は裁きの期間が終わる、つまり満ちるため「満中陰(まんちゅういん)」と表現されることもあります。
四十九日法要については以下の記事で詳しく解説しています。
0コメント