Facebook加藤 由佳さん投稿記事 石榴(ざくろ)の実
おはようございます。昨夜の中秋の名月・満月夕方に雨が降り、観れないかと思いましたが、きれいな姿の月の光がきれいでした。今朝は、ひんやりした気温。真っ赤な石榴(ざくろ)の花と実が秋色を魅せます。
石榴(ざくろ)は、平安時代に中国を経由して伝わった果樹であり庭木です。日本に伝わった当初から石榴や柘榴という漢字で表現された植物でした。
当初、シャクリュウという呼び方が、ジャクリュウに変わり、ジャクロに変わり、石榴に転訛して、現代の石榴(ざくろ)という和名になったのが由来だとか。
花言葉
「愚かしさ」「結合」
石榴が食用に使われるのは、もちろん酸味と甘みがあり、美味しいという理由もありますが、石榴には、女性ホルモンのエストロゲンやビタミンCが豊富に含まれているという理由もあります。
美肌効果があったり、不妊に効果があることが知られています。そして、ざくろの効能としては、生理痛の緩和や、冷え性の改善などが挙げられるため、女性に支持されている植物なのです。
また、余談ですが柘榴色(ざくろいろ)とは、柘榴の果実ような紅みを帯びた深い赤色のことで、柘榴の花のような鮮やかな橙色を指すこともあります。
お出かけの皆さん、お気をつけて素敵な一日へいってらっしゃいませ☺
Facebook山野草 ·柏倉明裕さん投稿記事
「ザクロ」は、中東や地中海地域が原産の果物で、その後中国やヨーロッパへと広まったといわれています。中国語名の「石榴」「安石榴」は、パルティアの王朝アルケサス(アルシャク:Arshak)を「安石」「安息」と音訳したものに由来します。「榴」は実が瘤に似ているからです。ザクロの花の花言葉は「優美」「円熟した優美」「優雅な美しさ」だそうです。果実は、女性にとって更年期障害の改善、美肌や記憶力の改善があるとして注目されています。それは、ザクロに含まれる主な栄養素に、体内の余分な塩分・水分を排出するカリウムや、美肌に欠かせないビタミンC、疲労回復に効くクエン酸などがあり、 強力な抗酸化作用をもつアントシアニン、タンニン、エラグ酸などのポリフェノールも豊富で、免疫アップやアンチエイジングにも効果的だかららしいです。ザクロは、本当に素晴らしい植物です。(山形市柏倉地区明源寺。2024.11.6。)
https://gendai.media/articles/-/148156?imp=0 【【難読漢字】「春夏秋冬」、「しゅんかしゅうとう」以外の読み方をご存知ですか】より
「はるなつあきふゆ」でもなく…予想外の読み方が!
正月休みも終わりまた普段の生活が始まったこの頃ですが、寒い日が続いていますね。
さて突然ですが、「春夏秋冬」って、読めますか?
もちろん、「しゅんかしゅうとう」とすぐに読めると思います。「はつなつあきふゆ」とも。
実は、もうひとつ、慣用的な読みをすることができます。
正解は、「ひととせ」でした。
ひととせは、つまるところ「一年」を意味します。「ひとつのとし(とせ)」、つまりひととせです。
https://koyomi8.com/doc/mlwa/200905160.html 【芭蕉、旅立ちの日】より
今日(2009/05/16)は、芭蕉が奥の細道に旅立った日とされています。
『弥生も末の七日、明ぼのの空朧々として、月は在明にて光おさまれる物か ら ・・略・・ 千住と云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸に ふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。』 奥の細道に書かれた松尾芭蕉の旅出の日の模様です。
この日、芭蕉は見送りの人々と千住で別れ、奥州へと向かいました。この時詠まれた句が有名な行春や鳥啼魚の目は泪 (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)です。
日付は冒頭に書いた文章の中に「弥生も末の七日」とありますから、三月の二十七日(末の七日)であるとわかります。
年は元禄二年、西暦でいえば1689年。この三月二十七日はもちろん当時使われていた暦ですから、現在でいうところの旧暦(または陰暦)での日付です。
◇行春(ゆくはる)
旧暦では一年十二ヶ月を三ヶ月毎に区切って春夏秋冬の四季に当てています。
春は、正月・二月・三月ですから三月二十七日というのは春の終わり間近日付となります。
間もなく春が終わる時期ですから、去りゆく春を惜しむ「行く春」という言葉が句に詠み込まれています。
◇「行春」の季節
ご存じの通り、旧暦では同じ月日であっても年によっては一月程も季節と暦の日付とがずれることがあります。そのため日付がわかっても、さてその日付の頃の気候はどのようなものだったかと言うことは直ぐにはわかりません。
季節の変化を知ることに関していえば、旧暦(陰暦)は現在使われている新暦(陽暦)に及ばない暦といえます。
旧暦の日付だけではなかなかその句の詠まれた季節がわかりにくいですから、この日付を、新暦(陽暦)に変換して考えてみましょう。
旧暦(陰暦) 元禄 2/ 3/27 → (新暦)1689/ 5/16となり、それで今日が奥の細道へ旅立った日ということになるわけです。
新暦の5/22頃には二十四節気の「小満」がやって来ます。この小満は旧暦の四月中気と呼ばれるもので、この日を含む月は、旧暦では四月となります。
とすると旧暦の3/27は遅くとも小満の 3日前の日付となって、それより遅くなるということは無いはずですから、一番遅い旧暦の3/27は新暦の5/19頃となります。
同じ旧暦の3/27でも早い年だと4/19頃という場合もあり得ますから、芭蕉が奥の細道の旅に出た元禄二年の3/27という日付は かなり遅い3/27 (新暦の 5/16)と言うことになります。二十四節気の立夏を過ぎて十日あまり後ですから、「陰暦の三月は春」とはいっても、この年は随分と遅い「行く春」だったことがわかります。
芭蕉が千住から旅に出た日は、現在私たちがなじんだ暦でいえば今日の日付に当たります。
日は長く、暖かくなって、江戸より北の東北に向かうにはよい頃合いの季節とだったのでしょう。ちなみに、「行く春」から始まった奥の細道の旅は、季節が「行く秋」となって終わります。
※注
元禄二年当時使用されていた二十四節気(恒気法)の日付は現在使われている二十四節気(定気法)の日付と、1~3日程異なることがあります。
本日の説明は、当時使われた恒気法に準じた日付でおこないました。
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