https://yukihanahaiku.jugem.jp/?eid=4 【さすらいの終るその日 ~ 雑誌「兜太 Tota」発行に寄せて】より 五十嵐秀彦
平成30年4月号の時評に金子兜太のことを書いた。2月に亡くなった後も俳句界ではさまざまなイベントが続いている様子で、この俳人についてはまるで予熱が冷めないかの様子である。
7月に、俳句集団【itak】が藍生と合同イベントを開催した際、藍生の黒田杏子主宰の話を長時間にわたって直接聴くという願ってもない経験をしたのだが、そこでも印象に残ったのは金子兜太のエピソードだった。黒田は最後まで兜太のそばにいた俳人のひとり。兜太といえば現代俳句・前衛俳句の巨人、一方黒田杏子は俳人協会系の伝統派の俳人と思われがちであり、このふたりの関係に首を傾げる人も多いようだ。私はふたりの距離が近いことになんの疑問も持ったことはない。彼女が常に俳人個人とその作品のみを見ている人だからだ。俳人協会とか現代俳句協会とかの壁や垣根は、そもそも彼女の眼中にないのである。その黒田が若いころから注目し、年を追うごとに関係を強くした俳人が金子兜太だった。
今回、この時評で紹介するのは、ふたりの関係というのではなく、兜太死後に刊行された雑誌「兜太 Tota」(藤原書店)についてだ。2018年9月第1号と記されているので、これからも継続して出していくという構えなのだが、見通しはやや不明である。
編集主幹の黒田杏子が「創刊のことば」を書いている。
雑誌の企画段階から兜太さんも参加を表明。「オレの俳句の、これだという新作をここに発表させてもらいたい」と。
生前から計画されていたわけだ。どこかかつての寺山修司の幻の俳誌「雷帝」を思わせるものがある。
一人の存在者として生き抜かれた金子兜太の巨きな創作世界とその生き方を、皆さまとご一緒に学んでゆきたいと思います。
この「存在者」というのは昨年(平成29年)刊行された『存在者 金子兜太』とつながっているのだろう。もうひとり「創刊のことば」を編集長・筑紫磐井が書いている。
この刊行により、兜太氏の「存在者」の姿が浮かび上がればこの上もない喜びです。短詩型文学とりわけ俳句の分野において稀有の存在である金子兜太氏の前人未踏の業績と生き方をこの時期にあたり再確認したいと考えます。
どのような間隔で今後発行されるのかは示されていないが、俳句の世界でこうした形の雑誌出版はめずらしいものだろう。
内容は、著名俳人・歌人などによる追悼作品やエッセイ、金子兜太論など多彩で豊富である。執筆者は、ドナルド・キーン、瀬戸内寂聴、佐佐木幸綱、宮坂静生、長谷川櫂、マブソン青眼、高山れおな、夏井いつきなど書き切れないほどの名前がずらりと並んでいる。
しかし、この一冊の中のハイライトは、「金子兜太氏 生インタビュー(1)」であろう。兜太のインタビュー記事が28頁にわたって掲載されている。もちろんこれが生前最後のインタビューだ。編集側もそれを十分意識し、発言内容を整理せずにできるだけ肉声に近いものとして発表している。こういう場合、通常聞き手というのはひとりが普通だと思うが、ここでは兜太ひとりに対して、黒田杏子、井口時男、坂本宮尾、筑紫磐井、藤原良雄と5名もいる奇妙なインタビューとなっている。ただし誰が質問しているのかは省略され、あくまで兜太自身の発言がクローズアップされる形になっているのはよく配慮されていると言えるだろう。
話は高校時代から始まる。そして、日銀に入社した経緯、戦争、トラック島へ。島で作った句はおよそ300句。それを持ち帰るのもなかなか困難があったと言う。
検査が厳しいんで、びらびらのある薄い紙、雁皮紙に小さな字で書き写して、それを石鹸に埋めて。やつら(アメリカ)の石鹸はにおいがいいですからね。捕虜だから、配給を受けた石鹸に入れて持ってきた。
このとき持ち帰った句が、句集『少年』に収載された。
また他の俳人についても彼らしい評価をしている様子が読める。草田男や楸邨への高い評価、波郷に対する評価の揺れ、そして虚子に対してはつぎのようにかなり手厳しい。
虚子はね、おれは人として面白いんだ。それ以上のことは何もない。あの人から俳論として得るべきものは何もない。(略)あの人の俳論なんていうものは全然なっとらん。根も葉もないないことだと。そう思います。
そうして質問に答える合間に、秩父音頭まで歌ってしまう自由さは、いかにも彼らしい。
また、今回の雑誌「兜太 Tota」についての次のやりとりなど実に面白く、つい笑ってしまうほどであった。
-だから面白いのをやりますからね。(兜太)ねえ。あなた[黒田]、やれよ。
-やれよって、みんなでやるんですよ。雑誌を。(兜太)何をやるんだ。
-金子兜太の雑誌をやります、みんなで。(兜太)金子兜太の雑誌とは、何のこっちゃ。
-だからみんなでやるの。大丈夫。(兜太)大丈夫っていうのは危ないな。
はたしてこの雑誌、第2号が本当に出るのかどうかはわからない。しかし、彼の死が戦後俳句の節目となるだろうことは確かだ。節目というのは終わりではなく、次の時代の始まりでもあるだろう。その時代をつなぐ意味を、この一冊の雑誌が持っているような気がするのである。
辞世の句
河より掛け声さすらいの終るその日 金子兜太
(後日談:第2号ははたして、みたいなことを書いてしまったが、その後順調に第2号3号と出版されています)
https://ooikomon.blogspot.com/2018/11/blog-post_18.html 【金子兜太「無神の旅あかつき岬をマッチで燃し」(「兜太と未来俳句のためのフォーラム」より)・・】より
左より横澤放川・橋本榮治・坂本宮尾・井口時男・筑紫磐井↑
左より堀田季可・木内徹・菫振華・木村聡雄↑
左より福田若之・江田浩司・柳生正名・関悦史・高山れおな・筑紫磐井↑
昨日は、「兜太と未来俳句のためのフォーラム」(於:津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスSA207教室、入場料無料・要申込)だった。相撲人気の秋場所にあやかるわけではないが、当日前にはすでの満員御礼となってしまったので、出席を諦められた方もいらしたらしい。フォーラムの内容はぎゅうぎゅう詰めの中味の濃いものであったが、それは「兜太」(藤原書店・年2回刊、予価1200円)第2号に反映されるということなので、時期は後になるが、興味のある方は、「兜太」第2号を是非お買い求めいただければ、たぶんソンはないと思う。
ブログタイトルに挙げた句は、第一部基調講演のなかで井口時男が「兜太」第一号「三本のマッチ」で述べた「『無神』という宣言」の項に対応した、「最後の〈無神の旅〉だけが突然変異のように『表現』の高みへと一気に跳躍しているのだ〉という句である。同号「三本のマッチ」は、兜太の俳句表現についての総括として、しごく真っ当なもので、愚生としては最後に記された、
金子兜太の句のいつもの姿だ。実に充溢している。私は圧倒され、たじたじとなり、心から感嘆しつつ、しかも、あまりに充溢しすぎている、と時々感じることがある。この時々の私の違和感はもう一つの前衛・兜太論への入り口なのだが、それは別稿とする。
とあって、その別稿を是非読みたいと思うのである。第二部セミナー「兜太俳句と外国語」も翻訳の問題を含め示唆に富んでいた。第三部シンポジウム「『新撰21』から9年」はパネラーの志向、また丁々発止のやりとりもあって、若者中心にしただけあって文字通り今後の俳句、未来俳句を語るには相応しいものであった。
ともあれ、以下に当日の次第を挙げておこう。
(総合司会:佐藤りえ)
[司会:筑紫磐井]
<第1部>基調講演
井口時男、坂本宮尾、橋本榮治、横澤放川 編集委員のスピーチ。
[司会:筑紫磐井]
<第2部>「兜太俳句と外国語」
木村聡雄(司会)、木内徹、董振華(トウ・シンカ)、堀田季何
<第3部>「『新撰21』から9年」
筑紫磐井(司会)、高山れおな、関悦史、柳生正名、江田浩司、福田若之
<閉会の辞> 黒田杏子
予定より、時間を押して二次会は近くの「漁火」、愚生はといえば、四国から遠路参加していた「豈」同人・真矢ひろみに初めて会い、久ぶりの渡辺誠一郎、中村和弘(重信13回忌に参加されていたことを思い出し、話したら本人も覚えていらした)。また宮崎斗士、高山れおななどと歓談(田中亜美にはチョッピリなじられ気味にからまれたが・・)。他に、「豈」同人では、羽村美和子、早瀬恵子、橋本直なども来ていた。
★閑話休題・・・第一回口語俳句作品大賞決まる!・・
・・ 久光良一「死神に目こぼしされたまま生きて酒のむ」・・
第一回口語俳句作品大賞(口語俳句振興会・代表 田中陽)が決まった。久光良一「色の無い風」久光良一(山口県・層雲自由律・層雲・新墾所属)。同奨励賞に、鈴木瑞恵「真夏の花」(御前崎、主流所属)、本間とろ「長い夢」(加古川市、青穂・青い地球所属)、鈴木和枝「この春離農」(島田市、主流所属)。授賞式は、’09年主流新年は句会席上(1月19日、13時~島田市「プラザおおるり」)で行われる。
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