https://mori-komut.jugem.jp/?eid=477 【空蝉の】より
7月も残り少ないこの頃になると、夕方のヒグラシは日増しに数が増え、声は大きくなっていくようだ。
庭のあちこちでも空蝉うつせみを見るようになると、その思いは一層強まる。
蝉の抜け殻を空蝉と呼ぶ。
古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもの。転じて、この世に生きている人間。生きている人間の世界、現世。
空蝉と言ったら、源氏物語の第3帖だ。
結局源氏は空蝉に逢うことが叶わず、小君を枕元に寝かせて空蝉への恨みごとを寝物語にしながら過ごす。
空蝉の仕打ちを憎らしいとは思うもののそれでも恋しい気持ちは止まらないため、源氏は再度小君に引き合わせを頼んだ。
紀伊の守が任国へ下り屋敷が女ばかりの日を狙って、夕闇の頃
小君は源氏をそっと邸宅に招き入れる。部屋から覗いてみれば、
空蝉と継娘の軒端荻(のきばのおぎ)が二人で碁を打っている。
夜も更けて皆寝静まった。しかし空蝉は寝息を立てる軒端荻
の隣で横になりつつも、源氏のことを考えると眠れない。
そんな暗闇の部屋に芳香が漂う。記憶にある香りにその正体
を察知した空蝉は驚き、声も音も立てずに抜け出して逃げる。
空蝉が逃げるときに残した小袿(こうちぎ・上着)を形見のように持ち帰り、抱きしめて眠りに就くが眠れるわけもない。源氏は空蝉へ歌を詠んで小君を遣わせたが、返歌はなかった(空蝉も源氏の愛を受け入れられない己の境遇のつたなさを嘆いた)。
この時の光源氏の和歌
空蝉の身をかへてける木のもとに なお人がらのなつかしきかな
(意) 「蝉の抜け殻のように着物を残していってしまったあなたですが、
それでも恋しく想っているのです。」
忍んできた源氏に気づきとっさに空蝉は着ていた薄絹を残して
逃げる空蝉の和歌
空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびに濡るる袖かな
(意) 「夕べを待たずに死ぬというはかない命の蝉。その羽の上に置く露も
日が当たれば消えてしまう。木の葉の陰に隠れているからこそのはかな
さ。それは私と同じ。自分の運命を思い、人目を忍んで涙してそでを濡
らしているのです。」
長いと思っていた五十四帖も、ふとしたきっかけから第三帖の空蝉を読むことが出来た。(現代語訳で)
こんなふうにしていけば、源氏物語を読み通せるかもしれない。
https://www.fujiseihan.co.jp/genji/hakubyo-g-01_20170620/ 【創業60周年記念出版 白描源氏物語】より
CATEGORY:白描源氏物語
よみがえる王朝絵巻 白描源氏物語 第2版
富士精版印刷 創業60周年出版
白描源氏物語 表紙と見開き
平安の光と闇がおりなす王朝物語が、千年の時を経て、いま平成の世に鮮やかによみがえる──『白描源氏物語』第2版が完成しました。
本書は、2010年10月、富士精版印刷株式会社の創業60周年記念出版として刊行したものです。幸いにして、瀬戸内寂聴先生(『源氏物語』現代語訳)、安藤千鶴子先生(大修館書店『古語林』編著者)はじめ、各界の皆さまのお目に留まり、予想外の反響をいただきました。皆さまのおかげをもちまして、このたび、全文を見直し、デザインを改定した第2版を刊行することができました。
源氏物語は安沢阿弥先生のライフワークでした。1994年には、城南宮(京都府京都市)にて、白描源氏物語五十四帖完成記念展。1998年には田辺聖子・桑原仙渓両先生の共著『源氏・拾花春秋』(文春文庫)で表紙絵・挿絵を担当されています。
源氏千年紀の2008年には谷崎潤一郎文学記念館、福知山市立美術館にて「白描源氏物語五十四帖展」が開催されました。
安沢先生はかねて病気療養中のところ、2013年12月23日、ご逝去されました。享年87歳のご生涯でした。白描画の原画54帖は、安沢先生のご遺言により、「茨木辯天さま」で知られる辯天宗冥應寺に寄進されました。
若紫若紫(北山の尼君と若紫)
『白描源氏物語』を奉納
『白描源氏物語』奉納奉告祭『白描源氏物語』奉納奉告祭
2017年6月20日、大和屋社長兼女将・阪口純久様の仲立ちにより、住吉大社に弊社の60周年記念出版『白描源氏物語』(画:安沢阿弥先生 文:小金陽介)を奉納しました(よみがえる王朝絵巻 白描源氏物語 第2版)。
当日は、住吉大社宮司・髙井道弘様、権宮司・神武磐彦様、権禰宜・小出英司様にご対応いただき、石川会長の名代として、中野専務が御田植神事にご招待いただいたお礼と、このたびの趣旨をご説明しました。その後、『白描源氏物語』の奉納奉告祭が厳かに斎行され、住吉大社に古来より伝承される優雅で典雅な神楽舞を拝観いたしました。
このたびの奉納は、『白描源氏物語』の増刷にあたって、何かお役に立てていただけないかと、阪口様が代表を務める上方文化芸能運営委員会に相談したのがきっかけです。
源氏物語といえば京都のイメージがありますが、物語前半のクライマックスになるのは、ここ大阪の住吉大社です。本作では、「明石」で暴風雷雨のなかで住吉の神に祈る光源氏、「澪標」で身分違いゆえに住吉詣の源氏の行列を遠くから見守るしかない明石の君が描かれています。
安沢先生が主宰した日本画教室・蘖会(ひこばえかい)は、住吉大社の門前町である粉浜(こはま)に教室を構え、先生も住吉区我孫子(あびこ)にお住まいでした。40年以上の歴史を持つ蘖会には小学生の部もありました。教え子には御田植神事の奉仕に参加する子どもたちもいたことでしょう。
安沢阿弥先生と石川忠安沢阿弥先生と石川忠
瀬戸内寂聴先生本書は瀬戸内寂聴先生をはじめ各界の皆様より高いご評価を賜りました(右:筆者 小金陽介)
源氏物語と住吉信仰
明石明石(住吉神に祈る光源氏)
源氏物語では、配流・流離の憂き目にあった光源氏が、宮中に返り咲き、さらに栄達の道を歩んだのは、源氏が須磨で出会った明石一族が深く信仰した住吉の神の加護とされています。
一説には、源氏物語は「桐壺」ではなく「須磨」「明石」から執筆されたと伝えます。住吉信仰は物語の起点であり、また核心部分でもあります。
源氏物語のヒロインは、若紫・葵・夕顔・玉たま鬘かずらと植物ゆかりですが、明石の御おん方かたのシンボルは住吉神のご神木の「松」。住吉神に守られているがゆえに、「姫松」=国母(天皇の母)となる姫君を産むという幸運が約束されているのです。そして明石の御方には、「岸の姫松」(待ち続ける女)という住吉姫の可憐なイメージが重ねられています。
澪標澪標(源氏一行を遠くから見守る明石の御方)
松風松風(明石の尼君・明石の御方・明石の姫君)
住吉御文庫に収蔵
大変光栄なことに、『白描源氏物語』は、住吉御文庫にも収蔵いただけることになりました。住吉御文庫は、享保8年(1723年)、大阪・京都・江戸の書林(書店)20人が発起して書籍奉納のために建てた、大阪最古の図書館と言われています。
住吉御文庫に次いで設立された天満御文庫は、天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱の兵火にかかり、書物の大半が焼失してしまいました。住吉御文庫は創建当初の書物を数多く収蔵している点でも注目されています。『八雲抄』(やくもしょう)『俊頼髄脳』(しゅんらいずいのう)などの稀少な歌伝書、江戸幕府の禁書となった大塩平八郎『洗心洞箚記』(せんしんどうさっき)など様々な分野の希書を所蔵しています。この御文庫の貴重なコレクションに加えていただくことは、大阪の印刷会社として本当に名誉なことであり、安沢先生にもきっと喜んでいただけることと思います。
住吉大社様には、大変立派な奉納奉告祭を執り行っていただき、厚くお礼申し上げます。
これを機に、一人でも多くの源氏ファンに、安沢源氏絵巻に触れてほしいと願います。本書をご希望の方は、お気軽にお問い合わせください。
源氏物語碑源氏物語碑(南海電車「住吉大社」駅)
源氏物語と情報コンテンツ産業
源氏物語は、文学のみならず、わが国の美術工芸に大きな影響を与えてきました。印刷技術の歴史とも大きな関わりを持っています。
日本には世界最古の印刷物・百万塔陀羅尼が存在しますが、印刷物は仏典や漢籍などに限られていました。源氏物語も印刷物ではなく、貴族や大名家などに写本が伝わるだけでした。江戸時代に始まる商業印刷出版によって、源氏物語というソフトも、印刷技術というハードも、初めて大衆のものになったのです。
挿絵による視覚的な理解を取り入れた『絵入源氏物語』は、江戸時代最大のベストセラーの一つです。『偐紫田舎源氏』などのパロディ小説も人気を集め、錦絵・すごろく・かるたなどの素材にもなりました。それは現代のキャラクタービジネスの先駆でもあります。
もとより源氏物語は五十四帖、約百万文字からなる一大長編物語です。本書は入門書に徹し、一帖一ページであらすじを要約しています。
第2版の刊行にあたっては、訳文は全面的に見直しています。ハード面では、製本は見開きの良さ(広開度)を重視して、PUR製本を採用、源氏絵巻のイメージに近づくよう仕立てました。
源氏物語こそがわが国の印刷・出版の発達と普及を支えたキラーコンテンツです。
千年以上の時を刻んできた源氏物語。歴史文化遺産を守り抜き、後世に伝えていく印刷業の使命を再確認すると共に、新しい時代のコンテンツの創造へと邁進してまいります。
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