Facebook田中 昭久さん投稿記事
季節のない街に生まれ 風のない丘に育ち 夢のない家を出て 愛のない人にあう
今日ですべてが終るさ 今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ
〜春夏秋冬 泉谷しげる〜
https://www.youtube.com/watch?v=GwuA1C8uXl4
Facebook森井 啓二さん投稿記事「疾風に勁草を知る」
夏のこの時期、山にはたくさんの高山植物の花がたくさん咲いています。
過酷な環境の中で、どんなに強風が吹いても、風に揺れるだけで、茎が曲がったり、折れることはありません。芯がとても強いのです。
「疾風に勁草を知る」という言葉があります。勁草とは強い草のこと。
風の穏やかな日には、強い草も弱い草も区別がつきません。
でも、突然の過酷な強風が吹き荒れると、弱い草は地べたを這いつくばり、強い草は、風に負けることなく、その強さを発揮します。
人間も同じこと。平穏無事な日々を過ごしていれば、強い人も弱い人もあまり区別はつきません。でも人生には逆境や困難はつきものです。どんな過酷な困難にも果敢に立ち向かえる人は、その強さを発揮します。
強い弱いは見た目のことではなく、心の強さ、心の優しさ。自然の理に沿った神聖なエネルギーの強さです。
何があっても心の平安を保ち明るく陽気にすべての存在に優しくそして冷静に。怖れることなく至福を保つ。本当の強さとはこのようなこと。
身体を鍛えるのと同じように、心を鍛えることの大切さを、この可憐な高山植物が教えてくれています。心を鍛えている人ほど、優しくなれるのですから。
光の魂たち植物編より抜粋
Facebookあいことばさん投稿記事
「捨の修行①」 坂村真民
年をとると、どうして駄目になるのか。 これだけはじぶんが年をとらねば わからぬことである。 どんな英雄でも、年をとって駄目になり、 その栄光の歴史を、晩年で汚している。 そのわけは一言でいえば、自分を捨てきれない からである。 捨てるということが、どんなに大事であるか、 そしてどんなに難しいことであるか、 かつての柔軟な魂を喪失し、頑固さだけが残り、 一切の判断が齟齬(そご)してゆくのである。
「捨の修行②」
仏典も聖書も捨を言う。 だから究極はここにこなくてはならぬ。 でも、ここにくることの何と至難なことであろう。 大変な行を積んだ人でも、その行からきた 名声地位を捨てきらずに駄目になってゆく。
(中略)
人間は修行を怠ると一ぺんに駄目になる。 捨にも修行が大事である。
Facebook赤塚 高仁さん投稿記事
ひとがほかからの期待に応えようとしてどんなに自分を駄目にしてしまうか僕ははっきり
知ってしまったから。だから、手放してはいけないのは自分を愛する心だ。
自分を愛しているときだけ、ひとはひとを愛することができる。
そして、自分を愛するように他人を愛することができる。
https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12917576298.html?fbclid=IwY2xjawLpY8VleHRuA2FlbQIxMQABHjn7-MvtJWKWlTtDUFPafURyb3fm4hNNKij5wvLB9Y6hil7ojLLjtlcvT5AQ_aem_mIMFfM6d2ZiSgEO10nagKQ 【ひとはだれも神さまの意志を奏でる楽器なんだ】より
この広い野原いっぱい 咲く花を ひとつ残らず あなたにあげる 赤いリボンの
花束にして そんな風に笑った時間 思い出は、美しい でも、過去は生ゴミ。
そこに留まるとき、 エネルギーは、じゃじゃ漏れ。
いま、この瞬間だけが いのちの場所。 ひとがほかからの期待に応えようとして
どんなに自分を駄目にしてしまうか僕ははっきり知ってしまったから。
だから、手放してはいけないのは 自分を愛する心だ。 自分を愛しているときだけ、 ひとはひとを愛することができる。 そして、自分を愛するように 他人を愛することができる。
ひとがひとをうたがい、 ひとのうそをゆるせないとき、 自分はただしいと自分にうそをつく。 ほんとうはこの広い世界じゅうに ただしいことなんかないのに。ここにはこたえなんかないのに。
ひとが ひとでなくなるのは自分を愛するのをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき ひとは 他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう。
自分があるとき 他人があり世界がある。
とりもどすのは、他人でも、世界でもなく、自分なんだ。
今日死んでしまうかも知れないから、 冒険しよう。
講演家は、 神さまの意志を奏でる楽器。今日もステキなメロディが奏でられるよう
いまこの瞬間にいよう。 いつも喜んでいよう 絶えず祈っていよう すべてに感謝しよう
0コメント