https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9B%9C 【九曜】より
九曜(くよう)とは、インド天文学やインド占星術が扱う9つの天体とそれらを神格化した神である。中国へは『宿曜経』などにより漢訳された。
サンスクリットではナヴァグラハ (नवग्रह, navagraha) で、「9つの惑星」という意味である(実際は惑星以外も含む)。部分的に訳して9グラハとも言う。
繁栄や収穫、健康に大きな影響を与えるとされた。東アジアでは宿曜道や陰陽道などの星による占いで使う。
九曜のうち七曜は実在する天体で、残りの2つも古代インドでは実在すると考えられた天体である。同じ陰陽道の九星は名前は似ているが実在に拠らない抽象概念で、大きく異なる。
一覧(略)
ラーフとケートゥ
月の交点(黄道と白道の交点)のうち昇交点がラーフ、降交点がケートゥである。シャニ、ラーフ、ケートゥは凶兆の星とされ、南インドの寺院ではよく祀られた。
月の交点は、日食と月食の食に深く関係する。そのため神話化されインド神話のバラモン教の聖典「ヴェーダ」では、乳海攪拌の時不老不死の霊薬であるアムリタを盗み飲んだがスーリヤ(太陽神)とチャンドラ(月神)の告げ口でヴィシュヌのチャクラムで首を切られたアスラであった。アムリタを飲んだ首が不死のラーフ、胴体がケートゥという星となった。ラーフは太陽と月を飲み込むが胴体がないのですぐに太陽と月は現れてしまい、これが日食・月食になる。
ラーフ(羅睺)は転じて「障害をなすもの」の意味で、ラーフラ(Rāhula)(羅睺羅、らごら)として釈迦が息子に名づけたといわれる。
日本への影響
土曜(聖観音)、水曜(弥勒)、木曜(薬師)、火曜(虚空蔵)、金曜(阿弥陀)、月曜(勢至)、日曜(千手観音)、計都(釈迦)、羅睺(不動明王)の9つの星を「九曜曼荼羅」として信仰した。平安時代には交通安全に霊験があるとして車文に多く使用された[1]。
羅睺星は平安時代の神仏習合の際、日食を引き起こしたスサノオと結び付けられ災いを引き起こす天体と考えられた。また、羅睺星を祭り上げる場合は黄幡神として道祖神のように奉られる。ちなみに土曜から日曜は「七曜」(北斗七星)といい、また土曜から金曜の5星より五行説が表れたとされる[1]。
家紋
家紋の「星紋」の図案ともなり、木曾氏をはじめ中央の星を八星が囲む九曜紋が満月の意味を持つ望月氏によって用いられた。ほか、『見聞諸家紋』には、千葉氏、荒尾氏、宿久氏、溝杭氏が載る。ほかに『寛政重修諸家譜』には青山氏、戸田氏、三宅氏、佐久間氏、伊達氏、相馬氏、細川氏、保科氏などが載る。
保科氏は「角九曜」で、同一族の会津松平家家臣の西郷氏(保科氏の分家)にも使用が許されている。細川氏は、延享4(1747)年の細川宗孝殺害事件以降に図案が変更され、「離れ九曜(細川九曜)」が用いられた(板倉勝該を参照)。伊達氏(仙台藩主家)は伊達政宗の代から用いる。宮城県のマスコットキャラクターの「むすび丸」の兜にも、九曜紋が描かれている。相馬氏(中村藩主家)の九曜は桓武平氏千葉氏族の流れであることと、妙見信仰に由来するものである。
https://aminaflyers.amina-co.jp/list/detail/1422 【九曜〜9つの惑星を神格化し、インドの神様を当てはめたもの〜】より
インドはアジアの中でも占い超大国と言われており、インド発祥の手相占い、西洋タロットを使ったカード占いと占いの種類が豊富です。
近年ではコンピューターに運勢を占ってもらうコンピューター占いが注目を集めています。
そんなインドで最も格式の高い占いが「占星術(星占い)」です。
ヒンドゥー教では占星術が重要視されています。
イギリス領であったインドが、東西パキスタンと現在のインドに分離独立することになったときも、占星術師によってインドの独立記念日について争われました。
今回はインドの占星術である九曜(くよう)についてご紹介します。
インドの占いは新バビロニア王国の天文学と古代ギリシャの占星術がベースとなっている
古代オリエント(現在の中近東からエジプト周辺地域)では紀元前から星を読み解いていました。
新バビロニア王国は天体観測と星についてのデータを保有しており、そのデータは交易によって古代ギリシャへと伝わりました。
ギリシャの北方でさかえた古代マケドニア王国のアレキサンダー大王は世界制覇を目指し、東方遠征を行います。
この過程で、古代インドにも新バビロニア王国の天文学と古代ギリシャの占星術が流入したのです。
古代で星の動きを見て暦を作成することは、農業従事者にとって、種まきや農作物の収穫時期を知るために必要なものでした。
また国を統治・支配する王たちがまつりごとを行ったり、神々の祭りや祈りを捧げる神官たちにとっても重要なものです。
古代インドでも暦を作成する関係から天文学や占星術の伝統はありました。
しかしながら、地中海から船を渡ってやってきた天文学と占星術の驚くほどの合理性と論理性に、古代インドの人々は衝撃を受けたのです。
これ以降古代インドには…●黄道十二宮(十二星座)●一週間の概念●時間●数字上記のような概念が取り入れられました。
そうして古代インドの人々は、サンスクリット語で書かれた『ヤヴァナ・ジャータカ(ギリシア人のホロスコープ占い)』を作成しました。
九曜(ナヴァグラハ)はヒンドゥー教の神々と悪鬼を神格化したもの
ヒンドゥー教と仏教には、9つの「星」を神格化する九曜という思想[ⅱ]があります。
九曜はサンスクリット語で「ナヴァグラハ(Navagraha )[ⅲ]」です。
和訳すると「9つの惑星、9つの捉えるもの[ⅳ]」になります。
一週間の曜日を表す日(太陽)、月、火星、水星、木星、金星、土星の7つの惑星にラーフとケートゥというふたつの惑星で構成されています。
18世紀以降に発見された天王星、海王星の2つは九曜には含まれていません[ⅴ]。
九曜は一年の吉凶を占い、人の運命を左右する[ⅵ]と考えられています。
九曜を構成するヒンドゥー教の神々と悪鬼、宝石についてを大紹介!
インドのアーユルヴェーダで宝石は宝飾品療法を医学に取り入れています。
またインドの人々にとって宝石は
● 呪術的なお守り● 富の象徴● 貨幣に取って代われない財産と考えられているのです。
そのため男女ともに宝石やアクセサリーを身につける人が現在でも多い[ⅶ]です。
またヒンドゥー教の聖典『リグ・ヴェーダ』には神々の肖像や神殿に宝飾品を捧げると幸運を得られることについて言及しています。
それ以外にも、インドの二大叙事詩のひとつ『マハーバーラタ』に登場する英雄神・クリシュナが、ヒンドゥー教の正式な礼拝で奉納する捧げ物の中に宝石を上げています。
人々が宝石を捧げることで大きな返礼を得られることについて『バーガヴァタ・プラーナ』という文献の中に書かれているのです。
このようにヒンドゥー教において宝石は重要な地位を占めています。
その中でも特に価値の高い聖なる9つの宝石を「ナヴァラトナ(ナオナトラ)」と呼んでいるのです。
聖なる9つの宝石が九曜と関連していることが『ナララトナパリクシャー』という宝石について書かれた古い論文で見られます[ⅷ]。
それでは九曜に当てはまる神様と悪鬼、それぞれを象徴する宝石、九曜となる神々が横並びになった際の配置などをご紹介します。
スーリヤ【日(太陽)】戦車に乗る太陽神スーリヤ。
スーリヤ(Surya)は太陽神で『マハーバーラタ』に出てくる主人公アルジュナの異父兄・カルナの父親です。人間の体を意味します。配置は一番左です。象徴となる宝石はルビーで、体の色は紅色で表されます。
チャンドラ【月】月の神チャンドラ
チャンドラ(Candra)は月神でソーマと同一視されている存在[ⅸ]です。初期は、神々の酒の神でしたが、時代を経るうちに月の神へとなりました。木星を司るブリハスパティの妻を誘拐した過去があり、ブリハスパティとは犬猿の仲[ⅹ]です。
人間の精神を意味します。配置は左から2番目です。象徴となる宝石は真珠で、体の色はパールカラーで表されます。
マンガラ【火星】
マンガラ(Mangala)は破壊神・シヴァと大地の子、またはシヴァや火の神・アグニの精子から生まれたものと考えられています。別名アンガーラカ、マヒースタ[ⅺ]です。空の松明、赤いものという別名を持っています。軍神カルティッケーヤ、スカンダ、韋駄天と同一視されている存在です。闘争心を意味します。配置は左から3番目です。象徴となる宝石は珊瑚で、体の色は赤色で表されます。
ブダ【水星】
ブダ(Budha)は月種族の始祖となった賢明な者です。ブダはチャンドラとその妻であるローヒニー(星宿)または、チャンドラと彼がブリハスパティから奪ったターラーとの子供[ⅻ]です。人間の知性を意味します。配置は左から4番目です。
象徴となる宝石はエメラルドで、体の色は緑色または青色で表されます。
ブリハスパティ【木星】
ブリハスパティ(Brhaspati)は祈祷あるいは称賛の主で、当初は神々の祭官でした。
時代を経るうちに聖仙・アンギラスの子でターラーという妻を持つ、神々の教師になりました。チャンドラとは妻・ターラーの奪い合いにより、争った過去を持ちます[xiii]。
信仰心を意味します。配置は真ん中です。象徴となる宝石はイエローサファイヤで、体の色は黄色または青色で表されます。
シュクラ【金星】
シュクラ(Sukra)はインド神話の聖仙のひとり[xiv]です。愛を意味します。
配置は右から4番目です。象徴となる宝石はダイヤモンドで、体の色は白色で表されます。
シャニ【土星】
シャニ(Sani)はスーリヤとチャーヤーの子、またはパララーレヴァーティの孫です。
異名を多く持っており、インドの民間信仰では凶星と考えられています。見るものを破壊する邪眼を持っているのが特徴です。一説にはシヴァとその妻である女神・パールヴァティーの子供であるガネーシャの生誕祭に参加し、ガネーシャの頭を灰にしたそうです。
宇宙の維持神ヴィシュヌは頭のなくなったガネーシャを不憫に思い、象の頭を取り付けたため、ガネーシャの頭は象になったと言われています[xv]。人間の体質や気質を意味します。
配置は右から3番目です。象徴となる宝石はブルーサファイヤで、体の色は黒色または青色で表されます。
ラーフ 【日食・月食(昇交点)】
ラーフ(Rahu)は和訳すると「捕えるもの」で、悪鬼[xvi]です。
太陽の軌道と月の軌道の昇交点(天体が南側から北側へ通過し、赤道で交わる点[xvii])です。日本では羅睺星(らごう・らごせい)と呼ばれています[xviii]。日食と月食を起こす力を秘めていて前世を意味します。配置は右から2番目です。
象徴となる宝石はヘソナイトガーネットで、体の色は灰色、または赤みがかった青、ピンクがかった白、五色で表されます。
ケートゥ【日食・月食(降交点)】ラーフ 【日食・月食(昇交点)】
ケートゥ(Ketu)は和訳すると「輝き」、「印」で、悪鬼[xix]です。古くは「彗星」という意味もありました。ラーフと同じ力を秘め、前世を意味します。
太陽の軌道と月の軌道の降交点(天体が北側から南側へと通過し、赤道で交わる点[xx])です。日本では計都星(けいとと)と呼ばれている惑星[xxi]になります。配置は一番右です。
象徴となる宝石はキャッツアイで、体の色はまだら、または青、ピンクかかった白、煙色で表されます。
ラーフとケートゥは空想上の惑星で、存在しない!?
実はラーフとケートゥは実在しません。このふたつの惑星は想像上の天体[xxii]になります。
インドで古くから日食と月食を起こす悪鬼として考えられていました[xxiii]。
どうしてラーフとケートゥが日食と月食を起こす存在なのかを解説していきます。
ラーフとケートゥの神話〜「乳海撹拌」とアムリタ〜
ヒンドゥー教の叙事詩である『マハーバーラタ』や聖典『プラーナ』で語られるポピュラーな創造神話に「乳海撹拌(にゅうかいかくはん[xxiv])」というものがあります。
「乳海撹拌」には神々を不死にした霊薬であるアムリタ(甘露)という飲料について書かれています。
ヴィシュヌと創造神・ブラフマーは力の弱くなった神々に不死となる方法、または姿を隠してしまった幸運の女神・ラクシュミーを探す方法についてアドバイスをしました[xxv]。
それは乳でできた原始の海を、かき混ぜ続けることです。実は神々以外にもアムリタを求めるものたちがいました。それは鬼神であるアスラたちです。
アスラは神々と同等または、それ以上の力を有する超自然的存在と言われています。
日本では奈良県の興福寺で見られる阿修羅像が有名[xxvi]です。
乳をかき混ぜ続けることについては諸説あります。
● 1000年間、乳海を撹拌して神々はラクシュミーとアムリタ、財宝を発見。アムリタでパワーアップした神々は財宝の武器や防具を使ってアスラたちを撃退! 宇宙を統治し、平和をもたらした。
● 神々はアスラたちと一時的に協定を結び、蛇族のヴァースキを山に結びつけて、乳海を撹拌。財宝とアムリタが出現するとヴィシュヌが美女・モーヒニーに化けてアスラたちを誘惑し、神々はアムリタを手に入れた。
どちらのパターンも乳をかき混ぜていくうちに海がバター状になり、太陽と月といった天体や神々が誕生しました。
神々の医師であるダヌヴァンタリ、またはラクシュミーがアムリタとともに現れ、神々とアスラはアムリタの争奪戦を行うのです[xxvii]。
神々はアスラたちに勝利し、アムリタを天上に保管します。
そして負けたアスラたちを地下や海底へ追いやりました[xxviii]。
ところがラーフだけは、どさくさに紛れてコッソリとアムリタを飲んでしまったのです!
これを見ていた太陽神・スーリヤと月神・チャンドラは、ヴィシュヌにラーフのことを報告。
急いでヴィシュヌは武器である円盤チャクラで、ラーフの首を切り落としました[xxix]。
しかしながら時すでに遅し。
ラーフは不死となっていたため、太陽や月を恨み、彼らを飲み込む存在(日食と月食)へとなった[xxx]のです。
最初は彗星と考えられてきたケートゥですが、時代を経るうちにヴィシュヌに首を切り落とされたラーフの胴体として扱われるようになり、現在ではラーフ同様に日食と月食を司る存在になりました。
九曜の日本での影響とその歴史
平安時代、日本には安倍晴明や芦屋道満といった「陰陽師」という官僚が、占いによって国の政治を左右していたのです。
陰陽師にとても似た仕事をする官僚で占星術を行う「宿曜師」がいました。
宿曜師は星や天体についての吉凶を司っていたのです。
陰陽師と宿曜師はときに手を取り、ときにはライバル関係となりました。
2024年にNHKで放映された大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部の書いた『源氏物語』にも、宿曜師の姿が伺えます。
『源氏物語』に登場する宿曜師は主人公・光源氏の将来や、光源氏の子供たちの将来についてを占っています。
宿曜師の支持する宿曜道を取り入れたのは、平安時代初期に唐(中国)からインド伝来の密教を日本に持ち帰った弘法大師(空海[xxxi])です。
宿曜道は密教の一部で、九曜の思想を含んでいます。日本では数え年で一年の吉凶を九曜で占います。
1. 日(太陽) 2. 月 3. ラーフ 4. 土星 5. 水星 6. 禁制 7. 火星 8. ケートゥ 9. 木星
上記の順番で九年ごとのサイクルで人間の運勢を占っていくのです。
曜日の導入
空海が真言密教とともに九曜の概念が含まれた『宿曜経』を日本に伝来したため、曜日の概念も導入されました。
平安貴族の間では広く分布し、使用されていました[xxxii]。
しかし残念ながら、現在カレンダーで使用されている7日間の曜日が日本全土に広く普及するようになったのは、明治になってからです。
1873年に太陰暦、1876年に週休制が導入され、以降ゆっくりと時間をかけて曜日の概念が定着していった[xxxiii]のです。
九曜曼荼羅が描かれた
空海は師匠である恵果の教えである「真言密教は言葉だけでは真の意味を伝えることができない。絵画でその意味を示す」という言葉を忠実に守り、「曼荼羅(まんだら)」という図像を取り入れました。
曼荼羅は中央に円がひとつあり、その周りを8つの円が取り巻いている形です。
日本に現存する最古の曼荼羅は神護寺の高雄曼荼羅[xxxiv]です。
九曜曼荼羅が家紋に使用される
九曜曼荼羅が普及すると平安貴族は交通の厄除けとして、牛車にも九曜を描きました。
鎌倉時代になると源平合戦が起こります。
紅白で陣営が別れていましたが、平家が滅亡すると色以外で家を区別する必要が生まれました。
結果、武家や公家はマークで家紋を日常的に表すようになった[xxxv]のです。
そして戦国武将たちは己の一族を表すマークである家紋に、平安時代から広く使われている九曜紋を使用しました。
九曜紋を使用していた有名な武将は ● 細川忠興 ● 伊達政宗 ● 石田三成
上記3名です。
その後、江戸時代では多くの大名が九曜紋を使用するようになり、特に千葉氏一族が九曜紋を多く使用しました[xxxvi]。
夜空に輝く星たちと、見る人を魅了する宝石からスピリチュアルな力を人々は感じ、神様に繋げた
今回の記事で九曜がどんなものか知ることができましたか?
九曜は…
● 新バビロニア王国の天文学と古代ギリシャの占星術をインド式にしたもの
● 日、月、火、水、木、金、土の惑星に、実際には存在しないラーフとケートゥを合わせて九曜
● ラーフとケートゥは日食・月食の現象に深く関わっている
● ヒンドゥー教の神々を惑星に当てはめて吉凶を占う
● 古代インドの人々は宝石にスピリチュアルな力があると考え、九曜の象徴とした
● 日本には平安時代初期に空海によってもたらされた
● 九曜を使用する宿曜師と陰陽師はライバル関係
● 九曜曼荼羅から九曜紋という家紋が生まれた
実のところ九曜は日本においても身近な存在です。
今でも家紋や真言密教で使用されていたり、占いで用いられています。
仕事や旅行でインドを旅行する機会があるときは、本場の九曜占いで2025年のあなたの運勢を占ってみませんか?
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