意識の統合

https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/32172941/ 【客観芸術と主観芸術】

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https://honnyomumanju.com/category7/category13/entry91.html 【退行と統合】より

タイプ6の根底には、常に不安感とそれから逃れたい気持ちが強く根付いています。

そんな不安から逃れるため、強者の庇護を求めるのがこのタイプの大きな特徴ですね。

不安への対抗策として集団の一員として生きることを望むタイプ6。彼らは迎合と協調に関してはまさしく達人ですが、同時に不安に対する過敏さから暴挙に出ることも……

ストレスを感じるとタイプ3へ

もともと迎合的で温和、悪目立ちが嫌いで一心一体が大好きなタイプ6は、集団への帰属意識を強く持っています。

先述の通り、それは未知や未来への不安に対抗するための手段ですね。そのため、味方と認めた者には穏健な態度で接し、間違っても癪に障るようなことをすることはないでしょう。

しかし、同時に排他的でマイノリティや未知、相容れない意見に対して非寛容なのもこのタイプの特徴になります。

聞きなれない言葉、自分たちとはまた異なる正義やアンチテーゼとも言うべき存在、よくわからない人々、奇人変人、新しい事柄…………これらはすべて、タイプ6にとっては和を乱す存在であり、場合によっては敵性の存在にも思えてくるでしょう。

タイプ6にとって大事なものは、今この瞬間の平穏や秩序を維持し、いつまでも同じ状態が続くこと。つまり、変化や激動はすべて心の安寧の敵なのです。

これらに長時間触れていると、タイプ6は大きなストレスや負荷を感じるでしょう。

そして、そうなったときに向かう先は……タイプ3。

保守のために全力を出すタイプ6ですが、それが行き過ぎると完全に仕事中毒となり、今の居場所や平穏が無くなると強く思うほど、その素養は大きくなっていきます。

また、上に取り入られたいという気持ちも悪化。寵愛を得なければいつ切り離されるかわからないため、気に入られようと必死になるわけですね。

結果として、崇拝先を絶対正義と信じて疑わなくなったり、讒言でライバルを蹴落としたり、大きな局面で見栄を張ったり媚びを売ったり、相手を無条件で見下したり……

それらが悪化すると、今度は思想や人格、果ては性別血液型職業と何でも節操なく持ち出して、弱者や少数派をできるだけ大人数で差別迫害し、必死に気を紛らわそうとするようになります。

また、被害者意識や自己憐憫が強まることによって、自分たちの言っていることが理にかなったまったくの正論に見えてしまう事も多いでしょう。

万一これらを否定した人がいれば、全員が口をそろえてこう言うでしょう。

「事実じゃん」

思考や感情が爆発、暴走した結果事実が見えなくなるのはどのタイプにも共通ですが……タイプ6の場合はこんな感じに、攻撃する先はしっかり選び、集団対1の状況を作り出してから攻撃を開始するのですね。

これが日本の恐ろしさであるオンラインでベストセラーを購入

統合:タイプ9へ

一方、心が健全になっても、「今この場」を強く意識することは変わりません。

では、何が変わったのかというと……将来の漠然とした不安から目を逸らすのが不健全な時。対して健全なタイプ6は、余計な不安を抱えて考える無意味さを知り、今この場の最善を尽くそうとする。この違いでしょうか。

協調と一体感に重きを置くタイプ6は、素直で謙虚な大器へと変貌します。

異なる価値観や物の見方もしっかりと聞き入れ、理解するだけの度量を身に着けるわけですね。

しかも、もともと備わってある責任感や協調性、勤勉さも失わずそのまま。

責任を全うする真面目さや身内への献身をそのままに、大気と勇気にあふれる人物へと成長していくのです。

また周囲によりかかるのをやめ、自分の中の思いや自信を新たに自らの支えにしていくため、優しさや穏やかさの内に力強さも内包する、非常にバランスの取れた大物になっていくことでしょう。

統合への道

さて、タイプ9っぽい人物に成長するのがタイプ6とは言え、「それならタイプ9を模倣すればいいのか」と言われれば、答えは否でしょう。

さしあたって、主な留意点は以下の通り。

・余計な不安は頭から取り除くべし!

・物事を決定した際には何を根拠としたかを明白に理解すべし!

・多様性を持つべし!

・他ならぬ自分だけのための時間を持つべし!

まず、タイプ6にとっての一番の鬼門であり必要不可欠な要素は、雑多で余計な不安を頭から排除すること。

「あれもこれも」と想定しうる様々な不安に備えようとしていては、時間はいくらあっても足りません。事実、このタイプはそういった部分に時間を割くあまり行動が後手後手になってしまう事も多いのです。

アレコレと考える前に、まずは現実をしっかりと見ましょう。

「ちゃんと見とるわい!」という方もいらっしゃるでしょうが、まあまずは落ち着いて、雑念を捨てて無心の状態で見据えてみるのです。

常識や普通を人一倍意識するこのタイプにとって、世間は敵しかいないなんて事態は滅多にないでしょう。

思い込みと感覚は似て非なるもの。先入観を捨ててニュートラルにものを見、その上で余計な不安を選定し「杞憂でした」で終わらせてしまうのが、タイプ6にとって最初の関門でしょうね。

ただ、ここを超えれば、後はクリーンな世界が広がっているはず。

正直、割とテキトーでいいのです。ざっと目標への筋道を立て、進んでみて、そして目標を達成出来たらまずは素直に喜ぶようにしてみましょう。

常に不安に苛まれていると、なかなか物事楽しめませんからね。

過ぎたるは及ばざるが如し。

無責任なのは感心しませんが、逆に気負い過ぎても自分がつらくなるだけです。適度にガス抜きし、何も考えず周囲を見てみましょう。

「成長せねば」と自身を急き立てても、ほとんどの場合逆効果です。

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さて、もう一つの関門として、「他人に自身のかじ取りを任せようとしてしまう」という部分も、このタイプの弱点ですね。

強い者や信頼おける者に迎合する姿勢を見せることが多いタイプなので、そのぶん「あの人に全部任せよう」となってしまう事が多いのです。

結果として、傲岸で不健全な状態のタイプ3やタイプ8の意のままに操られ、それを正しいからと多くの人に押し付けるという痛ましい結末を迎えることもしばしば……

自分の人生の決定権は自分自身にあり。

大したことのない自分に大仰な決定ができないと思っている節があるのでしょうが……それこそ思い違いです。

自分の事くらいは誰にだって自分で決める権利はありますし、それだけの能力は備わっているはずですよ。

思い切って自分の本心にしっかり目を向け、明らかに自身と相容れない命令は避けるようにしましょう。オンラインでベストセラーを購入

この時、おそらくやかましいくらい活発に脳内会議が発生するでしょうが……構わず自分の本心を明らかにすること。それができれば、もはや一皮むけたも同然です。

後は、「正義ややり方はいつも一つ!」という固定観念を捨て去れ……みたいな感じの物ですね。

ついつい違う意見は徹底排除し、みんな同じ方向、同じプロセスを歩むのを至上としたがってしまうタイプですから、なかなか違う意見との交流の機会を得られない(というか意図的になくしてしまう)のがタイプ6の特徴の一つ。

意外と見方も違う、捉え方も違うという考え方が、逆に役立つことも少なくありません。

呉子兵法にも「君主より優れた意見を出せる者がいないのは亡国の兆し」というような事が書かれていますし、必ずしもみんな一緒がいい結果を生むわけではないのは明白なわけですね。オンラインでベストセラーを購入

異論を唱えられて自分の平穏が崩されるのは我慢ならないかもしれませんが……そういう意見を容れることは逆に心の安定に役立つことも多いはずです。

最後に……やはり自分の、自分だけの時間を持つことが1番ですね。集団への迎合、貢献のためにやたらと時間を使い過ぎる傾向があるのがタイプ6の人たちです。

ガーデニングでも釣りでも散歩でも何でもいいです。

とにかく、自分としっかり向き合える静かな時間を作りましょう。

雑念から解放され、頭を空っぽにして興じることのできる趣味の中で、自分の中の何かが見えてくることも多いですよ。

こういった静かな時に見えた物こそが、自身を解き放つための一石になり得るのです。


https://note.com/abe_yafuri/n/na29730dacff0 【五七五の次を考えたくなる『絶対本質の俳句論』】より          阿部八富利

苗字が同じ俳人は何となく気になる。歳時記で出会うと、ちょっと余分に目を通しておこうという気になる。僕の場合は、阿部みどり女、阿部青蛙、、、そして阿部完市だ。阿部完市の

すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる  草の中でわれら放送している夏

が好きだ。通称あべかん、本記事でも尊敬を込めてあべかんと呼ばせて頂きます。

そんなあべかんが『絶対本質の俳句論』という、インパクト絶大のタイトルの本を遺していた。鱗読書会で教えてもらって、すぐにポチった。

「絶対本質」なんてねぇ、なかなか言えないですよ。このタイトルはどうしたって「巷で言われているのは本質じゃないぞ!」的なニュアンスを醸し出してしまう。

自分の仕事で「絶対本質の〜論」なんて打ち出したら、ボコボコにされる未来しか見えない。それを俳句で打ち出したあべかん。シビれますね。

で、実際の中身はどうだったか?タイトルに相応しい内容だったと思う。

「俳句とは、どういう詩なのか?」を論じ上げたように感じる。「次を求める詩」というのが、本書の答えだと思うが、そう答えるための論拠を、時間論、音韻論、定型論の3点から述べている。

いずれも古今東西の文献や実験結果から、論を展開していた。文献部分は読み飛ばしてしまったが、論の要所要所にあべかんの気合いが漲っているように感じる。

納得感のある言葉がたくさんあったので、以下まとめてみた。わかりやすくするために、本文をかなり編集していますのでご留意ください。

メッセージ1. 俳句は理性に頼らないものである

知的論理は拒否したところに俳句は出現する。例えば

「雪がとけたら何になるか?」

という問いがある時、知的論理によって導かれる答えは「水」である。

だが、感動を伝えやすい答えは「春」である。

日常生活を機能させるために知的論理は必要だが、俳句においては、句作も鑑賞も、知的論理を絶対に拒否しなければならない。そして知的理解を拒否して、心の直接の働きを基準にする以上、句作だけでなく選句や作品鑑賞も芸や創作となりうる。

p.13-15を編集

俳句一行がひと筋だけの意味を示し、一義的にしか読み得ないとき、その一句は、言葉の本質からもっとも遠い業務用一行である。

p.174を編集

《鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規》

この句は子規庵句会での、長時間の意識集中の末に生まれた。19名による300句以上が作句された会の後半で作られたものである。

これは句座の共同的な無意識が、ふと子規の頭脳を通して姿を表した一句ではないか。そして元来、俳句とはそういうものではないか。ひとりの俳人が作ったことになっているが、共有の言葉や共感によって無意識が思わず洩れ、理性の向こう側へまたがるリズムとして俳句が生まれているのではないか。

p.139-140を編集

メッセージ2. 俳句は直感的に把握するものである

私にとって一句は、一瞬であり、直感である。いきなり全体・全部である。

一口に嚥み下すことができる詩である。

p.129-130,184を編集

メッセージ3. 俳句とは次を求める詩である

時間と同じように、言葉はいつも更新される。一語が現れたとき、書き手にも聞き手にも、新しい何かを与え加えてゆく。そして、その言葉自体が皆のものになり、大きくなる。

つまり、言葉は「新しい何か」をつくり続けているのである。そしてその「新しい何か」をたっぷりつくることができる言葉というのは、偶然によってもたらされる。

だから「感動に添って、もっともふさわしい言葉をえらんで、素直に書けばよろしい」などという言い方はまったくあたっていない。

感動を言葉にのせ続けたとき、ときに新しい、次の何ものかに突き当たることがある。俳句とは、その偶然の恩恵に預かるための活動である。

p.103-105を編集

俳句は、五七五と読んだあとに、その次を呼び続けるものである。誰にでも声をかけて、鑑賞者からの無数の応答、感応を期待し続けるのが俳句である。次への門戸を明確にひらく、直感的な詩である。

p.187-188を編集

連歌の発句から独立したという出生上、俳句は、「五七五」のあとに幻の「七七」を求める姿をとっている。ひどく不安定な形の詩形であり、補完や次を願うのが俳句なのである。その次なる思いへの飛翔を生むのが「切れ」である。

次とは「七七」であり、それに代わる想いである。真の「切れ」とは、鑑賞者に何かを直感させ、自らの思いをつけるように促すものである。

p.210-214,227を編集

以上です。

本書の中で、あべかん自身が幻覚剤のLSDを摂取して句作するという、今では実現が難しそうな実験もしてたりするので、気になった方はぜひ手に取ってみください。

ありがとうございました!


意識の統合         

昔の人は言霊・音霊の世界に生きていたそうです。

話し言葉は阿吽の呼吸で伝わり言葉はそのまま実態につながったと聞きます。

漢字の導入とともに 漢字と大和言葉のすり合わせが起こり 漢字には音読み、訓読みが生まれました。

やがて 自然と調和し 本来の自分と一致した大和言葉を失うことになりました。

悟りは 差を取るともいえます。

「世界と本来の自分」との一致を回復することです。大和言葉の回復かもしれません。

悟りは共鳴現象。自らが在りながら、無になること。安らかで平和な トランス感覚。 肉体の境界が感じられなくなり宇宙に溶け込むようなリラックス感。(これを無我体験とも呼ぶ)五感の中でも「一番エネルギーが高い視覚」が止まり、エネルギー感覚が蘇る。

一点集中(あるいは左脳の攪乱)で新皮質の働きを止め、魂との出会いが起こる。

「脳の浄化(呼吸法、ヒーリング)」「脳の統合(新皮質、旧皮質、脳幹の統合)」ができると左右脳の柔軟化(左は主として新皮質;顕在意識、右および脳幹は主として旧皮質;潜在意識、ボディ意識を司る)が起こり、右脳に眠る過去のトラウマが左脳の意識に昇り、気づきと癒しが生まれます。さらに脳の浄化が進みます。

無意識を悪戯にこじ開けてはならない。必要があって(自我の防衛機制により)意識に昇らさないことを 無理に昇らすと 自我の崩壊が起こります。自分を開示しすぎると不安感に襲われ自己探求も中断したくなります。

時が満ちて顕在意識、潜在意識(個人的無意識、普遍的無意識=集合無意識)肉体の意識(魂の意識が宿る)の三つの意識が統合され、脳の統合が 生まれます。







コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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