ともに咲く

ネイティブアメリカンの@Indianteachings

■「祖先の人々に生命を与えたのは風。指先をかざして私たちは風の来た道を知る。」 【ナバホ族】

https://www.ladea.jp/b-iki-013/ 【「美の中を歩く」 ナバホ族の生き方】より

BSテレビの再放送だったろうか・・・。

タレントの原千晶さんが、アメリカインディアンのナバホ(Navajo)族を訪ねる番組を目にした。原さんは、子宮ガンと戦っている。再発もありうるかもしれないという。

そうした中で、ナバホの「美の中で終わる」という言葉を知り、こころ惹かれていた。

ナバホは、独自の世界観を持っている。「死」については考えない。

「死」ではなく、考えるのは、ただ「美の中を歩く」ことだという。

ナバホの「美」とは、人生におけるあらゆる物事、人々、自然、動物、植物、感情、天気などとの「調和」を意味している。

「美の中を歩く Walking in Beauty」という祈りの一節から。

「私は、美の中を歩く 前にある美とともに歩く 後ろにある美とともに歩く

私の上にある美とともに歩く 私の回りにある美とともに歩く・・・」

FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事

自然は祖先から譲り受けたものではなく、子孫から借りているのだ。

~米国先住民インディアン・ナバホ族のことわざ~

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『今を生き抜くナバホ人達』

当時アリゾナ、ユタ周辺には逆襲に出た民族に比べ、温厚な先住民族“ナバホ”がいたが、彼らはいたって平和主義、戦わずに話し合おうと、1865年に平和のデモンストレーションを行なう(その時行われた平和の行進は“LONG RUN”と呼ばれ、後にイーグルスがアルバムの題に使った)。その時の声明文がある。

「肌の白いあなたがたに、肌の赤い我々が野蛮に思えるのはなんとなくわかってきた。我々にして見れば白人の物事の考え方、生き方がわからない。白人の町に行ってみたが、生き方のコンセプトがわからない。小川のせせらぎもなければ、小鳥のさえずりもない。そんな生活は人間の生活と言えるのか? 白人は地面の上に線を引いて、ここからここは私のもの、ここからそっちはあなたのものと言うが、大地の上に線を引いて所有を決めるのは、大空に線を引いて所有を決めるぐらいばかげたものに見える。我々の事はそっとしておいて欲しい。そして、聖なる大地に踏み込まないで欲しい」

白人達はこの声明文を持ってきた人物を捕らえ、ナバホの人々を捕らえ、むりやり書類にサインさせ、居留区に押し込めてしまった。それが現在にも続いているナバホ・ネーションなのである。水はおろか草木ですらほとんどない、それでもナバホの人々はこの地でなんとか生きていこうとする。川らしき川はリトルコロラド川とサンワン川の2本のみ。

1860年代から1960年代、100年かけて灌漑施設を作り、やっと農作が楽にできる!と喜んだのもつかの間、1960年に冷戦が勃発。核戦争への準備でウランを必死で探したら、ナバホ・ネーション内にウラン鉱脈が見つかってしまう。居留区だからと大した厳戒体制を敷かずに行なった為、サンワン側の上流の水はすべて涸れ、大気が汚染、周辺にいたナバホ人は全滅してしまう。つい最近米国政府より遺族に対し、各々1万ドルの見舞金が支払われたが……これでもかこれでもかと悪運が続くが、それでも彼らがこの地から出て行かないのは、やはり愛着があるから。大地に愛の聖岩があり、空に神がいるからある。

インディアンという呼び名は適当では無い、正確にはナバホの人というのが正しい、または INDIANではなく、NATIVE AMERICANが正しいなど、諸説があるが、社会評論社の「風の民ーナバホインディアンの世界」の著者、ナバホ族立大学 Navajo Tribal College, Dine` College で3年半、Navajo and Indian Studies を専攻された猪熊博行 氏によると、これは間違いであると指摘されている。

猪熊氏曰く「インディアン」という表現は特に差別語というわけではなく、ネイティブアメリカンという言葉は、公民権運動時代に意図的、政治的に作られた造語で、この中には、エスキモーやパシフィックアイランダー(ハワイの先住民など)も含まれる。これに対し「アメリカインディアン」はアラスカの内陸部および本土を起源とする先住民のみを指す。 公民権闘争時代の彼らの運動は彼等自身が、AIM:America Indian Movementと呼び、彼らの居留地の公式名は、Navajo Indian Reservation で、彼等の生活を支え、管理する国務省のbranchはBureau of Indian A ffair (BIA インディアン管理局)である。

アメリカには、インディアナ州(インディアンの州)という州があり、インディアナポリス(インディアンの町)という市があり、大リーグにはクリーブランド・インディアンズというチームがあり、鷲の羽根をつけたインディアンの顔がマスコットになっている。 例えばラコタは自分たちで Indian Country Today という新聞を発行している。 猪熊氏の3年半彼らと生活した体験では、彼らは自分たちの事を「国の名前(例えばナバホなど)で呼んでほしい」と言うが、総称として呼ぶ場合には自分たちの事を決して「Native American」とは言わず、「我々はインディアンだ」と言うとの事である。

http://bit.ly/1rrCdd3 より

https://www.youtube.com/watch?v=g8aj6IqCTVA

https://www.amorc.jp/walking-in-beauty/?fbclid=IwAR0tr7CKrL-RT6vIdEk012CwPdkdiQrpneMWVyLriVQBqHNG8xocSow2LG4 【ナバホ族の「祝福の道の儀式」を締めくくる祈りから】より

美の中を歩く Walking in Beauty ビル・アンダーソンBy Bill Anderson

アメリカの先住民ナバホ族の言語で、ホジョ(Hózhó)という言葉は、おおまかに言えば「調和と美」を意味します。この言葉には、自然界や宇宙や世界や人間について配慮することが含まれています。つまり、時間と空間の性質、すべての生き物、成長、運動、秩序やコントロール、そして生命の多様なサイクルに配慮することです。

ホジョという言葉の意味はあまりにも広いため、この言葉が表す意味のすべてを含む言葉は英語にはありません。しかし古代エジプトには、ホジョに近いと思われる言葉があります。それはマート(Maat)です。マートとは、真実と正義と秩序の具体的な現れを意味します。以下は、ナバホ族の「祝福の道の儀式」を締めくくる祈りである「美の中を歩く」からの引用です。

祝福の道 The Blessingway

美の中を私は歩く。私の目の前の美とともに、私は歩く。私の背後の美とともに、私は歩く。私の頭上の美とともに、私は歩く。私の周囲の美とともに、私は歩く。それは再び美となる。

今日、私は外に出かけ、今日、すべての否定的なものが私から去る。私は、以前のようになり、体に爽やかな風が吹きつける。体が軽くなり、私は永遠に幸せになる。私を妨げるものは何もなくなる。私の目の前の美とともに、私は歩く。私の背後の美とともに、私は歩く。私の頭上の美とともに、私は歩く。私の周囲の美とともに、私は歩く。

私は歩く、私の目の前の美とともに。私は歩く、私の背後の美とともに。私は歩く、私の足もとの美とともに。私は歩く、私の頭上の美とともに。私は歩く、私の周囲の美とともに。私の言葉は美しくなる。一日中、美の中を歩くことができますように。

季節が戻ってきたときにも、歩くことができますように。花粉が落ちた道を、歩くことができますように。足もとの露とともに、歩くことができますように。私の目の前の美とともに、歩くことができますように。私の背後の美とともに、歩くことができますように。私の足もとの美とともに、歩くことができますように。私の頭上の美とともに、歩くことができますように。私の周囲の美とともに、歩くことができますように。

年を取ったとき、美の道をさすらいながら…、生き生きと歩くことができますように。年を取ったとき、美の道をさすらいながら…、再び生きて歩くことができますように。そして、私の言葉は美しくなる。

(以下は2012年3月に、ブラジルの国会上院でバラ十字会の世界総本部代表が発表した文書です。)

皆さまの魂の奥底に、バラ十字会は環境保護を訴えます

Rosicrucian Plea for Spiritual Ecology

21世紀の始まりであり、3度目の千年紀の幕開けにあたり、また、私たちの星と、ひいては人類の生存が重大な危機にさらされているこの時点において、みなさまの心の深奥に環境保護を訴えるのが有意義なことだと私たちは考えます。

● 忘れずにいましょう。私たちが生きている地球という星は、40億年以上もの昔から存在している一方、私たちが知っているような人類がこの地球に出現したのは、たかだか300万年ほど前にしか過ぎないことを。そして、その人類が、この100年足らずのうちに地球を危機に陥れてしまったことを。

● 忘れずにいましょう。地球の3分の2を覆っているのが水であることを。そして、私たち自身の体の75%が水でできていて、水なしには生きていけないということを。

● 忘れずにいましょう。森は、私たちが吸い込む酸素を作り出す、いわば地球の肺なのだということを。森がなければ大気は存在せず、したがって生命も存在しないということを。

● 忘れずにいましょう。人類が出現する数百万年も以前から、地上には動物たちが暮らしていたのであり、私たち人類の生存は、動物たちに支えられているのだということを。また、動物たちが、知性を持った、感受性豊かな生き物であるということを。

● 忘れずにいましょう。自然界の4つの領域は相互に依存していて、それぞれの領域の間には、すきまも明確な境界もないということを。また、そのそれぞれの領域は、異なったレベル、異なった形の意識を有しているということを。

● 忘れずにいましょう。地球は、自体が発生する電磁場に包まれていて、この電磁場が大気と連動して、生命に大きな役割を果たしているということを。

● 忘れずにいましょう。私たちの星が存在することは、偶然の産物、すなわち時間と空間が引き起こした単なる偶発的な出来事などではなく、私たちが〈創造主/神〉と呼んでいる、かの〈宇宙の知性〉が考え出して、そして実行に移した〈計画〉の一環なのだということを。

● 忘れずにいましょう。地球とは、単に人間が存在することを受け入れてくれる星であるばかりでなく、様々な魂が人の体の中に生まれ変わり精神的な進化を遂げた後に、素晴らしい帰結を迎えるための環境でもあるということを。

● 忘れずにいましょう。私たちの星こそ、創造されたものの中でも最高傑作のひとつであることを。地球に似た星は、宇宙にただひとつだけあるのではないにせよ、たぐい稀な天体であり、人類がこの地に暮らせるということは、極めて大きな特権であるということを。

● 忘れずにいましょう。地球は私たちの所有物などではなく、私たちが一生を送る間だけ私たちの裁量に任されているに過ぎないのだということを。そして、地球こそ、未来の世代に受け渡すことのできるものの中でも、最も貴重な財産であるということを。

● 忘れずにいましょう。私たちは、地球に対していかなる権利も持っておらず、持っているのは、地球に敬意を払い、保護保全に努める義務だけであるということを。たったひとことで言うとすれば、地球を愛しましょう。

私たちにはこの地球に生まれてきたという特別な恵みが与えられており、美の中を歩くことによって、私たちは皆、この素晴らしい地球の望ましい未来に貢献します。地球の未来は私たちの手の中にあります。聡明さが指し示してくれる道を、進んでいきましょう。


Facebook新田 修功さん投稿記事

明るく楽しく美しく……⁉️💕🌸🌈☺️賢者の一言 ナバホ

生きるための、そして精神的な修行のための大事なポイントは美の中を歩むことである

………………………………✨✨✨

私が30代の頃に経営していた化粧品関連の会社の社訓が「明るく、楽しく、美しく」でした。

当時はそんなに深く考えていたわけではなかったのですが、今にして思えば、本当によく出来た社訓であり、人生訓でもあると思います🤗💕

明るく、楽しく生きている人は美しい。

美しい人は、明るく楽しく生きている。

日本人は、本来、美しいことや美しいものを愛する、美しい心を持っています。

「美しい国日本」なんて言いながら、醜いことばかりしている政治家もいますが……🤣💦

美しい心は、優しい微笑みとなって、周囲に幸せを運びます💕🌈🌸

美しさは、顔や姿勢、言葉や所作に現れます。

イエスさんも、仏陀も、それは美しい人だったに違いありません。

女性も男性も、花のように美しく、明るく、楽しく生きたいものですね 🌸💕

今日も読んでくれてありがとう

FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事

👶✨ナバホ族では、赤ちゃんの"初めての笑い"が、魂が人間の世界を選んだ「神聖な合図」とされています。

この一瞬を祝う文化は、私たち現代人が忘れかけた“人と人とのつながり”を思い出させてくれます。

この写真に映る赤ちゃんの笑顔は、ただの可愛らしさではありません。ナバホ族(Diné)の文化において、赤ちゃんが初めて笑う瞬間は、単なる成長の節目ではなく、霊的にも社会的にも「人間になる」ことを選んだ神聖な出来事とされています。

ナバホ語で「A’wee Chi’deedloh(アウィー・チディードロー)」と呼ばれるこの伝統は、生後3か月頃に行われる儀式で、赤ちゃんが初めて本当に笑った瞬間に、その笑いを引き出した人が、赤ちゃんのための祝宴を開く役目を担うのです。

お祝いでは塩味の食べ物が振る舞われ、贈り物も用意されます。塩には「この子が思いやりと寛容さを持ち、人に喜びを与える存在に育ちますように」という願いが込められています。

ナバホの人々は、赤ちゃんが笑うまでは この世に完全には存在していない、まだ「霊の世界」に片足を残していると考えます。そしてその笑いは、「私はこの世界で生きることを選んだ」という、魂の合図なのです。

この美しい考え方は、現代社会にとっても非常に大切なメッセージを持っています。

🌱私たちは笑いと優しさ、そして人とのつながりを通じて「人間」になっていく。

赤ちゃんの最初の笑いを「社会とのつながりの始まり」として祝い、その喜びを皆で分かち合う文化は、分断と孤立が進む今の時代にこそ、世界中の人々が見習うべき「人間らしさの原点」ではないでしょうか。

ナバホ族のこの小さな笑いの儀式には、未来の平和を築く鍵が秘められているのかもしれません。

📍【ナバホ族はどこに住んでいるの?】

ナバホ族(Navajo Nation/Dinéと自称)は、アメリカ南西部の「ナバホ・ネイション」と呼ばれる広大な居留地に暮らしています。

📍主な居住地:

・アリゾナ州(Arizona)

・ニューメキシコ州(New Mexico)

・ユタ州(Utah)

このナバホ・ネイションは、アメリカの先住民居留地の中で最大規模であり、総面積は約70,000平方キロメートル(日本の北海道と同じくらい)にも及びます。

🌎かつての試練と今のナバホ族

ナバホ族も、かつてアメリカ政府によって強制移住や文化の抑圧を受けた歴史があります(有名な「ロング・ウォーク」など)。しかしその中でも彼らは、「怒り」ではなく「誇り」と「忍耐」をもって、文化や言語、信仰を守り続けてきました。

🕊️【ナバホの教えと平和観】~調和を生きる知恵~

🌿1. Hózhó(ホジョー)──美と調和の哲学

ナバホ族の精神文化の核心をなすのが「Hózhó(ホジョー)」という概念です。

これは単なる「美しい」という意味ではなく、

「心・身体・自然・人間関係のすべてが調和し、美しく整っている状態」

を指します。ホジョーを生きることが、ナバホにとっての人生の目的であり、祈り、歌、言葉、行動のすべてに表れます。

・子どもには早い段階から「共に生きる」ことの大切さを教える

・医療や癒しも、「心と自然と人との調和」に重きを置いた伝統医療(セレモニー)を持つ

🌈2. 「話し合いと共有」がもたらす平和

ナバホ族は争いを好まず、問題が生じたときは一族や共同体の中で「語り合い」によって解決を図ります。重要なのは感情の浄化と、関係性の修復です。

怒りを溜めず、対話と儀式を通して心のバランスを取り戻す文化が根付いています。

🌾3. 自然との一体感

ナバホは、自然=親・家族のように捉えています。山や川、大地には精霊が宿っており、日々の祈りや行動はそれらへの感謝で満ちています。

自然と「共に生きる」ことは、単なる環境保護ではなく「魂の礼儀」です。

🤲4. 子どもと老人は、共同体の宝

子どもには喜び・優しさ・思いやりを教え、老人には知恵・語り・祈りの役割を担ってもらいます。世代を超えてつながる知恵の循環は、社会の安定と平和を保つ力となります。

✨ナバホの教えは、今の私たちにこう語りかけてくれます:

🕊️ 争うよりも、共に歩む道を。

💬 怒るよりも、話す力を。

🤝 奪うよりも、分かち合う心を。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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