俳句に託す真情

https://note.com/gyokudou2020/n/n831531d63c70 【「恐怖俳句」・・・怖さを詠みこむこと。】より             夢乃玉堂

「怖い俳句」「恐怖俳句」「怪異俳句」などと呼ばれるジャンルがある。

五七五の十七文字に、不思議や怪異を詠みこむ、世界一短い怪談と言っても良いだろう。

有名な句人や作家も作っている。

例えば、「狐火や髑髏に雨のたまる夜に」   与謝蕪村

「わが恋は人とる沼の花菖蒲」 泉鏡花「  流燈や一つにはかにさかのぼる」 飯田蛇笏 

現代句でも、「戦争が廊下の奥に立つてゐた」   渡邊白泉

「首をもちあげると生きていた女」  時実新子 など、考えさせる句が多い。

そこで、過去の自分の短編から恐怖俳句をひねってみた。

・直接的なもの「忘れ物貸してと首のない幼女」「踏切で血まみれの子が袖を引き」

「怪談会脅した子供がすうっと消え」

・ちょっと考えて怖いもの「夜の墓地撮ったばかりの動画消す」

「今帰るメールを今日も亡き夫」「振り向くな囁かれつつ墓参り」

・現代恐怖「ナンパした女が越し来る隣部屋」「『これでいい』棺桶の妻を見て男がつぶやき」「惚れた数から事故死を引くと、あとは女房が残るだけ」

最後のは都都逸であるが、言葉の向こうにあるものを考えるとやはり怖くなってくる。

結局は人が一番怖いのかもしれない。


https://gendaihaiku.gr.jp/column/1952/ 【粽結う死後の長さを思いつつ 宇多喜代子 評者: 大牧 広】より

 「死」をこのようにあっけらかんと詠んだ俳句を私は余り知らない。「死」は絶対的であるゆえに人々は半ば恐れて内側へ入りこもうとしない。永遠に無になることが「死」であることを判っていても一定以上を踏みこもうとしないのである。怖いからである。

 掲句はその点をすこしの澱みもなく明快に表現していて凄いと思う。

 粽の紐の長さと死後の長さ、言えばその辺りの比較の意外性を措辞している、となるのだが、私にはそれよりなによりこうした句を詠む宇多喜代子という存在の重さに瞠目するのである。このようにあからさまに詠むことによって、どうしても来る筈の「死」への恐怖を溶解してしまおうとする心情が見えて、「勇気の俳句」として私には在る。

  松の芯ときに女も車座に 天空は生者に深し青鷹  水の魂つらねて跳ねる雪解川

 これらの句にも何の晦渋も見られない。きびきびとしたペン運びのみが感じられるのでる。実はその辺りに宇多喜代子という大きな俳人の存在感がある。

 たとえばこの句、  愚直なるべし愚直なるべし初燕

 自分に言い聞かすような表現、こう詠むことによって、決して軽挙な行動はすまいと自らに念を押しているように見える。

 さて、掲句の上五の「粽結う」、この生活感こそが、いい意味の愚直で死後の長さを誠実に考えていることの証なになる。

 この句に接すると死後にも青空があるのではないかとさえ思うのである。

出典:『象』平成十二年   評者: 大牧 広


https://yukihanahaiku.jugem.jp/?eid=48 【俳句に託す真情 ~ 橋本喜夫句集「潛伏期」を読む】より                                                                         鈴木牛後

橋本喜夫句集「潛伏期」を読む。中原道夫による帯に「橋本喜夫の句に頻出する『死』の数は尋常でない」とあるとおり、この「死」というモチーフへの執着は特筆に値する。

私は当初、この間に作者の大切な家族の死があったという事実もあり、句集を編むための選句の過程で、結果としてこのようになってしまったのではないかと推測していた。しかし、常日頃から作者の句を選句している中原が書いているように、そのこととは直接の関係はなく、「死」のモチーフは、医師という職業の故もあるのだろう、かなり以前から作者の身体に深く染みついたものであるに違いない。

しかしそれでもなお家族、とくに妻の死がこの句集の中心的主題となっていることは確かだろう。それ以前の「死」の句は、妻の死を詠むための助走にすぎないとさえ思えるのだ。前半の句よりいくつか挙げる。

ふらここのとなり死にはぐれてをりぬ           時の日の一分にまた一人死す

生き物はなべて孤独死梅ひらく             まだ融けぬ二人使(ふたりづかひ)の唇の雪

リラ匂ふなかを黒衣の列すすむ

子どもが大きくブランコを揺らしている。その傍で見守っている景か。未来を生きる象徴としてのブランコに、その風圧を受けて「死にはぐれている」作者が対置される。また、二、三句目は「誰か」の、いわば抽象的な死を即物的に、四、五句目では、死者をとりまく人々をリリカルに描いている。

ことに「まだ融けぬ」は、帯にも載せられている集中の白眉の一句である。「二人使」とは、(二人が一組となって行くところから)訃報を知らせる死者のこと。厳寒の夜、大雪の中を急いで来たのだろう、訃を告げるその口にまだ雪が融けずに残っているというのだ。その切迫した口ぶりや、使者とそれを聞く者のあいだに走る冷たい緊張感が、その雪に象徴されている。

さみしくて死ぬことのあり白兎

兎はさみしいと死ぬ、というのは都市伝説のようなものらしいが、「さみしさ」と「死」との取り合わせがいかにも白兎の相貌に似合う。

母が言ふ手がさみしくて夜なべする                       父といふさみしき庭に小鳥来る

狼はさみしき異郷かけめぐる

「さみし」の句を挙げてみた。「さみし」は「さびし」と同義だが、「さびし」の方が古いらしい。B音がM音に交替するのは、「けぶり」から「けむり」になったように日本語にはよく見られる現象であるが、「さびし」より「さみし」の方が声が小さいような気がするのは気のせいだろうか。ほんとうに寂しいときには「さみしい」とささやくように言うのではないか。母も父(おそらくは作者か)も狼も、みんなさみしいのである。それはみな白兎と同じように死に近い存在だからかもしれない。

擦り切れて鳴く螽斯(ぎす)よ死は他人ごと

この句は、「十一月十二日父逝く、くしくも『いい皮膚の日』」と前書のある

父逝くや小春日を背に置くやうに

のすぐ前の置かれている。ここまでは「死は他人ごと」だったということなのか、父の死に際しても、結局は自分の死ではないという感慨なのか。ここから、父の死を経て、妻の闘病と死の句が多くなる。

前半にも妻の句はいくつかある。

春暁や運河のやうに眠るひと (「妻はほんとうによく眠るひと」と前書)

海明や妻の口歌(くつうた)みな挽歌

去年今年燃費の悪いひととゐる (「寝てばかりいる妻へ」と前書)

一句目、三句目はともによく眠る妻を詠んでいるが、それを見る作者の思いは同じではないだろう。読者としても平静な気持ちでは読めなかった。また二句目は、発病のはるか前の句でありながら、妻が死を呼び寄せるような存在であることが示唆されていて悲しみを誘う。

わが死後に死すべきものに落し文 (「妻発病」と前書)

病棟に叱られにゆく星まつり (「妻入院」と前書)

病む妻に月を送信して眠る

長き夜を永久のごとくに妻睡る (「モルヒネが効く、効きすぎと思うほど」と前書)

四句目、今まで眠っていた妻は睡りに入る。「眠る」と「睡る」に辞書の上での意味の違いはないようだが、「熟睡」「昏睡」という熟語から、より深いねむりをイメージしているのかもしれない。また何より、「永久のごとく」という比喩は切ない。この「永久のごとく」は、表面には「死んだように眠る」という慣用句からイメージされる充足感という顔を見せながら、裏には、今にもそれが現実になってしまうかもしれないという、強い恐怖感が貼りついているという重層的な構造になっている。技巧的でありながら迫真の心情が託された句で、しばらく立ち止まって動けなくなった。

ホワイトアウト妻は今朝瞑りたる  「十二月四日早朝妻逝く」と前書)

いよいよ妻は「瞑る」状態となった。これも読みはここでは「ねむる」だと思われるが、辞書には「目をつぶる」の次に「死ぬ」の意味がある。「眠る」「睡る」を経ての「瞑る」に、悲嘆の日々を越えて俳句を作り、また推敲を重ねてきた俳句作家としての気魄と矜持を感じざるを得ない。

わが顔の死を恋ふごとく氷面鏡                日記買ふ妻のすべてを過去にして

初夢の妻はふたたび死ににけり

三句目、初夢の中では元気な顔を見せていた妻が、目覚めてみるとやはりもういないという事実。初夢に限らず何度もあったのであろうが、初夢だからこそこの哀感が痛切に響く。

白梅やそらのどこかに棲めるひと                 扉をあけて妻まぶしがる彼岸かな

若草に妻はけむりのごとく佇つ

死者たちの水を撒きたる穀雨かな

そんな悲しみの時を経て、故人との共生を思わせる句が並ぶ。実際には悲しみが癒えるには時間がかかるのだろうが、冬から春へと季節が移りかわり、俳句でも春の句が作られるようになる。「白梅」「若草」「穀雨」というような季語に、作者が救われていると感じるのは私だけではないだろう。特に四句目は、地表の水が蒸発して雨となって降ってきて、それが植物を育てるという、自然の循環の中に故人もいるのだという思いが表白されている。この穀雨の明るさをあえて言祝ぎたいと思う。

俳句は自分ひとりで作っているように思いがちだが、実はそうではなく、先人たち(その多くは故人である)が季語に託してきた思いの上に、少しの新しさを乗せているだけという考えがある。そう考えると、俳句を作るという営為は、多くの死者との目に見えない交流であるとも言える。そう思えば少しは救われた気持ちになるのかもしれない。

作者があとがきで《この期間になんとか正常な精神状態で仕事をこなし、生きて来られたのも、俳句が生身の私の身代わりになって、慟哭してくれたお陰かもしれないと思うようになりました。》と書いているように、俳句という文芸には、私たちが思っているよりももっと大きな力があると確信させられる句集だった。

(「雪華」2020年8月号)


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