Facebookj清水 正博さん投稿記事
神道という言葉の元はカムナガラノミチではないかと思います。
カムナガラとは「目に見えない直観の物理」とカタカムナで訳される。12000年前の縄文初期の人々が高度の宇宙論をもって暮らしていたようで、平和な暮らしを10000年以上していた中でアップダウン構造を持つ神の言葉の日本語が生まれた訳ですね。そして神仏集合の意識を持った日本文化が世界から注目されています。
残念ながら明治維新から西洋的な価値観の影響によって物質中心の生き方に変わり、戦後さらにGHQの3S政策が浸透して失われてしまったのがカムナガラノミチ(神道)なのですが、今回の髙橋美古都さんの講座で学んでいただきたい事です。
https://note.com/katakamuna/n/n8cb2a6c3149c?magazine_key=m3a902f850dc5 【アマナミチ】より 天野成美(カタカムナ研究所)
カタカムナ人がアマナと呼ばれるもののオコナイについてどのように考えていたかについてお話しします。
目には見えない直感の物理ですがアマナと 呼ばれるものが 生まれる源には すべてのに 変わる原材料が入っている場所があります。 大宇宙のその根源の 微球には いろいろなものに 転換する アマの微粒子が 入っています。そして それは 透明で波動の姿で持続しているのです
まだ現れて見えているわけではありませんが 確かに実在しているものでそれをアマナミチと呼びます。
そこにある たくさんの 間が常に 歪みの状態であり 自由に 波動状態で 変化し 発生消滅を 続けています 形は島や縞の姿です。
万物の始元量の 空間と時間の世界の中に中に粒子や波動の姿で持続しています。
そこで発生消滅しているアマの微球の物質の粒子は 光になるエネルギーを 持っています そこで統合重合しています。
正の粒子 反の粒子の 発生崩壊を 繰り返し エネルギーと 物質粒子が 繰り返し繰り返し統合重合しています。
そこにはアマの元から発生した
親和加着が 繰り返し 光の姿は光量子の振動現象があり 運動エネルギーが 揺れて動くことによって 陰陽 電気 粒子が 生まれ力の元となり 物質の質量に転換します。正反電気粒子が結合交換すれば 電気粒子の力が変換して 質量は消滅し 光の運動エネルギーが光のみとなって復活するのです。
電気粒子と光エネルギーは常に相互的転換を行い相似した宇宙球は万物の力の根源です。
その磁気素量と 電気素量は渦巻いて
力(チカラ)エネルギー力素量を発生させます。
アマを生む 奥の力が 1つに 統合されたもの それが 人間の心と体です。
体と心に 別々に加着している 透明な粒子や波動の姿において アマナの行動と 性質は まだ現れて 見えているわけではありませんが 実在しています
それをアマナミチといいます
https://note.com/iyashirolife/n/n55d2deb7ad6b 【カムナガラノミチ 1【直観物理と相似象 】より
カムナガラノミチ
はじめに
これまでのアルバム「カタカムナ人の直観物理と相似象(10)カムヒビキに見るカタカムナ文化」の中で述べたように、「相似象」第五号(1973年)に従い、<カムナガラノミチ>に基づく文献を参照しながら、カタカムナ文化を眺めて行きます。以下は、「相似象」第五号の要約です。
<カムナガラノミチ>という言葉は、日本の神話に登場するものです。中古代以後に開発された古神道では、この言葉の意味は「天照大神の教え」と解釈されていました。しかし、楢崎皐月の研究により、カムナガラノミチの起源は、神道が登場するよりもずっと以前の、カタカムナの作られた上古代に遡るものであることが明らかになりました。しかもその内容は神道家による求道の対象とは本質的に全く異なり、カタカムナ人の鋭い直観性に基づいた、精神文化を示す「カタカムナ文献」の一環を成すものであり、普遍の宇宙法則を論じた高度な哲科学書で、現代最先端科学をも超える、一貫した哲科学理念がその根幹を貫いていることがわかったのです。
しかも、実践の書として、人間は如何に生きるべきかという精神性の根本問題に触れるものでもありました。カタカムナ人達は、鋭い直観知性によって、人間の意識の進化を促進する「鍛錬技法」や、人間社会の望ましい向上を図る「実践施策」を説いていました。加えて、当時の人々の、生活生産技法の一端を伺うことのできる、貴重な歴史的資料でもあります。
このようにカムナガラノミチの起源は、上古代のカタカムナ人の日常生活に密着した、極めて重要なバイブル的存在の文献であったのです。そして、人々の実際の体得に重きを置き、「独学」の方法を教え、人々の直観性能や機能を鍛錬的に高める目的で創造された「実践」を主とする教示だったのです。このような実践方法は、現代の私達にとっても非常に有効であるに違いありません。実際、楢崎皐月のグループでは、実験実習によってこの手段の有効性が示されていたと言います。
人々の心が、常にカムの世界を意識し、カミを指向する鍛錬を重視し、その実践によって、高度の精神性を誇り、争いの無い平和な時代が続いたのが上古代でした。しかし、中古代以降になりますと、人々の指向は、物質の価値をより重視して、精神性向上のために重要な、心の鍛錬を怠るようになったため、直観性が劣化してしまい、その高度な哲科学の内容を人々が全く理解できなくなってしまいました。また、直観性に代わって発達し始めた頭脳的な思考形態機能は、未だ未熟なレベルにあったために、神や霊魂、精霊などを神秘な対象として崇めるという、いわゆる神秘思想が拡がり、それに基づいて開発された古神道や神社神道といった宗教的な教義へと姿が変わってしまいました。それと共に、貴重なカタカムナの物理(コトワリ)は、意識の下がった中古代以降の人々の思考レベルに合わせて解釈され、物理法則は、神の名称として使われるようになったと考えられます。
楢崎皐月によるカムナガラノミチの内容の解明は、単に現代の神道に新しい息吹を吹き込むものに留まらず、より広い見地から、日本の古代、日本語の発祥、日本民族の起源、日本人の民族性等、「日本人とは何か?」という事項についての新たな示唆を与えるものです。更には、「人間とはいかにして生きるべきか?」という、スピリチュアルな根本問題の探求にも、無視できないものである筈です。
カタカムナとは、これほど大切な日本民族の古典なのですが、それが、中古代の為政者・指導者による、漢字の使用の強要の影響で、肝心な物理法則が、漢字による「神の名」として変換され、サトリの手がかりが断ち切られてしまうという事態になりました。中古代初期以来、神秘思想に覆われてサトリの神髄は失われ、解明されない時期が続きました。また、記紀編纂の時代から現代にいたる 1,300年以上の期間中は完全に隠蔽され、所在もわからず、世間からは全く忘れ去られたままの状況となっていました。それが、現代のように、物質科学文明が行き詰まりを見せ、精神文明への回帰が必要とされようとしている時代において新たに発見され、再び、世に出てきたという事実は、驚愕的なものです。
カタカムナの図象文字の解読により、このような関連を知った私達は、歴代の神道研究家達が、漢字文の古事記や日本書紀を、日本最古の古典として疑いもしなかった態度を、甚だ遺憾とせざるを得ず、その意味で、古事記編纂の原本(本辞旧辞等)を保管せずに抹殺し去った当事者の行為は、日本民族文化に対する、最大のツミであったと、考えざるを得なくなったのである。
私達が「カタカムナ文献」と称するものは、敗戦後の1947年、兵庫県六甲山系金鳥山の辺において発見された、カタカムナの神を奉祀する平十字(ひらとうじ)氏の所蔵の巻物によるもので、特殊な人々の手によって秘蔵されてきたものである。
上古代人の、端的な表現を、現代人にとりつぐに当り、私達は、あまりにもその言葉の短さと、その内容の深さの故に、できるだけそれを正しく伝えようとすればするほど、ともすれば饒舌になり、現代人的思考のクセがまぎれこんで、かえって、カタカムナ人の真意を損う、逆効果を招く危険の多いことを、心から畏れている。
(中略)「カン」の良い読者は、拙い解説記事にかかずらわず、どうか直接に、彼らのヒビキに慣れていただきたい。
楢崎皐月述「相似象」第五号 20ページ(昭和47年2月2日)
(原文から、現代仮名遣いに直してあります。)
「神話」の語源と意味
「カミ」とは、人格的な「神」の意味ではなく、ものの「起源」を指すのが本来の意味です。したがって、「カミの話」とは、天地宇宙の起源(カミ)についてサトったことを、人々にわかり易く物語ることでした。楢崎皐月の推測によれば、この物語を指す和語を「カミカタリ」といい、これが「神話」の語源となったとのことでした。このような、カミカタリを語るカタリベは、全国各地に存在していたようです。ところが、後代になって、いわゆる神秘思想化された「神」を語る人々が現れ、「カミ」と「神」のイメージが重なり、カタリベの間でも、わかり易いタトヘ話、神名、地名などに託して物語るようになって行ったのでしょう。神話は、古事記や日本書紀の中に取り入れられましたが、政治的に歪められたり、神秘思想に塗り固められたりしたために、本来持っていた直観物理や、古代史の資料としての価値が損なわれてしまったようです。これまでの神話研究は、現代の科学識に訴えるだけの体系をもたず、スジが通っていません。
以前の投稿「<カムヒビキ>に見るカタカムナ文化 【直観物理と相似象 その 10]」の中でこれまで紹介した、カムヒビキは、楢崎皐月が図象文字の解読を行い、カタカムナ人の心理波動を直接感知できるようになった結果、その経験知識を踏まえた上で、先入観を持たずに、現代人の知性から、その意図を究明するという目的で記述されたもので、「カミカタリ」の原型の復元であると捉えられます。
カタカムナ文献には、「人間の文化」がいかにあるべきかの「根拠」とも言えるものが示されており、これを展開すれば、和語の起源を探り、人類の言語や文字の発生、日本古代の農業、木工、石工、製鉄、医療等、カタカムナ人の衣食住に関する技術や、上古代の政治・経済について等、様々な分野に研究を進めることができます。
また、相似象学の立場からは、広く、宇宙の森羅万象に見られる「相似の現象」の「原型と原象(モデルやパターンの大もと)の解明」について、カタカムナ人が具体的に示していることから、サトリの内容を解明し、現代生活への応用により、生きるための新し方向性を模索することが重要であると思えます。しかし、カタカムナ文献の文の構造は、互いに響き合うような構造になっていて、いわゆる常識的な言語の文法では、解読できないところもありますので、カタカムナ人の直観について、できるだけの想像を巡らせながら文献解読をしていく必要があります。
神の語源(「カム」について1)
<カミ>という言葉について、その発生の起源に遡り、生物が本来備えるべきマトモなカンである「直観性能に基づく知性(サトリのチカラ)」によって、「考へる(カムカヘル)」こととします。
カムヒビキでは、現象界の根拠は「アマとカムのフタカミ」にあるとされました。<アマ>の本質本性については、何度の詳述しましたが、「カム」については、触れていませんでした。しかし、特に<アマ-カム>の対向(ムカヒ)というサトリの理解が重要なので、カムについて説明が必要です。<アマ-カム>の対向(ムカヒ)は、万象を顕現する、あらゆる相似象の「原象」であります。
<アマ>も<カム>も潜象のものであり、「霊魂」「神」「天」といったものの、古代的なイメージに他ならないと考えてしまいがちです。しかし、それでは、そこから生まれるものは、創造主によって万物が創造され、支配されるという着想の、神秘思想となってしまいます。現代人の持つ科学の発想と雖も、この範疇を出るものではありません。宇宙論において、ビッグバン理論の生まれた背景にも、天地創造という、キリスト教やユダヤ教に共通の、神秘思想があるのです。また、エネルギーや素粒子と言っても、「神」や「天」が置き換わっただけのものに他なりません。
しかし、直観物理は、もっと深遠な本質論に迫る、カタカムナ人の体覚から得られた、直観哲学です。「アマの始元量」は、カタカムナ人の 体覚としての実感であり、頭で考えた論理的な帰結ではありません。これは重要なことで、体覚を通じて、<アマ>とは万物を創り出す始元(ムカヒ)であり、アマの分身が、アマナとして、あらゆる物質中に潜在して、中心核的な働きをしていると観じ、<ミナカヌシ>として捉えたのであって、神仏や神のような創造主ではないのです。
例えば、氣功の訓練の目的の第一歩は、体覚で「氣(プラナ)」を実感できるようになることです。一たび、氣を見たり感じたりできるようになると、その存在を実在のものとして確信し、その性質についても、あれやこれやの説明は不要で、確かな主観的実在として、直ちに確認することができます。しかし、まだ氣についての体覚が働かない間は、その存在があることを教えてもらっても、意志の力で観念的なイメージを保つ必要があり、今一つ、実感というものは明確に持てないと言った状況であり、その感覚の差には大きな開きがあります。
カタカムナのコトワリは、カタカムナ人が直接肌で感じた「直感の物理」であり、概念上の「理論」でも、宗教上の「教理」でもないのです。
さらに重要なことに、<アマ>は根源的な母体であり、確かに宇宙の森羅万象を発生させますが、その「イノチ」は、アマのみでは生産できず、その背後に<アマ-カム>の対向という、さらに深い直観があったのです。
「カムナガラノミチ」の真意(「ミチ」の思念 その1)
古来から、日本人に備わる「道」の観念には、独特の「極意」があり、一道に達した人々には共通の「体験」があるという通念がありました。このような道は、武士道、禅、茶、芸術、学問などにのみではなく、大工・石工のような職人技、商売、病人の看護、老人子供の世話、食事、掃除、洗濯、台所の雑事等、日常生活のあらゆる分野にわたり、「道」があり、すべての道は「向上性」すなわち「カミに向う思念」を持っています。そして「道」を追及する結果、究極的に現れるのは、「美」のオモカゲです。
日本人の無意識の考え方の源泉の「カミ」を求めようとすれば、その「道」は、上古代以来の日本語によってたどるしかありません。カタカムナ人は、「美」を生み出す条件に対し、人間の側のみならず、常に環境が機能することを直観し、アマ、オホマ、カミ、カム、イノチ、ミチ等の言葉をつくり出しました。これらの言葉は日本人の精神構造を支配し、「美意識」を方向付けたのです。
<カムナガラ>とは、「カタチのないものながら」の意であり、<カムナガラノミチ>は「カタチこそ見えぬが、ミチはあるのだ」という思念を暗示しているのです。
楢崎皐月は、この言葉のヒビキから、以下に示す内容を考察したことを述べています。
ミチは「道」であるが、「道」という意味になったのは、<ミ>が何度も繰り返し続いて現れることによって「道」が出来てくるからである。そもそも<ミチ>という日本語をつくり出したカタカムナ人の思念は、「<ミ>の持続(チ)」という意味であった。
<ミ>とは何か? といえば、今でも「仕事にミが入る」とか「ミのある言葉」などというように、ものの実質的な本質を表す「実」の意味であり、又、ものの機構の有様を示す「身」の意味でもある。あるいは、味、見、の意にも通じ、一二三<ヒフミ>の三でもある。
三つの<ミ>によって<カミ>が示され、そのミが持続して<ミチ>になり、それが後世に伝えられ、人々は今もその道を通っているが、今ではもうそのイハレのイミはわからなくなり、<カムナガラノミチ>という言葉だけが残っているのであろう?……
三つのミの第一は、<ヤタノカガミ>や<フトマニノツルギ>の表象物に託し、<カタカムナノウタヒ>によって示されている<ミ>であり、第二は、<ヤサカノマガタマ><イホツのミスマルノタマ>の表象物に託し、<カムヒビキ>によって示されている<ミ>であるとすれば、あとに残る<カムナガラノミチ>の示す<ミ>は、前の二つの<ミ>とは違ったところがなければならぬ。...…
楢崎皐月述「相似象」第五号 90ページ(昭和47年2月2日)
(原文から、現代仮名遣いに直してあります。)
楢崎の着目点は、あらゆる現象事象の中にある、宇宙大から極微に至るまでの、カタカムナ人の「相似の形象」への直観でした。それは<ヒトツカタ>と呼ばれ、あらゆる現象事象に共通して与えられている本来性が、数種類のパターンに分類され、その奥にある「大きな機能」である、万象の相似象の「原象」が把握されたのです。そのサトリは、以下のような本質的な疑問について、カタカムナ人の鋭い直観性を以ての解答を含むものです。
(1)宇宙の大原則、すなわち、多種多様に渡る生命現象を引き起こし、大自然の総ての機構を成り立たせている「大きな機構」とは何なのか?
(2)宇宙に現れる相似象を発生させているのは何か?
直観物理の示す潜象の存在について、<カタカムナノウタヒ>では、<アマ>の<ミ>のナリタチが、<カムヒビキ>では、<アマ>の変遷、すなわち<モロカゲ>の<ミ>が示され、<アマ>の始元量の持つ本来性は、<アマ>の変遷により生成される万象に受け継がれるとされています。
次の、第三の<カムナガラノミチ>の示す<ミ>は、アマ界(宇宙)の諸現象を発現する、<アマ>のカミ(起源)の<ミ>に関するもので、アマ(宇宙)がどこから生まれたかとか、<ミ>が生まれて万象に変化する『大きな機構』そのものについての直観です。すなわち、<カムナガラノミチ>は、<アマ>の本来性の発生のカミ(起源)と、発生の本源を明らかにするものです。
細胞、電子・原子の極微の世界から、地球や太陽のような諸天体の巨大現象に至るまで、相似象的に、球状(マリ)に丸まっていて、旋回、循環(マワリテメグル)し、左右マワリの軸ができ、膨張収縮(ソコソギ)の運動を繰り返す、また、人間の胎児の発育のスガタが、魚、亀、鳥の受精卵の発育の姿とそっくりである、ひいては、植物の種に至るまで、「皆、相似象」を呈しています。その理由は?
カムヒビキにおいては、宇宙天体の発生という巨大現象に関する洞察と共に、生命現象に関連した<モコロ>の出現過程について触れていますが、それでもまだ、生命の本質を十分に明かしているとは言えません。
カムナガラノミチにおいては、生命現象の発生の起源や、アメ(アマ始元量)が凝集してマリ(球)になり、ミツゴを構成して「生命」が発生するのは何故かと言ったように、その真の起源(カミ)を究明しています。マコトのサトリであり、従来の神道的神秘性の面影は全くありません。
カムとカミ(「カム」について2)
<カム>は、多くの内容を含んだ語です。
<カ>は、「カタチ、スガタ、チカラ等の現象として現われる」という思念であり、現象を表す多くの語に<カ>という声音が附随しています。
例えば、次のように。(「相似象」第5号参照)
カタ(型、片、肩)、カタチ(形、象)、 スガタ(相、姿)、
アカ(明)、 タカ(高、額)、 タカマ(宇宙球)、
マカ(アマとカムの重合の潜象、マガタマ、マカフシギ)、
カガミ(鏡、鑑)、 カケ(影、陰、欠、掛、駆、書)、
カラ(空、殻)、 チカラ(カラミ)、 カミ(上、神、噛み)、
カネ(鉄、鐘、兼)、カリ(仮、借)、 カハリ(変、換、替)、
カサナリ(重、複)、カエル・カヘル(孵化、還元、帰)
カムカヘル(考)、 カコヒ、 カセ、
イカヅチ(雷、電氣)等々。あるいは
カスカ、 ホノカ、 ハルカ、 サヤカ等、カギリ(限、劃)がない。
<ム>には「無い」「産す」「六」のような思念があります。
したがって、<カム>とは、大まかに言えば、「人間の目には、カタチが見えない」ということです。カタチが無く、カギリの無いもの、しかし、何も無いのではなく、「そこから万物が六方に生まれ出る」という思念を持ちます。
<カミ>は、「カタチに現われてくる」とか、「カムがカタチ(現象)に現れる最もハジマリ(起源)」の観念を持つ言葉です。<ミ>は、実、身、味、見、三の思念であり、実体、真実、本氣等の意味にも使われます。「経験」「記憶」「年の功」等の実態も「ミ」です。<カミ>とは、もとは「起源」の意味で、ミナモトの方向を指す思惟で使われます。川下から言えば、川上の方はすべて「カミ」となります。「神」も精神現象の「ミ」であり、信仰心にとって一つのカミではありますが、真のカミ(起源)ではありません。その「神」のカミをカミへと遡れば、「神」の形はだんだんと無くなり、最後は<カム>となるのです。
古事記の神話において、二つ、三つの神名が一つの神を象徴したり、祀られる神と祀る者とが神ガカリで重合してしまう、とか、カクレ神、夫婦神等の要素を含むものがあります。これは、現象のアカ(明らかに見えるもの――確定要素)とアヤ(あやしいもの――不確定要素)、潜象のアオ(アマとカム)の関係をわかり易く伝えるために、二神とは、アマとカムのムカヒ(正反、陰陽の対象のある根源)、三神とは、アカ、アオ、アヤのミソデ(すべての現象の元にアオがあって、森羅万象が成り立つこと)で示した、カタカムナのサトリに原型があったと思われます(楢崎皐月による)。
<カムカヘル>の語源 (「ミチ」の思念その2)
カタカムナ人のいう「考ヘる」とは、、常に「カムにカヘって考へる」ことでした。ここで、カヘルは、「還る」という方向性を、また、カエルは、「雛が孵る」のような発生の意味を表します。すなわち「考へる」とは、カムにカヘり、カムにカエるという行為です。「カムカヘル」の思念は、日本人の無意識の心情であり、そこからすべてのイトナミに、<ミチ>という「考へ方」が発生します。ミチは、上下左右に通じますが、重要なことは、「カミ」に志向するミチを何よりも優先して選ぶ、ということです。ミチという言葉に、精神的向上の思念があるのは、「カムカヘル」気持ちの美意識の現れです。日本人のあらゆる生活上のイトナミにも、「ミチ」がある、すなわち、すべての業が、恒常的な道を持つのです。
ただし、この志向性は、神秘思想的に人間の思考力の次元からの発想である、創造神としての「神」を想定するのとは異なり、宇宙的なカミ(カム)にカヘル(カムカヘル)態度に立脚するのであって、それは宇宙のすべてのものの、天然自然の本来のスガタに通じるものなのです。「人間は如何に生きるべきか?」という問いに対する答えは、「人間」や「創造神」といった次元からではなく、人間もまた宇宙の生物であることを認識し、宇宙の法則の中で生物の本来性に基いて考へ(カムカヘ)られることなのです。
ただし、カムカエるカンが素直であっても、潜象の把握の仕方を「ナントナク」というアイマイな次元に留めていては、客観性に乏しく真理の伝達には不十分です。このスナホな「カン」と感じるものを的確に判断し得るだけの、高度な知識に裏付けられた直観を鍛えることが必要となります。思考の限りを尽くして、人間の能力の限界を知り、真に「直観」による以外に分かりようのないモノがあることに、ハッキリと気づくことが、「常識の基礎」となります。これまで無意識のままにしてきた、自分たちの裏にあったものの真価を再検討し、現代の用語を使ってわかり易く表現することが真に必要なことです。
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うつせみの茅の輪を潜るけむりかな 高資
言の葉も茂りて室の八嶋かな 高資
烟りつつ室の八嶋の霧晴るる 高資
本日、朝10時から大神神社(栃木市惣社町)で八嶋祭が開催されました。 この度は私もご招待に与り、神事、俳句奉納、直会に参加しました。この神社にある室の八嶋には、池に浮かぶ八つの島にそれぞれ筑波・天満・鹿嶋・雷電・富士浅間・熊野・二荒山・香取の神々が祀られています。また、歌枕の地としても有名で、古くは藤原中将実方もここを訪れて<いかでかは思いありとも知らすべき室の八嶋のけぶりらなでは >と詠んでいます。松尾芭蕉の『奥の細道』では、室の八嶋について「此神は木の花さくや姫の神と申て、冨二一躰也。」と記されていますが、拙句の奉納がたまたま八嶋の中でも最も大きい富士浅間神社へと割り当てられたことは誠に幸甚でした
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