自分が出したものは自分に還るのです

Facebook赤塚 高仁さん投稿記事

私達は、両親にこの世に生み出してもらいました。しかし、両親だけでは私達は生まれることはできません。何故なら、私達は「肉」と「霊・魂」によってできていて、そのどちらも人間が創ることのできないものだから。

私たちをこの世に生み出そうという「偉大な力」の「意志」が働き、父母がその念を受け命を宿す。私たちは、その両親を選んで生まれてきます。両親は子供を選べないのです。

産んでもらって本当に有難い事ですね。

https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12913601061.html?fbclid=IwY2xjawLQVVlleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFRVkxvZktVZVh6aFR0YTlhAR5BVh9z40QsLLgcppzFNkNMRhxpOaE0fDk822AH8QFHiWJuvNFxnvNhmMeRPQ_aem_8HDk2jbkhm9yxnfDLIcF3g 【自分が出したものは自分に還るのです】より

天地創造の「偉大な力」サムシンググレートは、六日間で全ての仕事を終え、七日目に休まれたと聖書の始まりの始まりに書いてあります。

その「偉大な力」は、今から4000年ほど前、一人の預言者にメッセージを届けました。

一、私は永久のあなたの神である    二、偶像崇拝してはならない

三、神に不敬なことを言ってはならない  四、安息日を守りなさい  五、両親を敬いなさい   六、殺してはならない  七、姦淫してはならない   八、盗んではならない

九、嘘をついてはならない  十、隣人をうらやんではならない

この十の戒めを預かったその人の名は、モーセ。

モーセからつながるユダヤ民族は、いまでもこの十戒を守り続けています。

ちなみに、その後聖書ではそれが細分化されて613の戒めになってゆくのですが・・・

2000年前、ローマに国を滅ぼされ世界中に散らされて、流浪の民となってもユダヤの民は「偉大なる力」との約束である戒めを守りました。

天地創造の「偉大な力」が休まれた七日目、その日は安息日(シャバット)と呼ばれ、金曜の日没から土曜の日没まで一切の仕事をしてはならないのです。

ユダヤの民は、シャバットを守り、また、シャバットがユダヤの民を守って、民族のアイデンティティは失われませんでした。

そして、イスラエルは2000年の時を経て再び建国されたのです。人類史上最高の奇蹟の一つです。 私は、イスラエルで度々シャバットを体験しました。

公共機関、交通機関、全てが止まります。火を使うことは「仕事」と見なされるから、料理をしてはいけません。写真(フラッシュ)もタバコを吸うことも許されません。

スイッチを押すことも「仕事」とされるため家の電気はタイマーで点灯、ホテルのエレベーターもシャバット用、各階停止の運行となります。

シャバットの夜、家族全員が蜀台に燈されたロウソク(このメノラーの炎は善しとされている)の灯を囲み、聖書を読み、4000年の間伝えられてきた民族の歴史、神との対話のひとときを過ごします。

いまここにある自分の命が、大きな意志から生み出されたものであることに思いを馳せるのです。もっとも、ユダヤ民族であろうとヤマト民族であろうと「偉大なる力」が作り出した命であることに変わりはありません。私達は、両親にこの世に生み出してもらいました。

しかし、両親だけでは私達は生まれることはできません。何故なら、私達は「肉」と「霊・魂」によってできていて、そのどちらも人間が創ることのできないものだから。

私たちをこの世に生み出そうという「偉大な力」の「意志」が働き、父母がその念を受け命を宿す。私たちは、その両親を選んで生まれてきます。両親は子供を選べないのです。

産んでもらって本当に有難い事ですね。

一切の仕事をしないシャバットの時間、日常から離れた非日常のひとときに人は緊張から開放され、目に見えない本当のこととつながりを持つのでしょうか。

歴史を変えた三人のユダヤ人、アインシュタイン、マルクス、フロイトも「目的を持たない」シャバットのひとときに「偉大なる力」とつながり大いなる気付きを得たのかも知れません。

そして、人類の歴史を変えたイエスというユダヤ人も・・・

 今、神の国・日本に起きている日々の出来事は、神無き輩の傍若無人な振る舞い。

友達殺し、親殺し、子殺し、援助交際・・・神が与えた宝物、それはお金じゃないはず。

一日のうちほんのわずかな時間でいい。

風に吹かれながら、見えない大きな力とつながり、この世に生きた意味を超えて、生かされていることの懐かしさに胸を熱くしましょう。

そして、何故胸が熱くなるのか黙っていてもわかる人と一緒にいられるとしたら、これ以上に豊かなことなどこの世にないのではないでしょうか。

 人を殺してはならないのです。いぢめも人の魂を殺すことです。

殺すな。それは、議論したり理由を説明する必要などないのです。神様の命令です。

神は罰など与えませんが、この宇宙の法則として「出したものは必ず自分に還る」のです。


https://sectpoclit.com/livre-11/#google_vignette 【【書評】中原道夫 第13句集『彷徨』(ふらんす堂、2019年) 業(カルマ)を流すための旅へ――中原道夫 第13句集『彷徨』(ふらんす堂、2019年)】より

堀切克洋(「銀漢」同人)

「銀化」主宰の中原道夫(1951-)の第13句集。昨年、設立20周年を迎えた「銀化」の記念事業の一貫でもある。1987年から2018年までの約30年間の海外詠だけを収める。句集タイトルは「さまよう」でも「ほうこう」でもなく、「うろつく」と読む。

突然だが、句集は「編集」である。

圧倒的に多数の句集は、「時間の流れ」に委ねられている。四季の移ろいに感性を研ぎ澄ませるのが、俳句の作法のひとつなのであるから、それは自然に叶ったことなのかもしれない。

しかし、時系列の(=クロノロジカルな)編集には欠点もある。思うにそのひとつは、句集に収められた年月の区切りの蓋然性であろう。どうしてこの区間の歳月が収められているのか、という問いを最初から放棄しているような句集も少なくない。狭隘な世界のなかで「高い評価」を得た句を集めただけで、作者の「俳句史」に対する態度のようなものが見えにくくなったままであるのは、せっかく出版をしたというのに、なんだか勿体ない気がする。

一方には、アンソロジーという形態もある。「花摘み」された(=アンソロジカルな)編集には、何らかのテーマに沿って寄せ集められた作品が並ぶ。ごく最近でいえば、『新撰21』(邑書林、2010年)『超新撰21』(同、2011年)『俳コレ』(同、2012年)『天の川銀河発電所』(左右社、2017年)のように、年齢の若い作家を紹介するというもの、あるいは櫂未知子『食の一句』(ふらんす堂、2005年)、片山由美子『色の一句』(同、2008年)、山西雅子『花の一句』(同、2011年)のように、句の素材や切り口に焦点を当てるというやり方もある。

アンソロジーの欠点は、明確なテーマ設定がもたらす限定性である。若い作家はいずれ年をとるのだし、収録されなかった優れた作家がいたことにあとから気づくということもあるだろう。「食」や「色」や「花」は、たしかに俳句における典型的な素材であるが、あくまで俳句が描き出す世界のごく一部にすぎず、また鑑賞に寄り添うには、それなりの経験も求められるだろう。つまり、アンソロジーは最初から通俗性を免れえない。作家の個性は相対化され、作品もまた相対化されるという運命にあると言ってもいい。

前置きが長くなったが、中原道夫の第十三句集『彷徨』には、彼の海外詠が収められている。つまり、多くはすでに刊行されている句集に収録されている句なのである。世界各地を渡り歩く「現代の徘徊師」の一面を垣間見ることができるが、作品は経年順に並べられている。したがって、この句集はクロノロジカルな句集でありかつ、アンソロジカルな句集なのである。

だが、このご時世、海外詠はそれほど珍しいものではない。句集として出版され、さまざまな人の目に触れるかどうかは別として、日本国外で俳句をつくりつづけている人もまたけっして少なくないからである。

そのなかにあって、中原道夫の句業の最大の特徴は、「活字」の編集であると言っていい。

編集に携わってみればすぐにわかるが、原稿がそのまま印刷に回るわけではない。「活字」のレベルに限定してみても、誤字や変換ミスがないか、ルビは必要か、漢字をひらがなにしなくてよいかなどなど、実に多くの選択肢がある。筆者の活字に関する知識やこだわりもまた、判断材料のひとつになる。編集者というのは、たいへんな仕事なのだ。

この句集に限らず、中原道夫は(戦前まで通用されていた)旧字体を使いつづけているが、活字の操作はそれだけではない。まっさきに目につくのはルビである。「酢漬けキャベツ」と書いて「ザワークラウト」、「貼り合は(せる)」と書いて「コラージュ」、「EST! EST!」と書いて「東へ 東へ」、「ありがたう」と書いて「シュクラーン」とふりがなを振っている句を以下に引こう。

  蝶孵(かへ)し酢漬けキャベツ(ザワークラウト)とやならむ

  昔日の雲亂貼り合は(コラージュ)せる時間

  斯くなるはEST! EST!(東へ 東へ)といふ新酒

  ありがたう(シュクラーン)葉付の蜜柑手に乗せて

通常、ルビとは活字の「補助」である。つまり、活字本体が主として存在し、その読みを補うものとしてルビがある。新聞や総合誌などでは、常用漢字かそうでないかという基準にすることが多いようだが、ルビの使用に明確な基準はない。小学生向けの読み物には、漢字にルビが振ってあることが多い。これらの場合は、漢字が本来「読み」を持っているにもかかわらず、それが読めない(=ゼロになっている)から、ルビで読みを「補う」のである。

しかしご覧のように、上のような句では多くの場合、ルビは「補助」ではなく句の「本体」となっている。先に「ザワークラウト」「コラージュ」「シュクラーン」という外来語が先行しており、そのあとで「酢漬けキャベツ」「貼り合は」「ありがたう」という和訳が生まれている。つまり、日本語のほうが「補助」の役割を果たしているのである。「読誦」と書いて「コーラン」と読ませたり、「革草履」と書いて「バブーシュ」と読ませているのも同じことだ。ただし、多くの場合それほど音数が変わらないため、どちらで読むかは読者に任せられているという面もある。

これらは、なんでもかんでも(アイデンティティやらコンプライアンスやらセクシュアルハラスメントやらドメステイックバイオレンスやら)カタカナのままで、外来の概念を導入してしまう(ことのできる)現代日本語に対する批評性となっているとひとまずいっておこう。圧倒的な文化的距離のなかで他我を接近させながら、新漢語を作り出し、新概念を紹介しつづけた明治期の文化を彷彿とするともまたいっておこう。

その点で、三句目の「EST! EST!(東へ 東へ)」はちょっぴり違う。これは、おそらくワインか何かのラベルに「EST! EST!」と書かれていたのである。外国語が先行していることは同じであるとはいえ、文字(活字)としての外国語なのである。したがって、この句の読み方は「ひがしへ ひがしへ」ではなく、「エスト!エスト!」と読むべきだろう。ただし、ルビと活字の関係が、上記の三句とは逆転しているが、日本語のほうが「補助」であるのは変わらない。ちなみにこの句には「マルコポーロの踐言とも」とある。

つまり、中原が行なっているのは、一種の「翻訳」の作業だということだ。外国の(多くの場合は庶民的な)文化を、みずからが生活する日本の文化へと翻訳し、その重なり合いを一句に仕立てているのである。こんな句もある。

  急ぐ春でもなからう通してくだされ(スンマ・ヘンナ)

モロッコ中部の都市、マラケシュの旧市街南部にあるバビア宮殿での句。この句にはルビのみならず、「後書き=註」がついている。曰く、「ベルベル語で『通してください』はスンマ・ヘンナ、まるで関西弁」とある。通訳が笑いをとるために言ったことなのか、作者自身が「なんだか、すんまへんなー、って関西弁みたいだなあ」と横で面白がっているのかは定かではないが(※「なー」のところだけ高く発音する)、ここでは日本語の、それも一方言へとアラビア語を意味を経由せずに翻訳するという遊びが行われている。

このような「音」(シニフィアン)と「意味」(シニフィエ)の恣意性の遊戯の背後には、ふたつの一般原理が同時にはたらいている。ひとつは言わずとしれた「写生(描写)」であり、もうひとつは「挨拶」である。

海外詠であるというコンテクストをいったん括弧にくくれば、描写の目の効いた句は案外、多い。たとえば、次のような句である。

  インディオの裔とおぼしき黍の餅(タマーレス)

  食べ盡す一樹の枯れに樹獺(ナマケモノ)

ともに「寄生密林(パラサイトジャングル)『コスタリカ紀行 16句』」より。タマーレスは、コロンビア・メキシコなど中南米のスナックの一つ。日本でいえば、ちまきのような食べ物だ。この食べ物を供してくれた人の風貌が「インディオの裔」を思わせたのだろう。それは「黍の餅」という語が思わせる昔ながらの調理法と提供の仕方から、先住民族の生活へと想像を飛躍させたからでもある。道夫句の初期からの特徴のひとつである「見立て」が、壮大な歴史を抱え込んでいて記憶に残る句だ。そして何より、土地への挨拶ともなっている。

本書に収められた土地は、ニューヨーク、アイスランドからはじまっている。ヨーロッパを訪ね歩く句も少なくないが、しかし同時に中南米、中国、北アフリカ、インドといった欧米以外のエリアがやはり印象深い。

とくに近作の「妄執の櫂(インド2016・冬) 36句」では、冥界への接近を試みるような宗教性が前景化されていることに注目したい。ヒッピー回帰といえばそれまでだが、旧漢字やルビ・前書き・後書きの多用という形式的な饒舌さは、おそらく、このような中原自身が信ずる「死後」の世界観と響き合っている。

  沖つ舟みづとり死骸へと群るる

  荼毘を待つ屍衣に降りたる霜の花

  業(カルマ)流せと鰾(ふえ)なき雑魚売り来

      鰾なき魚=二度と浮き上がらない魚の意

  供花まみれ男根神(リンガ)に冬日粘るかな

中東・ヨーロッパ的な一神教の、つまり砂漠の世界の宗教がもたらす死のイメージとは完全にかけ離れた、湿度の高い、鬱蒼とした、曼荼羅のような、アジア的な死の世界。中原が信ずるのは、原罪ではなく「業(カルマ)」なのである。もっとも、最初から「業を流す」ための旅だったわけでない。この句集の前半までは、よくも悪くも「旅行者的」な句が多い。少なくとも表面的にそれが変わりはじめるのは、2014年のモロッコ詠あたりからではないだろうか。

  安息の地などはあらぬ流星雨

  のどかなる断頭の山羊嗤ひ貌

  迫害の世ならば蝶と化す手練

  春はあけぼの屠殺直後を運び来る

  はるのみづ獣血低きへと誘ふ

もっとも、これらは何とはない日常の景である。しかし突如としてスーク(市場)に運ばれてきた山羊の頭は、まだ血が滴っており、それが「のどか」「春はあけぼの」という血とは無縁の世界に襲いかかる。悪趣味だといえばそれまでなのだが、しかしこれもまた世界の「日常」であり、私たちの世界で生き物の首を刎ねるということの持つ象徴性を考えさせるし、山羊のみならず、砂漠の宗教を信ずることの意味もまた思わずにはいられない。同じ2014年の末には、日本人ジャーナリストがISに拘束されて、命を奪われるという事態も起こった。

そして1年後には、テロ事件の翌日にパリに赴くという数奇な運命をたどることになる。〈わざはひの餞ならむ霜の花〉や〈無差別の無は神のみぞ知る霜夜〉。偶然にも、このタイミングでパリに留学していた私は、がらんどうになったパリの中心部で吟行をご一緒することになったのだが、さてはて、これもカルマというべきか。

【執筆者プロフィール】

堀切克洋(ほりきり・かつひろ)

1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。


Facebook山地 弘純さん投稿記事【 カルマ(業)」とはなにか 】

 皆様も「カルマ」という言葉を聞いたことがあると思います。 はたしてそれは何を意味するのでしょうか。 カルマは「自分のした行いが自分の将来の結果に影響を与える」という法則です。

 過去の行いが現在の私に影響を与え、現在の行いが未来に影響を与えます。

 良い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生むのです。 

 例えば相手に向けて毒のある言葉を吐き出したとします。

 何も返ってこなかったからといって、そのまま消えてしまうのかというとそうではありません。

 その痕跡は消えることなく相手の中で育ち続けます。

 それは相手を通じて自身の土壌の中に埋め込まれた一粒の種なのです。

 この種が見えない部分で形成される行程のことを「サンスカーラ(行)」といいます。

 こうして形成されていった行為の痕跡が、いつしか縁が整った時に芽を出し実を結びます。

 結んだ毒の果実を自らが食すことになることを「自業自得」といいます。

 ただし、それはただの罰や報いを指す言葉ではなく、自己を照らす鏡として本来捉えられるものです。

 安易に他者の行為と結果を見て「自業自得だ」と揶揄することではなく、自らが自らの行為を省みたり、自らの行為の行先を見通すことで因果を断ち切るための智慧として使いたいものです。

 昔綾小路きみまろさんが面白可笑しくお話をされていました。

 「社長は専務をいじめ、専務は部長をいじめ、部長は課長をいじめ、課長は家に帰って妻をいじめ、妻は子供をいじめ、子供は飼っている犬をいじめ、犬は猫をいじめ、猫はネズミをいじめ、そしてネズミは社長の背広をかじるのです。」

 そう、痕跡はなくならず、見えない部分で残り続け、やがて自らが受け取ることになるのです。

 先日、認知症について学ぶ機会がありました。

 とても素晴らしい内容で、特に「認知症の方への接し方のコツは褒めることであり、怒らないことである。それによって機能の進行に大きな違いができる。」という部分は深く心に残りました。

 反面それって頭では理解できていても実践することが難しい人もいるだろうなと思いながら聞いていました。

 なぜならそこには親子間のカルマが働くからです。

 子供をなにかと怒鳴り散らしていた人が、年をとって親子の立場が入れ替わった時になにかと怒鳴られている姿はよく目にします。

 褒められたことより怒られた記憶ばかり残っている人にとって、褒め続けて怒らないということは決して簡単ではありません。

「なんでできないの」

「何度言えばわかるの」

「言う事をききなさい」

 そうやって、自分が叱責されてきた言葉のひとつひとつを返してしまうのがカルマなのです。

 親としては自分がしてきた行動、かけてきた言葉が返ってくると思っておいて下さい。

 もし返ってこなかったとしたら、それは子供さんが仏様なのです。

 もしあなたも親からされて嫌だったカルマを子供に渡さなかったとしたなら仏様なのです。

 返すのが普通です。返ってくるのが普通です。

だって人間だもの。

 それを脱却したいと願うならば、無自覚に引き起こされる行為の縛り(カルマ)を解かねばなりません。

 仏様は「解け様(ほどけさま)」なのですから。

 では、どうすればこの連鎖を解くことができるのでしょうか。

 まずは自分がされて嫌だったことを自分もまたしてしまっていることに気付くことが必要です。

 自らが親となった時、「かつては理解できなかった親の気持ちが今はよくわかる」と語る人がいます。

 その気づきは、一見「共感の扉」を開いたようにも見えますが、そこに一つの落とし穴があります。

 かつて嫌だったあの言葉、あの態度。それを「仕方なかった」「愛ゆえだった」と親の立場を正当化することで、自分の内に今も息づく「傷ついた子どもの声」を黙殺してしまっているのです。

 親の時代背景や育児環境を理解することは自己受容のためにも必要です。

 けれどもそれ以上に、子ども時代の自分の痛みを見失うことなく次の世代と接していくことが大切なのです。

「されたから、やり返す」

 これは、人間が長い歴史の中でつくり上げてきた負のパターンであり自動反応です。

 それを戒め、「されたけど、やり返さない」というような「パターン崩し」を自覚的に行っていくことこそ仏道の修行となるのです。

 修行とは、まるで二酸化炭素を吸収して酸素に変えて排出する植物の光合成のようなものかもしれませんね。

 たとえ毒のある言葉や態度を受け取ったとしても、それを心の中で浄化し、慈悲に変えて世界へ放つ生き方が形成できれば、私たちはカルマを終わらせることができるはずです。

 地道に努めて行きましょう。        合掌

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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