Facebookディヤン ムディトさん投稿記事
34、自分の体に耳を傾けなさい<OSHOの講話より>
あなたの体には、 それ自身の知恵がある・・・
その細胞の中に、 何世紀にも渡る知恵を携えている。体は飢えを感じているのに、 あなたは断食をしている。あなたの宗教は、今日は断食の日だと言っているからだ・・・
体は空腹を感じているのに。あなたは自分の有機体を信頼せず、 死んだ教典を信頼する。
ある本に誰かが、 この日には断食をせよと書いたので、あなたは断食をする。
自分の体に耳を傾けなさい。そう、肉体が「断食しろ!」と言う日もある・・・
そうしたらすればいい。だが、教典に耳を傾ける必要はない。その教典を書いた人は、 あなたのことなど少しも考えに入れずにそれを書いた。あなたのことを考慮できなかった。
あなたは、彼にとって存在していなかったし、彼は、あなたのことを書いてはいなかった。
それはまるで、病気になった時に亡くなった医者の家に行って、彼の処方箋を調べて処方を見つけ、その処方に従おうとするようなものだ。その処方は、誰か他の人のために何か他の病気のために、もっと別の状況で書かれたものだ。自分の有機体を信頼することを、 覚えておきなさい。体が食べるなと言っていると感じたら、すぐ食べるのをやめなさい。
体が食べよ、と言っていたら、教典が断食せよと言っていようがいまいが、気にしなくていい。肉体が日に3度食べよと言っているなら、 それで問題はない。日に1度だけ食べよと言っているなら、それで問題はない。自分の体に耳を傾けることを、 覚えていきなさい。
なぜなら、 それはあなたの体だからだ。あなたはその中にいる。あなたはそれに敬意を払い、それを信頼しなければならない。それはあなたの寺院、神殿だ。自分の肉体に何かを強要することは、冒涜的だ。他のどんな動因も、押しつけられるべきではないからだ!
これは、自分の肉体への信頼を教えるだけでなく、だんだん徐々に実在を信頼することを、あなたに教えるだろう・・・
あなたの体は、実在の一部だからだ。やがて、あなたの信頼は成長して、あなたは、木々や星々や月や太陽や海を信頼するようになる。あなたは、人々を信頼するようになる。
だが信頼はまず、自分自身の有機体への信頼から、始まるべきだ。
自分のハートを信頼しなさい。サニヤシンとは、自分の有機体を信頼する者であり、その信頼は彼が、自分の存在の中にくつろぐのを助け、彼が、実在全体の中にくつろぐのを助ける。
それは自分自身と他者の、全般的な受容をもたらす。信頼は、ある種の根付いた感じ、
中心に据わった感じ(センタリング)をもたらす。
そうしたら、大変な強さと力が生まれて来る。あなたは自分自身の体、自分自身の存在に中心を据えているからだ。あなたは、土壌の中に根を張っている。さもなければ、土から引き抜かれた木々のように、根こそぎにされた人々を目にする。
彼らはただ、死んでいる・・・ 生きていない。人生に大した喜びがないのは、そのためだ。
あなたは、笑いの質を目にしない。祝祭が失われている。
あなたの体そのものの中に、 存在そのものの中に、まさにこの瞬間、聖なるものが宿っている・・・なのにあなたは、それを祝っていない。あなたは祝うことが出来ない。
祝祭はまずあなたのわが家に、 その狭い場所に起こらねばならない。
やがてそれは大きな潮流となり、実在全体へと広がっていくだろう。
OSHO:The Heart Sutra、 「般若心経」(めるくまーる社刊)
http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=201378...
https://ameblo.jp/hasekura-miyuki/entry-12755700063.html【あなたの中にあるイマジナル・セル】より
数日前から、なんか、眠たい。いったん眠たくなると、もう、こりゃだめだ(笑)、
というぐらい眠くなって、早々に仕事を切り上げ、早く寝て、スッキリと目覚める…という毎日です。なんだか、サナギの時を迎えているのかな?
さて、まもなく発売になる、イマジナル・セルのお話。「夢をかなえる、未来をひらく鍵—イマジナル・セル」大人のための絵本として(子どもでも読めます)、
最初の数十ページ分が展開されている、新しいスタイルの書籍です。
何度も手に取って、静かに内側と世界を見つめ、ふつふつと湧き出る喜びと豊かさで心と世界を満たすお手伝いが出来ればと願っています。
なぜ、今、このことを伝えたいと願っていたのか…というと、私たち人類が体験していることそのものが、幼虫という古い世界から、蝶という軽やかで新しい世界へと移行する、メタモルフォーゼ(変態)をこの身をもって、経験・観察していると確信しているからです。
その主役となる細胞が、イマジナル・セルというもの。
単細胞として動く彼らは、チョウになる意識を持った細胞のこと。それはイモムシの時代からすでにあったのです。というか卵の時代から遺伝子の中にセットされていました。
時が来るまでは、本人でさえ、そのことをわかっていないようですが…。やがて、イマジナル・セルだと気づいた意識(細胞)は、同じ周波数で共鳴し始め、同じ言語でコミュニケーションをとり、臨界点になるまで情報交換しはじめます。まるで、今の私たちのように。
その様子を、絵本ではこんな言葉で表しています。
「ねえねえ、君は何になりたい?」「わたしは ひらひらとぶ 羽になりたいの」
「じゃぁ、あっちね」「あのね ぼくは よく見える眼になりたい」「じゃぁ こっちね」
「いやぁ 楽しみだなぁ」「どきどきしちゃうよ」…と、イモムシの免疫細胞の攻撃にもめげず、彼らは着々と、楽しげに蝶になる準備を始めるのです。
そうして次に見える世界は、数個しかなかった下向きの眼から、18000個以上もある全方位見える眼へ。地を這う者から空を飛ぶものへと、怒涛の如く変態していくのですね。
私たちの、自然の一部。
大いなる仕組みの、インターコネクティブな世界で生きている。だから、あきらめない。へこたれない。我の中にある想いの力、夢見る力が、イマジナル・セルとなって、まわりと世界を照らしていく。十年間かけてじっくり練り上げた渾身の一冊です。
(略)
https://www.youtube.com/watch?v=vpj8H6__iC0
【ジョン・レノンの死とイマジン〜イザヤ65章17節「新しい天と新しい地」】より
ビートルズのリーダーであったジョン・レノンは、1980年12月8日夜10時50分ごろニューヨークで暗殺されました。この記事を書いているのは、日本時間で12月9日午前10時ころですが、これはニューヨーク時刻では12月8日の夜の8時ごろです。昨晩のNHKのアナザー・ストーリーという特集で、イマジンという曲が、悲劇のたびごとに世界中の人々の祈りの歌となって行くという歴史が振り返られていました。イマジンの歌詞は、一見、反聖書的なフレーズで始まります。
「想像してごらん。天国なんてないって……やってみたら簡単なことだよ。私たちの下に地獄もない。上には、空があるだけさ。想像してごらん。みんなが今日を生きているんだ」と歌われます。
この歌詞は、天国を皮肉り、死後のさばきを否定するという反聖書的なものに見えます。しかし、ジョンがこのように歌ったのは、当時のキリスト教道徳が、天国への「夢」を説いてこの世への不満を沈黙させ、地獄への「脅し」で人々の自由を抑圧しているように彼には思えたからです。
日本語の「天国」または、英語の「heaven」は、聖書では「パラダイス」と呼ばれますが、それは信仰者のたましいが復活を待つ一時的な休息の場に過ぎません。最終目的地は「新しいエルサレム」に朽ちない身体を与えられてよみがえることです。その世界は、初めの天地創造との比較で「新しい天と新しい地」と呼ばれます。そこにはもはや危険な海もなく、日照りをもたらす太陽もなく、神の平和(平安)が世界を満たしています。「永遠のいのち」とは、その喜びの世界の「いのち」が、今、この時から始まっていることを意味します。私たちは、「良い行いをしたら天国に入れてもらえる。でも悪いことをすると地獄に落とされる」という世の道徳の教えの枠を超えて、今、このときから「新しいエルサレム」の市民として、今、このときを喜びながら生きることができるのです。しかも、その「いのち」は失われることがないからこそ、権力者を恐れず、正義を優しく主張する勇気が湧いて来るのです。
イマジンの中心メッセージは、「君は僕を夢見る人と言うかもしれない。でもその夢を持つのは僕だけじゃないよ。君もいつの日か、僕たちの仲間になってくれることを願ってるからね。すると、世界はひとつになって行くよ。」という部分にあります。彼は、このような夢を互いに共有することによって、平和が実現できると歌い、それが多くの人々の心を動かしています。私たちも聖書が語る「新しい天と新しい地」の夢を共有するときに、何の強制力もない一致を喜ぶことができます。教会では、終末論の見解の違いによって争いが起きてきました。しかし、最終的な平和を神が実現してくださるというゴールを見上げるなら、みなが一致できます。
そして最後に、「想像してごらん。所有なんてないって……君もそうできるかな。貪欲になったり、飢えたりする必要もない。人が兄弟愛で結ばれる。想像してごらん。みんなで世界を分かち合っているって……」と歌われます。これこそ、初代教会において人々が聖霊に満たされていたときに実現し始めたことでした。これは共産主義のように社会システムとして実現された世界ではありません。そこには無言の強制力が働いてしまいます。
しかし、「聖霊に満たされる」ときこそ、私たちは喜びながら、進んで所有意識を捨てられるのです。「イマジン」には、多くの人々の夢を歌ったものです。それがこれほどポピュラーになったことを考えるとき、「新しい天と新しい地」の教えも、実は人々にとっても身近なもので、現在の生き方に直結するということがわかります。
共有された夢には、私たちを動かす力があります。共有された夢を、主ご自身が実現してくださいます。救いは、天国に行くまで見えないようなものではありません。私たちの交わりのうちに実現してゆくものです。
今、イスラエルとエルサレムは世界の火薬庫のような恐ろしい状況になっていますが、聖書が語る希望は、そこにいかなる宗教的な対立も超えた、真の平和(シャローム)が実現することです。以下の聖句を味わっていただければ幸いです。
イザヤ65章17–25節
https://www.nichinoken.co.jp/shikakumaru/202104_ko/summary/interview01 【インタビュー1 | 日能研 シカクいアタマをマルくする。】より
韻文の出題は芝浦工大附属中の伝統
今井先生 韻文(詩、短歌、俳句)の出題は本校の国語入試の特徴の1つです。韻文だからこそ試すことができる言葉の力があると考えて継続して出題しています。
この問題は100字記述です。「書く力」としては、与えられた文章の内容に沿って書く力、想像力をふくらませて適切な表現でまとめる力を確認しています。
模範的な解答は期待していません。借りてきた言葉ではなく、自らの経験や感性を含めた自分の考えを自分の言葉で表現してもらいたいし、そうした力のあるお子さんに入学してもらいたいと思っています。
国語科/今井 正道先生
国語科/今井 正道先生
物語性のある漱石の俳句から想像を広げる
5つすべて夏目漱石の俳句です。理由は何でしょうか。
今井先生 私は漱石が好きで『漱石全集』を持っています。1つは、手元に漱石の俳句があったというのがあります。小説家だけあって漱石の俳句には物語性が感じられます。そんな漱石の俳句から物語を再現できないか、発想を広げる力を試したらおもしろいのではないかと思いました。
受験生が選んだのは(1)の句が多かったですね。ただし(1)に偏ったわけではなく、まんべんなく選んでいました。どの句に関心が向くか、発想がふくらむかは、経験や感性によって異なります。受験生が取り組みやすいように、5つの句から選べるようにしました。
結構高度な作業を求めているので、どこまでできるだろうと思っていましたが、白紙は少なく、予想よりもよくできていたと思います。いろいろな解釈があって楽しく採点できました。こうした入試問題はできるだけ続けていきたいと思っています。
作者の気持ちを書くには論理性が必要
今井先生 得点の分かれ目は条件に従って書けているかどうかです。5つの条件のうち、特に、(B)「俳句から想像した出来事」、(C)「作者の気持ち」、(D)「作者になりきる」という条件を満たしていることが大事です。
(D)「作者になりきる」条件で目立った減点は、「作者はこういうことを書きたかった」と第三者の視点で説明してしまい、物語になっていなかった解答です。
(C)の「作者の気持ち」が難しいのは論理性が求められるからです。なぜそうした気持ちになったのか、因果関係をつかまなければなりませんね。
今井先生 本文(俳句)を無視しないで本文の内容に沿って書くこと。本文の読み取りができていれば因果関係をつかむことができると思います。
(B)「俳句から想像した出来事」として、受験生は俳句の情景を読み取れていたでしょうか。
今井先生 (1)の句の場合、「夢中になっていた」というように作者の気持ちをとらえていました。蛍狩が「楽しかった」というのもあるし、「つい見とれて小川に落ちてしまった」という気恥ずかしさ、滑稽さをとらえた解答もありました。
芝浦工業大学附属中学校 校舎
芝浦工業大学附属中学校 校舎
言葉の意味を正確にとらえる力で差がついた
今井先生 減点で多かったのは言葉の意味を取り違えた解答です。
(1)の句の「蛍狩」を「蛍を捕まえる」とした受験生が何人かいて、「蛍をやっつける」という極端な解釈もありました。これでは言葉の意味が違いますし、俳句で表現する題材としてもふさわしくありません。「捕まえて鑑賞する」など「蛍の光を楽しむ」のであれば点をあげられます。
(3)の句は「膝と膝とをつき合せ」の意味や状況かわかっておらず、「並んで歩いていたら近づきすぎて脚がぶつかった」とした解答がありました。(4)の句も「棺」を“空き缶”とイメージしたのか、「空き地で棺に菊を投げて遊ぶゲームをした」という話を書いていました。言葉の意味がよくわからなければ別の俳句を選ぶという判断も必要です。
漱石がお粥を食べたのは春ではないけれど……
今井先生 発想をふくらませた解答が多かったのが、(5)の句です。「病気になって、お母さんが作ってくれたお粥が心に染みた」といった話です。
七草粥を連想した受験生が多かったですね。漱石がこの句を詠んだのは胃潰瘍を患い療養していた秋であり、春ではありません。けれど、この問題は俳句から発想を広げてもらうのがねらいです。漱石の事実通りである必要はなく、「春」という言葉から七草粥を連想するのは許容の範囲内です。
七草粥を食べて身も心も「春のように温まった」という春の暖かさをイメージした解釈でもいいわけですね。
今井先生 そうです。一方で、「嫌いな七草粥を食べる時期が来てしまった」と書いた受験生がいました。これでは七草粥は春のイメージにそぐわないし、「七草粥が嫌い」という自分の気持ちを書いており条件に合いません。
(2)の句はどうでしたか。
今井先生 比較的無難な答えが多かったでしょうか。この句は良くも悪くも解釈でき、解答は両方ありました。前向きにとらえるか否定的にとらえるかは性格が出るかもしれません。
芝浦工業大学附属中学校 校歌
芝浦工業大学附属中学校 校歌
巧みな表現は豊富な読書量があればこそ
今井先生 言葉の意味を正確にとらえて、指定した条件を満たしていれば、8割程度は得点できます。残り2割は表現力です。物語として読み手を引き込む表現の巧みさも得点要素の1つです。
小学6年生にとっては難しいですね。
今井先生 表現力の点数はなかなかつきません。説明的な記述があった一方、巧みな表現で物語として読み手を引き込む記述もあり、満点を取った受験生もいました。満点の解答は、比喩や倒置法を使うなどして文章に工夫が見られました。これは意識的にテクニックを使ったというよりも、おそらく読んだことがある物語の中から表現を真似たのではないかと思います。入試でアウトプットできるということは相当な読書量だと思います。
想像と創造が求められる理系こそ韻文で鍛える
この問題は、「想像力」と「創造力」という2つの「そうぞうする力」が試されますね。
今井先生 まさにその点を大事にしています。中学に入学したばかりの生徒にも「想像力」と「創造力」の大切さを話します。
本校の生徒は「ものづくりをしたい」と多くが理系に進学します。イノベーションを起こすには想像力、発想力が必要です。私は「理系こそ韻文」だと思っています。韻文という字数が限られた表現から発想を広げる力は、理系だからこそ鍛えたい力です。
芝浦工業大学附属中学校
芝浦工業大学附属中学校1922年4月、旧国鉄で働く若者達に中等教育の機会を提供したいという思いから、前身である東京鐵道中学が開校。第二次大戦中には東京育英中学へと名前を変え、戦後の学制改革で東京育英高等学校に再編。その後、1953年に経営が芝浦学園へ移され、現在の芝浦工業大学高等学校へと移行した。1982年には、板橋区坂下に移転。そして、2017年4月1日、豊洲校舎へ移転。高校は共学となった。2021年度からは中学も共学となっている。
中高大一貫教育によって理工系人材を育成することを目標に、科学技術に対する興味関心、理系の基礎学力・思考力、そして国際性や粘り強さなどの資質を育てている。「ほんとうにそれは正しいのか?」「別の考え方や方法はないのか」と常に自問する態度を重視し、そこから検証を加えて自分なりの価値判断を行い、最後に他者を納得させ、共感させ、感動させる表現力を手にする。大学や実社会で活躍する為に求められる批判的精神を大切にしているのだ。
豊洲校舎は、芝浦工業大学のメインキャンパスの近くであり、他に例を見ない規模の連携教育が行われる。また、近隣にある企業・研究施設・体験施設・展示会場などが豊富に存在し、これから求められる学びに最適の状況だ。世界で活躍する技術者・研究者の卵の育成という本校の教育目標を実践するための校舎と、それを支える周りの環境に恵まれている。
理系ではなく理工系教育を重視し、「ショートテクノロジーアワー」では、各教科と科学技術との関わりを学び、中3「サイエンス・テクノロジーアワー」でサイエンスの面白さ、深さを学ぶ。中1の「工学わくわく講座」から高3「大学先取り授業」など、併設大学との連携講座が充実している。また、2021年度より新カリキュラムが始まり、テクノロジー系とグローバル系2つの探究がスタートした。「理工系の知識で社会課題を解決する」人材育成を目指している。最新のICT設備や大型機械も使えるファクトリー、さらには、「しばうら鉄道工学ギャラリー」など、芝浦工業大学附属中学高等学校ならではの設備・施設も魅力的だ。
学校プロフィール
0コメント