歩く詩人~ワーズワースと芭蕉

https://banko-jump.typepad.jp/blog/2016/11/%E6%AD%A9%E3%81%8F%E8%A9%A9%E4%BA%BA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%A8%E8%8A%AD%E8%95%89.html 【歩く詩人~ワーズワースと芭蕉】より

伊丹市が誇る柿衛文庫で9月17日から開催されています展覧会。行ってまいりました。

-以下柿衛文庫の展覧会の案内文を御紹介します。-

ともに自然を愛し、「歩く」ことで自らの感性をとぎすませ、作品に凝縮させた英・日の国民的詩人ーウィリアム・ワーズワス(1770~1850)と芭蕉(1644~1694)。両者の直筆作品を同時に公開する展覧会を今秋開催いたします。  

英国ロマン主義最大の詩人であり、「水仙」などの作品で日本人になじみの深いワーズワスですが、その直筆を日本で見る機会にはこれまで恵まれませんでした。

この度、英国ワーズワス・トラストの全面的な協力のもと、書簡や草稿など貴重な直筆資料の初来日が実現します。迎えるのは柿衞文庫を代表する所蔵品である芭蕉作品。

数ある名品の中から、旅をテーマにしたものを選りすぐってご紹介します。

「旅」「歩く」をキーワードに結び付いた、またとない両詩人のコラボレーションをお楽しみください。  さらには、ワーズワスと芭蕉に触発された日英の現代美術家・音楽家・詩人が

制作した作品もあわせて展示いたします。洋の東西と時代を越えた作品たちに囲まれて、秋の一日をお過ごしください。「ふるいけや~」の短冊が久しぶりに展示されていました。

最終日まであと2日です。お急ぎください。

https://cosmos.moo.jp/E4-kosuito.html 【イギリスの旅4  湖水地方とヨーク】より

ウィンダミアを少し北上して、グラスミアにあるダブコテージとワーズワース博物館に行った。湖水地方(イギリスの旅1の地図参照)とワーズワースは切っても切れない関係にある。ワーズワース(1770年~1850年)は生涯のほとんどを湖水地方で過ごし、美しい自然を詩に表した。正直言って、詩は苦手だ。のめりこんで読んだ詩がひとつもない。ヴィクトリア女王から桂冠詩人を授かったほどだから、偉大な詩人として名前だけは知っている。

ワーズワースが8年間暮らしたダブコテージが公開されている。妹や妻のメアリーや3人の子どもと暮らした居間や寝室や台所などを見た。生涯のほとんどを湖水地方で暮らしたとはいえ、パスポートが展示されているところをみると、他の国にもたびたび行ってるようだ。パスポートに顔写真がない。考えてみると、ワーズワースの頃にはまだ写真が発明されてなかった。

隣接するワーズワーズ博物館では、たまたま「歩く詩人 芭蕉展」を開催していた。芭蕉の奥の細道の文章も展示してあったが、ワーズワースと芭蕉を無理やり結びつけたような気がしないでもない。いずれにしても、ゆっくり読みこむ時間はなかった。少し離れたオズワルド教会には、ワーズワースや妻や妹の墓があった。(以下略)


https://note.com/huge_drm7777/n/n32ab5a13258a 【山と詩人:自然が育んだ名作の秘密】より                           深北男塾note

イントロダクション

みなさん、詩を読んで「これ、トレイルランニングの気分にぴったりだ!」と思ったことはありませんか?古今東西、多くの詩人たちは山や自然を題材に、人生や感情を表現してきました。そして、その言葉には、私たちランナーが感じる喜びや苦しさ、自然との一体感が詰まっています。本日は、山と詩人たちの関係を探りながら、トレイルランの視点で彼らの作品を読み解いてみたいと思います。

1. 山と詩人:インスピレーションの源泉

山はただの地形ではありません。それは詩人たちにとって、挑戦、癒し、神秘の象徴でもあります。たとえば――

• ウィリアム・ワーズワース

イギリスの詩人ワーズワースは「自然は心のための教師」と言い、湖水地方を舞台に数々の詩を残しました。彼の作品を読むと、山道を走りながら感じる「静けさ」や「自然との一体感」が詩的に描かれています。

• 松尾芭蕉

日本の俳人、芭蕉もまた旅の中で自然を詠みました。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句に、夏のトレイルで感じる孤独感を思い出すランナーもいるのでは?

• ジョン・ミューア

「自然保護の父」と呼ばれるミューアは、山を「心の浄化装置」として捉えました。彼のエッセイには、山で過ごす時間がどれほど人間を解放するかが詩的に語られています。

2. 詩とトレイルランニングの共通点

詩を書くことと山を走ることには、驚くほど多くの共通点があります。

• リズムと呼吸

詩の言葉にはリズムがあります。そして、トレイルランニングにもまた、足音や呼吸、心拍のリズムが存在します。この共鳴が、山の中で詩を思い出す瞬間を生むのです。

• 自然の観察力

詩人たちは小さな花や風の音にもインスピレーションを得ます。同じように、ランナーも山道で見つける苔の模様や木漏れ日に心を動かされます。

• 自己表現

詩人が言葉で感情を表現するように、ランナーも走りを通じて自分を表現します。どちらも「その瞬間の自分」を記録する行為なのです。

3. 詩人が残したランナー向けの名言?

ここで、詩人たちの言葉をトレイルランナー流に読み替えてみましょう。

• 「私は2本の道に分かれた森の中で迷い、一方を選んだ。」(ロバート・フロスト)

→ トレイル分岐点で「左か右か」と迷うあの瞬間にぴったり!

• 「山は招かれる者ではなく、登る者のものだ。」(ジョージ・マロリー)

→ ランナーにとっても、山は足で切り拓く冒険の舞台です。

• 「春風や闘志いだきて丘に立つ」(正岡子規)

→ レース前、スタート地点での気分そのものでは?

4. 詩的表現で走りを豊かにする

詩はトレイルランニングの楽しみを倍増させるツールです。

• 「五感を磨く」トレーニング

次のランで、自分の走りを五・七・五にまとめてみるのはいかがですか?たとえば――

「登り道 息が切れつつ 空青し」

簡単ですが、風景に意識を向ける練習になります。

• 「ランニングノート」を詩で書く

その日の走りを短い詩にして記録することで、単なるタイム以上に「自分の気分」も残せます。

• 「自然を感じる感性」を広げる

次のトレイルでは、ワーズワースや芭蕉の言葉を思い出しながら走ってみてください。新たな発見があるはずです。

結論

山は詩人にインスピレーションを与え、詩はランナーに新しい視点を提供してくれます。次回、山道を走るときには、ただタイムや距離を追うだけでなく、詩人の目で風景を見てみてください。きっとその一歩一歩が、あなた自身の詩的な表現になるでしょう。そしてゴールしたとき、こんな言葉が浮かぶかもしれません――「走るたび 山が私を 詩にする」

自然の中で詩人になりきる楽しさ、ぜひ体験してみてください!


https://furansudo.com/archives/1  【祈る詩 [2]-ワーズワス】

カレーの浜辺の夕暮れ   ウィリアム・ワーズワス

うるわしき夕暮れは 静かに広々として    聖なるこの時は 祈りに息を潜める

修道女のような静けさ。 大いなる夕日が   静寂のうちに沈みゆくこの時

天国の優しさが海を包みこむ。  聞いてごらん! 偉大なる「神」はいつも目覚め

その永遠なる働きで  雷のような波音を轟かせる—永劫に。

我が娘、私の傍らを歩む愛しい子!  たとえ厳粛な思いに動かされていなくとも

お前はありのままに神聖だ。  いつの日もアブラハムの懐に抱かれ

神殿の聖所に神を敬う存在なのだから 私たちが気付かぬ時も 神はお前とともにあるのだ。

(拙訳)祈る詩:ワーズワース ©Megumi Moriyama

イスラエルはその日も灼熱だった。連日の40度近い砂漠の気候に、私は熱中症気味でふらふらしていた。太陽が真上から照りつけ、自分の影も輪郭がくっきり、黒々と見える。

エルサレム郊外オリーブ山の中腹から、私は街を見渡していた。ここが聖書の舞台となった、まさにその場所だ。「エルサレム旧市街の黄金門は…第一神殿があった場所は…」

解説とともにガイドさんがあちらこちら指差す。

今日ご紹介する「カレーの浜辺の夕暮れ」の最終連に現われる「神殿」は、このエルサレム神殿を指しているのだ。ワーズワスはイギリス・ロマン派を代表する詩人で彼の詩は、私たちが「ロマン派」と聞いてイメージする世界そのものだ。

湖畔に咲き乱れる水仙、大空に掛かる虹。緑の田園に囀る小鳥たち。身近な自然の中に、神秘やヴィジョンを見出す詩人である。

「カレーの浜辺」はワーズワスの中で、最も宗教的響きを持った作品と言われている。

3行目(原詩2行目)に現われる「修道女のような静けさ」の比喩も意表を突く。

作品の背景を少しお話しすると、1770年イギリス生まれのワーズワスは、1789年のフランス革命思想に共鳴し、2年後の91年にフランスに渡っている。21歳の時である。

しかし「9月大虐殺」の現実に絶望し、帰国してしまうのである。フランスの恋人アネットを捨てて。「カレーの浜辺の夕暮れ」は、その10年後にフランス・カレーを訪れアネットと、娘のカロリーヌと再会したことがモチーフになっている。

第3連に現われる「我が娘」は、当時10歳になっていた少女カロリーヌなのだ。

この詩を書く前も後も、父らしいことをあまりしなかったワーズワス。けれども、美しく夕陽の沈む海を背景として、神々しいほどの少女に、「私の傍らを歩む愛しい子!」と、父としての愛情を溢れさせているのだ。

「神はお前と共にある(God being with thee)」の最終行の言葉は

「神があなたと共にありますように=さようなら(God be with you=Good bye)」

にも通じる。父なる神が、気付かぬ時もいつも共にあるように、

父としてあなたを見守っているよ、またあなたたちを置いて行ってしまうけれども…

と娘に語り掛けているのだろう。

アネットやカロリーヌの気持ちを思うと、同じ女性としてはどうしても詩人の身勝手さが思われるけれど、この瞬間のワーズワスの迸る愛情に、心動かされる。

あの日、私がオリーブ山から見下ろしたエルサレムの街に、もう神殿はなかった。

ほんの一部「嘆きの壁」が残るだけ…。

ワーズワスもエルサレムを訪れたことはないのだ。

詩人の想像力が、詩の中に神殿を築き、その聖なる場所に最愛の娘を置いて謳っている。

壮大に謳い上げるワーズワスの詩を読んでいると、詩人と共に昂揚してくるものがある。

「God be with you=Good by」神があなたと共にありますように、

ワーズワスの祈るような 響きが私たちの心に残る。最後に、原詩とワーズワスの略歴をご紹介します。(略)


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