Facebookあいことばさん投稿記事「みっちゃんの勇気」
愛をくれたのは 相手の人ではありません あなた自身が 愛を生み出したのです
でもその人は あなたから愛を引き出してくれた 大切な人です 葉祥明
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(月刊『致知』2009年9月号エッセーより抜粋)
最近、私は都内のある中学校で三年生を相手に命の尊さについてお話する機会がありました。
その中で私は、命を大切にするというのは 何も大きなことに取り組むことではなくて、
日常生活の一瞬一瞬、その時目の前にいる人を大切にすることに尽きるのですよ、という思いをお伝えしました。その上で、実際にあったお話を紹介しました。
それは、皆から「みっちゃん」と呼ばれていた中学一年生の女の子のお話です。
みっちゃんは中学に入って間もなく白血病を発症し、入院と退院を繰り返しながら、厳しい放射線治療に耐えていました。
家族で励まし合って治療を続けていましたが、間もなく、みっちゃんの頭髪は薬の副作用ですべて抜け落ちてしまうのです。
それでもみっちゃんは少し体調がよくなると、「学校に行きたい」と言いました。
ふびんに思った医師は家族にカツラの購入を勧め、みっちゃんはそれを着用して通学するようになりました。ところが、こういうことにすぐに敏感に気づく子供たちがいます。
皆の面前で後ろからカツラを引っ張ったり、取り囲んで「カツラ、カツラ」「つるつる頭」とはやし立てたり、ばい菌がうつると靴を隠したり、悲しいいじめが始まりました。
担任の先生が注意すればするほど、いじめはますますエスカレートしていきました。
見かねた両親は「辛かったら、行かなくてもいいんだよ」と言うのですが、みっちゃんは挫けることなく毎日学校に足を運びました。
死後の世界がいかに素晴らしいかを聞いていたみっちゃんにとっては、死は少しも怖くありませんでした。反対に亡くなったお祖父さんと再会できるのが楽しみだとさえ思っていました。
しかし、何より辛いことがありました。それは、かけがえのない友だちを失うことだったのです。
辛いいじめの中でも頑張って学校に通ったのは「友だちを失いたくない」という一心からでした。二学期になると、クラスに一人の男の子が転校してきました。
その男の子は義足で、歩こうとすると体が不自然に曲がってしまうのです。
この子もまた、いじめっ子たちの絶好のターゲットでした。
ある昼休み、いじめっ子のボスが、その歩き方を真似ながら、ニタニタと笑って男の子に近づいていきました。
またいじめられる。誰もがそう思ったはずです。
ところが、男の子はいじめっ子の右腕をグッとつかみ、自分の左腕と組んで並んで立ったのです。そして「お弁当は食べないで一時間、一緒に校庭を歩こう」。毅然とした態度でそのように言うと、いじめっ子を校庭に連れ出し、腕を組んで歩き始めました。
クラスの仲間は何事が起きたのかと しばらくは呆然としていましたが、やがて一人、二人と外に出て、ゾロゾロと後について歩くようになったのです。
男の子は不自由な足を一歩踏み出すごとに「ありがとうございます」と感謝の言葉を口に出していました。その声が、仲間から仲間へと伝わり、まるで大合唱のようになりました。
みっちゃんは黙って教室の窓からこの感動的な様子を見ていました。
次の日、みっちゃんはいつも学校まで車で送ってくれる両親と校門の前で別れた直後、なぜかすぐに車に駆け寄ってきました。そして着けていたカツラを車内に投げ入れると、そのまま学校に向かったのです。教室に入ると、皆の視線が一斉にみっちゃんに集まりました。
しかし、ありのままの自分をさらす堂々とした姿勢に圧倒されたのでしょうか、いじめっ子たちは後ずさりするばかりで、はやし立てる者はだれもいませんでした。
「ありがとう。あなたの勇気のおかげで、自分を隠したり、カムフラージュして生きることの惨めさが分かったよ」。
みっちゃんは晴れやかな笑顔で何度も義足の男の子にお礼を言いました。
しばらくすると、クラスに変化が見られ始めました。みっちゃんと足の不自由な男の子を中心として、静かで穏かな人間関係が築かれていったのです。
みっちゃんに『死』が訪れたのはその年のクリスマス前でした。息を引き取る直前、みっちゃんは静かに話しました。
「私は二学期になってから、とても幸せだった。あんなにたくさんの友だちに恵まれ、あんなに楽しい時間を過ごせたことは本当に宝でした」と。
講演後、私は中学生の心にこの話がどれだけ伝わっただろうかと気になっていました。すると一週間ほどして担任の先生から一本の電話がありました。
先生がおっしゃるには、それまでクラスで物も言わず、学習意欲にも欠け、そのうちに病気になるのではと心配していた男子生徒が突然、先生を訪ねて、こう切り出したそうです。
「先生、この前の講演で僕は勇気をもらいました。僕のお母さんはいまガンで入院しています。皆からいじめられる思うと、そのことを誰にも話せなかった。
けれども、講演を通して堂々と生きるのが一番いい、ありのままの自分でいいんだということがよく分かりました。その喜びを伝えたくて先生のところに来たんです」
これを聞いた先生は思わず生徒を抱きしめました。
「そうだったの。大変な問題を抱えて頑張っていたんだね。気づかなくてごめんなさい。これからは先生も友だちも、皆で応援すると約束するよ」先生はクラスの仲間に男子生徒が抱える事情を話しました。すると、この日から男子生徒の態度は明るくなり、クラスの雰囲気は一変したといいます。
男子生徒の話は、私の講演に参加した他のクラスにも伝わり、そこでも良い変化をもたらしているようです。私にも、これは大きな喜びでした。
私は「幼な子のように」というキリストの言葉の重みを、いま改めて噛みしめています
鈴木秀子先生のお話より
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