https://www.akatsuka.gr.jp/bosco/yamatouta53/【心に咲く花 53回 枇杷(びわ)】より
店明かりのやうに色づく枇杷の実の ここも誰かのふるさとである ― 山下翔(しょう)
【現代訳】
まるで店の明かりのように、燈(とも)るように色づいている枇杷の実。ここも誰かにとっての「ふるさと」なのだと思わせてくれる。
心に咲く花 2022年53回 枇杷(びわ)
「桃栗3年 柿8年 枇杷は早くて13年」と言われます。
13年といえば、生まれたこどもが中学1年生になる頃。枇杷はどこか人間の成長とも重なって感じられる植物です。
花は11月から12月頃に咲きますが、あの甘くて美味しい実のイメージが優(まさ)るためか、「枇杷」もしくは「枇杷の実」は仲夏の季語とされています(「花枇杷」は初冬の季語です)。
北原白秋(きたはらはくしゅう)は「枇杷の実をかろくおとせば吾弟(わおと)らが麦藁帽にうけてけるかな」(歌集『桐の花』)と詠み、若山牧水(わかやまぼくすい)も「貧しさを嘆くこころも年年に移らふものか枇杷咲きにけり」(歌集『朝の歌』)という歌を残しています。
バラ科の枇杷は、葉が「枇杷葉(びわよう)」と言われる名高い生薬です。昔から枇杷茶や枇杷の葉温灸などにも活用されてきました。
童謡「ぞうさん」の歌詞で知られた「まどみちお」さんが書いた「びわ」という唱歌を、小学校低学年の頃にならった記憶があります。
「びわはやさしい木の実だからだっこしあってうれている」という童謡。こどもの頃にすりこまれたため、枇杷の木を仰ぐたび、枇杷は「やさしい木の実」に思えてどこかなつかしい気持ちになります。亡き祖母が植え、大事にしてきた樹木だったからかもしれません。
そんな時、この「ここも誰かのふるさとである」と詠む掲出歌と出会いました。確かに、郷愁を誘う枇杷を見ているとそんな気持ちになります。作者は1990年、平成2年生まれの歌人です。
枇杷は固い性質を生かし、古来、縁起のいい「長寿杖」もつくられるそうです。食べて美味しく、葉に薬効もあり、木材としての利用価値も高い枇杷。
枇杷を愛した女流歌人稲葉京子には「いづこより来し祝福かびわの花天の光をとどめゐるなり」という一首があります。まさに枇杷は、天から祝福された植物なのかもしれません。
https://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/crudem/191226/ 【生薬ものしり事典88 寒い季節に小花を咲かせる「ビワ」】より
「枇杷葉湯」は江戸の風物詩
1月はお正月を中心におめでたい植物を飾ることが多いですが、花の数が1年で1番少ない時季なので、植物の種類は限られています。
ビワはそんな寒い時季に花を咲かせてくれる貴重な植物です。ビワの花は一見するとあまり目立たず寂しい印象ですが、暖かそうな綿毛に包まれた小さな花には風情があります。12月頃から枝の先に白色五弁の小花をたくさん付け、花の色が白から黄みを帯びてくるにしたがって、香りが徐々に強くなってきます。
植物図鑑によるとビワはバラ科の植物で、日本では四国、九州の石灰岩地帯に野生しています。常緑性の高木で、高さ10m前後、枝は開出し、樹冠は円形となります。葉は互い違いに生えており、楕円(だえん)形です。葉の表面は暗緑色ではじめは有毛ですが、後に無毛となり、多少光沢があります。花が咲いた後、夏に球形の果実が熟します。
ビワ
ビワというと果実を連想しやすいように、6世紀には果実として中国南西部で生産されていたという記録があるようです。日本では10世紀に編まれた『日本三大実録』に、元慶(がんぎょう)7年(883年)、陽成天皇がビワを下賜したという記録が残っているので、この頃に中国から渡来したものと考えられます。ただ、その頃のビワの果実は現在のビワの果実と違い、劣悪品種だったと思われ、食用のビワは江戸時代に長崎を経て伝えられた「茂木ビワ」が最初とされています。
明治以降に品種改良が進み、「田中」「茂木」「長崎早生」「楠(くすのき)」「野島早生」「大房(おおぶさ)」など多くの種類が生まれました。
ビワが詩歌の歌題に登場するのは江戸時代からですが、明治時代以降に多く詠まれるようになりました。
冬の日の 暮るゝは早し 枇杷(ビワ)の花 ただあはつけく 眼にとまるかな 土田 耕平
枇杷の花 大やうにして 淋しけれ 高浜 虚子
雪嶺より 来る風に耐へ 枇杷の花 福田 甲子雄
植物名の由来について、牧野富太郎博士は「楽器の琵琶に似ているので名付けたとされるが、葉形か果実の形のいずれが似ているかハッキリしない」と述べています。
漢名は「枇杷」で、別名は「蘆橘(ろきつ)」などが知られています。
学名はEriobotrya japonicaで、属名はerion(羊毛)+botrys(ぶどうの房)の合成語で、表面が白い軟毛に覆われた果実が房になっていることに由来。
種小名は日本に産するという意味です。
ビワの木は粘り強く弾力性があるので、昔から「柿の木から落ちると死ぬが、ビワの木から落ちても死なない」といわれています。ビワの木で作った木刀は最上のものとされ、農具の柄などにも利用されています。
葉は生薬名を「枇杷葉」といい、主にあせもや打ち身、ねんざ、暑気あたり、胃腸病に利用されます。
薬用で最も有名な「枇杷葉湯」は、ビワの葉に肉桂(にっけい)や甘茶、莪蒁(がじゅつ)などを細かく切って煎じた液のことです。薬売りが「疫痢(えきり)を防ぎ、暑気払いの効果がある」といって「枇杷葉湯」を売り歩く姿は、江戸時代の夏の風物詩だったようです。
果実は食用には生食のほか、ゼリー、ジャムなどに加工されます。また、果実酒にして疲労回復、食欲増進にも利用されています。
「ビワを庭に植えると病人が出る」という迷信を口にする人がいますが、その由来はビワがよく茂るので、狭い庭に植えると日当たりや風通しが悪くなるからなのだとか。
花言葉は「温和」「治癒」「あなたに打ち明ける」などです。
出典:牧幸男『植物楽趣』
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