http://pulinblog.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-bca9.html 【竜の伝説 その1「画竜点睛」】より
わたしの好きな絵の題材のひとつに「竜(龍)」があります。竜の起源は、もちろん「中国」。古代より皇帝のシンボルとして扱われてきました。
竜は神獣、霊獣ですから、雷雲を呼び寄せ嵐を起こしたり、竜巻になって天を飛翔したりと。。。まことにかっこいいのでさまざまな伝説に登場しますね。
「画竜点睛」(がりょうてんせい)という言葉がありますが、こちらは、その元となったお話です。
むかし、中国の梁(りょう)という小さな国に張(ちょう)という名前の画家がおりました。
たいそうな腕だというので、ある日、金陵(南京)の安楽寺の壁に四匹の竜を描くことになりました。何日かして描きあがった絵を見た人々は、思わず息をのみました。
描かれた竜は、まるで生きているかのようにうねっていて、啼き声まで聞こえてきそうです。
ですが、どうしたことか?瞳が描かれていません。不思議に思って、人々がたずねると、
張は、おごそかに言いました。「瞳を描き入れたならば、竜は飛び去ってしまうだろう。
だから、やめたのだ」「まさか。そんなことはあるまいよ」人々は、せせら笑いました。
「だいいち、瞳のない竜なんて、おかしいですよ。みっともないから、ぜひ入れてください」
あんまりせがまれるので、張は二匹の竜だけに瞳を入れました。
と、とたん、すさまじい雷鳴!稲妻が走って、壁をつきやぶりました。たちまち、二匹の竜が飛び出しました。竜は雲にのると、うずまきながら、天へ駆け上っていきました。
あまりのことに、ただただ天をあおぐ人々を残して、張はいずこともなく、消えてしまったとういことです。でも、瞳を入れなかった2匹の竜は今でも寺に残っているそうですよ。
ちなみに「点睛」とは、「瞳を描く」ということだそうです。
また、全体的にとてもよくできているのに、最後のかんじんな仕上げができていないことを「画竜点睛に欠く」といいますが。。。。。
実に。。。耳がいたい話です。反省するところ、多々あり。
「こんなもんでいいやぁ」で提出するのは、プロとして恥ずかしいこと。
いつでも、そのときなりの力量で「傑作!」をめざして、きちんと仕上げなくっちゃぁいけません。
でも、「そこそこでいいんですよ」とプレハブ的なご要望もあったり。。。で。
臨機応変でいかないと、いけないのかな??
https://www.nhk.or.jp/matsuyama/lreport/article/002/96/ 【「龍伝説」は水害の教訓知らせる“いにしえ”からのメッセージ】より
梅雨時、大雨災害に注意警戒が必要な時期です。2024年は辰年ですが、実は”龍”の伝説には水害や土砂災害が出てきます。県内各地に伝わる龍の伝説を通して、研究者が防災を呼びかけました。
【ラジオ第1「ひめゴジ!」より パーソナリティー 岸本南奈】
災害の歴史に詳しい研究者 大本敬久さん
大本敬久さんは、地震や水害など県内の災害の歴史に詳しい研究者で、過去から学び、今後予想される災害へ備えてほしいと、情報発信を積極的に行っています。
西予市にある愛媛県歴史文化博物館で20年余り専門学芸員を務め、博物館では、お祭りなどの伝統行事をテーマにした展示を担当しています。伝統行事などを調査する中で「災害」に由来するものの多さに気づき、災害の歴史を調査し始めました。東・中・南予ごとに龍伝説が見られるということで、それぞれご紹介いただきました。
【中予】竜姫宮:松山市奥道後
少なくとも300年前から松山市奥道後に伝わる竜姫宮(りゅうきぐう)の伝説。
—江戸時代の初め頃、奥道後の「湧ヶ淵」に大蛇が棲み、美女に化けて、通る人に危害を及ぼしていた。そこで、地元の城主・三好家の長男が鉄砲を撃って退治し、それ以来、怪しい美女は現れなくなった。その蛇の頭の骨を祀った祠が竜姫宮—
石手川ダムから少し下流で、温泉旅館施設がある辺り。切り立った淵で水の流れが速く、土砂災害なども起こりやすい場所です。
奥道後の湧ヶ淵
歴史上、龍と蛇を混同して語っているケースが見られますが、龍が出る、蛇が出るという伝説には危ない場所だと、多くの人に知らせる役割があります。
【中予】「大崩壊物語」:東温市
東温市に伝わる「大崩壊(おおつえ)物語」
ーある娘と男が結ばれたが、実は、男は蛇の精霊だった。娘は身ごもっていたが、生まれたのは蛇の子。驚いた一家が蛇の子を皿ヶ森に葬った。それを知った蛇の精は嘆き悲しみ、黒雲を呼んで龍になり天に昇った。すると大雨が七日七晩降り続き、地鳴りが起こり山津波が人家を襲った。人々は竜神様に一心不乱に祈り続け、祠を立てた―
実際に東温市の皿ヶ森近辺の川沿いは、東温市のハザードマップでも、土砂災害警戒区域に指定されています。
【東予】「龍川橋」
新居浜市立川町にある橋「龍川橋」(たつかわばし)
立川町(たつかわちょう)はマイントピア別子や旧別子銅山東平地区がある地域です。大正時代に作られた橋で、頻繁に氾濫していた川がありました。そこに橋が架かった橋の名前が“龍川橋”。近くには龍河神社ができました。
龍川橋の石碑
龍河神社の石碑
【南予】蛇骨堂(大蛇伝説):西予市
西予市宇和町伊延(いのべ)に伝わる蛇骨堂(大蛇伝説)
―領主の宇都宮永綱が多田に住むという大蛇を退治し、その大蛇を供養するために建てられたという言い伝えがある―
西予市宇和町伊延は土砂災害の恐れがある場所。蛇が通ったような跡が残るため、土石流のことを「蛇抜け」といいます。
【南予】拝竜権現:大洲市
大洲市森山の拝竜権現(はいたつごんげん)に伝わる話。今も当時をしのぶ祠が残っています。
―肱川の洪水が竜の神様の仕業とされて、その祟りを避けるために、毎年3月3日の朝3番目に通る人(のちには獣類)を人身御供にしていた―
【南予】龍王池:八幡浜・大島
八幡浜の大島にある龍王池に伝わる伝説。
―もともとの八幡浜の保安寺というお寺の池にいた龍が、成長して手狭になった際に現在の八幡浜大島の池に引っ越そうと、娘の姿に化けて貧しい漁師に連れて行くように頼んだ。島につくと龍は姿を現し、漁師に「私のことを口外しなければお礼に大漁にする。」といって、去った。するとそれ以来豊漁続きで、大金持ちになったが、人に龍の話をしたら不漁になり、また貧乏に戻った。ただ龍は人々への恩を忘れず、雨乞いをすれば、雨を降らしてくれたそう―
「龍伝説」は”いにしえ”からのメッセージ
龍伝説は、自然の脅威や災害の教訓を知らせる”いにしえ”からのメッセージです。氾濫する川になすすべがなかった昔の人たちが、荒ぶる龍が水害をもたらしていると考えて、神社や祠を作りました。龍にちなんだ伝説やゆかりの場所は、地域の災害の記憶を共有する財産。
皆さんがお住まいの地域の近くにもあるかもしれません。”いにしえ”からのメッセージにぜひ耳を傾けてほしいと、大本さんは龍伝説を通じて「防災」を呼びかけました。
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