https://ameblo.jp/chazenichimi/entry-12629393151.html 【【茶花から日本を學ぶ】立浪草と葛飾北斎~沖つ白波★男の茶道★沼尻宗真】より
立浪草は日本各地の半日陰の場所などに広く分布しています。花が 穂状に多数ついて同じ方向に向いて咲く形と模様がまるで北斎などに描かれる波頭の文様を思わせることから由来しているそうです。粋な名前のつけかたですね~
葛飾北斎 富嶽三十六景《神奈川沖浪裏》(1831頃)
東京ミッドタウン・ホールで予定されていた大規模な葛飾北斎展も2021年に延期になりましが来年を楽しみにしましょう。
会期中の茶会なら江戸の粋!大きな釣舟の花入に立浪草をまさに波頭のように入れてみたいですね。もちろん富士釜にしましょう。
最後ににそんな立浪草に似合う和歌を紹介します。
わたの原 漕ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣
◼️意味
大海原に船で漕ぎ出し ずっと遠くを眺めてみれば、かなたに雲と見間違うばかりに
沖の白波が立っているまさに北斎の作品にピッタリでした。
美意識は永遠ですね。
https://ameblo.jp/agatahidamari/entry-12670563852.html 【コバノタツナミソウ(小葉立浪草)コバノタツナミソウ(小葉立浪草)】より
立浪草見栄は芝居や歌舞伎者 立浪草風と共に海を渡れ 風吹けば 向かいて騒ぐ立浪草
ひだまり
コバノタツナミソウ(小葉立浪草)歌舞伎で白浪物(しらなみ もの)を連想しました。(*^。^*)半日陰を好み、林縁などに自生している。この花は海岸部で撮影した。
良く12月頃に返り咲きを見ることがある。茎は地を這って、葉は1cmほどの小さい丸い葉をつける、葉の縁は鋸の歯のような「ギザギザ」が斜め前方を向いてそろっている。
鋸歯は、タツナミソウ(立浪草)は片側5~10個だが、コバノタツナミソウ(小葉の立浪草)は4~6個である。草丈も低く10~20cm程度で.茎先に花穂をだし、1cm程の唇形の白色(10個ほど)の花をつける。由来・二花ずつ並んで同じ方向に向いて咲く花の形と模様が、
打ち寄せる波頭の文様を思わせることから。花色も白から、ピンク、紫と変化が多い。
ここは白色系が多いようでした。いつも我が家に咲く白花はまだ咲いていません。
仲間に、タツナミソウ、オカタツナミ、トウゴクタツナミ。ツクシタツナミ、ヤマジノタツナミソウ、シソバタツナミヤマタツナミソウと 種類の多い花のようです。
浮世絵の浪と立浪草の浪 後藤比奈夫 コバノタツナミソウ(小葉立浪草)
シソ科・タツナミソウ属・耐寒性多年草。 花期・4月~6月。分布・本州(関東以西)や四国、九州。花言葉・私の命を捧げます。季語・初夏
https://book.asahi.com/jinbun/article/14127836 【能楽の大家・世阿弥が伝えたかった「初心忘るべからず」の本当の意味】より
記事:春秋社
「秘すれば花」「初心忘るべからず」………600年前の室町時代に幽玄なる夢幻能の世界を打ち立てたといわれる世阿弥(ぜあみ)が『風姿花伝』などで書き残してきた言葉は、日本最古の演劇論として、あるいは日本人の感性に深く通じるものとして、これまでも数多く論じられてきただけでなく、その印象的な文彩からか格言として人口に膾炙したものも多い。『おのずから出で来る能 世阿弥の能楽論、または〈成就〉の詩学』(玉村恭著、春秋社)は、いささか観念論化して伝わってしまった世阿弥の能楽論に新たな角度から光をあて、鮮やかに描き出した好著だ。
今から600年前の室町時代に、現代の能楽の源流となる申楽(さるがく)を大成した人物として現代にその名を残す「世阿弥(ぜあみ)」。父・観阿弥(かんあみ)とともに時の将軍足利義満の庇護を受け、幽玄をたたえる「夢幻能」の形式を完成させたと言われている。その教えを説いた『風姿花伝(花伝書)』をはじめ、彼が残した多くの書物は長く秘伝とされていたが、20世紀はじめに吉田東伍によって「発見」され、出版されたことにより、その後100年にわたり広く読み継がれることとなった。そしてその内容は日本最古の能楽論=演劇論としてだけでなく、同時代の「幽玄」の美学に共鳴した思想としても数多く論じられてきた。
世阿弥の言葉でもっとも有名なものを二つあげるとすれば「秘すれば花」「初心忘るべからず」だろう。前者は奥ゆかしさなどの謙譲の美徳として、後者はあらゆる物事にあてはまる人生訓としていずれも人口に膾炙している。ほかにも「離見の見」や「動十分心、動七分身」など、能舞台での所作を超えた解釈を付与されて、現代に通じる名言・格言として語られる世阿弥の言葉は数多く存在する。
こうした数多ある解釈から距離を置き、虚心坦懐に世阿弥のテクストと向き合っているのが『おのずから出で来る能 世阿弥の能楽論、または〈成就〉の詩学』(玉村 恭・著、春秋社刊行)である。
書名に掲げられた「おのずから出で来る」という言葉には、世阿弥という存在を孤高の天才芸術家のようにとらえる(西洋)近代的な視座に対する批判がこめられている。本書によれば、従来の「自律的な、唯一無二の内面を持つ個人としての芸術家が、これまた唯一無二の掛け替えのない作品を作り、思想を紡ぎ出すという、伝統的・古典的芸術(家)モデル」(p.7-8)によって解釈され、いささか一人歩きしている感のある世阿弥の言葉(テクスト)を、あくまで能楽(申楽)の上演を成功に導くために書かれたものであった点に着目することによって、世阿弥の思想をより実感のこもった演劇論として提示することができるという。
そして「成就」や「和合」の概念、そしてなにより「秘すれば花」の名言によって広く知られる「花」の概念の再構成を試みているが、ここでは第八章「可能性をどう育むか」で検討されている「初心」を例に、議論の一端を紹介することにしたい。
「初心忘るべからず」の本当の意味
「初心」は、「通念としては、物事をし始めた時の(謙虚な、あるいは新鮮な)気持ちや志に解されてきた」いっぽうで、本来は新鮮さなどではなく「未熟な状態」のことを指すものである点も従来指摘されてきている(p.202)。いずれにせよかつての自分を参照点とするという点では共通しており、「初心忘るべからず」という格言はそれを忘れないことが(どのように活かすかは別として)重要であるという解釈のもと、能楽あるいは演技論の枠組みを越えたさまざまな場面で人生訓や経営理念などに使われてきた。
しかし『おのずから出で来る能』によれば、世阿弥が「初心忘るべからず」という言葉で説こうとしていたのは、上記のような解釈とはいささか様相を異にする。「初心」とは「未熟な状態」に相違ないものの、経験を積み、成長した後もその「初心」を忘れないということは、必ずしも過去を振り返るということではないというのだ。
人間の成長のプロセスやモデルとしてわれわれが暗黙のうちに前提としているのは、過去から現在に向かって線的に向上していくイメージである。物事を身につけ、習得してゆく、すなわち新たな要素が付加されることによって成長が起こる、という見方である。
しかし世阿弥の考える成長モデルはむしろその逆ともいえる、次のようなものなのである。
役者が成長するとは、〈見物衆の気色(けしき)〉との兼ね合いの中で、自己の進むべき道・採るべきやり方を──あるいは、進むべきでない道・採るべきでないやり方を──見出してゆくことである。このような〈成長〉の捉えは、〈付加・蓄積〉のモデルで表象されるそれとはいささか性格が異なるだろう。何かを外から〈付け加え〉たり、新たなものを〈積み重ね〉たりする必要はない。〈成長〉の種は、当人の内に既にある。なすべきなのは、それを通用するものに整えること、足したり乗じたりするのではなく、磨きをかけることである。(p.213)
磨きをかけ、削ぎ落としてゆくプロセスを「成長」とみるならば、「初心」は削ぎ落とされる前の状態にあたる。どのように磨き上げるかによっていかようにも形を変えることができる原石の状態こそが、世阿弥にとっての「初心」であり、「初心忘るべからず」とは、削ぎ落とす前の状態、つまり別のさまざまな形になることができた可能性を捨てないことを言っているのだという。
このような見方は、「物事を始めた時の新鮮な(謙虚な)気持ちを忘れないようにすること」という人口に膾炙した解釈と比べると、少々わかりにくく、奇想天外に思われるかもしれない。しかしこの見方は、単に「初心」を胸の内にしまっておくだけではない、もっと積極的な意味合いをこの格言に与えている。経験を積むにつれて「形」を覚え、パターンに慣れてしまい、応用が効かなくなったり、視野が狭くなり、惰性に陥ってしまうことを戒めるだけでなく、さまざまな可能性を秘めていたかつての状態を思い出し、新たな可能性に踏み出すための、より柔軟で臨機応変なありかたを示してくれていると言えないだろうか。
facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事【雑感】
『面(おもて)の奥に宿るもの……能楽と形而上の記憶』
能における「面」とは、単なる仮面ではない。それは、時空を超えた魂の代弁者であり、観る者に「人は姿を変え、他者となって現れる」ことを教えている。
観阿弥・世阿弥によって洗練された能の舞台では、シテとワキの動きは意図的に緩慢である。
それは人間的でない速度、霊的存在の運動を模倣している。
彼らの所作は、速さや力ではなく、「間(ま)」という美学の中で命を宿す。
たとえば祝福の舞である「ウキナ」においても、祝詞が舞うように、目には見えぬ神の気配を可視化するかのようだ。
250種類以上におよぶ能面は、造形芸術としての頂点をなすが、それぞれが感情や霊性の表現を担っている。
常慶による忿怒の面などは、荒ぶる神々……たとえば素戔嗚尊や猿田彦命の顕現ともいえる。
土蜘蛛、長髄彦といった古代の異族たちを象徴する面も、歴史の表層に隠された物語を語りかけてくる。
文化は、しばしば政治や経済の下位に置かれがちだが、能はそれに抗うようにして時代を超えてきた。
世阿弥は『風姿花伝』において、芸とは「花」であるとし、時に咲き、時に隠れる永遠の生命だと語る。
この思想をたどれば、日本の文化史にはるかなる記憶の痕跡が浮かび上がってくる。
たとえば秦河勝という人物に代表されるような、遠方から渡来した系譜。
ユダヤの民との関連を指摘する説もあり、それが「面をかぶる」文化……姿を隠すことの美学につながるという見解もある。
また、日高見国や出雲の神話領域においては、姿かたちの異なる存在が「人ではない何か」として語られ、
埴輪や天狗といった造形がその記憶を物証として残す。
天狗が「異形」であるのは、単に想像上の産物ではなく、かつて「異なる形をした者」が確かに存在したという……身体記憶の継承ではないか。
面とは何か。
それは、「他者になる」ための扉であり、「真実を隠す」ための布でもある。
だが同時に、「本当の形を浮かび上がらせる」ための鏡でもあるのだ。
人間国宝と称される芸の極みは、単なる技術の到達点ではない。
そこには、数百年にわたり磨かれてきた魂の記憶、そして日本という国土が蓄積してきた「形のない歴史」が、静かに息づいているのである。
【Reflections】
"What Dwells Behind the Mask — Noh Theatre and the Metaphysics of Memory"
In Noh, the omote…the mask…is far more than a simple facade.
It is the emissary of timeless souls,
a silent oracle whispering that a person may take on new forms
and appear as another altogether.
Refined through the vision of Kan'ami and Zeami,
the Noh stage unfolds not in haste, but in stillness.
The movements of the shite and waki are deliberately slow,
echoing the rhythm not of flesh and blood,
but of spirits drifting through the folds of existence.
In Noh, vitality is not found in speed or strength,
but in ma…the sacred pause,
where each gesture breathes and becomes.
Even in celebratory dances such as Ukinai,
the chant flutters like a ritual prayer,
as though revealing the invisible breath of a divine presence.
Among over 250 types of Noh masks lies the pinnacle of sculptural expression…
each one imbued with a distinct emotional or spiritual essence.
The mask of wrath by Jōkei, for instance, conjures
the fierce countenances of deities such as Susanoo-no-Mikoto or Sarutahiko.
Others—symbolizing figures like the Tsuchigumo or Nagatsunehiko,
ancient peoples beyond the imperial fold…murmur tales long hidden beneath the surface of history.
Culture is often subordinated to politics or economy,
yet Noh resists this fate,
its art transcending time with quiet defiance.
Zeami, in Fūshikaden, likened art to a flower…blooming, then vanishing,
only to endure as a life eternal.
In this philosophy we trace the distant threads of cultural memory.
Figures like Hata no Kawakatsu…bearers of foreign lineages…whisper of migrations and mystery.
Some even suggest links to ancient Hebrews,
and from such hidden roots emerges a culture of concealment…aestheticized anonymity, the elegance of masked being.
In mythic realms such as Hidaka or Izumo,
beings unlike ourselves are recalled…
not quite human, not entirely divine.
Their echoes linger in the forms of haniwa clay figures and tengu sprites…
not mere imagination, but perhaps
the inherited memory of a different kind of body.
So what, then, is a mask?
It is a portal into otherness,
a veil drawn to shield the truth…
yet also a mirror that reveals our deepest form.
The heights of Noh…where performers are honored as Living National Treasures…are not simply feats of technical mastery.
Rather, they are vessels for the memory of souls,
refined across centuries,
and the unseen history that the land of Japan
has carried in silence,
and now offers as breath
upon the stage.
0コメント