facebook玉井 昭彦さん投稿記事
今日の「折々のことば」更に打たれ響きました。
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折々のことば:3394 鷲田清一
「不運と不幸は違います。不運でも幸福になることはできるのですよ」
(病院詰めの聖職者〈チャプレン〉)
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娘の早逝にともに耐えてきたその妻にも病で先立たれた記者・中村俊介さん。
人並みの幸福さえ望めぬ僕はやはり不幸ですかとチャプレンに訊くと、こう言われたという。
幸福には「偶々」という面があるが、それは運不運だけでなく誰かとの巡り合わせをも意味する。ある人と出逢うことで人は不運を乗り越えてもきた。昨年11月16日付の本紙beの「それぞれの最終楽章」から。
朝日新聞5月5日
https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S16207408.html
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『悲しみは消えない』
春香を亡くして3年と10か月が過ぎました。今は、普通に朝起きて、仕事に行くことが出来ています。外面的には「50代の男性」にしか見えませんが、内面では、現在も何かの拍子に「悲しみ」が押し寄せてきて胸が苦しくなることがあります。そんな時は「悲しみ」が自然と去っていくのは待つしかありません。
朝日新聞の「be on Saturday」の「それぞれの最終楽章」には、同紙編集委員の中村俊介さんと胃がんを患ってしまった奥様の物語が連載されていて、10月19日の第6回には、奥様がクリスチャンに受洗していた理由が綴られていました。
8年前の2016年、中村さん夫妻の高校生の一人娘が、17歳の時に自ら命を絶ってしまい、奥様は相当に悩み、苦しみました。下の奥歯がストレスで歯ぎしりをしてしまい、真平になるほどストレスを感じていたそうです。受洗したのもその悔悟からと中村さんは奥様のことを思って見えます。
読後、私は涙が溢れました。娘に先立たれた両親の悲しみ、その妻とお別れしなければならない中村さんの悲しみにふれて、動悸も治まらなくなりました。
人生の不条理と現実を胸に刻むため、次回もしっかり読ませていただきたいと思います。
悲しみは消し去ることはできません。また、真に、自分以外の人の悲しみを理解することは難しいです。だからこそ、他者の悲しみに寄り添える人になりたいと私は思います。
https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S16083314.html be 朝日新聞11月16日
(それぞれの最終楽章)また会う日まで!:10 ちょっぴり、感謝
可能な限り普段の日常を続けようと2人で決めていた。散歩しながら、僕はプロの書き手だから文字にまとめようかと提案したら、珍しく乗ってきた。それがこの終活日記。記念すべき二人三脚、最初で最後の共同作業だ。
妻はおおざっぱで理屈より行動、勝手に先走るし独立志向も強い。整理整頓はできない。対照的に僕は、意外ときちょうめんできれい好きだが、後ろ向きでくよくよタイプ。妻のいい加減さが我慢できず、片付けで何度もけんかした。
性格は正反対で、相性も決してよかったとは言えない凸凹コンビが、曲がりなりにも30年余を添い遂げられたのは、亡き娘の存在が大きかったのだと思う。
不思議なことに、妻のがんが判明した前月までの1年間だけ、僕は大阪から福岡勤務に戻っていた。最後の夫婦生活を堪能しなさい、もうすぐお母さんを迎えに行くから――。あの世にいる娘からの贈り物だったのかもしれない。
そんな娘の記憶を共有し一緒に語り合える“同志”は、もういない。孤独死を迎える将来の自分が脳裏をよぎる。余命宣告に動揺して「残された俺はどうすればいいのか」と口走ったら、「興ざめだ」と妻にあきれられた。
妻の相談相手だった病院のチャプレン(教会以外で活動する聖職者)に尋ねたことがある。娘と妻に先立たれ、子どもや孫に囲まれてこの世に別れを告げる、そんな人並みの幸せさえ望めない僕はやっぱり不幸なんでしょうか?
確かに不運かもしれない、と彼は言った。でも、決して不幸ではない、とも。「不運と不幸は違います。不運でも幸福になることはできるのですよ」。なにか腑に落ちて、少し楽になった。
いま、位牌に向かって自問する。僕はしっかり妻を愛してあげられたのだろうか。君は僕と結婚して幸せだったのだろうか。
一緒に過ごした最後の半年近くは確かにつらかったけれど、懐かしくもある。僕らが夫婦だったことを改めて再認識できた日々でもあったから。だから、ほんのちょっとだけ感謝もしている。=おわり
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朝日新聞編集委員・中村俊介 1965年、熊本市生まれ。歴史・考古学、文化財、世界遺産などを担当。著書に「世界遺産」(岩波新書)、「『文化財』から『世界遺産』へ」(雄山閣)など。
facebook赤塚 高仁さん投稿記事
久保宮司、あなたに連れて行ってもらい副団長として視察したパラオ、ペリリュー島。
しずかに続けてこられていた慰霊。あなたが贈られたさざれ石は、いまも島の慰霊のシンボルとなっています。そして、「ここから先は、赤塚くん、あなたに頼むよ」と言われました。
明日の講演会では、パラオのことや 昭和天皇の話をするつもりです。
福井県護国神社です。見ていてくださいね。
https://akatsukakoji.jp/seminar/20250506/?fbclid=IwY2xjawKFTsBleHRuA2FlbQIxMABicmlkETFPemZheVFMOXRhTUpETU1iAR60xkvGSVEwAI8lemFNVtdJzatT4wq2XpTEo7kjDFb5hwVvvb1qaLbPzGy_gQ_aem_PXW8TU330R53HXASRDPyBQ 【赤塚高仁 講演会 in 福井】より
赤塚先生の話を、ぜひあなたにも聞いてほしい! !その想いから、このイベントを開催します。日本を愛し、大切に思うあなたなら、赤塚先生の言葉の一つ一つが、きっと心に深く響くはずです。赤塚先生のお話は、広く、そしてとても深いものです。
日本の歴史や精神に深く触れられる、特別な時間をお届けします。
実は先生のご講演には、台本もカンペもありません。先生は、その場に集う方々の表情やエネルギーを感じ取り、その瞬間に語るべき言葉を受け取る。つまり、私たちのための言葉を紡いでくださるのです。先生のお話は幅広く、奥深いものばかり。そのすべてを 2時間に収めることはできませんが、「どんなお話が聞けるのか?」とワクワクしながら、その時を迎えるのも素敵ではないでしょうか。
ぜひ、赤塚先生の言葉に直接ふれてみてください。お誘いあわせのうえ、ご来場を心よりお待ちしております。そして、この講演会の開催に向けて力を貸してくださった仲間たちへ。 深く感謝を申し上げます。
facebookいい言葉は人生を変える投稿記事
言葉の力 生きるということ 東区日本大震災追悼式より
瓦礫の下に母親を残し…菅原彩加さん
私は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。小さな集落でしたが、朝学校へ行く際、すれ違う人みんなが「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、あったかい大川がとても大好きでした。
あの日、中学の卒業式が終わり、家に帰ると大きな地震が起きました。逃げようとしたときには、すでに地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人を飲み込みました。
しばらく津波に流された後、私は運良く瓦礫の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると、釘や木が刺さり足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。
右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私1人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り一夜を明かしました。
そんな体験から今日で4年。あっという間で、そして、とても長い4年間でした。家族を想って泣いた日は数え切れないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが今もまだ夢のようです。
しかし、私は震災後、たくさんの諦めない人々の姿を見てきました。震災で甚大な被害を受けたのにも関わらず、東北にはたくさんの人々の笑顔があります。
「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い、復興へ向かって頑張る人たちがいます。日本中・世界中から東北復興のために助けの手を差し伸べてくださる人たちがいます。そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という気持ちにいつもなることができます。
震災で失ったものはもう戻ってくることはありません。被災した方々の心から震災の悲しみが消えることもないと思います。
しかしながらこれから得ていくものは、自分の行動や気持ち次第でいくらにでも増やしていけるものだと私は思います。前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への恩返しだと思い、震災で失ったものと同じくらいのものを私の人生を通して得ていけるように、しっかり前を向いて生きていきたいと思います。
最後に、東日本大震災に伴い、被災地にたくさんの支援をしてくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。また、お亡くなりになったたくさんの方々のご冥福をお祈りし、追悼の言葉とさせていただきます。
https://kokocara.pal-system.co.jp/2018/09/21/to-live-shuntaro-tanikawa/ 【谷川俊太郎さんが「よくできた詩とは思っていない」と言う代表作「生きる」は、なぜ愛され続けるのか?】より
「生きているということ いま生きているということ」というフレーズは、ふだん詩に触れる機会がなくても、多くの人が知っていることだろう。詩人・谷川俊太郎さんの代表作の一つ「生きる」だ。この詩から新たに生まれた絵本『生きる』(2017年、福音館書店)は、すでに5版を重ねている。1971年に発表されたこの詩が今なお愛され続け、人々に求められるのはなぜか。本や言葉に関する執筆を行うライター・永江朗さんが、谷川さんと絵本の担当編集者に聞いた。
完成していない、ほころびがある詩だから、読んだ人が入ってきてくれた
永江朗(以下、永江) 絵本『生きる』は、谷川さんの詩と岡本よしろうさんの絵で構成されています。この詩「生きる」は、1971年に出た詩集『うつむく青年』に収録されていますから、書かれたのは60年代後半。半世紀にもわたって愛され続けている詩です。
谷川俊太郎(以下、谷川) 自分としては、そんなによくできた詩だと思っていなかったんですよ。でも、きっちり完成した詩よりも、どこかほころびがあるほうが、人は入っていけるんですね。この詩には、「ミニスカート」とか「ヨハン・シュトラウス」とか具体的な固有名詞がちょこちょこ出てきます。そういうことがあるから、読んだ人は自分たちも「生きるとはどういうことか」と参加してくれたわけですね。
生きているということ
いま生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会うということ
そして かくされた悪を注意深くこばむこと(詩「生きる」〈谷川俊太郎〉より)
絵本『生きる』
絵本『生きる』(2017年、福音館書店)より
永江 この詩とは別の「生きる」という詩を、20代のころにもお書きになっていますね。
谷川 ええ。僕には「書く」よりも「生きる」が大事でした。普通、詩を書く人はみんな、書くことが大事でしょう? 僕は「生活しなきゃ」と。「いい詩を書こう」とか「将来に残る詩を書こう」ということよりも先に、「どうやって金を稼ぐか」が大問題だったの(笑)。
永江 切実だったんですね。
谷川 そうですね、いつも。それと、僕は若いころから「生きる」ことと「生活する」ことを区別していました。人間にとっては生活よりも生きることの方が大事です。生活するということは、どうしても社会との関係で、給料をもらったりとか、人とつきあったりすることが必要でしょう? 生きるというのは、人間も哺乳類の一つとして、命をもった存在として、宇宙の中で生きるということ。自分が宇宙の中の存在であると同時に、人間社会の中の存在であるという二重性がある。詩を書くときはその両方をちゃんと持っていなきゃいけない。
谷川さんと永江さん
この絵本は「死」から始まり、「生きる」につながる
永江 絵本化について出版社からお話があったとき、どんなふうに思われましたか?
谷川 この詩が割とポピュラーになって、いろんな人がいろんな形でかかわってきていたのが、僕はすごくうれしくて。こういう形で詩が広まっていくのが、若いころからの理想だったんですよ。ほかにも「生きる」に新たな言葉や写真をつけてくれた人たちがいたりします。
今回の絵本は、描いた岡本さんの解釈の仕方というか、絵の場面がすごくいいなと思って。僕が考えていたことをさりげなく絵にしてくれた。すごく気に入っています。
「生きる」関連書籍
詩「生きる」を題材に生まれた様々な書籍
永江 岡本さんとは何度も打ち合わせをなさったんですか。
谷川 僕は会ったことがないの。連絡は出版社の福音館書店の編集者を介してで、でき上がったのを見て「これはいいな」と伝えました。
永江 絵本の担当編集者さんは、どうしてこの本を作ろうと考えたんですか?
担当編集者(以下、編集者) 2011年の震災のあと、小学校などで絵本の読み聞かせをすると、聞いていた児童が「僕たちいつ死ぬか分からないね」と言うんですよ。「僕たち、どういうふうに死んじゃうのかな」なんて。小学生の男の子が、死ぬことばかり考えていると言うんです。それを聞いて、何か伝えられないだろうかと思っていたとき、ふと思い出したのが谷川さんの詩「生きる」だったんです。それで、谷川さんにお手紙を差し上げ、お電話しました。すると「いいですよ。思い切りよくやってください」と。背中をどんと押してくれました。
座談のようす
谷川 この本は絵と詩の距離感がすごくよかったね。
編集者 文章と絵の関係を考えようということで、『ぼくはこうやって詩を書いてきた』(ナナロク社)の共著者である山田馨さんにお願いして、解説講座を3回開いていただきました。
谷川 本当!? 知らなかった。
編集者 そのうえで岡本さんとこの詩の構造を研究しました。どういうことができるだろうか、とやっていたら、35冊のラフ(試作)ができました。
谷川 ええっ! 35冊も! よくこれに絞れましたね。
谷川さん
編集者 最初に谷川さんにお伝えした小学生のエピソード、10歳の子どもの視点を通じてこの詩を見るとどうか、ということに立ち返りました。何げない日常の中で「生きる」ことについて考える。
永江 死んだセミが地面に転がっている場面から始まりますね。アリが集まっていて、少年がそれを見下ろしている。死から始まり、絵が言葉と呼応し、絵と絵がつながり、「生きる」という大きな物語になっていきます。
谷川 「死ぬ」ということを含み込まない「生きる」は、インチキだと思っています。これはすごくいい。
絵本を眺める谷川さん
現代に響くのは、「いま」を書いているから
永江 作者の想像を超えて多くの人に読み継がれていることについて、ご自身ではどのようにお考えになっていますか?
谷川 この詩がなぜポピュラーになったのかについて、自分なりの分析はあるんですよ。評論家の加藤周一さんが『日本文化における時間と空間』(岩波書店)で、「いま・ここ」というのは日本人の感性の基本だと書いています。必ずしも肯定的に評価しているわけではないのですが。この詩では、「生きているということ」だけじゃなくて、「いま」とついていることがミソなんじゃないかな。
ウォーコップというイギリスの哲学者は、生きることを「生きる挙動:living behaviour」と「死を回避する挙動:death-avoiding behaviour」の二つに分けています。僕には、現代人の行動のほとんどは死を回避する挙動ばかりに見える。「生きる挙動」というのは内部からわいてくるエネルギーみたいなもので、こっちのほうが大事だと思う。この絵本は、死を回避するほうではなくて、生きる挙動について書いている。
谷川さんと永江さん
永江 ここ最近、世界中で分断と対立が激しくなっていると感じます。インターネットが登場し、SNSのように誰もが発信できるツールが手に入ったのに、むしろ人々は孤立するようになりました。まるでバベルの塔の神話[1]のよう。この時代に、「生きる」という詩によって人々がつながっていくのは感動的です。
谷川 それは言葉の力ですね。僕は作者の力だとはあまり思わない。もちろん僕が書いたんだけど、自分の中から言葉が出てきたというよりも、過去の膨大な日本語の集積の中からこういう言葉を自分が選ぶことができた、という感触なんですよね。
谷川さんの本棚
谷川さん宅の本棚。“膨大な日本語の集積”の一部
永江 以前、谷川さんは「僕は詩を書きはじめた十代のころから、言葉を信用していない、詩も信用していない人間なんです」とおっしゃっていました。そして、信用していないということで、詩を書き続けることができた、とも。
谷川 書いているときは信じざるを得なくて、でも詩の中ではさんざん言葉を疑い、詩を疑っています。そのダイナミクスがいいんじゃないか。詩に限らず、100%信じるということはなくて、どんなことでも、たとえ90%は信じても、10%は疑う。
永江 そして、書き続ける。
谷川 だって、ほかに生活の手立てがない(笑)。詩はどんどん売れなくなってきている。ロックとかの歌詞も詩の一種なんだけど、音楽と一緒になると強くて、ものすごい数が売れたりする。CDの売れ行きが落ちても、ダウンロードして聴いているわけだから。僕も今度出す詩集は、紙の書籍ではなく、『今日の一篇』[2]みたいに、インターネットで見てもらうような形にしようと思っています。
永江 インターネットや電子書籍にも早くから取り組んでこられましたね。
谷川 割と早くからCD-ROMとかそういうもので絵を見たり読んだりすることが好きでしたから。メディアが広がっていくことは詩にとっていいことだと思っているんですよ。
永江 ああ、ラジオ少年らしい発言です。
谷川 元ラジオ少年[3]ね。
永江 この記事の読者の中には、お子さんのいるお父さんお母さんも多いのですが、子どもが詩や絵本に触れるきっかけを作るのにはどうしたらいいでしょう。
谷川 何か好きなものを見つけるのがいちばんだと思う。書店で立ち読みしてもいいし、テレビでも本の紹介番組がけっこうある。自分の感性に引っかかってきたものを読んでみて、それがおもしろかったら同じ作者のものをまた読んでみる。あまり世間の評価に流されないほうがいい。わたしはこれが好き、というのがいいと思います。
生きる 谷川俊太郎 詩
生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること あなたと手をつなぐこと
生きているということ いま生きているということ それはミニスカート
それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ いま生きているということ 泣けるということ 笑えるということ
怒れるということ 自由ということ 生きているということ いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ
海はとどろくということ かたつむりははうということ 人は愛するということ
あなたの手のぬくみ いのちということ
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