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緑雨の朝/安岡正篤教学一日一言0501
朝起きてよく晴れてゐるのも爽快であるが、若葉青葉にしとしとと静かに雨の灑(そそ)いでゐるのも誠に快い。清静(せいせい)とでも言はうか。特に塵埃(じんあい)と喧騒(けんそう)の都の中ではこの感が深い。人の心も洗はれ浄められ澄まされるやうな気がする。
渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)、軽塵(けいじん)を浥(うるほ)す
客舎青々柳色(かくしゃせいせいりゅうしょく)新たなり
といふ王維(おうい)の詩句など、やはり好いと思ひ返してみる。その緑雨の一朝である。
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自然はどんな時も安らぎを与えてくれる。しかし、そう思える者だけしかその安らぎは実感できない。自然の中でその心根が煩悩と喧噪から解き放てない限り、わからないものである。
facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
五月
新緑の輝きは、人の心にも勇気を与えてくれるようです。「悲しめるもののために、みどりかがやく。くるしみ生きんとするもののために、ああ みどりは輝く」とうたったのは室生犀星。「五月」というタイトルです。
そして、こんな詩もありました。竹内浩三は「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれ 遠い他国で ひょんと死ぬるや・・」という「骨のうたう」で知られる詩人ですが、昭和20年、フィリピンで戦死。23歳でした。
「五月のように」は20歳の記念に書かれたようです。「ボクの20回目の誕生日の日、これをボクのために、そして、ボクのいい友だちのためにつくる」と添えられて。
「五月のように」(竹内浩三)
なんのために ともかく生きている ともかく どう生きるべきか それは どえらい問題だ
それを一生考え 考えぬいてもはじまらん 考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる
こまる前に 次のことばを知ると得だ 歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユウ
理屈を云う前に ヴィヴェ・ジョアイユウ 信ずることは めでたい
真を知りたければ信ぜよ そこに真はいつでもある
弱い人よ ボクも人一倍弱い 信を忘れ そしてかなしくなる 信を忘れると
自分が空中にうき上がって きわめてかなしい 信じよう わけなしに信じよう
わるいことをすると 自分が一番かなしくなる だから 誰でもいいことをしたがっている
でも 弱いので ああ 弱いので ついつい わるいことをしてしまう
すると たまらない まったくたまらない 自分がかわいそうになって
えんえんと泣いてみるが それもうそのような気がして あゝ 神さん ひとを信じよう
ひとを愛しよう そしていいことをうんとしよう 青空のように 五月のように
みんなが みんなで 愉快に生きよう
https://shins2m.hatenablog.com/entry/2025/05/03/204609 【「みどりの日」は庭へ!】より
HEART一条真也です。
ゴールデンウィークの最中ですが、自宅の書斎で次回作『満月交命~ムーンサルト・レター』(現代書林)の原稿を整理しています。同書は京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生との対談本ですが、数日前にステージ4のがん患者である鎌田先生が手術入院されたとのことで心配しています。ご回復を祈るばかりです。鎌田先生といえば緑色がラッキーカラーで、いつもグリーンの服装をされていますが、5月4日は「みどりの日」ですね。
新緑の庭へ!新緑の下で鯉が泳ぐ
わたしの妻の名前は「緑」というのですが、もちろん全国の緑サンのために国が休日を定めたわけではありません。祝日法の第2条によれば、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としています。ならば、「みどりの日」には庭に出て、新緑の輝きを満喫したいと思います。わたしは、毎日をバタバタと忙しく過ごしています。せめて、「みどりの日」ぐらいはと思って、今年は松屋銀座で求めたおニューの新緑カラーのポロシャツを着て庭に出ました。
新緑からエネルギーを貰いました 緑・緑・緑の洪水!庭に出ると、心の底からリラックスします。わたしは、もともと庭園ほど贅沢なものはないと思っています。いくら立派なハードであろうが、庭園には絶対かないません。庭ほど、人の心を豊かにするものはないのです。西洋における庭園は、『旧約聖書』に出てくるエデンの園を再現する試みでした。人気のイングリッシュガーデンでも幾何学的なフランス式庭園でもみんなそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=5o8qpTVFk00&t=1s
そのエデンの園をもっとも忠実に再現しようとしたのがイスラムの庭園文化でした。『コーラン』において、アラーの神はまさしく、楽園を庭園として規定しました。そしてイスラムの人々は、来世にそれを熱望するだけでなく、現世においてもそのイメージを実現しなければならないと考えたのです。そのあたりは、拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)や『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)に詳しく書きました。
https://www.youtube.com/watch?v=vpxw-hY-DUc
中国では道教の思想による神仙庭園が発達し、日本では仏教の庭園文化が花開きました。寺院の境内に極楽浄土の荘厳を試み、寺院の環境から生じる雰囲気によって信仰心を強めようとしたのです。ここに寺院庭園の1つの形式として浄土式庭園が生まれます。庭園とは、天国や極楽、つまりハートピアの雛形だったのです。
わが庭こそハートピア!しばし、草抜きをしました
以前、わたしはリゾート・プランナーをやっていたことがあります。この世に楽園をつくろうと思って、数多くのリゾート計画に携わりました。その多くはバブル崩壊などで立ち消えになりましたが、現代人の病んだ心を癒す幸福の空間としてのリゾートは必要だと今でも思います。わたしにとっての楽園とは、わが家の庭なのかもしれません。
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