https://note.com/elamajp/n/n1ceda85f2d82 【「いまここ」を意識する、「中今(なかいま)」とは。日常にあふれる色とりどりの時間を大切にしてみよう】より
こんにちは、あいすかです。4月がスタートしましたね。春は別れと出会いの季節。寂しくなったり、ワクワクしたり、そんな感情が入り乱れるので、心は知らず知らずのうちにエネルギーを消耗してしまう季節でもあります。
さらに、世界もまだまだ混沌としています。善い悪いではなく、出来事ひとつひとつの掛け合わせ、タイミングが現在に至っているのです。いま私ができることを行動に移していこうと思います。さて、先日、友人と久しぶりにカフェでお茶をしました。その時に彼女から「中今(なかいま)」という神道由来の素敵な言葉を教えてもらいました。その日に起きた出来事と、そこから私が学んだことを少しシェアさせてください。ほっこりすること、まちがいなしです!!
「中今(なかいま)」とは贅沢な余白時間
「そうそう、なかいま、って言葉、知ってる?夫が教えてくれたんだけど…」コーヒーを飲みながら、友人は突然言いました。「え?知らないな、何?」私は、すぐにスマホで調べてみました。「中今(なかいま)」とは、
・神道における歴史観の一。時間の永遠の流れのうちに中心点として存在する今。単なる時間的な現在ではなく、神代を継承している今。(デジタル大辞泉より)
・過去と未来の中間にある今。今の世。すぐれた世として、当世を賛美していう語。(精選版日本国語大辞典より)
友人の話に戻ります。
彼女はとても一所懸命に生きている女性です。子育てに家事に、地域に関わる様々な仕事に関わっている、とても忙しいワーキングマザーです。
平日は家にいる時も頭の中はフル回転。次にすることを頭の中で考えながら、時間をみながら行動しているときに、ふと横から在宅勤務中の夫が話しかけてきたそうです。
もちろん彼女は夫の話も聞いてはいたのですが、彼女の上の空のように見える態度に、彼は「中今」について話をしてくれたそうです。ひとつひとつのことに集中するように、というアドバイスだったようです。
彼女も私も、神道の教えからのその言葉に惹かれつつも、当世を賛美するところまでには至らず、カフェを後にしました。日常生活のなかで、先を考えずに行動することは皆無に等しい母親だからです。
「中今」とはざっくりいうと、雑に生きるな、ということなのだろう、とその時の私は解釈しました。
過去から未来までつながっている流れの中で、今という一瞬を無心に生きること。それが人間として美しい生き方である、と神道は説いているのだと。
私と彼女は、この言葉について無心に語りつくし、ともに過ごした約1時間のカフェタイムを、贅沢な余白時間として過ごすことができたのでした。
原点に戻りたくなった時とは「中今」を感じたい時だったのかもしれない
彼女とのカフェタイムを満喫し、次の予定まで少し時間があったので一度帰宅しました。
そして、すぐに手にしたのがこの本でした。
「ちいさなあなたへ」
アリスン・マギー (著), ピーター・レイノルズ (イラスト), なかがわ ちひろ(翻訳)
1人目を出産後に通っていた産後ヨガの先生が、あるレッスン後のリラックスタイムで読み聞かせをしてくださった絵本です。初めて聞いた日、涙が止まらなくなるほど胸を揺さぶられたこと、今でも覚えています。
ストーリーはひとりの女性が子どもを出産し、その子どもが成長して、さらに子どもができて、自分は老いていく。人生の流れ、情景が本当に美しい物語です。日本語に訳された、なかがわちひろさんの文章がまた秀逸で、その短く訳された文章が頭にも心にも残り、まるで行間に光が差してくるように感じる。本当に素晴らしい訳文なのです。そして、その日、私はこの作品のさらなる魅力に気づいてしまったのです。
言葉と挿絵、1ページ1ページ、その瞬間を切り取った時間軸のなかにあり、「中今」を感じられる構成となっていることに。
原作の英題は「someday」=いつか。
いつかは、未来にむけて使うこともあれば、過去の記憶の中にも実存している言葉です。
邦題だけみると、出産した女性にむけられた絵本として受け取られがちですが、実はそうではないのかもしれません。この世に産まれてきたすべての人にむけて、いつか、を伝える絵本だったのではないでしょうか。
私はこれまで、何かあったとき(主に子育てで疲れたときですが)この本を読んで原点に立ち返ろうとしていました。
でも、「中今」を知って、そばに置いていた大切な絵本の見方もかわってしまいました。
原点に立ち返るのもいいけど、今を味わう。
辛いことがあっても、楽しいことがあっても。
でも、そう思えるようになるには、私もまだまだです。はい、そこにも、ちゃんと気づいています。(笑)
自慢げな息子から教わった「中今」
その日は、本当に目から鱗な出来事が続きました。
夕方、4歳になったばかりの息子が幼稚園から帰宅した後、自慢げに私のほうに駆け寄ってきて、こう言いました。
「おかーか(おかあさん)!くつ、きれいに並べたよ!!見といて!」と。
元気いっぱいのわんぱく坊主くんですが、几帳面なところもあり、靴を並べてくれることはこれまでも度々ありました。だから私は驚きもせず、玄関へ行きました。
すると(上記写真)、まぁ、見事に剣山のような靴が並んでいるではありませんか。
本人は、全く動じず、傑作品を作り上げたかのように自慢げな顔をして仁王立ちしています。私は感心しました。よく思いつくなぁと。「くつを並べる=くつを揃えて置く」は当たり前のように頭の中で認識されていますから。
ただ、ここで私が伝えたいことは、自分の息子の発想が面白いということではないのです。
いま、この一瞬、無心に靴を並べた時間、2022年4月、この日は最初で最後。もう二度と同じ日は来ない、ということ。この先、この写真のように並べられた靴たちを見ることは、もうないのだろうと思ったのです。(何度も同じことをされたら、いい加減やめてくれと言うでしょう。)
そう思ったら、面白いこと、辛いことも、ほんの一瞬なんだなぁって、心から思えたのでした。
さいごに
現代の私たちは、時間軸に翻弄されながら生きていると思います。
世の中で今起こっていることも、「過去はこうだったから、今こうなっているのだ」とか「これからの未来にむけて、今こうあるべきだ」など、いろんな情報や知見にあふれています。
同時に、今という一瞬を味わうこともできず、苦しい思いをして生きている人たちがいることも私たちは知っています。
前述したとおり、精選版日本国語大辞典によると「中今」は、すぐれた世として、当世を賛美していう語、とあります。
私たちは、今がすぐれた世であると言えるでしょうか。
どこにいても、誰にとっても、日々の生活の中で、今が感じられる日常であってほしい。そのために自分ができることを考えながら、中今を頭のすみに置いておいてください。そこから行動していきましょう。
https://note.com/megumi_kato/n/na925ee6dc4e1 【中今という神道の考え方とその現代的な意義】より
神道とは、日本の古来からの信仰であり、自然や宇宙に存在する神々を敬うことを基本とするものである。神道には、多くの教えや価値観が含まれているが、その中でも特に重要なものの一つが「中今(なかいま)」という考え方である。中今とは、今を生きることによって、真善美を創造し、自然と宇宙と一体になるという考え方である。このエッセイでは、中今という考え方の内容と、現代社会におけるその重要性と実践方法について述べる。
まず、中今という考え方の内容について説明する。中今とは、神道の教えの根底にある考え方であり、今を生きることが真善美を創造し、自然と宇宙と一体となることにつながると考える。中今では、今が永遠であると捉えられる。過去や未来は、今に形づくられるものであり、今を生きることが重要であるという考え方である。今を生きるとは、過去や未来に囚われるのではなく、今この瞬間を全力で生きることである。今を生きることによって、自分自身や周囲の自然や人々との調和を図り、真善美を実現することができるのである。また、今を生きることによって、自然の摂理や宇宙の法則に従うことができ、自然と宇宙と一体となることができるのである。中今とは、このように、今を生きることによって、真善美を創造し、自然と宇宙と一体になるという考え方である。
次に、現代社会における中今の重要性について説明する。現代社会は、情報や技術の発展によって、多くの便利さや快適さを享受できる一方で、多くの問題や課題も抱えている。
例えば、環境問題や資源問題、経済問題や社会問題、健康問題や精神問題などである。これらの問題や課題に対処するためには、現代社会においても、中今という考え方が重要であると言える。なぜなら、中今という考え方は、以下のような効果や意義を持つからである。
・中今という考え方は、目の前のことに全力で取り組むことができるようにする。これは、問題や課題に対処するために必要な能力やスキルを身につけることにつながる。また、目の前のことに全力で取り組むことは、自分の仕事や趣味などに対する情熱やモチベーションを高めることにもつながる。これは、自分の人生における充実感や達成感を得ることにもつながる。
・中今という考え方は、後悔や不安を減らすことができるようにする。これは、過去や未来に囚われることなく、今を生きることによって実現できる。過去や未来に囚われると、過去の失敗や未来の不安に苦しむことになる。しかし、今を生きることで、過去の失敗から学び、未来の不安に対処することができる。これは、自分の心における平和や安心を得ることにもつながる。
・中今という考え方は、感謝の気持ちを忘れずにいることができるようにする。これは、今にあることに感謝することによって実現できる。今にあることとは、自分の命や健康、家族や友人、自然や宇宙などである。これらのことに感謝することは、自分の人生における幸せや喜びを感じることにもつながる。また、感謝の気持ちを持つことは、他人に対する思いやりや親切さを高めることにもつながる。これは、自分と他人との関係における信頼や愛情を得ることにもつながる。
・中今という考え方は、心身ともに健康でいることができるようにする。これは、今を生きることによって、心身のバランスを保つことによって実現できる。今を生きることで、心身のストレスや疲労を軽減することができる。また、今を生きることで、心身の活力や免疫力を高めることができる。これは、自分の人生における健康や長寿を得ることにもつながる。
以上のように、中今という考え方は、現代社会においても、多くの効果や意義を持つと言える。
最後に、中今を実践する方法について紹介する。中今を実践する方法は、様々なものがあるが、ここでは、以下の四つのカテゴリーに分けて、それぞれの方法を挙げる。
・自己成長のための方法 自己成長のための方法とは、自分の能力やスキルを高めるために、新しいことに挑戦し、成長を続けることである。例えば、新しい言語や楽器や音楽を学ぶ、新しい趣味やスポーツを始める、新しい仕事やプロジェクトに参加するなどである。これらの方法は、今を生きることによって、自分の可能性を広げることにつながる。また、自分の能力やスキルを高めることは、問題や課題に対処する力を強化することにもつながる。
・自然と宇宙との一体感のための方法 自然と宇宙との一体感のための方法とは、自然や宇宙と触れ合い、自然と宇宙との一体感を深めることである。例えば、自然の中で散歩やキャンプをする、星空や太陽を眺める、動物や植物と触れ合うなどである。これらの方法は、今を生きることによって、自然の美しさや神秘さに気づくことにつながる。また、自然や宇宙と触れ合うことは、自然の摂理や宇宙の法則に従うことを学ぶことにもつながる。
・他人との関係のための方法 他人との関係のための方法とは、他人を思いやり、助け合うことである。例えば、家族や友人とのコミュニケーションを大切にする、ボランティア活動や社会貢献活動に参加する、感謝の言葉や誕生日にプレゼントを贈るなどである。これらの方法は、今を生きることによって、他人とのつながりや共感を感じることにつながる。また、他人を思いやり、助け合うことは、他人からの信頼や愛情を得ることにもつながる。
・心身のバランスのための方法 心身のバランスのための方法とは、心身を整えることである。例えば、瞑想やヨガなどの心身をリラックスさせる方法を実践する、芸術や音楽に触れることで創造性を高める方法を実践する、感謝の気持ちを日々意識する方法を実践するなどである。これらの方法は、今を生きることによって、心身のストレスや疲労を軽減することにつながる。また、心身を整えることは、心身の活力や免疫力を高めることにもつながる。
これらの方法を実践することで、中今をより深く理解し、実践できるようになるだろう。
結論として、中今という考え方は、神道の教えの根底にある考え方であり、現代社会においても大切にすべき価値観であると言える。中今という考え方は、今を生きることによって、真善美を創造し、自然と宇宙と一体になるという考え方である。現代社会においても、中今という考え方は、多くの効果や意義を持つと言える。中今を実践する方法は、様々なものがあるが、自己成長、自然と宇宙との一体感、他人との関係、心身のバランスの四つのカテゴリーに分けて、それぞれの方法を紹介した。これらの方法を実践することで、中今をより深く理解し、実践できるようになるだろう。中今という考え方は、今を生きることによって、より豊かで充実した人生を送ることができるという考え方である。私たちは、中今という考え方を忘れずに、今を生きることを心がけるべきである。
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