朝日影

facebook相田 公弘さん投稿記事  朝の光  谷川俊太郎

朝の光は通り過ぎる あなたの柔らかい肌をかすめて テーブルの上のオレンジを迂回して

窓から見えるあの桟橋へ そしてもっともっと遠くの海へと 影のうちに心はいる

光の素早さにおびえながらも それが動きやめぬことに安らいで

繰り返すものはどうしていつまでも新しいのだろう 朝の光もあなたの微笑みも

いま聞こえているヘンデルも……一度きりのものはあっという間に古びてしまうのに

人々が交わすおはようとさよならのざわめきの中を 朝の光は通り過ぎる

まだ心は影のうちにいる 夜の夢にとらわれて


https://www.keiomcc.com/magazine/review83/ 【“朝”のもつ力を感じて】より

 新しい年が始まりました。

 皆さんはどんな新年のスタートをお迎えになったでしょうか。私はと言えば、元日と言えども惰眠を貪り気がつくと日が昇っている例年から、今年は一念発起し初日の出を拝むことができました。それも、我が家のマンション屋上から…。幸運にも周りをさえぎるものがなく、10階という高さから見る日の出は、地平線より姿を覗かせたかと思うと刻々と全景を見せ大地を照らし始め、その光景はどこか神秘的で力強いものでした。そしてまた、朝日の強い光に反射してオレンジ色に光る建物のガラスがキラキラと輝き、なんとも美しかったです。旅先の海辺で見る朝日も、山上から見る朝日もそれはそれで素晴らしいものですが、自宅のドアを開けた数秒でこんなに綺麗な日の出を見ることができるとは…新年早々とっておきの場所を見つけることができたような嬉しい2010年の幕開けとなりました。

 私の好きな詩集に『あさ/朝』(谷川俊太郎/文 吉村和敏/写真)があります。言葉の魔術師とも言われる谷川俊太郎さんの“朝”にちなんだ詩と、プリンス・エドワード島をはじめとしたカナダの美しい自然のなかの“朝”を映し出した吉村和敏さんの写真の数々。

右からページをめくると詩集に、左からめくると絵本になっているという斬新な作りであるとともに、写真集としての価値もあり、大人から子どもまで楽しむことができます。同じ詩を何度読んでも、同じ写真を何度見ても、本を開くたびに新たな味わい深さを感じることのできる1冊――この本に出会った時、えも言われぬ嬉しさを感じたのは言うまでもありません。日々誰もが見ている景色や感じていることに新たな息吹を注ぎ一行一行に優しさが込められた詩、朝日の光線までもが映し出され木々の葉一枚一枚にまで魂が描き出されているような写真の数々…作品が素晴らしいこともさることながら、それらをさらに引き立てているのは、“朝”を題材にしているからでしょうか。

 本書のあとがきのなかで、吉村さんはこのように記しています。

「朝にはただ美しいだけではない、不思議な力が隠されているような気がしています。

澄み切った大気の中で、地上のすべての生命が光の恵みとともに再生していく姿を見つめていると、たまらない愛おしさで心が満たされていくのです。同時に、昨晩まで感じていた心の悩みや戸惑いがフッと消え去り、今日も一日頑張って生きてみようという活力のようなものが漲ってきます。」

 私がこの本に出会ったのは昨年のことです。

 自分自身のなかでいろいろな事が複雑に絡み、普段であれば簡単に解決できるような事でさえも、勝手に大ごとのようにとらえてしまい、小さな心のひっかかりがいくつにも重なっていた時でした。傍目にはそう見えていなくとも、自分の力ではどうすることもできないように思い込み、すべての事を投げ出してしまいたくなっていた時でした。表紙の写真を見ているだけでもその美しさに癒され、幼い頃から慣れ親しんだ谷川俊太郎さんの詩ということで、迷うことなく購入した本です。

 「どんなことも時が解決してくれる」とはよく言ったもの。今となってみれば、昨年のあの頃、自分は何にあんなに悩み独り苦しんでいたのだろうと、今から思うと赤面したくなるようなちっぽけなものなのですが、渦中にあるときにはどんなこともマイナスに考え、落ち込んでしまうものです。その時、この本のページをめくると、気持ちが落ち着き、自分がどんな状態にあろうが、いつでもやってくる“朝”に、そしてその持つ力にハッとするほどに気づかせてくれたのでした。前の日にどんなに嫌なことがあり悩みや心配事があっても、一晩過ぎ、朝が来るとまた新たな気持ちになるから不思議です。晴れていて、朝日が昇ってくるところを見ることができた日などはなおさらのこと。朝日を見ながら、また今日も新しい1日が始まる、気分を入れ換えて頑張ろうと力が漲ってくるから、朝の持つ力は偉大です。

 今年も新しい朝は何度となくやってきます。あなたにもわたしにも、世界中のどこにいても、どんな状態にあっても同じように。

 当たり前のことだけれども、この当たり前のことに感謝し、昨日とはまた違う少し成長した自分に出会うことを楽しみにしながら…朝のもつ偉大な力を感じつつ、今年もたくさんの朝日を浴びていきたいと思います。

 そして、繰り返されることが当然と、その素晴らしさを見過ごしてしまっていたなか、大切なものとして改めて気づかせてくれた私の悩みやもがきにも今は感謝しています。自分のなかの葛藤も決して悪いものではなく、今までの凝り固まった古いものと新しいものが喧嘩をするがごとく、何か新しいことに気づき、新しい自分に出会うときには不可欠なものではないかと感じます。

 最後に、本書のなかで私の好きな詩の一節を。

繰り返すものはどうしていつまでも美しいのだろう

朝の光もあなたの微笑みも

いま聞こえているヘンデルも……

一度きりのものはあっという間に古びてしまうのに

 谷川俊太郎「朝の光」より

 今年も朝のもつ力を身体全体で感じ、たくさんの素敵な“朝”をお迎えください!

(保谷 範子)


facebookMinoru Kitada憲法9条ネットワークさん投稿記事

治安維持法成立100年にあたって、大逆事件以後の反動の時代を文学者はどう生きたか

 1925年4月22日国体や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された治安維持法は、1910年に起きた大逆事件に代表される国民の困窮の打開を図る運動の中心を担う人たちに対する弾圧を正当化するものでした。

 世情を震撼させた1910年の大逆事件に対し、明治の文学を代表する作家たちは言論を通して政府の対応を激しく批判しました。

 鴎外は『沈黙の塔』という小説で、「どこの国、いつの世でも、新しい道を行く人の背後には、必ず反動者の群がいて隙を窺っている。そしてある機会に起って迫害を加える」と書きました。

 徳富蘆花は旧制一高生を前にして、「諸君、幸徳君らは乱臣賊子となって絞台の露と消えた。その行動について不満があるとしても、誰か志士としてその動機を疑い得る。諸君、西郷も逆賊であった。しかし今日となって見れば、逆賊でないこと西郷のごとき者があるか。幸徳らも誤って乱臣賊子となった。しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう」と堂々と講演しました。

 石川啄木は、評論「時代閉塞の現状」において、文学論争の形をとって重税と徴兵による農民の窮状と遊民の存在を指摘し、自然主義文学者の脱私小説と社会問題の提起を訴えました。

 1924年に芥川龍之介は、桃太郎の童話を底本としてパロディー化し、日本の侵略者を桃太郎と猿・キジ・犬に見立て、侵略に苦しむ中国の民衆を鬼と見立て、日本軍(=桃太郎)の蛮行を徹底して明らかにしています。

 井上ひさしの父親で『サンデー毎日』第17回大衆文芸新人賞に小説『H丸傳奇』で入賞している井上修吉は、農地解放運動に関わり、世界大恐慌を受けて農民の娘が身売りする現状を解決するための共産党の運動に加わって治安維持法違反で逮捕され、拷問がもとで体を壊しました。

 1929年の世界大恐慌を受けて農民の生活はますます立ちゆかなくなり、山形県最上郡では9万4千人の人口で、娼妓に売られる娘が2000人を越え、役場では娘を身売りするときには相談をと言う看板が立てられる状況でした。

 こうしたなかで同じ山形で井上修吉ら83名の共産主義者が一斉検挙されています。

 井上修吉は、後に作家としてサンデー毎日の1935年の懸賞小説に応募して、井上靖や源氏鶏太をおさえて一等入選したものの、検挙の際の拷問により脊椎を損傷し、ひさしが5歳の時に亡くなっています。

 後の共産党幹部となる宮本顕治は、1929年8月、雑誌『改造』の懸賞論文に「敗北の文学」で一位を獲得、小林多喜二も同じ年に蟹工船を出版しましたが、治安維持法と特高による激しい弾圧で非公然活動に追い込まれています。

 世界大恐慌を受けて、アメリカでは自由放任主義からニューディール政策が採られる一方、ドイツでは帝国主義者のヒンデンブルグ大統領とヒトラーと財界が手を組んで国家社会主義勢力が権力を握り、日本でも同じような勢力が権力を握り第2次世界大戦に突入しました。

 いまイタリア・イギリス・フランス・アメリカ・日本・ドイツと世界中で新自由主義を進める保守・中道政権が次々と倒れ、ヒトラーのように国民を人種で分断し排外主義をあおる勢力が急速に勢力を伸ばしています。再び治安維持法を復活させることのないようにしなければと思っています。


高山れおな「さわらびや何を握りて永き日を」(『百題稽古』)・・

4月 26, 2025

高山れおな第5句集『百題稽古』(現代短歌社)、栞には,藤原龍一郎「道場の格子窓から」、瀬戸夏子「恋のほかに俳句なし」、高山れおな「我が俳句五徳解」、「霧中問答(聞き手・花野曲)」。その藤原龍一郎は、

 高山れおなは、言葉に対する超絶技巧の持ち主である。彼がその技量を十全に駆使して、俳句という詩形に真向っていることは、誰でもが気づいていることだろう。そして、作品をまとめる句集のかたちについても、一冊一冊意表を衝いてくる。(中略)

 この句集『百題稽古』の動機と趣向のからくりは、この栞に俳人本人の言葉で解説されている。

 もちろん、ここに展開されている稽古は、中位から上位の技法のものに疑いはない。高山れおなの稽古を見られることは短歌、俳句にたずさわる者としては、きわめて興味深く得難い体験だといえる。観客というレベルにまで届かず、道場の格子窓の外から覗いている見物人程度かも知れないが、ともかくも作品に私的感想を述べてみたい。と記しており、瀬戸夏子は、

(前略)春雨や既視感(デジャ・ビュ)のほかに俳句なし

 我こそが伝統の保守本流だという名乗りに胸のすく思いがする。意地の悪い、粘り強い、隙のない右派の姿はもうなかなか見つけるこができなくなった。

   御代の春ぐるりの闇が歯を鳴らし

   昭和百年源氏千年初鏡

 自分の命が滅びるときに何をうたうか、ではなくて、この詩型が滅びるときに何をうたうか、そしてこの国が滅びるときに何を最後にうたうか、たしかにそれを恋と呼ぶことは最も美しいひとつの回答である。

 と記していた。そして、高山れおなは、

(前略)「甚・擬・麗・痴・深」とし、我が俳句五徳ということにする。その心は以下の通り。

  甚  甚(こってり)を旨とし(味付けは濃いめに)

  擬  古詩に擬(なぞら)え(本歌取りとアナクロニズム)

  麗  麗しきを慕い(姿は美しく)

  痴  痴(おろ)かに遊び(中身は狂っていて)

  深  心は深く(深く生きている感じがほしい)

 実現しているかどうかはともかく、俳句において庶幾するところと齟齬はしていないはず。

向こう十年くらいは、この路線で行きたいと思う。

 とあった。扉に以下の献辞がある。

                       藤原顕輔朝臣

  家の風吹かぬものゆゑはづかしの森のことの葉ちらしはてつる

ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう(題詠なので、題も付した)。

 三月尽  亡命者(エミグレ)か春か八岐(やまた)に行くものは

   霞  露彦が幸彦を呼ぶ山彦よ

           幸彦……攝津幸彦の忌日は一〇月一三日。        

   月  自然主義的月光仮面升(のぼ)さんは

   夢  夢死干しの百巻句集飛ぶ笑ふ

           百巻句集……藤原龍一郎『魔都 魔界創世紀篇』の

           後記に、百巻からなる大河ロマン句集の予告あり。

  述懐  季語と綺語辞林に満てり七竈

  遊糸  かがよひて遊べる糸か我もまた

  落花  花筏ももとせ揺れて戦前へ

  躑躅  短歌(うた)は愚痴俳句は馬鹿や躑躅燃ゆ

旧年立春  たけなはの独り俳諧冬の春

  忍恋  我が孤火も霜夜は遊べ狐火と

              孤火……万葉集に恋を孤悲と記すこと

              二十九例に及べり。孤火は見えず。

   星  戦争の星空蠅の眼の中に

  秋田  秋も脱ぐ山田耕司のパンツかな

  昼恋  炎昼の鳴き砂踏んであてどなし

 寄関恋  関悦に餅肌わらふ雑煮かな

             関悦……セキエツ。関悦史の略称。

 寄鳥恋  川波や夢みよと恋教へ鳥

             恋教へ鳥……セキレイの異称。

寄商人恋  我が思ふ似顔は売らず羽子板市

著者「あとがき」に…

  門松や俳諧の蛇ャの道しるべ         

 とあった。

 高山れおな(たかやま・れおな) 1968年7月7日、茨城県日立市生まれ。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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