イデオロギーの死と再生

facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事【雑感2】

『転換点としてのイースター前夜…グローバリズムと精神の再編成』

イースターを目前に控えたその日、世界はふたつの象徴的な別れを迎えた。

ひとつは、バチカンにおける教皇フランシスコの死。

もうひとつは、長年グローバル化を推進してきたクラウス・シュワブの、世界経済フォーラム(WEF)からの退任である。

このふたつの出来事は偶然に見えるかもしれない。だが、歴史の深層を知る者にとっては、これが新たな時代の胎動であることは明らかだった。

教皇フランシスコ……その在位中、彼は一貫して「世界の周縁にいる人々」を重んじ、特に移民・難民の保護を訴え続けた。

その姿勢は、伝統的なカトリック教義を超えて、グローバリストの理念と響き合うものだった。

国境を越えた人の移動を推進し、文化や民族の「壁」を取り払うことは、グローバリズムの中核的な思想である。

彼の言葉は福音の名を借りながら、実際にはグローバルエリートの理想を補強する役割を果たしてきたとも言われる。

また、そのフランシスコが、ジェイ・D・バンスと面会した。

アメリカの新たな保守思想を象徴する若き政治家との面会を果たした直後に、静かにこの世を去った。

バンスは、ラストベルト(米国中西部の衰退地域)から立ち上がり、国家の境界を重んじ、「地に足のついた愛国心」を説いている。

グローバリズムに飲み込まれた労働者階級を代弁し、地に根ざす共同体の再生を訴える彼の存在は、フランシスコが象徴してきた普遍的救済とは対照的な光を放っている。

一方、クラウス・シュワブ。

「グレートリセット」を提唱し、資本と技術をもって世界の再設計を目指してきた男もまた、このタイミングで表舞台を去った。

かつて世界を牛耳ろうとした者たちが、静かに交代の時を迎えている。

イースターは「復活」の祭りである。

だが今年、その復活は単なる祝祭ではなく、かつて世界を覆っていたイデオロギーの死と再生の象徴となった。

グローバリズムの絶対的支配を夢見た世代が去り、その後に続くものは何か……?

それはまだ誰にも見えない。

だが確かなことは、

かつての「世界統合」の夢に、

いま静かに終止符が打たれつつある、ということだ。

[Reflections II]

"Easter Eve as a Turning Point: The Reorganization of Globalism and Spirit"

On the eve of Easter, the world witnessed two symbolic farewells.

One was the death of Pope Francis at the Vatican.

The other was the retirement of Klaus Schwab, long-time advocate of globalization, from the World Economic Forum (WEF).

At first glance, these two events might seem coincidental. Yet for those attuned to the deeper currents of history, it was clear: this was the stirring of a new era.

Throughout his papacy, Pope Francis consistently emphasized the importance of those on the margins of the world, tirelessly advocating for the protection of migrants and refugees.

His stance transcended traditional Catholic doctrine, resonating deeply with the ideals of globalism.

Promoting the movement of people across borders and dismantling the "walls" between cultures and nations lies at the very heart of the globalist philosophy.

Under the name of the Gospel, Francis’s words often served to reinforce the vision of the global elite.

Shortly before his death, Francis met with J.D. Vance … a young politician symbolizing the emergence of a new conservatism in America.

Vance, who rose from the Rust Belt, speaks of honoring national borders and fostering a grounded patriotism.

Representing the working class engulfed by globalization, Vance advocates for the revival of rooted local communities — a vision sharply contrasting with the universal salvation symbolized by Francis.

And then there was Klaus Schwab.

The man who championed the "Great Reset," aiming to redesign the world through capital and technology, also chose this moment to step away from the global stage.

The era of those who once sought to command the world is quietly coming to an end.

Easter is a celebration of resurrection.

But this year, the resurrection was not merely a festive ritual … it became a profound symbol of the death and rebirth of a dominant global ideology.

The generation that dreamed of absolute globalist hegemony is now fading into history.

And what comes after…?

That remains unseen.

But one thing is certain:

The dream of a unified, globalized world is now quietly drawing to a close.


https://ameblo.jp/seishomandan/entry-12897466807.html?fbclid=IwY2xjawJ8YPlleHRuA2FlbQIxMQBicmlkETFQVUtzUjhHYVN3TGdrSWNEAR70NiQ6TumM_MjE_AyAWFWwNDerxBGo5DedN9sG7PGsyXGkDHgz1hXgcE6Y3Q_aem_On2FZ39pE6O_EdmBHo5I2w  【それでも、この国をたまらなく愛しているから】より

ずっとメモに残してある、大切なメッセージです。ダライ・ラマは、常にこう言われるそうです。「チベットの民が世界に散らされている。しかし、どんなことがあってもチベット民族の誇りを失ってはならない。国を失ったけれども、2千年を経て再び建国したイスラエルに、チベットは学ばなければならない。宗教はどうでもいい、チベット民族が初めからもっているものをなくしてはならない。それは、民族の誇り、愛、慈悲、そして 思いやりの心だ。

中国がチベットを虐待しようが、殺そうが何をしようが、最後の一人になっても思いやりを失ってはいけない。そして、それは誰にも奪うことなどできないものなのだ。

外側からの圧力には強くても、内側から滅びてゆくものだ。

ライオンは、他の動物から襲われ殺されることがなくても、自分自身の内側が病んで死んでゆく。チベット民族の誇りを失わないためにも、イスラエルに学びなさい」と。

戦争に勝って、アメリカは日本の内なるものを消そうとした。でも、それは失敗に終わっている。何故なら、民族の心は外から破壊すことはできないから。

しかし、日本も内側から滅びてゆく。 それを歴史が証明している。日本のこころに灯を燈していかなければ、日本も滅びる。

  私は、日本が大好きです。 だから、日本のために役に立ちたい。 使命感や義務感や正義感なんかでなく  日本が好きなんです。父祖たちが創り上げ、先人たちが護り続け、

世界で最も長く続く王国、大日本。 この物語を続けるために、 私ができることをやる。

それが私の喜びだから。国家という概念、それに命を捧げるのが、ヒトという生命現象だと思う。 あらゆる動植物に国籍なんてない。 でも、今回、私はヒトとして日本に生まれました。だから、祖国を愛するのは私のしあわせです。私が、外から日本を見ようと多くの人をイスラエルに導いたことは、小さな渦かもしれません。だけど、小さな渦もやがて大きなうねりとなり、国を変える。そう信じているのです。

国を大切に思う気持ちは、ずっと日本人として、当たり前のことだと思っていたけれども、イスラエルで確信に変わりました。

 私は、女性に希望を持っています。

 私の旅に婦人が多いのは、すぐに喧嘩をしたがる男の世界は、もはや世界を滅ぼしてしまうから、女性に訴え、産み育てる「母性」で世界を変えてゆかなければならないと考えいるからです。  

日本よ永遠なれ! いま、心からそう祈ります。

 今日は「男たちの大和」何度目だろうか、観ます。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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