https://ameblo.jp/kincadenau/entry-12784451992.html 【閑話休題 日本人のルーツ編】より
昨日、今日と終日国民的イベントを実施しており、模活ができませんので、昨日は皆さまの苗字のルーツは❓として、清和源氏について取り上げてみました。
日本には30万ほどの苗字があるそうで、その爆発的人口の増加は、江戸末期以降になります。清和源氏の例でご自身の苗字がなくとも、ほんの一例ですから一喜一憂する必要は全くありません。
本日はうってかわり、今のところ、日本人のルーツについて最有力と考えられていることをご紹介します。
文化人類学の最先端的な要素が強いので、ちょっと難しいけど、なるほど感が絶対ありますのでご興味のある方は是非最後までお付き合いください。
まず、言語的な特徴は断定されており、日本語を話していた我ら現生日本人の先祖は、はるかロシアモスクヴァの東にそびえるウラル・アルタイ山脈に住んでいたアルタイ族となるのが最有力です。
どちらかというと、ヨーロッパ言語に近い遺伝的には白人系の人種となると考えられています。
この写真は、現在の本家アルタイ族となります。ロシアモスクワの東をウラル山脈を囲むような地域に住んでおり、後から入って来たスラブ人と混在した地域に住んでいます。今の現生日本人が「犬」であれば、アルタイ族は「オオカミ」に該当します。
このアルタイ族がそれぞれの各地に散らばっていき、現在の、フィンランド人(髪の毛金髪に染めなければ彫りは浅く、鼻も低い)モンゴル人(原種アルタイ族に近い民族)トルコ人(フィンランド人同様彫りが浅く、鼻も低い)キルギス人(フィンランド人同様彫り浅く、鼻も低い)そして古日本人(・・・・実は現生日本人は・・・・)(いっぱいあるのでここまでにします・・)となっていきました。
しかしながら、現在のフィンランド人はドイツ人(ノルウェー・スヴェーデン)との混血、トルコ人はギリシャ人・ローマ人との混血、キルギス人はロシア人との混血で、見た目白人のようですが、このフィンランド人、トルコ人、モンゴル人、日本人に共通するのは、乳児の際に蒙古斑(お尻に青あざ)があるということになります。
横道にズレますが世界の恋人アルシンベコバ(本ブログ3度目の登場)もアルタイ系のカザフスタン人。顔の大きさ直径18cm。脅威の12頭身。
ところが、この日本語を話す人類が日本列島に北から入る前、日本列島には縄文系文化が栄え、別系統の民族が居住していたことになります。それが、日本全国に居住していた、日本列島先住民族である縄文系アイヌ民族でした。縄文式土器は、アイヌ文化の象徴です。
しかし、彼らは歴史的な事件により、南北に分断されます。今から約7,300年に発生した超巨大、破局破滅噴火の発生です。その場所は鹿児島県南方沖の喜界カルデラ。
そのカルデラは直系23kmにのぼり、火砕流は九州南部全域を焼き払い恐ろしい量の火山灰は関東までの範囲を火山灰に埋もれさせ、荒野にしました。
日本列島全域に居住していたアイヌ民族は、琉球地域、東北以北の南北に分断され、九州から関東にかけては、1,000年もの間人類が居住することはありませんでした。
その隙間を縫って日本列島に侵入したのが、古日本語を話すアルタイ系民族でした。彼らはどちらかというとヨーロッパ白人系の民族です。
誰も住むことの無かった空白の地帯に、北から古日本語を話すアルタイ族が侵入して日本列島に分散していったようです。
しかし、古代中国の『周』王朝の王族氏姓『姫』氏の親族であることを示す『公孫』氏が朝鮮半島から日本に侵入し、九州北部に達していたことが判る通り、大陸から大量の南方系中国人や朝鮮人が入ってくるようになります。
彼らは4大文明の恩恵に預かり、高度な政治システム、高度な生産システムを用いていた為、徐々に古日本語を話すアルタイ族を駆逐していくようになり、現地語である日本語を受け入れて話す大陸系の我々の遺伝的先祖が徐々に増えていくこととなります。
これはあずなぶるの個人的推測の域を出ませんが、古事記のストーリーは正確であり、八咫烏が神武天皇を導いて九州から東征して邪馬臺國として成立していく過程はある程度真実であると考えています。
人口密度の薄い西日本はあっという間に大陸系の民族に征服されたと考えています。
ですから、北海道地区のアイヌ民族と大陸系民族の間には、挟まれてしまったアルタイ族系の夷族が存在していました。
この夷族を征服するために任命された大将軍の称号が、征夷大将軍です。
初代は、坂上田村麻呂。田村氏の始祖で、現在の福島県の安積(あさか)に最前線基地を築き、開成山の郡衙(ぐんが:駐屯基地)から討って出て、夷族と全面的な戦闘状態に入っていきます。
どうでも良い話ですが、郡衙(ぐんが)のあった開成山は、郡衙山と呼ばれ、難しい字を読めない庶民が最初と最後の字をとって、郡山(こおりやま)と呼ぶようにになりました。現在の福島県郡山市の地名の由来です。
【征夷大将軍 坂上田村麻呂(さかのうえの たむら まろ)】
そして夷族側として、大陸系民族大和朝廷に敵対したのが、アルタイ系民族(古日本語の話族)大王阿弖流為(アテルイ、アテリィ)なのです。
最近ではNHKで、大沢たかおが阿弖流為役となって再現ドラマが放映されました。
大王阿弖流為は、六韜三略に通じ、孫子呉子を熟知し、数の少ない日本軍をよくまとめ、大陸系大和朝廷軍に対して寡兵を以て戦いました。因みに先日凶弾に倒れた安倍晋三総理は、この阿弖流為の血を引いているアルタイ系純血日本人の安倍一族から出ています(ちょっと現生日本人離れした顔立ちでしたね)。
特に大陸系大和朝廷軍が一気に東北地区のアルタイ族を駆逐する為に勝負に出たことで、大規模な合戦が生じます。
巣伏の戦い(岩手県衣川)です。
●大陸系大和朝廷軍 総大将 紀 古佐美(き こさみ)
3万の完全武装歩兵と2,000の騎兵
●アルタイ系古日本軍 総大将 阿弖流為(アテルイ、アテリィ、アティリィ)
約2,000名の軽装歩兵
阿弖流為は日本史史上でも、5指に入る名将だとあずなぶるは判断しています。
どう考えても壊滅必至の戦力比。
当時の日本は、西日本よりも東北地区に人口が集中していましたが、大陸から一気に侵入して入ってくる大陸系の人々に丁度この時期人口比で逆転されています。
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また横道にズレますが、どんな人たちが日本へやってきたのか?
中国からは始皇帝の『秦』が滅亡して、亡命してきた王族である 秦氏(はた)一族。
>後日、東儀氏を名乗る。彼らは始皇帝嬴政(えいせい)の直系を名乗っていますがその真偽を知る由もありません。
同様に滅亡した『周』の王室一族 姫氏(キ)一族、公孫氏(コウソン)一族。
同様に滅亡した『百済』の王室臣下など相当数。王族は大内氏(おおうち)を名乗り、室町期には左京大夫という重職に就いた。
同様に滅亡した『北魏』の王室一族 拓跋氏(タクバツ)一族。
同様に滅亡した『高句麗』の王族一族 金氏(キム)一族。
>武蔵國高麗川に土着して、金子氏、金山氏、金田氏を名乗る。
挙げたらキリ有りませんが、大量に大陸から先進文化を携えて日本列島に侵入してきたわけで、いずれも一等地に住まいを与えられた。
ちなみにあずなぶるの苗字は全国で1,000名もいない超マイナー一族であって、この時に朝鮮半島から来た朝鮮系渡来人であることが某大阪府●●市の考古学博物館で解説されている。
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ご興味ある方は巣伏の戦いは調べてみてください。
阿弖流為の古日本軍は、寡兵を以て、大陸系大和朝廷軍の紀古佐美を破ります。
阿弖流為は軍略に長けていたので、大陸系大和朝廷軍は征夷大将軍田村麻呂を派遣し対峙させます。
田村麻呂は戦闘を行わず、懐柔して阿弖流為にこれ以上の流血は無意味と説得を行い、ついに非戦で帰順させました。そして、天皇に謁見する為に京都へ連れていきます。
しかし、桓武天皇(かんむてんのう)は、阿弖流為を裏切り、田村麻呂が涙ながら助命懇願するも、野蛮な夷族の大王として許さず、副将のモレと共に首を刎ねます。
悲観にくれた田村麻呂が阿弖流為を慰霊する為に清水寺を建てたというのは有名な話。
こうして本州全域が大陸系大和朝廷の支配下にはいってしまい、古日本人は東北の一部で、秋田美人などと言われて僅かにその遺伝を残すのみとなりました。もともと日本語を話した白人系の遺伝子の保存が秋田県で顕著だった、ということでしょう。
【秋田美人】
また、東北地区にのこる白人系古日本人の遺伝子の子孫達は、阿弖流為を偲び、日本三大夜祭に、ねぶたとしてその功績を残しました。
【阿弖流為は右?教えて青森の人】
一説ではこの阿弖流爲もアイヌ系であった、との意見もあります。
以上のとおり日本列島に色々な人種が入って来たことを概略で説明してみました。
ベースは古日本語の話族であるアルタイ族の上に、大陸系やアイヌ系の遺伝が混ざり、かなり交配が進んだのが今の現生日本人です。
縄文時代日本は北は北海道南は沖縄に至るまで全域でアイヌ語(琉球語)が話され、北方から稲作文化を持ち込んだアルタイ系日本人が入ってからは日本語が話され、その後遺伝的に大陸系邪馬台(大和)人に替わられても言語的に日本語が残った、というのが最有力です。
一方で、喜界カルデラの終末破局破滅噴火によって一部生き延びたアイヌ民族が山陰地方に残りました。大山(だいせん)などに守られたのでしょう。彼らは古代出雲国を建国することになります。
鳥取県や島根県、兵庫県、岐阜県(飛騨)、愛知県、などにもアイヌ語が語源の地名が残り、古代出雲国の「出雲(いずも)」は、アイヌ語が語源とされる最も有名なフレーズです。
出雲大社はその国府址だと言われます。
アイヌ語のエツ(岬)とモイ(灣)でエツ-モィが出雲(エツ-モィ)と当て字を付けられたようです。これは島根県の公式webサイトでも解説されていますね。
この出雲国の国王は、長野県諏訪湖周辺に移住させられ、国王一族は諏訪氏(すわ)を名乗り今に続いています。全国の諏訪さんはアイヌ出雲の国王の血を引いていることになるようです。
同様に出雲から移住したアイヌ語を話すアイヌ民族は、長野県諏訪湖周辺に、鎌倉時代までその生活文化を維持していた様ですが、徐々に混血も進み、大陸系人種に埋もれてしまいました。諏訪氏一族が自らの出自をアイヌ民族であると自覚した、
諏訪 良光(すわ よしみつ)氏
は長野県諏訪アイヌ文化の伝承に尽力して、2018年に亡くなりました。
諏訪アイヌ語としては、オタリ村(小谷村)が地名として残っているのが有名です。
東北地区のウラル・アルタイ系古日本人の子孫たちの皆様の阿弖流為に係るコメント、島根県鳥取県など山陰地区の縄文系アイヌ民族の子孫たちの皆様のコメント、長野県諏訪市近辺のアイヌ民族の子孫たちの皆様のコメントも大歓迎!
追伸:
完全に余談になりますが、鹿児島以南の島しょ部において、奄美大島だけに、アルタイ系古日本人の遺伝子が濃く残っているそうですが、周辺の島々は、琉球石垣島に至るまで、全て縄文系アイヌ民族の遺伝子が濃いそうで、全くアルタイ系の遺伝子は入っていなかった様です。
これは文化人類学者の長年の謎であり、今でも何故なのか解決していません。では。
http://www.jojikanehira.com/archives/number1.html 【日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へ】より
こんにちは。金平譲司と申します。ここに「日本語の意外な歴史」と題するブログを立ち上げました。このブログは、日本語ならびに日本語と深い関係を持つ言語の歴史を解明するものです。言語学者だけでなく、他の分野の専門家や一般の方々も読者として想定しています。
謎に包まれてきた日本語の起源
日本語はどこから来たのかという問題は、ずいぶん前から様々な学者によって論じられてきましたが、決定的な根拠が見つからず、大いなる謎になってしまった感があります。しかしながら、筆者の研究によってようやくその全貌が明らかになってきたので、皆さんにお話ししようと思い立ちました。
日本語は、朝鮮語、ツングース諸語(エヴェンキ語、満州語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、中央アジアの言語など)と近い関係にあるのではないか、あるいはオーストロネシア語族(台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オセアニアなどの言語から成る言語群)と近い関係にあるのではないかというのが従来の大方の予想でしたが、これらの予想はポイントを外しています。
中国語を見て全く違うと感じた日本人が、日本語は北方の言語と関係があるのではないか、南方の言語と関係があるのではないかと考えたのは、至極当然のことで、北方の言語と南方の言語に視線を注ぐこと自体は間違っていません。問題なのは、北方のごく一部の言語と南方のごく一部の言語に関心が偏ってしまったことです。
上記の言語のうちで、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、日本語によく似た文法構造を持つことから、日本語に近縁な言語ではないかと盛んに注目されてきました。同時に、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語は、互いに特に近い関係にあるとみなされ、いわゆる「アルタイ語族」という名でひとまとめにされることがしばしばありました。日本語の起源をめぐる議論は、このような潮流に飲まれていきました。
しかしながら、筆者がこれから明らかにしていく歴史の真相は、かなり違います。日本語は、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語と無関係ではないが、別の言語群ともっと近い関係を持っているようなのです。
実を言うと、筆者は日本語やその他の言語の歴史に興味を持つ人間ではありませんでした。筆者は若い頃にフィンランドのヘルシンキ大学で一般言語学や様々な欧州言語を学んでいましたが、その頃の筆者の興味は言語と思考の関係や外国語の学習理論などで、もっぱら現代の言語に関心が向いていました。歴史言語学の講義もありましたが、特に気に留めていませんでした。
筆者が言語の歴史について真剣に考えるようになったきっかけは、ロシアの北極地方で少数民族によって話されているサモエード諸語との出会いでした。サモエード諸語は、フィンランド語やハンガリー語と類縁関係にある言語です。フィンランド語とハンガリー語はヨーロッパの中では異色の存在で、北極地方の少数民族の言語と類縁関係を持っています。フィンランド語、ハンガリー語、サモエード諸語などから成る言語群は、「ウラル語族」と呼ばれます。
言語学者が使う「語族」という用語について若干説明しておきます。私たちが万葉集や源氏物語の言葉を見ると、「読みにくいな」と感じたり、「なにを言っているのかわからないな」と感じたりします。言語は時代とともに少しずつ変化しています。言語は単に変化するだけでなく、分化もします。ある程度広い範囲で話されている言語には、地域差が生じてきます。
この地域ごとに少しずつ異なる言葉が方言です。しかし、これらの方言が地理的に隔たってさらに長い年数が経過すると、最初は小さかった方言同士の差が大きくなっていき、やがて意思疎通ができないほどになります。
あまりに違いが大きくなれば、もう方言ではなく、別々の言語と言ったほうがふさわしくなります。一律の学校教育やマスメディアが発達していない時代には、この傾向は顕著です。ある言語が別々の言語に分化するのです。分化してできた言語がさらに分化することもあります。言語学では、おおもとの言語と分化してできた諸言語をまとめて「語族」といいます。世界で最もよく知られている語族は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる語族で、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などはこの語族に属します。例えるなら、イヌ、オオカミ、キツネ、タヌキが共通祖先を持っているように、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語は共通祖先を持っているということです。
日本語とウラル語族
英語などが属するインド・ヨーロッパ語族は巨大な言語群ですが、フィンランド語やハンガリー語が属するウラル語族はこじんまりとした言語群です。ウラル語族の言語は、ロシアの北極地方から北欧・東欧にかけて分布しています。地理的に遠く離れているので、ウラル語族の言語は一見したところ東アジアの言語、特に日本語とはなんの関係もないように見えますが、実はここに大きな盲点があります。日本語の歴史を考えるうえで大変重要になるので、ウラル語族の話を続けます。以下にウラル語族の内部構造を簡単に示します。
ウラル語族の言語を研究する学者の間に意見の相違がないわけではありませんが、上の図は従来広く受け入れられてきた見方です。ウラル語族の言語は、まずフィン・ウゴル系とサモエード系に分かれ、フィン・ウゴル系はそこからさらにフィン系とウゴル系に分かれます。フィンランド語はフィン系に属し、ハンガリー語はウゴル系に属します。サモエード系の言語は、ロシアの北極地方に住む少数民族によって話されています。現在残っているサモエード系の言語はネネツ語、エネツ語、ガナサン語、セリクプ語の四つのみで、特に後の三つは消滅の危機にあります。
サモエード系の言語は、フィンランド語やハンガリー語と同じウラル語族の言語ですが、フィンランド語やハンガリー語とは文法面でも語彙面でも著しく異なっています。同じ言語から分かれた言語同士でも、別々の道を歩み始め、何千年も経過すれば、似ても似つかない言語になってしまいます。特に、サモエード系の言語が辿った運命とフィンランド語・ハンガリー語が辿った運命は対照的です。サモエード系の言語は、北極地方にとどまり、他の言語との接触が比較的少なかったために、昔の姿をよく残しています。それに対して、フィンランド語とハンガリー語は、有力な言語がひしめくヨーロッパに入り込み、大きく姿を変えました。サモエード系の言語は、いわば「生きた化石」です。人類の歴史を解明するうえで、大変重要な言語です。サモエード系の言語との出会いは、筆者にとってショッキングな出来事でした。これ以降、筆者は言語の歴史について本格的に研究し始めることになります。
筆者が初めてサモエード系の言語を見た時には、「文法面ではモンゴル語やツングース諸語に似ているな」という第一印象を受けました。しかし、よく調べると、「あれっ、語彙面では日本語に似ているな」という第二印象を受けました。少なくとも言語の根幹をなす基礎語彙に関しては、モンゴル語やツングース諸語より、ウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いと思いました。なんとも不思議な感じがしました。なんで日本の近くで話されているモンゴル語やツングース諸語より、北極地方で話されているウラル語族のサモエード系の言語のほうが日本語に近いんだろうと考え始めました。様々な言語を見てきましたが、サモエード系の言語には今までにない特別なものを感じました。なにか重大な秘密が隠されている予感がしました。
フィンランド語とハンガリー語だけを見ていた時は気づかなかったのですが、サモエード系の言語を介しながらフィンランド語とハンガリー語を見てみると、やはりフィンランド語とハンガリー語にも日本語との共通語彙があります。日本語の中にある、ウラル語族と共通している語彙、そしてウラル語族と共通していない語彙を見分けていくうちに、二つの疑問が頭に浮かんできました。一つ目の疑問は、日本語の祖先とウラル語族の言語の祖先の接点は地理的にどの辺にあったのだろうという疑問です。二つ目の疑問は、日本語の中にある、ウラル語族と共通していない語彙はどこから来たのだろうという疑問です。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多いのです。
東アジアには黄河文明とは違う文明が存在した
ウラル語族の各言語の語彙を研究するうちに、ウラル語族が日本語だけでなく、モンゴル語、ツングース諸語、朝鮮語、さらには中国語にもなんらかの形で関係していることが明らかになってきたので、ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を開始しました。着実かつ合理的に歴史を解明するため、考古学および生物学の最新の研究成果を適宜参照しました。考古学も生物学も近年めざましい発展を遂げており、数々の重要な発見がありました。
かつては、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、そして東アジアの黄河文明が並べられ、世界四大文明と呼ばれていました。ところが、その後の発見によって、東アジアには黄河文明のほかに二つの大きな文明が存在したことがわかってきました(このテーマを包括的に扱った書籍はいくつかありますが、考察の広さ・深さの点でShelach-Lavi 2015が優れています)。
その二つの大きな文明とは、長江文明と遼河文明(りょうがぶんめい)です。日本列島で縄文時代が進行する間に、大陸側はこのようになっていたのです。黄河文明と長江文明に比べて、遼河文明は知名度が高くないかもしれません。しかし、遼河文明は、日本語の歴史を解明するうえで重要な鍵を握っているようなのです。
生物学が発達し、人間のDNA配列が調べられるようになりました。DNA配列は、正確には「DNAの塩基配列」といい、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列のことです。最近では、生きている人間のDNA配列だけでなく、はるか昔に生きていた人間のDNA配列も調べられるようになってきました。大変興味深いことに、遼河文明が栄えていた頃に遼河流域で暮らしていた人々のDNA配列を調べた研究があります(Cui 2013)。
人間は父親と母親の間に生まれるので、子のDNA配列が父親のDNA配列と100パーセント一致することはなく、子のDNA配列が母親のDNA配列と100パーセント一致することもありません。しかし、父親から息子に代々不変的に受け継がれていく部分(Y染色体DNA)と、母親から娘に代々不変的に受け継がれていく部分(ミトコンドリアDNA)があります。代々不変的に受け継がれていく部分と書きましたが、この部分にも時に突然変異が起きます。つまり、その部分のDNA配列のある箇所が変化するのです。変化していないY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝える一方で、変化したY染色体DNA配列を持つ男性がそれを息子に伝えるということが起き始めます。同様に、変化していないミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝える一方で、変化したミトコンドリアDNA配列を持つ女性がそれを娘に伝えるということが起き始めます。こうして、時々起きる突然変異のために、Y染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションができてきます。人類の歴史を研究する学者は、このY染色体DNAのバリエーション、ミトコンドリアDNAのバリエーションに注目するのです。
先ほど述べた遼河流域の人々のDNA研究は、Y染色体DNAのバリエーション(例えば、C系統か、D系統か、N系統か、O系統か)を調べたものです。その結果はどうだったでしょうか。古代の人々の研究なのでサンプル数は限られていますが、それでも大まかな傾向は十分に捉えられています。遼河文明が栄えていた頃の遼河流域では、当初はN系統が圧倒的に優勢だったが、次第にO系統とC系統が増え(つまり他の地域から人々が流入してきたということ)、N系統はめっきり少なくなってしまったようです。現在の日本、朝鮮半島、中国では、N系統はほんの少し見られる程度です(Shi 2013)。対照的に、ウラル語族の言語が話されているロシアの北極地方からフィンランド方面にかけてN系統が非常に高い率で観察されています(Rootsi 2007)。
見え始めた日本語の正体
筆者もウラル語族の言語が東アジアの言語と深い関係を持っていることを知った時には大いに驚きましたが、考古学・生物学の発見と照らし合わせると、完全に合致します。日本語がウラル語族の言語と深い関係を持っていることは非常に興味深いですが、もう一つ興味深いことがあります。日本語の中には、ウラル語族と共通している語彙も多いですが、共通していない語彙も多く、ウラル語族とは全く異なる有力な言語群も日本語の形成に大きく関与したようなのです。
ウラル語族の言語と東アジア・東南アジアの言語の大々的な比較研究を行い、様々な紆余曲折はありましたが、漢語流入前の日本語(いわゆる大和言葉)の語彙構成が以下のようになっていることがわかってきました。
「ウラル語族との共通語彙」も多いですが、「黄河文明の言語との共通語彙」と「長江文明の言語との共通語彙」も多く、この三者で漢語流入前の日本語の語彙の大部分を占めています。
「その他の語彙1」というのは、日本語が大陸にいた時に取り入れた語彙で、「ウラル語族との共通語彙」にも、「黄河文明の言語との共通語彙」にも、「長江文明の言語との共通語彙」にも該当しないものです。
「その他の語彙2」というのは、日本語が縄文時代に日本列島で話されていた言語から取り入れた語彙です。
漢語流入前の日本語の語彙構成の特徴的なところは、なんといっても、語彙の大きな源泉が三つあることです。三つの有力な言語勢力が交わっていたことを窺わせます(遼河文明と黄河文明と長江文明の位置を思い出してください)。
「日本語の意外な歴史」では、ウラル語族との共通語彙、黄河文明の言語との共通語彙、長江文明の言語との共通語彙、その他の語彙1、その他の語彙2、いずれも詳しく扱っていきます。
では、日本語およびその他の言語の歴史を研究するための準備に取りかかりましょう。
外国語の単語の表記について
英語と同じようなアルファベットを使用している言語では、それをそのまま記します。言語学者が諸言語の発音を記述するのに使う国際音声記号(IPA)というのがありますが、音韻論の専門家でない限り、多くが見慣れない記号です。そのため、本ブログではIPAの使用はできるだけ控えます。特に朝鮮語は、IPAを用いて記すと複雑になるため、市販されている初心者向けの韓国語の文法書で採用されている書き方にならいました。一般の読者にとって見慣れない記号を用いる場合には、補助としてのカタカナ表記を付け加えます。慣習を考慮し、ヤ行の子音は基本的に、北方の言語(ウラル語族の言語など)では「j」で表し、南方の言語(中国語、東南アジアの言語)では「y」で表します。古代中国語のアルファベット表記の仕方は、Baxter 2014に従います。
参考文献
Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.
Cui Y. et al. 2013. Y chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13: 216.
Rootsi S. et al. 2007. A counter-clockwise northern route of the Y-chromosome haplogroup N from Southeast Asia towards Europe. European Journal of Human Genetics 15: 204-211.
Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press.
Shi H. et al. 2013. Genetic evidence of an East Asian origin and paleolithic northward migration of Y-chromosome haplogroup N. PLoS One 8(6): e66102.
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