facebookOSHO Japanese t投稿記事
すべてを初めて見るかのように見てごらん。そうすれば、あなたはあるとき突然驚嘆するだろう――、なんと美しい世界を見逃してきたことか。 Osho
facebook岡本 よりたかさん投稿記事「うつむく」
何か辛いことがあると、人は下を向いてしまう。身体の病でも心の病でも、首をもたげる。
俯く(うつむく)。"うつむく"は"内に向く"と置き換えられる。自分の内側へと意識を向け過ぎてしまい、外の景色を眺めることができない。自分の内側にある思考のループにはまると、人は"鬱(うつ)"になる。鬱向く(うつむく)。自分の心を解放できず、扉を閉ざしてしまえば、そこから外の世界へと出ていくのは難しい。
そんなことは百も承知だが、抜け出るためには、自分の扉を解放しなくてはいけない。
少しずつでも、歩かなくてはいけない。歩いても、歩いても、目的地が見つからないことがあるかもしれない。探しても、探しても、手に入れたいものは見つからないかもしれない。
想っても、想っても、想いは届かないかもしれない。でも、歩かなければ、探さなければ、想わなければ、何も手にすることはできない。
下を向いていたら歩けない。下を向いていたら探せない。下を向いていたら想いは届かない。
僕がパニック障害と鬱から抜け出ようともがいていた時のこと。
ただ、部屋の中で横たわっていた僕は、5月のある日、一羽の小さな鳥が大空に舞い上がっていくのを、窓越しに見た。その鳥は、青い空へと吸い込まれていく。窓際に立った僕は、青空を見上げた。青向く。仰向く(あおむく)。それは、見上げること。
空を見上げると、自分が思っていた以上に、世界は広いことに気づく。飛び立った鳥は、遥か遠くで豆粒のように小さくなり、そして消えていく。到底手の届かないところに浮かぶ大きな雲。その向こうに見える、太陽。見上げるとは、身を上げること。自分の身体と心を高いところへと、大空へと上げていく。"俯く"から"見上げる"へ。そうすれば、鬱々とした思考は、豆粒のようになり、大空に消えていく。
その瞬間を見つけるために、扉を開け、空を見上げ、歩き、探し、想おう。強くなくてもいいから。一度きりの今の世を、静かに、そして幸せに生きよう。
facebook人の心に灯をともす投稿記事【美しい姿や言葉】
鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…
美しい姿や言葉、優しい仕草(しぐさ)は、その人を活き活きとさせるだけではなく、周囲の人々の心までも潤(うるお)す力を持っています。
背筋を伸ばし、姿勢を正している姿そのものが周囲を浄化させるのです。
残念なことに、このような人に会うことが少なくなりました。
反対に、日本はいま、普段口にするのが憚(はばか)られるような乱れた汚い言葉が氾濫するようになりました。
街頭や乗り物の中にあっては、聞きたくなくても聞かざるを得ず、心が暗く沈んでしまいます。美しい姿や言葉、凛とした姿勢が周りの人々の心を潤すのとは反対に、汚い言葉や卑しい仕草、横着で醜い態度が人々の心を暗くし、苛立たせるのはいうまでもありません。
言葉と態度・表情・仕草は一連のものであり、すべてその人の心から生じています。
『平凡を極める生き方』致知出版社 https://amzn.to/44809sX
老子は、人間として大切な四つの側面がある、という。
『それが、「惻隠(そくいん)」「羞悪(しゅうあく)」「辞譲(じじょう)」「是非」の四つ。「惻隠」というのは思い遣り。「羞悪」というのは恥を知る。「辞譲」というのは譲る。
「是非」というのは、善悪の判断ができるということ。』(大きな努力で小さな成果を/育鵬社)より
まさに、美しい姿や言葉、凛とした姿勢でいる人の必須条件だ。人間の区別は「上品か下品しかない」、という。中品という言葉がないからだ。つまり、上品な人以外はすべて下品な人、ということになる。SNSなどでは、聞くにたえないようなひどい言葉が横行している。
人は、自分の発する言葉の通りになる、と言われる。どんなときも・・・
「美しい姿や言葉、凛とした姿勢」でいる人でありたい。
facebookさとうみつろうさん投稿記事【それ、スマホ脳かもよ?】
いま、若年性認知症が激増しているそうです。あなたは最近「物忘れ」が激しくないですか?
☑キッチンまで来たけど、「何をしようとしていたか」忘れてしまう。
☑さっきまでは覚えていたのに、思い出せない。忘れ物が多くなった。
☑それらは「スマホ脳」の影響かもしれません。
それが、さらに進行すると・・・、スマホ脳の特徴で「他人とのいざこざ」が増えてしまうそうです。その理由は、脳が「正しい日本語」を認知しなくなっているから。
え?
⚡
日本を陰で動かし続ける組織、ハタ族のトップに聞いた話ですが、本来なら「正しい日本語」を使う者同士に、争いは起きないそうです。なぜなら日本語は表現力がとても豊かなので、「青い色」だけでも100の言葉があり、相手に細かく伝えられるので「誤解」が生まれない。
🔥「私はこう思った」のに、🔥「あなたは違ったのね」が争いの本質なので、相手との「誤解」を生まない日本語の「細かい表現力」によって、私たちは縄文時代に1万5千年の平和な世界を実現できたのです。
そう、先人たちの「平和の秘訣」こそ、【正しい日本語】にあったのです。
ところが、令和になりショート動画ばかりを見て、ブルーライトの画面で脳が委縮し、
「日本語を読めない人」が急増しました。実は僕も、物忘れが激しくなって来てるので、
きっとあなたと同じです。そこで・・・、一緒に、「もう一度日本語を読めるようになる」ためのトレーニングをしてみませんか?スマホではなく、「紙の本」を使うのです。
一番良いのは「脳の前頭前野」のトレーニングであり、イメージ力を使うSFや、「空想の世界」の物語りを読むと効きます。
ただ「長編」はスマホ脳では読めないので、「短編小説集」が最適です。
本日、徳間出版さんから、脳をよみがえらせるための『短編集』が発売されます。
18の短いストーリー。まさに「日本語を読めるようになる」ための再トレーニングです。
毎月1冊ずつ、3カ月連続90日をかけて、一緒に「日本語が使える脳」を取り戻しましょう。
最初は少しずつ、少しずつになりますが、「日本語脳」を使える「あなた」にまた戻り、
年末には、とても充実した生活が送れてる自分もイメージしてみて下さい。クリスマスの頃、幸せに生きている「わたし」をイメージするのです。この情報が多くの日本人にシェアされて、「いざこざ」が減る、平和な日本に戻りますように。
最近、ガイジンが増えているから争いが増えてるのではなく、「正しい日本語を使える」日本人が減っているから、いざこざが増えているのです。
コメント欄に、「短編」脳トレの1冊目「神さまのおつげ」のリンクがあります。めちゃくちゃ凄い本です。ぜひ、あなたの手に取って「紙の本で」読んでみて下さいね。
あなたの「日本語の脳」を、必ず回復させます。
https://note.com/massi311283/n/nac651def4d7d 【日本語は脳を育てる言語】より
こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112)
世界には数えきれない言語がある中で、最も習得が難しいと言われているのが日本語だ。僕が日本語を勉強し始めたのは、2002年の9月。いつの間にかもう20年が経った。人生の半分以上を日本語と付き合っているということだ。大学で日本語を専攻してから現在まで、いい脳トレになっている。
日本語はイタリア語と違って、学校教育での「言語の基本的なレベル」習得に非常に時間をかけなければいけない。今までに聞いた話では、中学生の言語レベルでは新聞を読んで理解するのが難しい、ということらしい。日本語とはそれほど難しく、基礎からすでに苦労が始まるのだ。
一方のイタリア語はというと、新聞を読んで理解できるための言語力はほぼ小学校の低学年レベルで身についている。
どんなに複雑で難しい言語であっても、その言語を母語として生まれた時から触れている日本人は、日々当たり前に使って自然と習得できている。ここが外国語として日本語を学んだ僕と違って、言語習得の難しさを感じないポイントだ。
生まれた環境は全て同じ言語で形成されているから、違和感も疑問もなく唯一のコミュニケーションの道具として、特別意識をすることもない。日本人と話す時にいつも感じる「ネイティブ」の部分だ。
イタリア語を理解するためには発音や文字だけではなく、イントネーションや言葉の並びが日本語と違うことを認識しなくては行けないし、した方がいい。脳の感覚や使い方の違いもすぐに感じられていい勉強になる。日本語ネイティブにとって、日本語にある思考や感覚は、最も効率よく繊細に高レベルになる。
他の言語では想像もできないハードな壁は「文字」だ。漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットと4種類のもの文字を使い分けて、同じ言葉があっても表記する文字によってニュアンスが変わる。だから、脳の中にある思考を言葉にして口に出すまでが非常に難しくて、エネルギーをかなり消費するのだ。
日本語ネイティブにとって「文字の種類を使い分ける」という感覚は、あえて学習をしなくても自然に身についてくる。日本人は無意識のうちにすでに脳を鍛えているのだ。僕はというと、意識してイタリア語から考えて日本語を勉強していたから、大変さが100倍になる。
多くの日本人は気が付いていないかもしれないけど、「日本語の音」を意識したことがあるだろうか。実は日本語の音は1種類しか持ってなくて、その音数は極めて少ない言語になっている。漢字もひらがなもカタカナもローマ字も、同じ言葉はすべて同じ音。音で文字の違いを表現することはできない言語だとわかった時に、一瞬勉強のモチベーションが下がったけど、ある意味、いいパワーももらった。これは日本語があいまいだと言われる原因の一つでもある。
話すこと聞くことよりも、読むこと書くことでより多くのものを学習できる。音では一つの言葉を発していても、頭の中ではその言葉を表記する文字の感覚までもが浮かんでくる。聞いた言葉が分からないときに、漢字でどのように書くのか聞き返すことで理解できる。その漢字に込められたストーリーを知れば意味まで繋がる。
ここがいい脳トレになるポイントだ。文字によって、言葉を確認して特定していることになる。音数が少ない分だけ同じ音を持つ言葉がたくさんあるから、大人になってから勉強しようとすると今まで使わなかった脳は、子供の頃みたいに真っ白なページから始まる。この時の最大の敵は、母語によって育てられた自分の脳だ。
この20年間、日本を学び続けた結果、このような記事を書けるようになった。それよりも、今回書いた内容に気がついた、という方が正しいかもしれない。これからの勉強も簡単ではないと思うけど、日本語を大切にして日本人のように世界を感じたい。
https://book.asahi.com/jinbun/article/14937095 【英語脳と日本語脳の「ものの見方」はこんなに違う! 時吉秀弥『英語脳スイッチ!』】より
「そうだったのか」が連続の、英語学習スタートの必携書
英語脳と日本語脳の「ものの見方」はこんなに違う! 『英文法の鬼100則』ほか著書累計10万部超の「英語職人」時吉秀弥さんによる話題の新著『英語脳スイッチ!――見方が変わる・わかる英文法26講』(ちくま新書)。英文法に現れる「世界や人間関係の捉え方」をスイッチすれば、英語の見方が変わる・考え方がわかることを解説した一冊です。本書の著者・時吉秀弥さんの刊行エッセイを公開いたします。英語の「ものの見方」を学習することで、日本語独特の「ものの見方」も意識的に理解することができる。それが、コミュニケーションそのものの工夫へとつながっていきます。
英文法学習で「複眼的視野」を手に入れよう
本書は英語話者のものの見方を解説する本ではありますが、もうひとつ大事なことを伝えようともしています。それは、外国語学習を通して私たちは、母語である「日本語の視点」を意識化できるのだ、ということです。
私たちは多かれ少なかれ、日本語型の「ものの見方」に支配されて生きています。そして生まれてこの方、それ以外のものの見方を経験していないので、この視点を客観視することに慣れていません。客観視する最良の方法は「他言語によるものの見方」と比較することです。比較して初めて、「なるほど、私たちはこんなふうにして世界を見ていたのか。だからついこんな言い方をしてしまうのか」と意識することができます。
私たちのものの見方が異文化圏の人たちからどう見えるのかを知っておけば、それを前提に自分たちの考えの見せ方、言い換えれば自分たちの意思や意図の伝え方を効率的に工夫することができます。本書では英語のものの見方を扱っているので、「英語の世界のものの見方」を意識してコミュニケーションを工夫することができます。英語そのものを習得することももちろん大事なのですが、言語を習得することによって同時に会得する「ものの見方の違いの理解」がこれまた重要なのです。
aやtheの冠詞を疎かにすることは「英語のものの見方」を疎かにすること
「英語のものの見方」で例を挙げてみましょう。拙著の中でも触れていますが、日本語にないaやtheといった冠詞、複数形などの概念を我々英語学習者はつい疎かにしてしまいます。多くの人はこのことを「英文法は難しい」という「ルールの難しさ」として捉えてしまいますが、実際には、冠詞の使い方を疎かにしているということは、「英語のものの見方」を疎かにしているということなのです。冠詞を疎かにすることで、目の前にあるものが「形の仲間なのか、材質や性質の仲間なのか」という、ものを見る時に英語話者が強く注意を向ける部分を疎かにしているわけで、その結果「犬が好き」というつもりで
I like dog.(正しくは I like dogs. )と言ってしまい、「この人は犬を食べるのか?」と誤解されたりします。
逆に、英語の習得が十分に進んだ学習者の中には、日本語を話す時に「ああ、ここで a や the や複数形が日本語でも使えればもっと楽に正確な情報を伝えられるのに」と感じたことがある方もいらっしゃるでしょう。こうした経験は、日本語視点と英語視点という複眼的視野を体得したことによって起きるものです。
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