https://note.com/shaludone1/n/n40e7a4d497d5 【長瀞アルプスの麓の金子兜太先生の菩提寺 秩父郡長瀞町 臨済宗南禅寺派普光山総持寺 私の百寺巡礼271】より
秩父鉄道野上駅から一番近い寺院が、ここ臨済宗総持寺になる。
普光山総持寺は、四条天皇の御代、天福元年(1233年)に、法燈国師により開創され、ご本尊は、大聖文殊菩薩、国師の自影自作であると伝えられています。俳人の金子兜太さん菩提寺。
秩父七福神 – 秩父観光協会
又、秩父七福神巡りの1つでもある。ここ総持寺は福禄寿のお寺だ。
普光山総持寺は、天福元年(1233年)四条天皇の御代に、法燈国師に依り開創され、ご本尊は大聖文殊菩薩、国師の自影自作であると伝えられています。
当山に安置いたします福禄寿は、人々の幸福と、それぞれの人に授かる財物、即ち俸禄と、人々の寿命を司る神とされています。
伝えられるところに依れば、福禄寿は南 極星の化身で、宋時代嘉祐年間に世に現われた道士で、寿命千年に及び長寿を司る星宿の精霊として人々に信仰されています。
それ故その尊像の手に持つ軸には人の寿命が記されていると言われています。
秩父七福神巡りは、川越や寄居などと違い、かなりな広範囲である為、ドライブマイカーでないと1日ではムリである。
本堂の上に観えるは長瀞アルプスだ。
臨済宗のお寺に来るたびに、手入れが行きとどいていると感動する。
山門からの石は、長瀞のライン下りで有名な荒川の岩に似ている。
山門から本堂への石畳一つ一つが味わい深い。
と、ここで又私の凡ミスが・・・
ただ単に、野上駅周辺を歩こうと思っていただけであったので事前検索不足であった。
なんと!!!ここ、総持寺は秩父が生んだ俳人、プレバト才能ランキングの夏井先生も尊敬しているという金子兜太先生のお墓があるというのだ。
とろみんさんぽ「金子兜太氏の句碑を巡る」 | とろみんネット
www.nagatoro.gr.jp
長瀞観光協会のページにあったものだ。
裏手の墓地の方に行かないとわからなかったのか・・・
残念無念。ナムサン!
ということで、秋に七草寺巡りに行く時に又訪れたいと思うのであった。
https://ameblo.jp/genba1215/entry-12517889780.html 【金子兜太の菩提寺と句碑 長瀞にて】より
先週秩父の長瀞を訪れた。
観光のメインスポットでもある岩畳周辺を散策し、帰る時ふとこの近くに金子兜太の句碑があることを思い出した。金子兜太は今年2月に亡くなった。
金子兜太は私の父が金子兜太が主宰する「海程」の同人であったことから、子供のころよりその名前はよく知っていた。
私は俳句に関しては全くの素人であるが、金子兜太の最近の自身の考えを述べた著書などを読み共感するところがあった。また自身の戦争体験から平和への思いが晩年は強かったことへも学ぶところがあった。
金子兜太は皆野町の出身であるが、秩父との縁が深い。ここ長瀞にも金子兜太の句碑がある。
長瀞の河原に降りるすぐ近くに長生館という歴史ある旅館がある。そこにあった。
玄関を入ってすぐのところに句が額縁に飾られていた。
句碑はどこにあるのか宿の方に訊ねたら、庭にあるということだった。
ロビーを通り抜け庭に行かせてもらった。金子兜太の句碑があった。
長瀞の渓流と紅葉を背に建っていた。この庭から眺める長瀞の景色は絶景であった。
玄関のところにあった句が刻まれていた。「猪が来て 空気を食べる 春の峠 兜太」とある。この長生館には金子兜太もよくみえたという。金子兜太亡き後、最後の「海程」の全国大会もここで行われた。帰りにお礼を言ったら、金子兜太の菩提寺にも句碑があるといわれ、その場所を教えてもらった。車で少し行ったところに総持寺という臨済宗のお寺がある。
秩父七福神の福禄寿の寺である。
ここが金子兜太の菩提寺である。
境内には大きな松がある。樹齢300年の多行松という。町の文化財にも指定されている。しかし松くい虫に侵されて、近々伐採されるらしい。
お寺の方に句碑の場所とお墓の場所を教えてもらった。
句碑が最初にある。「ぎらぎらの朝日子照らす自然かな 兜太」
句碑のすぐ近くに金子家の墓があった。金子兜太の名も刻まれていた。
帰りにお寺の前で先ほど案内していただいた方にあった。
話しかけられ、立ち話をしていたが長くなりそうなので建物に案内された。
実はこの方、最初は作業着を着て仕事をしておられたが住職の方であった。
一時間ばかり話が弾んだ。
金子兜太のことはもとよりいろんな世間話にもなった。
ここにも金子兜太の句の色紙が掲げてあった。
句碑と金子夫妻。
帰りに味噌と銀杏と柚子をいただいた。
長瀞にはまだ句碑はあるようだ。
改めて金子兜太が秩父と縁が深かったかを実感した。
私の自宅には父が持っていた金子兜太の俳句の色紙がある。
「霧の村石を投らば父母散らん」
これは霧が多い金子兜太の故郷秩父を詠んだものである。
この日朝、秩父の雲海を見た。そして、この句が浮んだ。
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