Facebook能村 聡さん投稿記事
【「空」と般若心経 ー量子論とスピリチュアルサイエンスの観点からー】
「空」はご存知の通り般若心経の”色即是空・空即是色”において示されている概念です。
この般若心経は、僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれています。
プチ仏教ブームで写経の修行をされる方も大抵は「般若心経」です。
「空」(くう、梵: サンスクリット語: शून्य, śūnya(シューニヤ)は、śū 😊 śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられている言葉です。(ウィキペディアより)
仏教では、「空」とは「我」を超えた、悟りの境地です。
「空」が繁栄?ちょっと飛躍しているかもしれませんが、ちょっと説明します。
私とあなたは、三次元世界では、分離した別々のモノとして認識されますね。その間には何があるでしょう。
それが「空」(空間)です。よく誤解されていますが、空間(真空)は何もない虚空や虚無ではありません。
でも私たちはモノとモノの間の空間が空っぽだと思っています。
「空」とはすべての根源の「宇宙意識」です。宇宙で起こったすべての出来事や体験の記憶(情報)の貯蔵庫(アカシックレコード)です。すべての豊かさの源なのです。
だから「空」は繁栄という意味なのです。人間が「空」に覚醒すれば、豊かさを得ることが出来ると思います。
では、般若心経が説く「色即是空・空即是色」とは、どういう意味でしょうか?「色」とは目に見える物質や現象のことです。これは誰でも理解できますね。
それは、「空」とは、分離した存在(色)の間にあって,「色」の間を繋ぎ合わせている目に見えない愛の宇宙エネルギーフィールドのことです。
そのことに目覚めれば「分離感」がなくなってきます。
形ある見えるもの(色)の背後には、必ずその形をつくっている本質があります。その本質は五感の目では見えないんです。それが「空」です。
すべての物質や現象(色)は「空」から現れ,「空」に返っていくのです。
「色即是空・空即是色」とは、「全ての形あるものや現象(色)はそれ自体では存在せず、互いに繋がり合う関係の上に成り立っている」ということなのです。宇宙の創造の原理は「縁起(他との関係が縁となって生起すること)」です。
もっと噛み砕いて言うと、「この世のすべてのものは(人も動物も虫も草も)お互いにつながりを持っているからこの世に在る」ということです。
最近のスピリチュアル分野でよく使われる「ワンネス」の考え方と共通しています。このことに気づけば、一体感、すべてのものとの繋がりを感じ始められるのです。それが究極の体験である悟りです。
空=シューニヤはインドの数学における「 0 (ゼロ)」の名称でもあります。
量子物理学(quantum mechanics)や量子論の領域でよく知られる用語で、「ゼロポイント・フィールド」や「ゼロポイント・エネルギー」という概念があります。
この「場の量子論」では、真空とはなにもないところではなく、常にモノが生まれては消えているダイナミックな空間だと考えられてます。
真空のエネルギーから物質と反物質(例えば陽電子と電子)が対になって生まれ、また出会って対になって消滅することを繰り返してます。
量子論の根幹であるハイゼンベルクの「不確定性原理」では、時間の不確定な幅と、エネルギーの不確定の幅の掛け合わせ(積)は、プランク定数h=6.626070040(81)×10-34 J s より小さくは決してならないのです。
極めて短い時間幅なら、巨大なエネルギーを、空間から借りて生み出すこともできるんです。
アインシュタインの相対性理論では、質量とエネルギーは等価(E = mc2)ですから、エネルギーが生まれるということは、質量を持つ微細な素粒子が生成することです。
このように真空にはほとんど無尽蔵のエネルギーが存在するといわれています。
著名な物理学者であるリチャード・ファインマン氏がそのエネルギーの量を例えて、 「一立方メートルの空間に含まれるエネルギーが、世界のすべての海の水を沸騰させるに足る」 と主張するほど、莫大な量のエネルギーが潜在的に存在すると考えられているのです。「ゼロポイントエネルギー」と呼びます。
これから開示されるフリーエネルギーは、この「ゼロポイントエネルギー」を真空から無尽蔵に取り出せる究極の無尽蔵のエコエネルギーだと考えられています。
結論を言えば、「色即是空・空即是色」は宇宙の叡智であり、高次元のサイエンスなんです。
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「般若心経」の現代語訳を紹介いたします⤵︎
色即是空、空即是色で有名な短いお経です。写経などでは般若心経を用いることが多いようです。しかし、ちゃんとした意味を理解している人は少ないでしょう。
私たちが実在すると信じ込んでいる三次元物質世界は、「空」です。今風に言い換えれば、私たちの想念がつくりだす「マトリックス」なのでしょう。
心は恐怖からも不安からも解き放たれて自由になれます。心をわずらわせるあらゆるものから遠く離れて、永遠の安らぎを得られます。これが「悟り」です。
アセンション後の完全覚醒した意識とは「空」なのだと思います。
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御仏、摩可(言辺に可)般若波羅蜜多心経を説きたもう。観自在菩薩は、深遠なる波羅蜜多を行じた時に、存在するものの五要素はみな空であると見極めたもう。
舎利子よ、この世の形あるすべて「色」は実体なきものであり、空はすなわち色である。
感知、認知、表象、知識(受想行識)もまた同じく実体はない。
舎利子よ、この世はすべて実体のない「空」であり、生まれず、滅せず、汚れず、増えず(この世は空であり、始まりもなく終わりもなく、汚れるという認識もなく、欠けることも満ちることもない)。
それゆえ、空であるこの世には色もなく、受想行識もなく、眼耳鼻舌身意もなく、色声香味触法もない。見える領域から意識の領域にいたるまであらゆるものは無い。
迷いの闇もなく、したがって迷いが尽きることもない。老いも死もなく、したがって老いと死が尽きることもない。
苦しみも苦しみの因もなく、したがって苦しみを克服する道もない。智もなく、得もなく、これ得るところをもたず。
菩提薩垂(土辺に垂)は、覚りを得てこの境地にあるがゆえに心にかかるものがない。心が解き放たれて自由であるがゆえに、恐怖がない。(心は恐怖からも不安からも解き放たれて自由なり)。心をわずらわせるあらゆるものから遠く離れて、永遠の安らぎにあるなり。
過去、現在、未来の覚りに至った諸々の仏たちも般若波羅蜜多を実践し、彼岸に至りたもうたなり。
この般若心経は大いなる神しゅ(真言)なり。無上にして無比なる真言にして、すべての苦しみを除く。実体なきものではない。真実のものである。ゆえに、般若波羅蜜多の真言を曰く。
ぎゃ諦、ぎゃ諦、波羅僧ぎゃ諦、菩提薩婆可(言辺に可)般若心経。 池口恵観著、般若心経より
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