調和バランス

Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

蛇と孔雀の議論

 あるところに、アディーという若者がいました。

彼は数学を学び、計算を得意とする者でしたが、深い知恵を求めて旅に出ることにしました。彼の師は「南の地に行き、孔雀と蛇の意味を探求するがよい」という言葉で彼を送り出しました。彼はずっとその意味を考えていましたが、旅をしていくうちに孔雀と蛇が一緒にいるところに出くわしました。声をかけると、「俺たちはいま、どちらが優れているか議論しているところだ」という返事です。それこそが求めていることだと、「どうぞ、議論を続けて私に聞かせてください」。

 「明らかに俺のほうがすぐれている」と孔雀が言ました。

「俺は人間の心の中に天への飛翔や、空の美しさに対する憧れをかきたてる。この憧れから高次の世界への探求がはじまるのさ。動作や身振りを通して、人間たちに、自我の隠された一面に気づかせるのが俺の役目だ」。

 蛇はシュ~ッと不満な声を漏らして

「俺は人間と同じように、地面に縛られて生きている。人間はそんな俺の姿を見て、自分自身のことを思い起こすのだ。しかも俺の体は柔軟で、地面の上を自由に進んでいけるが、人間は、自分のからだも柔軟だということを忘れている。伝説にあるように、地下の財宝を守るのが俺の役目だ」。

「しかし、おまえは醜い」と孔雀は叫び、続けて「しかもずる賢く、険悪で、毒さえある」。

 「ふん。つまらぬことだ。俺の外見的な特徴を述べているにすぎない」「そんなことより、さっき挙げたことのほうがもっと重要で本質的なことだ。孔雀よ、おまえだって、自分をよく見たら、虚栄心が強く、耳障りな声をあげたるじゃないか。その自慢の羽すら、ただ異常に発達したにすぎない」蛇がこう言い返しました。

 そのときアディーが、彼らの議論を遮って「まさに、あなたがたが仲違いをしていることで、私はどちらも正しくないことに気づきました。しかし、あなたがたが自分自身への執着をなくすなら、あなたたちが対になって人間へのメッセージを形作っているということがはっきりするでしょう」。孔雀も蛇も、アディーの言葉に耳を傾け、先を促しました。

「人間は、蛇のように地面の上を這って生きていますが、鳥のように高次の世界へ昇ることもできます。しかしまた、人間は蛇のように狡猾で欲深いので、利己的な欲望を持ったままで高みに昇っていこうとするのです。その結果、孔雀のように傲慢になってしまいます。孔雀には、正しく実現されなかった、人間の秘められた可能性を見ることができます」。

 言い終わったかと思ったとき、アディーの心の中に「それがすべてではない」と語りかけてくるものがあったのです。

「この二匹の生き物は、根源的な生命を与えられているが、彼らは自分たちの個的な生命形態に満足し、それを真の自己実現だと思い込んでしまっている。だから、彼らは争うのだ。一方は、財宝を守護していながら、それを用いることができない。もう一方は、美という宝を持ちながら、自分自身を変容できないでいるのだ。彼らはそうであることによって、見る眼をもち、聞く耳を持っている者にとっては、象徴的なのである」。

●いかがですか? スーフィーの物語です。アラビア語では、孔雀は「装飾」の意味を持っていて、蛇は「生き物」「生命」の意味を持っているそうです。孔雀が、見える世界を象徴し、蛇が見えない世界の象徴ということでしょう。本来はひとつのものであるのに、二分法でものごとを推しはかり、偏重することへの戒める物語です。

見る目を持ち、聞く耳を持つものであれば気づくことができるという、厳しいフレーズで締めくくられています。


Facebook斉藤 一治さん投稿記事

「大祓祝詞における言霊的解釈とその宇宙論的意義」の要約をお送りします。

1. はじめに

大祓祝詞は、日本神道において罪穢れを祓い清めるための祝詞であり、古来より宮中や神社において斎行されてきた。

しかし、本祝詞は単なる宗教的儀礼の一環にとどまらず、言霊(ことだま)を介した宇宙エネルギーの再構築を目的とする体系的な構造を有していると考えられる。

本稿では、大祓祝詞の構成とその言霊的解釈に焦点を当て、その宇宙論的意義について考察する。

2. 大祓祝詞の構造とその機能

大祓祝詞の根幹をなすのは、「罪の発生」→「祓いの宣言」→「浄化のプロセス」→「再生と調和の回復」という明確な流れである。

ここでは、それぞれの段階における象徴的意味を分析する。

2.1. 罪の発生とその概念

祝詞冒頭では、皇御孫命(すめみまのみこと)が天孫降臨し、葦原中国(あしはらのなかつくに)の秩序を整え、国家の安定を図る過程が描かれる。

しかし、人間社会の発展とともに「天つ罪」「国つ罪」が生じ、その浄化が必要となる。

この罪の概念は、単なる道徳的過失ではなく、天地の氣の乱れ、すなわちエネルギーの不均衡として捉えられるべきである。

2.2. 祓いの宣言としての言霊の機能

「天津金木(あまつかなぎ)を本打ち切り、末打ち断ちて千座の置座に置き足らはして」

ここで言及される「天津金木」とは、天と地を結ぶ霊的構造体であり、それを「打ち切る」ことでエネルギーの流れを再構築することを示唆する。

言霊学的観点から見ると、この「打ち切り」行為は単なる破壊ではなく、宇宙の再調整を意味する発声の儀である。

また、「天つ祝詞の太祝詞を宣れ」という一節に見られるように、言葉そのものが物理的な影響力を持つという認識が根底にある。

この発声は、単なる音声の振動ではなく、宇宙の波動を整えるための調律行為として機能する。

2.3. 浄化のプロセスと水火の循環

罪の浄化は、瀬織津比売(せおりつひめ)、速開都比売(はやあきつひめ)、氣吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良比売(はやさすらひめ)の四神によって段階的に遂行される。

瀬織津比売 :罪を流水に乗せ、大海へと運ぶ役割を担う。

速開都比売 :その罪を呑み込み、異界へと送り込む。

氣吹戸主 :罪を息吹により根の国・底の国へ吹き放つ。

速佐須良比売 :最終的に罪を消滅させる存在。

このプロセスは、日本神話における水火の循環と対応しており、罪(不調和なエネルギー)が自然界の流れの中で無化されることを象徴している。

また、ここには呼吸の原理が内在しており、人間の呼吸と宇宙の浄化作用が相似関係にあることを示唆している。

2.4. 祓いの完成と調和の回復

祝詞の終盤では、「高山の末、短山の末より佐久那太理に落ち、多岐の速川の瀬に坐す」とあるように、罪が完全に浄化され、自然界の調和が回復される様が描かれる。

ここで重要なのは、「水の流れによる浄化」が強調されている点である。

これは日本神道における「禊(みそぎ)」の概念と深く結びついており、清浄な状態を取り戻すことで、再び宇宙の秩序と共鳴するという思想が表現されている。

3. 言霊の力と宇宙論的意義

大祓祝詞の背後には、言霊が持つ創造的力が根底に流れている。

「ノト(祝詞)」とは、呼吸とともに発せられるエネルギーの流れであり、これが天地の気の流れと同調することで、秩序の回復が可能となる。

特に「天津金木」という象徴が示すように、この祝詞は単なる言葉ではなく、エネルギーのリセットと循環を促す音律の調整装置としての機能を果たしている。

また、現代の言語学や音響学の観点からも、特定の音が持つ周波数や振動が心身に影響を及ぼすことが示されている。

大祓祝詞が繰り返し唱えられることで、音の波動が発生し、それが自らの身体や空間に共鳴することにより、調和的なエネルギー場が形成される可能性がある。

4. 結論

大祓祝詞は、単なる宗教儀礼ではなく、言霊を通じた宇宙の調整メカニズムを内包した体系的な言語装置である。

その構造は、罪をエネルギーの乱れと捉え、それを正しい発声(言霊)によって祓い清めるという一貫した思想に基づいている。

本祝詞が示す最大の意義は、「人間が宇宙の秩序と同調することで、本来の生命力を取り戻し、調和の中で生きることができる」という普遍的な原理にある。

これは、現代においても十分に応用可能な知見であり、意識的に言葉を発すること、呼吸を整えることが、自らのエネルギーと環境を浄化しうることを示唆している。

今後の研究課題として、大祓祝詞の音韻と周波数の解析を通じて、より具体的にどのような振動が人体や空間に影響を及ぼすのかを探求することが求められるであろう。

(カタカムナ学会)

https://www.youtube.com/watch?v=IU1JoRrPUk4

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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