Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事 ✮人生の教訓✮
私は学びました……なりたい自分になるには、多くの時間が必要だということを
自らの限界を超え、遥か遠くへ進むことができるということを
どんな感情に支配されようとも、自分の行いには責任を持たなければならないということを
たった一瞬の出来事が、残りの人生をかけても癒えぬ傷を残すことがあるということを
私は学びました……自分の行動を制御できなければ、行動に支配されることになるということを 真の英雄とは、結果がどうであれ、なすべきことをやり遂げる人のことだということを
どんなに正当な怒りであっても、それが人を傷つける理由にはならないということを
許されるだけでは十分ではなく、ときには自分自身を許すことも必要だということを
私は学びました……環境や状況が私たちに影響を与えることはあれど、それでも自分の在り方を決めるのは自分自身だということを
秘められた真実を暴こうとすることが、人生を根底から覆す危険を孕んでいるということを
愛し合う二人が言い争うことがある一方で、争わないことが愛の証にはならないということを
お金があるだけでは、二人で生きていくには不十分だということを
私は学びました……心が引き裂かれるような悲しみの中にあっても、世界は変わらず回り続けるということを
どんなに燃え上がる情熱も、やがては静かに鎮まり、そのときには新たな関係が必要になるということを
思い描いた形で愛されないからといって、その人の愛が偽りだとは限らないということを
同じものを見ても、人それぞれまったく異なる視点を持ち得るということを
私は学びました……
愛する人と別れるときは、必ず優しい言葉を贈るべきだということを
なぜなら、それが最後になるかもしれないから 人生において最も大切な人は、いつもあまりに早く去ってしまうということを
かつて恐れていた人こそが、支えとなってくれることもあるということを たった数時間の出会いが、人生を一変させることがあるということを
何をせずとも、ただ一緒にいるだけで、かけがえのない時間を過ごせる友がいるということを
私は学びました……どんなに深い友情で結ばれていても、ときに傷つけ合うことがあるということを しかし、本当の友であるならば、互いに許し合えるということを
友情を育むには、変わりゆく相手を受け入れることが必要だということを
何も残っていないと思えるときでさえ、助けを求める友のために力を振り絞れることがあるということを 成熟とは、年齢を重ねることで得られるものではなく、経験を通じて培われるものだということを
私は学びました……家族という存在は、永遠ではないということを
血のつながりがなくとも、深い愛情をもって支えてくれる人がいるということを
本当の家族は、必ずしも血縁に限られないということを 真実の友情も、真実の愛も、距離を越えて育まれるものだということを 裏切りの上に築かれた愛には、いつも苦い後味が残るということを 不確かな愛よりも、誠実な友情のほうが尊いということを
燃え盛るような情熱ほど、わずかな風で消え去ってしまうことがあるということを
私は学びました……時には、最も愛した人が、振り向く価値さえなかったことに気づくこともあるということを 私を裏切った者を忘れ、新たな友を迎えることの大切さを
遠くばかりを見つめ、本当に必要なものが目の前にあることに気づかないことがあるということを「愛してる」と簡単に口にする人ほど、本心ではないことがあるということを
何も期待できないように思えるときでも、人生にはまだ希望があるということを
そして、どんなに長い夜が続いても、 必ず太陽は昇るのだということを……
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思春期、和多志は生きる意味ばかりを問い続ける「トイ人」でした。求めても、求めても答えは得られずニヒリズムの淵に溺れ続け、生きることも死ぬこともできない毎日でした。
ある人との出会いから問いを一旦棚上げし、生き方を問われるものになろうと決め、啓示宗教であるキリスト教に賭けることにし、クリスチャンとして聖書の学びを始めました。
クリスチャンワーカーとして、クリスチャンホームとして 人生を歩み続けましたが 子どもたちが自立するころ棚上げした問いをまた問うことになりました。
和多志の見出した答えは自分で選択するもの。創造するものでした。和多志の選択は「愛する者の幸せ」でした。
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