直面しなさい

Facebookまつだ ふみこさん投稿記事

ダ・ヴィンチは、経験という一瞬を生きてました。永遠の時間を生きた全人です。

現在の意識世界では、情報過多になり、シンプルな暮らしは忘れ去られました。

本来のあなたを取り戻しあなたがあなたを生きる時真実に重みが出て来ます。全ての答えは

あなた自身の中にあります。そこから地球と一つになると外宇宙が観えてきます。

何故か私の感覚の中では地球の中にセントラルサンが在る気がします。


Facebook山川 紘矢さん投稿記事「Nature Boy」 日本語版

ある少年がいた とても不思議で、魅惑的な少年 人々は言う、彼はとても遠くへ

とても遠くへ旅をしたと 陸や海を越えて さまざまな人々と出会い そして彼は学んだ

多くのことを、私たちが知らないことを しかし、彼が語った 最も大切なこと

それはただひとつの真実「愛し、愛されることがこの世で最も素晴らしいこと」

この歌詞には、人生の本質や愛の大切さが込められています。私たちは、スピリチュアルな旅をしているのです。


https://note.com/takanobunitta/n/n35b0ff65c3ec 【「最期の時間を生きるということ」】より  

私たちは、日々を生きることに慣れています。 朝が来て、夜が来て、また新しい一日が始まる―― その繰り返しの中で、「終わり」というものを意識することは多くありません。 けれど、大切な人が旅立とうとしているとき、 あるいは自分自身がその別れに向き合わざるを得ないとき、 私たちは初めて「終わる」ということの重みを知ります。 その瞬間、時間の流れがまるで違うものに感じられるかもしれません。 何気ない日常が愛おしくなり、一言一言が深い意味を持ち始める。 そんな経験を通じて、「今を生きる」とはどういうことなのかを、 改めて問い直すことになるのです。

終わりを意識することで見えてくるもの

もし、自分の人生に限りがあることを、 本当に実感するとしたら、どんな気持ちになるでしょうか?

「まだやり残したことがある」と焦りを感じるかもしれません。 懐かしい記憶が浮かんでくるかもしれません。 あるいは、ただ穏やかに、すべてを受け入れる感覚に包まれるかもしれません。

普段、私たちは時間が永遠に続くかのように生きています。 でも、ふと「終わり」に思いを馳せたとき、 その時間の尊さに気づくことがあります。 すべての瞬間が、限りあるものとして輝きを増す。 言葉にできないほどの愛しさが、そこに生まれるのです。

大切な人が旅立つとき、私たちにできること

もし、今、あなたの大切な人が旅立とうとしているなら。 あなたはどのように、その時間を共に過ごしたいでしょうか。 最期の時間は、決して悲しみだけではありません。 そこには、静かな温もりや、言葉にならない想い、 何気ない仕草の一つひとつに込められた深い意味があります。

私たちにできるのは、その一つひとつを、丁寧に受け取ることです。手を握る。そばにいる。

言葉を交わすことができなくても、ただその場にいることで、伝わるものがある。

最期の時間に、何をするのが正解なのか。 その答えは、考えて見つけるものではなく、ふと心にやってくるものかもしれません。 もしかしたら、何かをするよりも、ただ「共にある」ことこそが、 その瞬間にとって最も大切なことなのかもしれません。

そして、その時間を生ききることは、 亡くなる人だけでなく、残された私たちにとっても大切なことです。 しっかりと見送り、しっかりと向き合う。 その時間が、これからを生きる私たちの支えとなるからです。

待つことでやってくる答え

私たちは、すぐに答えを出そうとしがちです。「どうすれば後悔しないか」「何が最善か」と考えます。

けれど、大切なことほど、答えは無理に探さずともやってくるものです。静かに、心を開き、目の前の時間を感じながら、その答えを待つ。それが、自分の心に正直でいるということなのかもしれません。

「何をするべきか」と考えすぎず、ただ、大切な人のそばにいることを選んでもいい。言葉が見つからないなら、無理に探さずともいい。その場の空気や沈黙の中に、きっと答えはすでにあるのです。

私は、このことを信じています。

大切なことほど、答えはふと訪れるものだから。だからこそ、焦らずに、静かに待つことを大切にしたいのです。

最期の時間を、尊厳とともに。 今の時間を、愛とともに。

あなたの心が、静かに、自分自身を抱きしめられますように。


Facebook石川 眞樹夫さん投稿記事  ~人生に直面しなさい~

 悲しみ、投げやり、怒り、絶望、不安、苦悩、惨めさにかんして、唯一問題なのは、あなたがそれらから逃れたがっていることだ。それが唯一の障害だ。それらとともに生きていかなければいけない。逃げることはできない。人生はそうした状況のなかでこそ、統合され、成長していかなければならない。それは人生のチャレンジだ。それを受け容れなさい。

 それは変装した祝福だ。それから逃げようとしたら、どうにかして排除しようとしたら、問題が生じてくる。というのも、なにかを排除しようとしたら、それを直視しなくなるからだ。非難の目で見るために、それはあなたから隠れるようになる。それは無意識のなか深くへ入り込んで、あなたの存在の暗い片隅に隠れ、見つけられなくなる。あなたの存在の地下室へと移動し、そこに隠れてしまう。当然、深くへ入り込めば入り込むほど、それは多くの問題をつくりだす。あなたの存在の未知の片隅から働くようになり、あなたには手出しができなくなる。

 だからとにかく、けっして抑圧しないことだ。とにかく、あるがままを受け容れなさい。それを受け止めて、出てこさせる――自分の前に出てこさせる。じつのところ、「抑圧してはいけない」と言うだけでは不十分だ。許されるなら、私はこう言いたい、「それと仲良くなりなさい」と。

 あなたが悲しいのなら、それと仲良くなり、それを哀れむことだ。悲しみにも存在がある。それを許し、それを抱きしめ、それといっしょに坐り、その手を握りなさい。仲良くなるがいい。それを好きになりなさい。悲しみは美しい! それはよくないものではない。悲しいのはよくないなんてだれが言ったのかね? それどころか、あなたに深みを与えられるのは悲しみしかない。笑いは底が浅い。幸福は皮一枚の厚さしかない。悲しみは骨にまで、髄にまで入り込む。悲しみほど深く入り込むものはない。

 だから心配しなくていい。それといっしょにいれば、悲しみはあなたをもっとも奥深い中心にまで連れて行ってくれる。それに乗っていけば、自分の存在について今まで知らなかったいくつかの新しいことを知ることができる。そうしたことは悲しみのなかでしか明らかにならない。幸せなときにはけっして見えてこない。暗闇もまたいい。暗闇もまた神聖だ。昼間だけが存在なのではない。夜もまたそうだ。私はこの態度を宗教的と呼ぶ……。

 忍耐強く悲しみのなかにいることができれば、ある朝、突然、ハートのなかにどこか未知の源泉から幸せがわき起こってくることに気がつく。その未知の源泉とは清らかな人格だ。本当に悲しんだら、それを自分のものにできる。本当に絶望し、投げやりで、不幸せで、惨めになり、地獄に生きるようになれば、天国を自分のものにできる。その対価は支払っている……。

 人生に直面しなさい。人生に立ち向かいなさい。困難なときはあるだろうが、ある日、あなたは気がつく。それらに立ち向かったおかげで、その困難な瞬間が自分に強さを与えてくれた。それらはあってしかるべきものだった。そうした困難な瞬間は通り抜けているときは辛いが、後になってみると、それが自分をもっとしっかりさせてくれたことに気がつく。それがなかったら、あなたは中心に据わり、地に着くことはなかっただろう。


FacebookSammaditthi Asakuraさん投句記事

どんなに好きでも最後は別れるんです。どちらかが先に死にます。人に逢うということは必ず別れるということです。別れるために逢うんです。だから逢った人が大切なのです

-瀬戸内寂聴-

愛する人との別れは必ずやってきます。明日のことは誰にも分らないから

愛を大切にするには今を大切にしてください。

釈尊は執着による愛欲を否定し真実の愛を慈悲として説きました。

慈悲とは見返りを求めない思いやりの心です。

だから、愛に見返りはないんです。

初めからないと思ってかからないと駄目です。本当の愛に打算はありません。

困ったときに損得を忘れ、助け合えるのが愛なのです。

愛する者の死と真向きになったとき、人は初めてその人への愛の深さに気づきます。

「私の命と取り替えてください」と祈る時の、その純粋な愛の高まりこそ、

この世で最も尊いものです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000