https://nohmask21.com/horagai-shingon.html 【修験用法螺貝真言派】より
修験用法螺貝は、修験道の道具の一つとして、丁重に取り扱います。
法螺貝を吹くことにより、三界の天衆を驚かし、六道の妄夢を覚ますといわれ、その音は獅子の吼える音にたとえられています。獅子は百獣の王であるため、その声を聞く時一切の魔物は消滅し、煩悩も去ることができるといわれています。従って入峯の修験者の行者はそれを如来の説法と考え、必ず身につけて行かれます。
三昧法螺聲 一乗妙法説
経耳滅煩悩 當入阿字門 と秘記に書かれています。
すなわち、仏の理を悟り修行のための、大切な道具としてあつかわれ、今日でも修験の行者の方々はこの伝統を受け継いでおられます。
音は、5音あり、水、金、土 を甲音(かんおん)とよび、高い音、また火、水を乙音とよびれぞれその中間音もあり、また一音は、発聲、返し、吹き上げによって構成されます。
また揺りと言って返しを7回繰り返し音などもあり、大変奥が深く、先達に教えを請われることをお勧めします。
Facebook田中 宏明さん投稿記事
今日は瞑想中に今追われている「やるべきこと」の段取りが入り乱れだして瞑想をしてリラックスするどころか 焦りやモヤモヤでいっぱいになってしまいました まぁ、それは別にいいんです^ ^
むしろ瞑想によって思いが「浮き彫り」になった事で捉えやすくなるからです
僕は普段そんな「思い」を川の流れを見るように眺めたり「思い」を形として捉えて手放すというイメージワークをしたりしていました^ ^
そのどちらも僕にとっては「思い」を昇華させるのにとても有効なやり方です
ただ今日は「焦り」がこれでもかと出て来たのでそんなことをしている「余裕」がなかったんですね^ ^
その時ふとあるインスピレーションが降りて来ました
それはかつてブッダが森で瞑想に励んでいた時湧き起こってくる思いを「矢」に例えていたことを思い出したんです
今日の僕の「思い」はまさにあらゆる方向から放たれてくる無数の矢にそっくりでした^ ^
「あれはどうする?」「でも同時にこれも進めないと」「いや、まぁ大丈夫やろ」「いや、あの部材はやっぱり足りないかも」「それも大事やけど頼まれた仕事をまずはしなあかんやろ」
とまぁ、近年まれな慌しい日々に 普段のんびり生きている僕にとってはあまりにもたくさんの「考えること」が攻め寄せて来たのでしょう^ ^
思えば会社に行ってた頃は、この10倍くらいの忙しさだったなぁなんて思っていると ふと、その「矢」のイメージが降りて来たわけです
仮に「思い」が矢だとしたらそれはまず本当の「矢」ではないのは当然ですよね?
当たり前ですがそれは「実体」の無いものなんです^ ^
でも、心の中にその思いが沸いた瞬間に感じる「胸の重さ」や「不安」股間のあたりから
湧き起こる焦りやイライラその体感は確かに感じますよね?
それがまさに実体の無いはずの「思いの矢」があなたに命中した証なんです^ ^
目には見えない思いが目には見えない心に刺さってそれが、たくさんの「感情」を創り出すわけですここまでは大丈夫でしょうか?
なんとなくわかっているだけでも大丈夫です ゆっくりと 感じながら読んでください^ ^
まず 何よりもはじめに 大切なことはそういった「目に見えない」動きが我々に影響を与えているとはっきりと自覚することです
それが、いわゆる自分の内側を観る「内観」の基本であり全てです
それをお伝えしたところで今日僕が一番シェアしたかったことはその矢が刺さる「心」などないということなんです^ ^
だってそうでしょう?どこにも無いじゃないですか?矢も、それが刺さる心ももし実在しているとしたらどうやってあなたから取り出すことが出来るのでしょうか?
あると思うならどうぞ今出してみてくださいまぁ、誰でもわかるように
それは無理なんです^ ^ でもなぜ心が重く、晴れないのか?「思い」が湧き起こるたびにその思いに振り回されてしまうのか?
それは実はあなたがその「思い」が実体だと信じているからです^ ^
目に見えないものなんて絶対に信じないと言っている人でも不安や怖れを感じます^ ^
でもそれはその人が「目に見えないもの」を信じている何よりの証拠なんです
不安や怖れが歩いているのを誰も見たことはないのですから^ ^
さて話しを戻しましょう僕が今日瞑想の中でそんな無数の「思いの矢」に襲われている時
ふと僕はその矢がどこに刺さるのかを見てみようと思いました
例えば「今日中にあの仕事出来るかな?」という矢が現れた時それがどこに刺さるのかを
見届けてみました
しばらくその矢が飛んでいるのを見ていましたがそれはどこにも当たることなく虚空の中に消えて行きました^ ^なぜなら矢も、的も存在していないからです
でもそれだけのことで僕に矢が刺さらなくなって来たんです
つまり、穏やかな気持ちになって来たわけです^ ^
でも「矢」である思いは湧き起こり続けますやっぱり人間である以上たくさんの「思い」を
生じさせる出来事は起こります
そんな時は「的」を消すようにします矢に注力するのではなくそれが当たる的を意識するわけです
その方法はシンプルに矢が虚空の中に消えていくイメージで十分です
例えば何かのきっかけで「焦り」が生まれたとしたら意識を内側に戻してその矢がどこにも当たらずにただ消えていくのを見守る感じです
そして矢がどこにも当たらなければ「思い」は力を失い消えて行きます
そうすると「焦り」が起こった「怒り」が起こった「執着」が起こった「喜び」が起こった
ただ、起こって消えたそんな感覚に段々となって来ます^ ^
この感覚を掴み出すと「思い」に振り回されることなく
心穏やかに「今すべきこと」を正確に行えるようになります
思いを見つめるのも大切ですが思いが刺さる「的」の不在を見抜くことも同じくらい大切です
◯
意識を内側に戻してゆっくり見つめてください「怒り」の矢も「怖れ」の矢もあなたの中に生じたあらゆる矢がどこに当たることもなく虚しく消えていきます
本当は矢も的も幻です 本当のあなたを傷つける力などありません
実在はいつも「今」この瞬間の中にだけありますそれ以外は全て「思い」が創り出す幻です
それを見抜いてください
少しだけ目を閉じて「思い」と「的の不在」を見つめるだけでいいのですから😊
てなわけで皆さまも気楽な一日を✨ワハハ🌈らぶ💓
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