ランブル

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%97%A5%E5%B7%AE%E5%AD%90 【上田日差子】より』

上田 日差子(うえだ ひざし、女性、1961年9月23日 - )は、俳人。父の上田五千石、祖父の上田古笠も俳人。

静岡県生まれ。静岡英和女学院短期大学卒業[1]。1977年より作句をはじめ、父・五千石に師事、「畦」入会。1997年、五千石の逝去により「畦」終刊。1998年3月、「ランブル」[2]を創刊・主宰。五千石の詩精神を受け継ぎポエジーのある俳句を目指すと結社理念を掲げる。2011年、第三句集『和音』で第50回俳人協会新人賞受賞。作風は、伝統俳句を踏まえた手固い写生詠を中心としたものである[3]。俳人協会幹事。


https://tsukinami.exblog.jp/21669458/ 【上田五千石に学ぶ「俳句に大事なこと」】より

上田五千石さんの『決定版・俳句に大事な五つのこと』(角川学芸出版刊)は、俳句入門の名著です。

これから内容の一部をご紹介しますが、ぜひ実際に、実物を手にとってお読みください。

上田五千石:ウエダ・ゴセンゴク。昭和八(一九三三)年生まれ、秋元不死男門下。平成九(一九九七)年没。「氷海」同人を経て、「畦」創刊主宰。

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【眼前直覚~「いま」「ここ」に「われ」を置く~】

俳句は「いま」ということ、「わたくし」ということを大切にする。「只今眼前」であり「たった一人の私」である。時空のこの一期一会の交わりの一点に於いて一句はなる。昨日の私でもなければ明日の私でもない。だからこそ、俳句は「言い切る」ことを絶対とする詩型なのだ。

煖房の車窓から見て、冬の田を詠ってはならない。冷房のビルの窓から見おろして、日盛りの町を句にしてはならない。眼に見えているというだけで、眼前とはいえない。対象と同じ空気の中で、真に見なくて、直覚のすべはない。

決して「他人(ひと)ごと」の句をつくってはならない。そこにそれが在るから写しとる、というのでは写生といえない。「もの」と私が、のっぴきならない関係になるのを待って、はじめて独自の視角が生まれる。「他人ごと」の句は俳句ではない。

「自分を入れなくては俳句にならない」と言うと、情を叙べることと受け取るむきがある。「もの」に触れ、「こと」に当たっての、たった一度の(未だ曾って誰も有しない)「感動」を体験することに「自分」が在ることを忘れているのだ。「われ」「いま」「ここ」に腰を据えることが大事。

俳句では拱手傍観、というのは許されない。他人を詠うにも、自分とののっぴきならない関係にあって作中に引き据えなくてはならない。作務僧が何かしている、では句にならない。炭焼が炭を焼いているだけでは報告だ。作務僧と語り、炭焼と触れ、その人の思いに感じ入らないでは俳句ではないと心得たい。(拱手傍観=きょうしゅぼうかん。腕組みして観ているだけで何もしないこと。)

誰にもゆずれない自分の人生―そこでは自分が主役だ。それを如実にするのが俳句だ。俳句は「われ」が主役の時だ。「われ」という主役をぬきにして、俳句はない。

【現在】

俳句作りは振り返ってはいけない。振り返るから、年をとり、老いるのである。回想、回顧の情を述べていては、繰り言だ。

【もの】

俳句が叙述に終始しようとするとき、私は「もの」を“一品添える”ことを心掛ける。「こと」に「もの」を介入させて、句に腰をつくるのだ。“一品”の具象によって、イメージが強化されるのは、やっぱりトクだ。

【初心者はトクな道】

俳句の内容とか、表現とかに、何の制約もない。ただ、ながい間の実作者の体験の積み重ねが、ソンかトクかを識別している。たとえば「観念」より「事実」、「抽象」より「具象」がトクであり、「季重ね」や「二切字」がソン。「空想」より「写生」、「こと」より「もの」がトク。「過去」や「未来」より「眼前いま」がトクという具合だ。初心者はトクな道、やさしい方途でいきたい。

【自在な眼】

俳句をつくるのに“構え”てはいけない。日常茶飯、常住坐臥、普段着の気持になることが大切である。自在さが肝要である。そうでなければ、何も見えてこない、リラックスしないと、自在な眼が働かない。(「リラックス」の名訳に「大いなる緊張」があるが、私の更なる名訳は「油断なきだらしなさ」である。)

【取合せ】

俳句は二つの事物(もの)を取合せればいいのです。その二つの事物の一つは大方季語ですから、“季語と事物”の取合せです。その取合せの佳いのを上手と言い、悪いのを下手と言います。取合せて作りますと句は多く、しかも早く出来ます。こんなに作り易いことをみなさん御存知ないのが口惜しいことです。(『去来抄』の芭蕉の言葉の五千石訳より)。

「取合せ」―遠い二つの物(季語と事物)をアナロジイ(類比)、すなわち、どこか、何かで通い合うところを発見して一気に結びつける―は詩の原理である。いわゆる二句一章の問題ではない。俳句という短詩型の本質である。

十七字(音)で物を述べれば、ただの十七字(音)である。その十七字(音)を二つの部分に分ちて、それを互に関らせれば、その間にクレバスを覗くことができる。そこにポエジー(詩)の世界がある。(クレバス=氷河や雪渓の割れ目。)

「一句一章」で詩ができるという説は誤りです。というより、そんなことはできないのです。一見「一句一章」で仕上げているように見えても、詩として成り立っている句(俳句)には「二つの相反するものの調和」が達成されているものです。

世に「一句一章」の俳句があるという説を聞くが、「一句一章」に見える文体のことであろうか。詩は二つの事物の関係がなくては発生しないのであるから、俳句は「一句一章」に見えても“二物衝撃”の詩であると正しく考えた方がいい。「一句一章」を平句(ひらく)の「ひとへ」と等しくあつかえない所以である。

【定型】

俳句は定型詩―。定型というのは結局のところ、日本人の生命のリズム、心情の流れに則して、快適にまとめた調和であって、言葉の組成をもっとも美しくなるかたちになるように、高能率的に配されるように練り上げられた「型」である。芭蕉の「舌頭に千囀せよ」というのは、その「型」に「定」まったか否かの検分にほかならない。

【季語】

季語というものは自然そのものではなく、日本人の生命感、心情、美感覚といったものに溶かしこまれ、深くこなされた自然への了解を基にした言葉であろう。だからリアルであり、アイディアルなものと言える。不思議な特殊言語であり、弾性があり、磁性がある。

季語はなるべく手つかずのまま用いたい。「山眠る」が一番美しく、「眠る山」がそれに次ぎ、「山眠り初む」とか「山深眠る」などと応用すると品下る。季語はそれ自体磨きぬかれた宝石のような言葉だからだ。

【切字】

「や」「かな」「けり」は切字の代表だ。「切字はたしかに入たるよし」という芭蕉の言葉は初心の者に断定の精神を形で求めたものだ。俳句は十七音断定の詩。言い切る決意が詩型を生かす。

俳句は俳諧の発句の略であるから、平句(ひらく)とはちがっていなければならない。眼前の情景を平板に五・七・五にしただけでは、「ひとへ」の句づくりであり、平句の位になる。そこで、「ひとへ」を仮に「ふたへ」に転じる方法として「切れる」ことを心がければいい。こころみに切字をつかって句づくりをする「ひねる」のもいい。異質の配合をするのだ。但し、直覚、直覚でいく。

【挨拶の心】

夏はすずしく 冬あたたかく 春のどやかに 秋はさやけく

俳句は読み手を不愉快にしてはならない。あいさつのこころです。こころづかいです。句の品が下がるのは、ここのところを欠くからだ。

【諧謔】

「諧謔」とは「人の心をやわらげ面白がらせる言葉の意」(『岩波漢語辞典』)ということだそうである。それならば、滑稽の文学であり、諧謔の詩である俳句は「人の心をやわらげ面白がらせる言葉」の集まりでなければならない、と言うことになる。俳句―人の心をやわらげ面白がらせる言葉の集まり。

【句会】

恥をかくことを好むものはいない。だが、恥をかくこと、恥を積み重ねることで、真実、われわれは、はじめて自らを叱咤し得ること、誰しもおぼえのあるところである。「恥掻場」の額をかかげる茶室のことを読んだおぼえがある。句会など、さしずめ、かっこうの「恥掻場」ではないか。

【吟行】

「船」を見にゆくなら、「舟」偏の文字くらい検(しら)べておきたい。「船尾」「船首」「船橋」「舷灯」「舷梯」「舵手」「艙口」―。いくつもある。「舟」の部分で、「舟」全体をあらわすことができるなら、俳句ではまったく好都合になる筈だ。

【名句鑑賞】

名句を暗記する。俳句の勉強法はついにはこれに尽きるかも知れない。


https://fragie.exblog.jp/28228476/ 【祝 ランブル創刊20周年】より

10月18日(水) 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり) 旧暦8月29日

久しぶりの太陽である。歩いて出社。金木犀がよく匂っていた。

いますすめている「季語別大石悦子句集』のことで、大石悦子さんと電話をしている時のこと。「季語の意味をいまさら分かるっていうことがあるんですね。」と大石さん。「実は昨日俳人協会で仕事をしている時に、「蟻地獄」という季語が虫の名前だっていうことをわたし、はじめて知ったんですよ。お恥ずかしいことに」とおっしゃる。

「ええっ、虫の名前!なんですか。あの土が盛られた蟻地獄のことではないのですか?」とわたし。

「わたしも実は長い間そう思い込んで来たんですが、そうじゃなくて『うすばかげろうの幼虫』のことなんですって」と大石さん。

わたしは受話器をもったまま、さっそく手元の歳時記を開いてみる。

「木の下や、お寺の下の乾いた砂の上に小さな擂鉢状の穴を掘り、そこに滑り込む蟻やその他の小昆虫を捕らえて食べる。うすばかげろうの幼虫で身体は一センチくらい、土灰色で細かい棘があり、泥粒をつけている。(略)」とあり、傍題には「あとずさり」「擂鉢虫」「あとさり虫」とあり、あきらかに虫である。

「あらら、本当ですねえ。富安風生の句に「蟻地獄寂寞として飢ゑにけり」とありますが、確かにこの句など虫と考えないとおかしいですね。飢えているのは虫のなんですね」と。

思い込みとはコワイものである。

さて、昨日の俳誌「ランブル創刊20周年のお祝いの会」について紹介したい。

17日の午後5時半より新宿京王プラザにて開催、Pさんの報告によると、大勢の来賓が出席され盛大なかつ華やかな祝賀会ということでした。

ご挨拶される上田日差子(うえだ・ひざし)主宰。

本日はめでたく20周年を迎えることができました。

ご多様な中を、先生方及び先輩方、本当にありがとうございます。

20年ということでございまして、稲畑廣太郎先生が「ホトトギスは121年目なんだよ」と仰っていて、「ランブル」20年なんかは赤子にも及ばないかと思ったところでございます。

ですがそれはそれで20年はどう解釈していいのだろうか、あっという間の20年、又は重い20年、色々考えられます。ただ、今回の俳壇11月号で特集していただきました上田五千石・没後20年となると、またちょっと趣が違って、感慨深いものがあります。

父がこの世を去って20年という月日が流れまして、そちらの方が私自身も思いが深いのかもしれません。

ただ幸いにして父が遺した俳句であり心臓であることが「ランブル」につながり、また、各門下に伝わっていることは素晴らしいことであるとしみじみ感じております。

5年前の15周年のときには私の母も生きておりまして、義理の母である鈴木ともこさんも生きておりましたけれども、今年は二人の両母に来て頂きたかったのですけれども、それが叶わないのがとても残念でなりません。

ですがその悲しみのときに俳句があってよかったと本当につくづく思いました。

私自身のことで恐縮ですけれども思いがけない病気にもなり、その闘病もしました。ですがそのときにも「俳句があって本当によかった、みなさんがいてくださって本当によかった」とつくづくと思いました。

父が口癖で「俳句をやると幸せになるよ」と皆さんに声をかけていました。

病気や身内の不幸がありましたが、俳句をやっていてつくづくよかった、幸せなんだ、と噛みしめる日もあって、この5年はとても重かったなと思います。

本当に今日は皆さま、そして「ランブル」の方々と共に、父が結んだ縁、そして私自身が20年で歩んで参りました縁への感謝の会とさせて頂きたいと思います。

本当にこれからもどうぞよろしくお願いいたします。

 父の日の父の知らざる二十年   日差子

上田日差子主宰をはじめ、「ランブル」の皆さま創刊20周年、まことにおめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。

今日はお客さまの多い一日となった。午前中には、お二人の俳人の方がご来社された。

長嶺千晶さんと木村かつみさん。木村かつみさんは、長嶺千晶さんが代表の俳誌「晶」に所属されている。この度第1句集を上梓されるために長嶺さんのご紹介で句稿を持ってご相談に見えられたのである。

木村かつみさんの俳句の出発は、俳誌「握手」からである。

磯貝碧蹄館に俳句を学び、厳しく愛情の籠もった指導を受けられたようである。

お身体が丈夫でなく、闘病をされていた時期もあったが、俳句を中断することなく作り続けてこられたという。

「握手」の編集長だった朝吹英和さんは兄弟子にあたり、今回も木村さんがご来社するにあたって前もって朝吹きさんより「よろしくお願いします」とお電話をいただいていたのだった。

ふらんす堂のいろいろな句集をご覧になって、フランス装カバー装の造本をお決めになられた木村かつみさんである。猫好きで、句集の中には特別に「猫の句のみを収録した章」があるほど。

集名も『猫の椅子』。

長嶺千晶さんがご序文を寄せられるのであるが、木村かつみさんの作品をふかく理解しておられることが話しの端々より伝わってくる。

長嶺千晶さん(左)と木村かつみさん。

木村かつみさんには、師であった磯貝碧蹄館のみならずもう一人兄弟子として信頼した俳人がおられた。

糸大八さんである。画家であった糸大八さんの展覧会の会場に行っては何時間もそこで過ごしたという思い出を語ってくださった。

わたしにとっても、磯貝碧蹄館、糸大八のお二人は忘れられない思い出のある俳人である。

今日はそのお二人のことを伺うことができて、嬉しく懐かしい思いがしたのだった。

午後からもう一人お客さまがいらっしゃった。

山田佳乃さん。

目下第2句集をおすすめしているところ。

そのご相談と『山田弘子全句集』の電子書籍化のご相談にいらっしゃった。

祝 ランブル創刊20周年_f0071480_17362023.jpg

山田佳乃さん。

昨日は、神戸より「らんぶる創刊20周年」にご出席されるため上京(長嶺千晶さんもご出席されている)、今日は午前中句会、午後よりはふらんす堂へ、明日も句会があるということ、ふらんす堂へは吉祥寺でレンタカーを借りて運転をして来られたという。

「そこ(島忠)に止めてあるんです」と。

「ええっ、東京を走るのってこわくありません?」とビビリのyamaokaが伺うと「ううん、あんまり」とにっこりとされた。

「お母さまに似て来ましたね」と申し上げると、

「そうなんですよ。最近よく言われるんです」。

この写真など、まさに山田弘子氏をおどろくほど彷彿とさせる。

ちょっとひと言。

昨日の「らんぶる創刊20周年の会」に出席したPさんが、今朝のミーティングの時に、

「yamaokaさんのブログをみな(?)見てるってって言ってましたよ」

「あらま、そう」

「yamaokaさん、ブログばかり書いていて仕事してんの?とも言われました」

「ええー、失敬な! で、なんて答えたの?」

「は…い……」

(ここでスタッフたちが大笑いをする)

「駄目よ! ちゃんと仕事してんだから、そう言ってもらわなくっちゃ」とわたしは思わず叫ぶ。

そりゃ、営業のためにブログも書きますが、ほぼ夕方6時より(本を紹介するときは5時くらいから写真をとりこんだりして)書くのです。だから遅いときは9時を過ぎちゃうこともあって、生き恥をさらし老体に鞭うってへろへろになって書いているんです。

それでも、ブログはおまけ。

まずは仕事でっす。

と言いながら、今日もずいぶんとキイを打ったような気がする。。。。

疲れた。。。。。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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