寒の水万象ここにはじまりぬ

https://ameblo.jp/kotonoha-gakusha/entry-12790280154.html 【寒の水】より

昨日のこのブログで、「寒卵」という季語のことを書いた。俳句を作る人にとって、「卵」と「寒卵」は別物である、転がり方まで違う、と。「寒」が付く季語は多い。「寒」が付くと、「水」まで、全然違ったものになる。大寒、小寒のころの冷たい水を、「寒の水」という。

ただ冷たいだけでなく、厳しくもあり、清らかさもある。暖房もあり、温水器もある現代ではその実感がうすれているが、やはり冬の朝の痛いほど冷たい水には、何か特別な感慨がある。ことのは学舎は温水器がないので、今の時期は毎日、手を洗うたびに「寒の水」を感じている。 昨日の朝日俳壇に、こんな句があった。

一汁と一菜それに寒の水 (所沢市 岡部泉)

一絃の琴の如しや寒の水 (鎌倉市 石川洋一)

 長谷川櫂氏選の、第一席と第三席の句である。

 「一汁と」の句、質素な食事であるが、「寒の水」で、なぜか上等の食事のように感じられる。勝手に、井戸水か湧き水であろうと想像した。朝食の膳に、汲みたての冷たい清らかな水がある、それだけでいい一日が始められそうである。「寒の水」の力である。

 「一絃の琴」の句、一絃の琴の如し、という比喩だけで成立している句である。比喩が成功すれば、それだけで良い俳句ができるというお手本のような句である。

 「一絃の琴」以外の比喩を考えてみたが、これ以上のものは思いつかなかった。感心するばかりである。

 凛々と震える寒の水。音なき音に心の耳を澄ませている。という長谷川櫂氏の評も、見事である。これも、感心するばかりである。俳人たちの感受性と表現力。少しでも近づきたい。

俳句、そして季語を、もっと勉強しようと、朝日俳壇を読むたびに思う。

 「寒の水」。「寒卵」。昨日からこのふたつの季語が頭の中をめぐっている。

 なんとか恥ずかしくないレベルの俳句を作って、このブログで披露したい。


https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20070131,20160217&tit=%8A%A6%82%CC%90%85&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%8A%A6%82%CC%90%85%82%CC 【季語が寒の水の句】より

 己がじし喉ぼとけ見せ寒の水  安東次男

一月五日から節分までの30日間くらいを「寒の内」と呼ぶ。一年間で最も寒さが厳しい季節である。したがって「寒の水」はしびれるほどに冷たく、どこまでも透徹している水。この句がどういう状況で詠まれたかは定かでないが、男たちが数人だろうか、顎をあげ、殊更に喉ぼとけを見せるようにして澄みきった冷たい水を、乾いた喉にゴクゴクと流しこんでいる。喉ぼとけは、たまたまそこに見えていたのだろうが、作者があえて「見せ」と捉えたところにポイントがある。水を飲む音も聴こえてくるようであり、あたかも己を主張するかのように、おのおのの飲み方をしているふうにも見える。とがった「喉ぼとけ」と透徹した「寒の水」の取り合わせは凛然としていて、寸分の弛みもない。いかにも背筋がピンと張った安東次男の句姿である。実際、ご自身も凛としていながら、やさしさのにじむ人柄だった。平井照敏編『新歳時記・冬』には「寒中の水は水質がよいとして、酒を作り、布をさらし、寒餅を作り、化粧水を作る」とある。水道水はともかく、寒中に掬って飲む井戸水のおいしさは格別である。安東次男の句集は、名句「蜩といふ名の裏山をいつも持つ」を収めた『裏山』の他『昨』『花筧』『花筧後』などがある。労作『芭蕉七部集評釈』について、「全部、食卓の上でやった仕事だよ」といつか平然と述懐しておられた。喉ぼとけの句というと、どうしても日野草城の「春の灯や女は持たぬのどぼとけ」という句を想起せずにはいられない。句の情景は対蹠的であり、次男句には男性的色気さえ感じられるし、草城句からは女性のエロチシズムが匂い立ってくるように感じられてならない。『花筧』(1992)所収。(八木忠栄)

 母逝きて洟水すゝる寒の水      車谷長吉

長吉が小説の他に俳句を作り、歌仙を巻いていたことはよく知られている。句集に『車谷長吉句集』『蜘蛛の巣』などがある。掲出句の前書には「二月十六日 母逝く 二句」とある。残りのもう一句は「母逝きてなぜか安心冬椿」。葬儀まで死者の枕辺には水を供えるものだが、二月だから「寒の水」である。「洟水すゝる」のは、母に水を供える長吉かもしれない。悲しみと寒さゆえに洟水がたれてくる。母が逝って「なぜか安心」とはいかにも長吉らしい詠み方で、悲しみを直接表現しなくとも、心は悲しい。涙をこぼす以上の悲しさと寂しさが、そこに感じられる。長吉は昨年五月に急逝した。「連れあい」の高橋順子が遺稿集『蟲息山房から』(2015)をまとめた。未刊の小説やエッセイをはじめ、俳句、連句、対談・鼎談、インタビュー、日記などが収められている。そのなかに86句を収めた俳句「洟水輯」と題されたなかの一句である。「句の構想をねっているときが一番楽しい時である」とも、「発句をしていると、あまり人事のことを考えなくて済むので、心が休まる」とも、エッセイのなかに書かれている。よくわかる。そのあたりが俳人とはちょっとちがうのかもしれない。(八木忠栄)


https://www.benricho.org/kanji_yoji/sakuhin/shi/shinra.html 【四字熟語〜 著名作家はこう使う 〜】より

作家 夏目漱石 作品【文芸の哲学的基礎】

いつの間にこう豹変ひょうへんしたのか分らないが、全く矛盾してしまいました。(空間、時間、因果律もやはりこの豹変のうちに含んでいます。それは講話の都合で後廻しにしましたから、今にだんだんわかります)

 なぜこんな矛盾が起ったのだろうか。よく考えると何にもないのに、通俗では 森羅万象しんらばんしょういろいろなものが掃蕩そうとうしても掃蕩しきれぬほど雑然として宇宙に充牣じゅうじんしている。

作家 永井荷風  作品【桑中喜語】

女子の悋気りんきはなほ恕ゆるすべし。男子が嫉妬しっとこそ哀れにも浅間あさましき限りなれ。そもそも嫉妬は私欲の迷にして羨怨せんえんの心憤怒ふんぬと化して復讐の悪意を醸かもす。野暮やぼの骨頂こっちょうなり。血気の少年はさて置き分別盛ふんべつざかりの男が刃物三昧はものざんまい無理心中なぞに至つては思案の外ほかにして沙汰のかぎりなり。およそ森羅万象一つとして常住なるはなし。時に昼夜あり節に寒暖あるは自然の変化なり。変化に先立ちてこれが 備そなえをなさざれば 遣繰身上やりくりしんしょう いかでか質の流を止めんや。

作家 高浜虚子  作品【俳句への道】

 心に感動なくて何の詩ぞや。それは言わないでも分っている事である。ただ、作家がその小感動を述べて得々とくとくとしているのを見ると虫唾むしずが走るのである。そればかりでなく、そういう平凡な感情を暴露して述べたところで、何の得る所もない事をその人に教えたいのである。目を天地自然の森羅万象 しんらばんしょうに映してその心の沈潜するのを待って、そうしてあるかないかの一点の火がその心の底に灯ともり始めて、その感動が漸ようやく大きくなって来てその森羅万象と融とけ合って初めて句になるような径路、その径路を選ぶ事が正しい句作の誘導法だと考えるのである。客観写生を説く所以ゆえんの一つ。

作家 国木田独歩  作品【恋を恋する人】

「そうですとも、大いに妙です。神崎工学士、君は昨夕ゆうべ酔払って春子様さんをつかまえてお得意の講義をしていたが忘れたか。」

「ねエ朝田様! その時、神崎様が巻煙草たばこの灰を掌にのせて、この灰が貴女には妙と見えませんかと聞くから、私は何でもないというと、だから貴女は駄目だ、凡およそ宇宙の物、森羅万象、妙ならざるはなく、石も木もこの灰とても面白からざるはなし、それを 左様そう思わないのは科学の神に帰依しないのだからだ、とか何とか、難事むずかしい事をべらべら何時いつまでも言うんですもの。私、眠くなって了しまったわ、だからアーメンと言ったら、貴下あなた怒っちゃったじゃアありませんか。ねエ朝田様さん。」

作家 泉鏡花  作品【海神別荘】

博士 これは、仏国の大帝奈翁ナポレオンが、西暦千八百八年、西班牙スペイン遠征の途に上りました時、かねて世界有数の読書家。必要によって当時の図書館長バルビールに命じて製つくらせました、函入はこいり新装の、一千巻、一架ひとたなの内容は、宗教四十巻、叙事詩四十巻、戯曲四十巻、その他の詩篇六十巻。歴史六十巻、小説百巻、と申しまするデュオデシモ形がたと申す有名な版本の事を……お聞及びなさいまして、御姉君おあねぎみ、乙姫様が御工夫を遊ばしました。蓮はすの糸、一筋を、およそ枚数千頁に薄く織拡げて、一万枚が一折ひとおり、一百二十折を合せて一冊に綴とじましたものでありまして、この国の微妙なる光に展ひらきますると、森羅万象 しんらばんしょう、人類をはじめ、動植物、鉱物、一切の元素が、一々ひとつずつ微細なる活字となって、しかも、各々おのおの五色の輝かがやきを放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句読くとう、いずれも個々別々、七彩に照って、かく開きました真白まっしろな枚ペエジの上へ、自然と、染め出さるるのでありまして。

作家 北原白秋  作品【雀の卵】

 大正五年五月中浣、妻とともに葛飾は真間の手児奈廟堂の片ほとり、亀井坊といふに、仮の宿やどりを求む。人生の命運定めがたく、因縁の数寄予めまた測はかりがたし。森羅万象 日日ひびに新あらたにして、いつしか春過ぎ夏来ると雖も、流離の涙しかすがに乾く暇なく、飛ぶ鳥の心いや更に泊はるる空なし。われ一人の女性を救ひ、茲に妻となして、永恒の赤縄ゑにしを結ぶと雖も、いささかも亦浮きたる矜ほこりを思はず。人間の悲願いよいよ高けれども、又あながち世の鄙俗いやしきを棄てず。赤貧常に洗ふが如く、父母にわかれ、弟妹にわかれ、いまだ三界を流浪すると雖も、不断の寛濶また更に美かなしからむ事をのみ希ふ。

作家 島崎藤村  作品【夜明け前 第二部下】

先師と言えば、外国よりはいって来るものを異端邪説として蛇蝎だかつのように憎みきらった人のように普通に思われながら、「そもそもかく外国々とつくにぐにより万よろづの事物ものごとの我が大御国おおみくにに参り来ることは、皇神すめらみかみたちの大御心おおみこころにて、その御神徳の広大なる故ゆえに、善よき悪あしきの選みなく、森羅万象 しんらばんしょうのことごとく皇国すめらみくにに御引寄せあそばさるる趣を能よく考へ弁わきまへて、外国とつくにより来る事物はよく選み採りて用ふべきことで、申すも畏かしこきことなれども、是これすなはち大神等おおみかみたちの御心掟みこころおきてと思い奉られるでござる、」とあるような、あんな広い見方のしてあるのに、彼が心から驚いたのも『静の岩屋』を開いた時だった。

作家 柳田国男  作品【木綿以前の事】

 つまりは百韻三十六吟ぎんの連続の中に、一句も俳諧の無い句があってはならぬという松永貞徳まつながていとくなどの意見を、認めるか否かが岐わかれ目めであった。もしもそれが動かすべからざる法則であったら、現今のいわゆる俳句などは、生まれ出づる余地は無かったのである。尤もっともそういう人々の俳諧の定義は勝手放題に弘ひろいもので、心の俳諧以外に形の俳諧だの言葉の俳諧だのを認め、単に用語が今風の俗言でありさえすればもうそれで宜よろしいようにしていたが、そうして見たところがやはり窮屈な話で、それだけで普あまねく人生の森羅万象、あらゆる境涯・感情を表現するに足らぬのは当り前の話である。だから 貞門ていもんの俳諧などはあれだけ多く残っているが、おかしいながらにやはり退屈で、今は省かえりみる人も少ないのである。芭蕉はこれに対して、決して急激なる革新論者ではなかった。半なか ばは前代の解釈に追随しつつも、随処に自家の判断を実践に移して、大きな効果を挙げている。

作家 野村胡堂  作品【楽聖物語】

驚くべき天才の奔騰ほんとうのために、偶々たまたまそのはけ口を座右の詩に求めたのかも知れない。シューベルトにおいては、作曲は少しも労苦ではなく、旋律と和声の噴泉が、絶えず湧わき上って、その奔注ほんちゅうの道を求めていたのである。シューベルトは歌劇オペラ、交響曲シンフォニー、弥撒ミサ、室内楽、歌曲リード、その他あらゆる形式の作曲をし、かつてその天才の泉の涸渇こかつする気色も見せなかった。万有還金という言葉があるが、シューベルトにとっては万有還楽である。森羅万象 しんらばんしょうことごとく音楽の題材ならざるはなく、その思想の動きがすべて旋律と和声とを持っていたと言っても差さしつかえはない。

作家 中里介山  作品【大菩薩峠 他生の巻】

 白雲は熱心な眼をかがやかせて、駒井の抗議を食いとめながら、

「どうして形を写して、色が現わせないのですか」

 改めて見直すまでもなく、白雲の描いた海は、一枚として着色のものはありません、みんな墨で描いたものばかりです。その点を駒井はいいました、

「桜の花だけを描いて、淡紅たんこうの色が出ますか、海の動きだけを写して、青く見えますか」

「そこです――」

 白雲は膝を進ませて、

「そこです、私の描いたものにそれが現われなければ、私の恥辱です。 森羅万象しんらばんしょうをいちいちそれに類似した色で現わさねばならぬという仕事は、私にいわせると細工師さいくしの仕事で、美術の範囲ではありません。私は墨で描いたこの海の波に、いちいちの色の変化を現わしたつもり――でなければ現わすつもりでかきました、色ばかりではない、音までも……」

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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