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更新🍃生命誌研究者・中村桂子さんが語る「人間は生き物である」
―いまの時代、人間が生き物として生きていない、と思うんですね
人間は生きものである、ということ。
そして、人間は自然の一部だ、ということ。
私がこれまで考えてきたのは、たったこれだけのことです。
こんな当たり前のことを一生懸命考えているのはなぜか。
いまの時代、人間が生き物として生きていない、と思っているからなんですね。
地球環境の危機的状況を背景に、これまでの人間中心主義を問い直し、動物や植物など人間以外の視点から世界を眺めようという特集「ノンヒューマンからの眺め」。今回、ご登場いただく中村桂子さんは、生命科学を起点にしながらも、40億年にわたり連綿と続く生物の営みを読み解き、そこから人間がどう生きるかを問い続けてきました。その新しい知のアプローチを「生命誌」と名付け、1993年に「JT生命誌科学研究館」を設立。現在も名誉館長として、書籍の執筆や講演活動を精力的に続けています。
本稿は、2024年10月にシビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]で開催された、未来提案型キャンプ「Future Ideations Camp Vol.4|生態系をデータとしてとらえる/表現する」での基調講演の内容を収録。生態系のデータを取得・解析する技術と、それらをデータビジュアライゼーションやアート表現として構想する受講者に向けて中村桂子さんが語ったのは、「人間は生き物である」ということ。その至極当たり前のことがいま、脅かされていると語ります。
プロローグ:どういう時代を生きてきたかで、考えることはそれぞれ違っている
これから、私がこれまで長年、取り組んできた「生命誌」についてお話したいと思います。(会場を見渡しながら)どうやら今日、この場に集まっている方々の年代はまったくバラバラのようですね。年齢が違うと、世の中の見え方や、いま何をしようか、何をすべきかといった考えも違ってくると思います。ですから、いま、みなさんから世界がどう見えているのか、ということに、私はとても興味があります。そこでまずは、みなさんに私自身がどういう時代を生きてきたのか、実体験からお話ししたいと思います。
私が小学校4年生のときに、いわゆる太平洋戦争が終わりました。子どもでしたから、本当の意味で戦争がどういうものなのか、わかっていなかったけれど、日本という国が戦争をしているときに、その国の一員であったという体験をしています。
当時は、いつもお腹を空かせていました。お米は兵隊さんが食べるもので、学校でも、「お米は兵隊さんの食べ物だから、あなたたちが食べるものではありません」と教わりました。お米の代わりに私たちが毎日食べていたのは、さつまいもです。いま、焼き芋は甘くてとってもおいしいですよね。でも当時のさつまいもは、水っぽくて甘くもなんともなくて美味しくなかった。それが私にとっての戦争でした。
そして、やがて終戦を迎えます。戦争を体験した方たちは、8月15日のお昼に天皇陛下からお話があって、それを聞いて戦争が終わったと実感したとおっしゃる方が多いけれど、私は当時、小学生だったこともあって、玉音放送を聞いても、どうやら戦争が終わったらしいということしかわからなかったんですね。終戦を実感したのは、その日の夜になってからです。
私は東京生まれ、東京育ちで、戦火で家もすべて焼かれてしまったのですが、終戦のときは家族で愛知県の農村に疎開をしていました。そんな田舎でも、戦時中は、夜、灯をつけると、敵機の目標になるからと、家中の電球を大きな黒い布で覆って隠していました。その電球の覆いを、15日の夕飯のときに父が外してくれたのです。その途端、部屋がものすごく明るくなって、ちゃぶ台の上の食事が本当に美味しそうに見えました。食事自体は昨日と変わらない質素なものでしたけれどね。そのとき初めて、「あぁ、これが戦争が終わったってことなんだ」と実感したのです。
いま、戦争に対する言葉として、私たちは「平和」という言葉を使います。もちろん平和はとても大事なことですが、その実現はとても難しいもののように感じてしまいます。むしろ私にとって、戦争に対比する言葉は「日常」です。戦争になると、日常が奪われる。おそらくいま、ウクライナでもガザでも、私と同じようにひもじい思いをしている子どもたちがたくさんいることでしょう。彼ら/彼女らにとって大事なのは、日常です。日常が奪われるということが、どれほどつらいことか。戦争はまさしく日常を奪うものなのに、人間はなぜそんな愚かなことをするのでしょうか――。
冒頭で申し上げたように、人はそれぞれ、どういう時代を過ごしてきたかによって、考えることは少しずつ違っています。当然、若いみなさんは、私とは違った時代を過ごしてきたでしょうから、今日は、私の話を聞いて、みなさんなりの視点で「生命誌」について考えていってほしいと思っています。
人間は生き物であり、自然の一部である
いろいろなことを考えるうえで、いま、データはとても大事なものです。DNA解析一つをとっても、いまや32億もある人間のDNAすべてが解読され、医療などに役立てられています。私が生命科学の研究を始めた当初、人間の膨大なゲノムをどうやって読むんだろう、そんなことできっこないと思っていましたが、いまではあっという間に読めてしまうどころか、最初は一人のゲノムデータを読むのに1億円くらいかかっていたのに、数万円で読める時代になりました。そのこと自体は、人類にとってとても有益なことだと思っています。
ただし、データがたくさん読めるようになって、山ほどデータが手に入るようになって、いろいろなことが解析できる時代になったからといっても、人間は自ら考えることを決してやめてはいけないと思っています。
とくに私が大事だと思うのは、自ら内発的に本質を問う姿勢です。そのうえで、独りよがりにならず、時代認識を持つこと。さらに、権力からの自由を手に入れること。
権力からの自由なんて言うと、ちょっと唐突に聞こえるかもしれませんが、長い人生のなかで、権力にすり寄った途端に自分のやりたいことができなくなる、という体験を嫌というほどしてきたからこそ、この言葉は私の信念としてみなさんにお伝えしておきたいのです。ものを考えるうえで、この三つは非常に重要な観点です。
私がこの三つを実践してきて、手に入れた答えとは何か――。それは、幼稚園の子どもでも知っているような、ものすごく当たり前のことでした。一つは、人間は生きものである、ということ。そして、人間は自然の一部だ、ということ。私がこれまで考えてきたのは、たったこれだけのことです。
こんな当たり前のことを一生懸命考えているのはなぜか。いまの時代、人間が生き物として生きていない、と思っているからなんですね。幼稚園の子どもだって、人間は生き物だし、命あるものだから大事にしようね、と言います。それはとても大事なことなのに、なぜか、現代社会ではそうはなっていないのです。
すべての生物に40億年の時間が刻まれている
では私は、人間、生き物をどのように見ているのか。それを象徴的に表した図が、次の「生命誌絵巻」になります。
中村桂子さん講演「生命誌から見えてくる世界」#1:「人間は生き物である」の画像
この絵巻の中には、さまざまな思いが込められていますが、ここでは重要なことを四つだけお伝えしたいと思います。
一つには、生物にはいろいろな種類がいて、多様だということ。まさに生物多様性ですね。絵巻を見ていただければわかるように、バクテリアがいて、キノコがいて、ヒマワリも咲いていて、イルカやゾウもいる。現在、180万種類の生物に名前がつけられていますが、おそらくそんな数では足りないでしょう。地球上に生物がどれだけいるのか、わかっていないのです。
数千万種はいる、いや一億種に上るだろうという人もいますが、実際のところはまったくわかっていません。高圧でとても生物なんて棲めないだろうと思うような深海や、高温のマグマの近くにだって生き物はいます。南極の氷の下にある湖にも生き物はいる。それくらい思いもかけないところに生き物はいて、じつに多様なのです。いま、SDGsなどで生物多様性を守りましょうなどと言われたりしますが、今日の研究から、生き物は多様でなければ存在しえない、ということがわかっています。
もう一つ重要なのは、あらゆる生物はDNAの入った細胞でできていて、進化の過程で多様な生物が生まれてきたけれど、その祖先はたった一つだということ。
その祖先細胞がいつどこで生まれたかはわかっていないけれど、38〜40億年ほど前の地球の海の中に祖先細胞がいた、という証拠はあります。つまり、この太古の海にすべての生き物につながる祖先細胞があったのです。ですから、いま現存するバクテリアは、40億年の歴史を持っているということになります。つまり、バクテリアのゲノムの中には40億年の歴史が書かれている。同じように、ヒマワリのゲノムにも40億年の歴史が書かれている。ヒトも同じです。すべての生き物のゲノムの中に40億年の歴史が刻まれているのです。
私たちはかつて、単細胞生物のように単純な構造をしている生物を下等生物、人間のように複雑な構造を持つ生物を高等生物などと呼んで、区別してきたことがありました。でも、生物学上、すべての生物に40億年の歴史が刻まれているんだという認識を持つと、世界の見え方は大きく変わるはずです。けっして、下等生物などと蔑むことはできません。
もしいま、目の前にアリがいたとして、そのアリも40億年の歴史を持つんだと思えば、簡単に潰して殺してしまおうとはならないでしょう?
「上から目線」ではなく、「中から目線」で見る
それからもう一つ重要なことは、人間は生物をつくることはできない、ということ。いまここにあるパソコンは複雑ではあっても人の手でつくることができますが、アリはつくることができません。アリをつくるには、どうしても40億年の時間が必要だからです。生き物であるという意味は、まさにそういうことなんですね。つまり、命が大切であることの一つの理由は、そこに長い長い時間が伴っている、ということ。このことも、この絵巻でお伝えしたいことの重要なポイントの一つになります。
中村桂子さん講演「生命誌から見えてくる世界」#1:「人間は生き物である」の画像
そして四番目は、この絵巻の中に人間がいる、ということ。これからみなさんがいろいろなことを考えるうえで、一番大事にしていただきたいことは、まさにみなさんもこの中に含まれている、ということです。当たり前のことのように思えるかもしれませんが、これまではそう捉えられてこなかったからです。
現代社会では人間は、この絵巻の外にいて、上から生物たちを見下ろしています。生物多様性というときも、その中に人間はいなくて、「生物の多様性を守ってやらなければいけない」という姿勢をとってきた。まさに上から目線ですね。これはまったく意味のないことだと思います。
そうではなくて、人間は生物とともにあって、生物について中から目線で見なければならない。この生物とともにある多様な環境のなかで、人間はどう生きていくべきかを考えなければならないのです。
イチジクとハチの共生関係から見えてきたもの
具体的な事例をお話しましょう。地球には、南米、東南アジア、アフリカと3本の熱帯林帯、グリーンのベルトがありますが、この熱帯林は地球環境に非常に大きな役割を果たしています。この熱帯林を上空から見ると一様に見えますが、森の中にわけ入ると、非常に多様な世界が広がっています。その中で重要な役割を担うのが、キープラントと呼ばれる樹木です。
なぜキープラントと呼ばれるのか――。森という字は「木」という字を三つ書きますが、森は木だけで成り立っているわけではありません。鳥やシカやサルや昆虫がいて、それらが食べる果実がなければ、森は成立しない。なかでも、すべての生物にとって欠かせないのが果実です。とくに一年中、実(花)をつける野生のイチジクは、すべての生物にとって貴重な存在です。まさにキープラントなのです。
さて、このイチジクの実を割ってみると、必ずイチジクコバチと呼ばれる2mmほどの小さなハチを見つけることができます。このイチジクコバチは、安全かつ栄養分たっぷりのイチジクの実(花)の中に入って卵を産み、子育てをします。
じつは雄コバチは雌コバチと交尾を終えた後、実の一部に穴をあけて間もなく命果てます。すると、雄コバチがあけてくれたこの穴を通って、イチジクの花粉を身につけた雌コバチが外へ飛んでいくのです。すると、この雌コバチが運んだ花粉によって、イチジクがまた新たな実をつける。こうして一年中、イチジクの実がなり続けるというわけです。
中村桂子さん講演「生命誌から見えてくる世界」#1:「人間は生き物である」の画像
野生のイチジクの実。中央あたりにコバチがいる。
さて、この野生のイチジクとイチジクコバチのDNAを調べてみたところ、1200万年くらい前に一種類だったイチジクが、時間をかけて分化し、その種類を増やしてきたことがわかります。
たとえば、クワ科イチジク属のアコウとガジュマルは、非常に近いDNAを持っていることが知られていますが、このアコウに棲むコバチとガジュマルに棲むコバチを調べてみると、DNAが非常に近い兄弟のような存在であることがわかっています。それは、ほかの種類のイチジクも同様で、近いDNAを持つイチジクの実に棲むコバチ同士のDNAは非常に近いのです。つまり、イチジクとハチの共生関係は、1000万年以上も続いてきたということになります。
中村桂子さん講演「生命誌から見えてくる世界」#1:「人間は生き物である」の画像
しかもこれは単なる共生というより、共進化と呼ぶべき関係です。異種間でこうした関係がこれほどきれいに成り立っている例はそれほど多くはありませんが、イチジクとコバチについては、この関係が見事に成り立っている。だからこそ、一年中、いつでもイチジクは実をつけ、動物たちの食物となり、森が森として成り立ってきたのです。言い換えれば、大きな森は、この小さなハチが存在するからこそ成り立っているとも言えます。
虫と植物が生態系を支えている
私たちはともすると、虫を虫けらと思って、人間のほうが優れているなんて感覚を持ちがちです。ところが、地球上に熱帯林が存在しなかったら生態系は成り立たないわけで、それを支えているのが、あの2mmほどの小さなハチだということを忘れてはなりません。そう思うと世界の見え方は大きく変わるのではないでしょうか。
ちなみに、次の図は地球上の生態系について、生物の類ごとにその数を大きさで示したものです。
中村桂子さん講演「生命誌から見えてくる世界」#1:「人間は生き物である」の画像
人間は哺乳類ですから、ゾウの絵のところに含まれます。数が多ければ偉いということではないけれど、生態系を見てみると、そのほとんどを虫と植物が占めていることがわかるでしょう。
イチジクコバチの例は一例にすぎませんが、私たちが食べるイチゴだってリンゴだって、ミツバチがいなければ実をつけません。私たちの身の回りの生活も、植物と昆虫の関係が支えてくれているのです。
このように、生態系の営みを通して、人間を含めた生き物を見直してみると、その捉え方は従来とは大きく変わってくるのではないでしょう
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