https://weekly-haiku.blogspot.com/2011/02/21_3453.html 【想像力と思い出】より
小川軽舟の一句……近藤栄治
水たまり踏んでくちなし匂ふ夜へ 小川軽舟
夜で止めるのではなく「夜へ」の措辞で、踏む意志に方向性と物語性が生まれた。
軽舟なら、読者はその物語はこうだと想像を膨らませてくださいよ、と言うだろう。「鷹」句会初参加の作品だ。句会終了後の懇親会に会費は湘子持ちで参加したとある。湘子も粋だが、これは買えると直観したんだろう。若いということだけで得することもある。
この句は『シリーズ自句自解ベスト100 小川軽舟』の巻頭の句でもある。その中に
マフラーに星の匂ひをつけて来し
の句があり、恋人を「思わず抱き寄せるとマフラーに冷え切った夜気が香る。ああ、これは星の匂いだ。……できればこのくらいの想像はふくらませていただきたい」と作者は述懐している。よくも言ったりで、与謝野鉄幹でも言えないだろう。
それはともかく、『超新撰21』での軽舟はあいさつで、「俳句は何かを伝えるのではなく、読者に何かを思い出させるのだ、という考えが私の中で年々濃くなっている」と書いている。思い出が時間に連なるものであるとすれば、想像力は時空を超えたものだろう。別の見方をすれば、思い出という心的概念は想像という概念に包摂されるものだ。少しく狭い。ありていに言えば、軽舟はあえて俳句をより狭い範疇に規定しなおしたとも言える。本当にそうだろうか。
想像力は自由に広く機能するが、その分根っこになるものに欠ける。他方思い出すという心の作用は、“思い出に縛られる”というフレーズがあるように、心の働きを規制する側面を持つが、その規制が心地よいものである場合は、人を幸福感で満たす。それは母なる、あるいは父なる根っこへの回帰という類のもので、遡行するベクトルとして作用する。この在り様は、案外と俳句形式に似合っているのかもしれない。軽舟の思い出すという心の働きへの思いに立ち返れば、俳句という形式を踏まえての深いところから発せられているように思える。
想像力と思い出すという二様の創造力は、むろん価値の問題ではなく、あくまで表現を生みだす契機の異なるものとして考えるべきものだろう。と同時に両者は共存し得るものであるから、考えの変化として無理やり収める必要はないが、あえて「俳句は・・何かを思い出させるのだ」と発信していることを思えば、その本意を本人に確認したいところではある。まだ若いが、それなりに年輪を重ねた結果の考えの変化と思えなくもない。この確認は大事なことのように思う。もう一度、軽舟俳句に戻ろう。
運動会石鹸つるす蛇口あり 自転車にむかしの住所柿若葉
これらは、思い出に括られる句と読める。とても面白く、佳句である。
天体のわたる曲線林檎置く 筍に虎の気性や箱根山
前句は句集『手帖』の句、後句は『手帖』以後の句。想像力の働きを見る。
死ぬときは箸置くやうに草の花
この句はどうだろうか、はるかな記憶を呼び寄せたようでもあり、想像力を働かせたとも言える。軽舟は今も想像力と思い出の狭間で揺れている、と思うべきだろうか。本当は想像力と思い出すという二つの意志は、まれに幸せな出会いを果たすものなのかもしれない、俳句という場で。
https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1663906771【想像力の自己教育】
より 佐藤 忠男
教育の目標として想像力あるいは創造力の育成ということがよく言われる.それを言い出したのは主として産業界で,型にはまった人間では産業界は発展しない,想像力の豊かな人間が新しい製品を創造してくれることによってはじめて産業も発展し得る,というような大変現金な要求だったと思う.しかし私は,想像力というものをそういう現金なものだとは考えたくない.想像力で大事なのは,他人の心を想像できる,ということであり,他人の身になれることによって新しい人間関係を創造できる,ということであると思う.
しかし,他人の身になるということは,同じ日本人同士ならまだ比較的にやさしい.外国人となると難しくなってくる.そのギャップを埋めるのに大変役立っているのが映画である.例えばわれわれがイタリア人の心を理解するうえではイタリア映画というものがどんなに役に立っただろう.特に私が,なるほどこれがイタリア的な考え方と感情か,と,ハタと膝を叩きたくなるような感銘を受けた映画に,ミュージカルの“ナポリの饗宴”がある.
https://kyoiku.sho.jp/153249/ 【温故知新の本当の意味とは?〈前編〉能楽師・安田登の【能を知れば授業が変わる!】 第八幕】より
プロフィール
能楽師 安田 登 やすだのぼる
下掛宝生流ワキ方能楽師。1956年、千葉県生まれ。高校時代、麻雀をきっかけに甲骨文字、中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師時代に能と出合う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演など国内外で活躍。『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)他著書多数。
2種類の発問とは
能を大成した世阿弥は、その著『風姿花伝』の中で、「古きを学び、新しきを賞する」と書きました。これは『論語』の「温故知新」という章句が元になっています。「温故知新」=「故(ふる)きを温(あたた)め新しきを知る」、有名な言葉ですね。しかし、これはただ単に「古いことも、新しいことも大切にする」という意味だけではありません。今回はこの温故知新について見ていこうと思います。
学生時代に教職の授業で「教師にもっとも大切な能力のひとつが発問力だ」と言われました。発問には、ふたつの種類があります。
ひとつは先生が答えを知っていることを問うこと。算数などはこれですね。その時の発問力は、いかに子供が正解を導き出せるか、そのような問いを考え、発する力です。ただし、これはやり過ぎると子供から「誘導尋問だ」と思われてしまいます。子供たちからそのような声をときどき聞きます。彼らは案外、するどいのです。
もうひとつは先生も答えを知らないことを問うこと。たとえば、いまウクライナ問題が起きています。この解決方法を考える。誰も答えを知りません。むろん、先生も知りません。でも、それを子供と一緒に考える。それは大切です。
道徳の授業での問いも答えはありません。指導書はあるかもしれない。しかし、それが「正しい」とは限りません。それこそ指導書に書いてあるような答えを求める問いを発したら、誘導尋問だと思われてしまいます。
国語もそうです。ある年、私が書いた文章がふたつの大学の入試に出たことがありました。同じ年に同じ文章が違う大学の入試に出たのです。ひとつは京都大学、もうひとつは大東文化大学です。解いてみました。しかし、私の答えは有名予備校の模範解答とはまったく違っていました。国語において、正しい答えというのはないのかもしれません。
また、先生方がふだん直面する多くの問題にも正解はありません。授業中に騒ぐ子供、よく忘れ物をする子。彼らをどうするか、悩んでいる先生も多いでしょう。先生同士の関係で悩んでいる方もいらっしゃるでしょう。先輩の先生からアドバイスを受けてもうまくいかない。これも正解のない問いです。
答えのある問いとない問い、まずはこのふたつを混同しないことが大切です。普段から、そのふたつを分ける習慣を身につけておきましょう。
そして、その正解のない問題を考えるときの方法が、『論語』の「温故知新」なのです。
「温故知新」は、まず先生ご自身がそれを理解し、使う練習をちゃんとして、それから子供に教えるようにしましょう。『論語』の三省の中にも「自分が習熟していないことを人に伝えていないだろうか(習わざるを伝うるか)」というのがあります。自分ができないことを子供たちに要求はできません。
正解のない問題を考えるこつ
「温故知新」をするときに最初にすることは「問いを立てる」ことです。それも「正しい問い」を立てなければ温故知新はできません。
たとえば「うるさいクラスをどうしたらいいか」というのは、問い自体が間違っています。「うるさいクラス」というものは存在しません。クラスがうるさいと感じるときによく観察してみれば、まったく言葉を発していない子供が何人かいます。いや、何人もいます。
クラスがうるさいのではなく、騒いでいる子供が何人かいるだけです。
また、騒ぎ出すときには、だいたいひとりか、あるいは少人数から始まります。
ということは、「誰それが騒がないようにするにはどうしたらいいか」というのが、正しい問いに近い問いです。しかし、これでもまだだめです。その子も常に騒いでいるわけではありません。その子が騒ぎ始めるのはどのようなときか。何がきっかけでそうなるのか。
こういうことをちゃんと観察して、はじめて「正しい問い」が出てきます。
そのような問いを立てることができたら、いよいよ「温故知新」が始まります。
https://kyoiku.sho.jp/153251/ 【温故知新の本当の意味〈後編〉能楽師・安田登の【能を知れば授業が変わる!】 第八幕】より
後編の今回は正しい発問をするための温故知新の話です。高校教師から転身した筆者が、これまでになかった視点で能と教育の意外な関係性を全身全霊で解説します。
「温故」をすると「知新」が起きる!?
正解のない問題を考えるときの方法としての「温故知新(『論語』)」の話をしています。前回は「正しい問いを立てる」という話をしました。それができたら、いよいよ温故知新です。
まずは「温故」をします。
温故の「故」というのは「古いこと」ですが、その範囲は広い。例えば、その問題について書かれた本があります。論文もあります。これらはどんなに新しくても、それが書かれた時点で古くなっています。今日書かれたものでも、それは過去に書かれたものです。「故」です。
また、先輩の先生方からのアドバイスも「故」ですし、自分が今までに考えたことも「故」です。
温故とは、それらを「温」することをいいます。「温」という字は、盤という容器の中に何かを入れてぐつぐつ、ぐつぐつ煮込むことを言います。本の内容やアドバイスを脳の中に入れて、時間をかけてぐつぐつと煮詰めること、それが「温故」です。
温故をしていると、やがて「知新」が起きます。
「知新」の「知」という文字は孔子の時代にはまだありませんでした。あったのは左側の「矢」だけです。昔の文字ではこのように書きます。
この「矢」が地面に突き刺さったという漢字があります。「至」です。これも古い文字を見てみましょう。
孔子の時代の「知」は、この「至」だったのでしょう。古代の音(おん)を比べてみると、「知」と「至」とは似た音で通用していました。
「知」というのは、矢が突然、目の前に飛んでくるように何かが忽然と出現することを言います。では、何が出現するのか。それが「新」です。
新という漢字には「木」が入っています。右側の「斤」は斧です。木の上の「立」は、もともとは「辛」で「シン」という音(おん)を表します。すなわち「新」とは、木を斧で切ったときに現れる、新しい切断面を言います。
既存の考えを頭の中に入れて、ぐつぐつぐつ煮詰めていると、まったく新たな考えや方法が突如として出現する。それが「知新」です。そして、その過程を孔子は「知」と名付けました。
これが正解のない問いを考えるときの温故知新ですが、『論語』の中では「温故而知新」と書かれています。
「而」とは
「温故」と「知新」の間に「而」が入っていますね。この「而」を、高校の授業では「置き字なので無視していい」などと教わりますが、そんなことはありません。
「而」という字を巫女の髪だという人がいます。あるいは魔術師(男巫)の髭の形だという人もいます。ともに巫術、魔術に関連します。ですから、私はこの「而」を「魔術的時間」と呼んでいます。
スポーツや音楽の練習をしていると、やってもやっても全然、進歩をしないというときがあります。やってもやってもだめどころか、むしろ下手になっているように感じる。ところが数日、休んでみると、突然できていたりします。
自己の内部では、目に見えない変化が起きているのですが、それが認識されないだけなのです。このように目には見えないけれども何かが起きている時間、これを「魔術的時間而」と呼びます。
温故と知新の間には、この魔術的時間が横たわっています。何もしていないように見える時間、それが「而」です。この時間の存在は、すぐに正解を求めてはいけないということを教えてくれます。
正解のある問いは早く答えることがいいと思われています。しかし、正解のない問いは、ゆっくり、じっくり考える時間が必要なのです。
煮詰まったら、ぼんやりする。あるいはまったく違うことをして気晴らしをする。それが「知新」に至る道です。
この「而」の時間は、取り組んでいる問題の大きさや、あるいは人によっても違います。
能では、この時間を最低10年、あるいは数十年かかるとも考えます。若い頃は下手だと言われていた人が60歳を過ぎて突然、上手になることもあります。70歳、80歳で芽が出るかもしれない。
ゆったりと待つことが大切なのです。
子供もそうです。まったくやる気のなさそうな子、授業中に騒いでいる子の中にも、この魔術的時間「而」が流れています。そんな子を見たら、「ああ、この子の中にも魔術的時間が流れているのだな」と思うのはいかがでしょうか。
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