太白の冴える

https://www.taebaek.go.kr/jan/contents.do?key=898 【太白の由来】より

太白的由来 圖片

太白市の“太白”は、太白山に由来しており、“大きく明るい”という意味を持つ。 太白山は、“大きく明るい山”であり、“ハンバクタル(한밝달)”や“ハンベダル(한배달)”とも呼ばれ、檀君神話とも関連がある。

太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子である桓雄(ファンウン)が、太白山の頂きの神檀樹の下に降り、神市という国をおこして人間の地を治めた。民は、天帝の庶子が舞い降りた山こそが、天につながる架け橋だと信じ、それ以来、山の頂上で祭祀を捧げる風習が生まれた。そして、その神聖な神山を“太白山”と名付け、霊験あらたかな聖域として崇拝してきた。

その後、民族の興亡・盛衰・分裂により、本来の太白山(白頭山)がその機能を失ったことから、別の場所にもう一つの太白山がつくられた。民族というのは、たとえ分裂しても風習は同じであるため、南下した民族(三韓)は、北方の太白山(白頭山)と地理的特徴が似た山を“太白山”とし、その山頂に天祭壇を設け、以前と同様に祭祀を捧げた。それが、現在の太白市にある“太白山”である。空を象徴するのは“太陽”であり、太陽とは明るい陽光を意味するため、天神子孫である韓民族(朝鮮民族)を明るい民族“白民”とし、天に祭祀を捧げる山を明るい山“白山”とした。その白山で祭祀を執り行う風習を持つ民族を“倍達民族”といい、太白山は、多々ある明るい山のうち“最も大きく明るい山”という意味である。

太白山の麓には、長省邑と黄池邑という町があったが、人口増加により1981年7月1日付で市に昇格、それと同時に合併することになったのだが、この二つの町が太白山の麓にあったことから、市名を“太白市”とされた。それまで、旧長省邑・黄池邑の各代表が太白郡設置推進委員会を設けて郡昇格推進に努めてきたそうだが、結果的には市昇格として開庁された。


http://jiyudaigaku.la.coocan.jp/kannkoku/sinnwa.htm 【檀君神話(文献神話)】より 

1. 檀君神話

 太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。

 部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。

 このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。

 桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。

 周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。寿命が1908歳であった。(姜在彦『朝鮮儒教の二千年』01朝日選書 p.28)

・北方アジア原住民たちの巫俗神話では、熊が人間であり、人間がまさに熊であるという観念が根づいている。このような観念は、日本のアイヌ族においてもみられる。

「熊との交婚はウラル諸族を除いても、ツングース諸族のほぼ全域と、朝鮮、ニヴフ、イテルメンアイヌと中国に見られ、分布が極めて広い」(大林太良「朝鮮の檀君神話とツングースの熊祖神話」『東アジアの王権神話』84弘文堂 p.369)。

・熊は冬眠により洞窟の中でいったん死んだ後再生する。それはアマテラスの岩戸入りとも通じる死と再生のイメージである。

・多くの神々は天から降下したか、天を往復することのできる権能をもっていた。桓雄は、世界木をつたって地上に降りてくる北方アジアシャーマニズムの神々の面影そのものである。

・朝鮮には、民族主義を象徴する檀君神話とともに、事大主義をあらわす箕子神話の二系列の神話が伝わっている。

箕子神話とは、殷代末期、紂王の師をつとめた賢人箕子が殷の滅亡に際し、東行して現在の朝鮮の西北部に亡命し、この地に国を建てて王となり、人民にいわゆる「八条の教訓」を示して理想的な統治を行ったというものである。

箕子神話は長く支配層に支持されてきたが、元(モンゴル)の脅威が高まり民族意識が高揚すると、檀君神話が脚光を浴びるようになり、檀君は箕子朝鮮より古い朝鮮全土の開国神・始祖神とみなされるようになった。

・1909年羅喆(らきつ)により始められた「大そう教(「そう」はにんべんに宗)」は檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する宗教で、「檀君教」とも呼ばれる。

・韓国では、檀君が降臨したとされる10月3日は祝祭日(「開天節」)であり、1961年までは「檀君紀元(西暦+2333年)」が使用されていた。

 

2. その他の文献神話 依田千百子『朝鮮神話伝承の研究』91瑠璃書房(p.23~24)など

(1)高句麗の高朱蒙(コチュモン)神話

夫余(東扶餘)王金蛙が太白山の下の優渤水で、1人の女に会った。女は河伯(河の神)の娘柳花(ユファ)で、天帝の子、解慕漱(ヘモス)に私通されたため、父母が怒って優渤水中に放置したのだという。金蛙がこの女を部屋の中に幽閉しておくと、日光が女を照らしてついにはらませた。女は大卵を生み、その中から神童が誕生した。彼は朱蒙(弓をよく射る人)と呼ばれ、その後種々の試練と苦難を克服して南走し、高句麗を建国した。

・解慕漱が北扶餘を建国し、その子の夫婁(ブル)が東扶餘に移したとされる。

・朱蒙に関する記述は、高句麗の好太王碑や中国の『論衡』、『魏書』、『捜神記』などにある。

・朱蒙には3人の息子がいた。長男の琉璃が高句麗の王位を継いだため、弟の沸流(プル)と温祚(オンジョ)は国を出て南へ向かいそれぞれ国を作った。海辺に建国した兄の沸流は失敗し死んだが、山辺に建国した弟の温祚は成功して百済の始祖となったとされる。日本の『続日本紀』では朱蒙を「百済の太祖」(四十、延暦七月条)と紹介している。

(2)新羅の朴赫居世(ヒョッコセ)神話

新羅六村(李、鄭、孫、崔、裵、薜)の人々が閼川(アルチョン)の岸辺に集まって会議をしていると、楊山のふもとの林の中に光とともに白馬と大卵が天降り、卵の中から神童が生まれた。彼は赫居世(光り輝く君)と名づけられ、新羅の始祖王となった。

・六村の祖先もみな天から降ってきたとされている。

・赫居世王は亡くなって昇天したが、その後大地に落ちて五体がバラバラになった。慶州にある五陵の一つが赫居世陵であるといわれる。

(3)昔脱解の神話

東海の多婆那国の王と女王国の女が結婚して大卵が生まれたが、不祥なこととして卵は箱舟に入れて海に流され、新羅の阿陳浦に漂着した。一老婆がこれを引き上げ、箱を開けてみると、中に一人の神童がいた。これが脱解であり、新羅第4代の王(在位7~79)となった。

・『三国遺事』には、脱解が、新羅に漂着する前に、金首露が治める駕洛(次項参照)に攻め込んだが、王位をめぐる神術戦に負けて新羅に去ったという話がある。

(4)駕洛(カラク)の金首露(キムスロー)神話

駕洛国(加羅、伽耶)の村々の村長たちが亀旨峰(クヂボン)に集まり、神迎えの祭りを行っていると、天空より神の声が聞こえ、紫の縄が天から垂れ、縄の先に金の合子(食器)があった。中には6個の卵があり、これが孵って6人の神童となった。彼らは各々六駕洛の王になった。ある日、緋の帆を張った船が神女を乗せて来航したので、これを迎えて王妃とした。女は阿踰陀国(アユダ、インドにあった国)の王女で、父王の命により、首露国の妃となるため渡来したという。

(5)耽羅国(タムラ、済州島)の三姓始祖神話

良乙那、高乙那、夫乙那の3神人が地中から湧き出した。一方、東の海浜に紫泥で封印された木箱が漂着して、なかから3人の処女が現れた。彼らは3神人の配偶者となるため日本国より渡来したと告げ、各々成婚して国を開いた。

・「朝鮮神話における国祖ないし氏族始祖の出現形式には、①天からの降臨、②海の彼方からの来訪、③卵生、④日光感精、⑤獣祖、⑥地中からの湧出の六つの形がある。一方、日本の記紀神話では皇室の祖先の天からの降臨が主で、海からの来訪がこれに従属しており、その他、日光感精、三輪山式の出生譚などは特定の氏族の始祖神話や民間説話としてのみ伝えられている。なかでも朝鮮神話に目立って多く、日本神話にきわめて乏しいのは卵生神話である」(依田千百子『朝鮮神話伝承の研究』91瑠璃書房 p.27~8)

・朝鮮神話と日本神話の類似について大林太良は以下のような指摘をしている。①資料が少ないことが比較の限界となっている。②日本神話には朝鮮以外の地域の神話との類似もある。③日朝神話の類似は主に王権神話に集中している。④王権神話の類似は日朝の王権の親縁関係を示している可能性が高い。⑤日本にも朝鮮にも多くの異なった神話が存在しているため、各々を個別に比較する必要がある。(『東アジアの王権神話』84弘文堂 p.196~8)

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