現代の前衛とはなにか

facebook辻 信行さん投稿記事

前衛でも、ただの平和主義者でもなく

金子兜太、岡本太郎、寺山修司。この強烈な個性を放つ3人が顔を合わせ、「現代の前衛とはなにか」語り合う。ケンカにならないはずがない。

『週刊読書人』の1969年1月6日号(『対談集 岡本太郎 発言!』所収)。

当時の俳句、芸術、演劇の分野で前衛と呼ばれた3人を集めておこなわれた鼎談だ。序盤、最年長の岡本の発言を金子がうなずきながら聞き、最年少の寺山は2人に食ってかかる形で進められる。しかし途中で三者三様に分裂し、最後は金子と寺山が正面衝突して火花を散らす。

金子は対談当時の1968年、そして60年安保前後に前衛があったか、と問題提起する。これに対し寺山は、歴史をパースペクティブでみて、後世に残るかどうか、芸術運動の中のエコール(流派)と評価されるかどうかで前衛を規定するやり方を激しく批判する。

金子>そこで寺山修司がブェーンと爆発した。「書を捨てよ、町へ出よ――」と言って素人を集めてやった。それでボワーンと爆発して消えちゃったというだけのことなら、あの戯曲の仕事は、街のあんちゃんの芝居ごっこと変らないんだよ。前衛の所業とはいえない、というのがぼくの言い方なんだよ。

寺山>自立、変革、覚醒の役割だけで充分だ。

金子>つまり自己満足でいいというわけだな。

寺山>それは観客や、参加した連中にきいてくれよ。観てない芝居の評価をされても仕方がない。

この後も両者の言い分は平行線をたどる。岡本は、創作活動に目的性をもった金子と、無目的性をもった寺山という対立に見えるが、実は寺山も無目的的に見せかけて、そうでないものをねらっていると指摘。「だから目的性と無目的性の――まあむずかしいことばでいえば、弁証法的な存在であるわけだよ。だから、片っ方を強調するために片っ方を否定するということになると、水かけ論になるんだ。どうも仲裁役のほうがおもしろい(笑)」とまとめる。

「芸術は爆発だ!」の岡本太郎が仲裁にまわり、激しくスパークした金子と寺山をなんとか取り持ち、バランスの取れたところに着地させようとしているのが面白い。

そもそも金子は、「むかしから自分が前衛かどうか疑ってきた」と述懐する通り、前衛俳人としての自覚が薄い。しかし「ぼくは俳句の中で意欲的に第一線的な気持ちで自分の俳句をつくってきたことについては自負している」と語る。

これに対し寺山は、「だから、前衛じゃなきゃだめなんですよ、金子さん」とけし掛ける。そしてこの鼎談で寺山は、自身の思う「前衛」の姿を立ち振る舞って見せたのだ。金子が指摘するように、寺山の言い分には論理の飛躍も前言との矛盾も散見されるが、とにかくエッジが立っており、言葉そのものに面白味がある。それはまさに「アヴァンギャルド」だ。

前衛とは、前衛部隊のように「第一線」という意味に端を発しているが、芸術における前衛は「アヴァンギャルド」でなくてはならない。金子は「第一線」であったものの、必ずしも「アヴァンギャルド」ではなかった。寺山と岡本は「第一線」であると同時に、「アヴァンギャルド」でもあった。

同じアヴァンギャルドでも寺山とは馬が合わず、岡本とは合ったのは、金子と岡本の両者に縄文のアニミズム感覚があったからだ。岡本は火焔型の縄文土器に衝撃を受け、「太陽の塔」をはじめ自身の作品に縄文のモチーフを取り込んで革新的・実験的な制作を展開する。一方の金子は、作品世界そのものが縄文だ。たとえば次の一句。

〈おおかみに蛍が一つ付いていた〉

「大神」と崇められながら絶滅したニホンオオカミの身体に、たましいのように幽玄な光を放つ蛍が一匹付いている。蛍もまた現代では絶滅が危惧され、その多くが姿を消してしまった。つまり、オオカミも蛍も現代人の与り知らない異界へと旅立ってしまったのだ。そのためにこの句は過去形で、まるで古老から伝え聞いた昔話のようになっている。金子自身もまた、縄文のアニミスティックな世界を現代に伝える語り部であった。

ぼくが生まれる6年前に寺山は異界へ旅立ち、6歳のとき岡本も旅立った。生前の二人とは会えずじまいだったが、金子の謦咳に接するのには間に合った。2016年3月、神奈川大学で開催されたシンポジウム「俳句にとって季語とは何か」。

金子は講演で、「俳句とは、五七五のリズム形式の詩のことば。自然を捉えた「季語」、人間や社会を捉えた「事語」の二つから成り立つ」と定義付けた。

その上で、松尾芭蕉は季節と関係のない旅・恋・名所・離別などを詠んだ無季の句を積極的に認めているのに対し、高浜虚子は俳句を「季語」というみみっちいフンドシの中に収めてしまったと主張。虚子が自分の商売のため、自分の俳句を広めるためにしたことが、「俳句には季語が必要」という固定観念を生んでしまったと語った。

司会の復本一郎は、各パネリストに「季語と季感のズレはどのように考えているか?」と問いかけた。金子は、「自分の季節感で押し切れば良い。寒紅梅も冬と思えば冬、春と思えば春。歳時記なんか必要ない。俳句には季語のほかに、事語という大切な要素もあるのだから」と応じた。

このシンポジウムは、全国高校生俳句大賞の授賞式に合わせて開催されたので、会場には高校生俳人が詰めかけていた。北海道の旭川からきた2年生の男子は、俳句における「高校生らしさ」は何かと質問。

金子は毅然と言った。「「らしさ」なんかに捉われる奴はバカだ!「高校生らしい」なんて言葉をまともに受け取っちゃいけない。ここにいる大人の言葉もまともに受け取っちゃいけない!」

この言葉には反戦への想いが滲み出ている。昨日まで「勝てば官軍!」で戦争を礼賛していた大人たちが、敗戦と同時に手のひらを返して反戦を主張し、教科書にも墨を塗らせた。そんな大人たちを、簡単に信じてはならないのだと。

金子の戦争体験は、シンポジウムで紹介した自作の句にも表れていた。

〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている〉

早春で梅の咲く庭が青さめている。特に朝は、海の底のように青い。春の空気が立ち込め、いのちが訪れている。その様子が、戦時中にトラック島で日本人を食っていた青鮫と重なった。平和な庭を目の前にしていても、突如として25~6歳の戦争体験が蘇ってくる。自衛隊の活動拡大などを認めた安全保障関連法案への反対を表明し、2015年に「アベ政治を許さない」と太字で揮毫したのも、自身の戦争体験に基づく危機感からだった。

そして会場に集まった高校生たちに、もう一句紹介した。

〈谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな〉

鯉とは恋のことであり、季節は関係ないと言う。鯉のぬるぬるした魚体が水のなかでもみ合い、それが男女のまぐわいに見立てられている。金子は高校生に反戦への想いと同時に、官能の愉楽、生きることの歓びを伝えたのだった。

90歳で毎日芸術賞の特別賞を受賞した際、金子は贈呈式で次のようにスピーチしている。

「講評にある句〈男根は落鮎のごと垂れにけり〉は自分のことを書いたのであります。私のにはまだ落ち鮎程度の実体感がある、と。そのことを申し添えたい」

前衛と呼ばれるもその内実は縄文。反戦の想いと同時にあふれるエロティシズム。いまごろはフンドシからはみだす落ち鮎と三途の川を渡り、寺山や岡本と議論を戦わせているだろうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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