Facebook田中 宏明さん投稿記事
静けさに満ちた 安らぎの場所に 行くためには あなたはたくさんの 荷物を背負い過ぎています 例えばあなたには どうしても譲れない 愛しい人がいます あなたには どうしても解決したい 辛かった日々があります ただ時間と共に 愛おしい人は いつのまにかあなたの 「執着」に変わり 辛かった記憶は いつのまにかあなたの アイデンティティに変わります 人はいつも 無意識の中で 自らの「存在証明」を 探し続けているからです
そうして 他者や生きてきた経験 を通して「あなた」という 輪郭が段々と形づくられて
いきます^ ^そしてそれこそが 実は「重荷」そのもの なのです だから手放すことがとても難しいんです あなたの「存在証明」を 手放すということは あなた自身が 消えてしまうことと 同じだからです
でもね^ ^ 少しだけ想像してみてくださいもし今あなたからほんの一瞬だけ何としても繋ぎ止めたい人やどうしても守らなければならない人引き裂かれるような過去の体験や記憶が消え去るとしたら それが一瞬であれば味わってみたいとは思いませんか?^ ^
一瞬だけ「自分」という この重荷を手放せるとしたら その身軽さ自由さを味わってみたいと思いませんか?どうでしょうか?^ ^
もし味わってみたいと思った人がいたらあなたは自分に素直な人です^ ^ そして、その思いはきっとあなたの本当の思いだと思います
だから今心の中でいいですから全てを捨ててみてください^ ^
家族も親も子供も パートナーも友人も 社会的役割も責任も何十年生きてきた様々な体験に伴う喜びや悲しみも全て捨ててみてください^ ^
あなたが空っぽになるまで、捨てて、捨てて捨てまくってみてください
ついでに「あなた」という役割も捨ててくださいいかがですか?^ ^
今どんな気分があなたの中を流れていますか?
ゆっくりと「空っぽ」になったあなたを感じてみてください
そんな、あなたに質問です^ ^ あなたは誰ですか?
はい^ ^今あなたは「誰でもない人」ですそしてその誰でもない人が本当のあなた自身なんです^ ^
今は観念の中で捨てたに過ぎませんがもしこの感覚を本当に体感した時あなたはきっと
笑い転げるでしょう
こんなにも深刻な人生をつくっていたのは他ならぬ「あなた」自身だったと気がつくからです^ ^僕はその「気づき」を安心と呼んでいます
インドではShantiと呼ばれていますそしてその状態こそが静けさと安らぎに満ちた場所に辿り付いた何よりの証です^ ^
あらゆる荷物を手放してはじめてあなた自身を抱きしめてあげらます^ ^
そうして自分を抱きしめてあげられる人だけが目の前の人を抱きしめることが出来ます^ ^
安らぎの中ではじめて人は世界に優しくなれるからです
てなわけで長くなりましたが読んでくださってありがとう😊皆さまも素敵な一日を🌈
Om shanti&らぶ💓🌈
Facebook相田 公弘さん投稿記事「スナフキンの名言」
あんまり誰かを崇拝するということは、自分の自由を失うことなんだ。
あてはないのさ、気の向くまま、風の吹くまま、ぶらぶらとね。嵐の中にボートを出すばかりが勇気じゃないんだよ。もっと意気地のない弱虫は、自分のした悪いことを隠して人を騙すことだよ。生きるっていうことは平和な事じゃないんですよ。
ムーミン「義務って何のこと?」
スナフキン「したくないことを、することさ」いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ。
本当の勇気とは自分の弱い心に打ち勝つことだよ。包み隠さず本当のことを正々堂々と言える者こそ本当の勇気のある強い者なんだ。
つまらん意地を張って、優しい仲間を失うことは、美しい宝石をなくすよりも悲しいことだよ。いざ泣こうとすると、泣けないことってあるだろ?
君は今日一日ムーミン谷に笑いを与えたんだ。ムーミン谷は今日一日何となく楽しい。それは君のおかげだ。
怖いかどうかはやはりムーミン自身が経験しなけりゃならないんじゃないかな。
どこにもなかったら、自分で作ったらどうだい?できるかどうかはやってみなければわからないんじゃないかな。
みんなと同じことをするのはたやすいことだ。
世の中にはね、自分の思い通りになってくれない相手のほうが多いんだよ。おべっかばっかり使って友達になろうとするやつも同じくらい多い。だけどムーミン、僕はそんなやつが大嫌いさ。
飢えを知ってればこそ、僕は二度とそうなりたくないと努力するだけだよ。
故郷は別にないさ、強いて言えば地球かな。
人の涙を弄んだり、人の悲しみを省みない者が涙を流すなんておかしいじゃないか。
自然の力はすばらしいもんだよ。
「そのうち」なんて当てにならないな。いまがその時さ。
何か試してみようって時には どうしたって 危険が伴うんだ。
大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ。
一度決めたら最後までやりぬく、それが俺の人生さ。
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想念破壊
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/19675627?categoryIds=2927840 【PBM】
霊現象は神観、人間観、世界観の全てを覆しました。
まさに想念破壊の痛みをモロに経験したと言えるのでしょうか?
中学時代 生きる意味を求めて 堂々巡りをし続け ふとしたことから プロテスタントの教会に出会いました。その教会には夜学に通う 勤労高校生が10名近く集っていました。
彼らの多くはニヒリストであり 和多志はその仲間に入ってしまいました。
彼らは熱心に求道生活を送っていましたが 和多志はアンチクリスト的な本を読んでは彼らと牧師に議論を吹き掛け続けました。その果てに 和多志は門外漢だから去る旨を告げました。
すると一人の青年が 真っ蒼な顔をして「傲慢な態度を許して下さい」「自分は説得できると思っていた」と謝りました。
和多志には 彼がなぜ謝ったのかさっぱり解りませんでしたが 心が揺すぶられてしまいました。それ故 生きることも死ぬこともできない 悶々とした毎日の突破口を キリスト教に そして視点変更に求めました。
「生きる意味を問うもの」から(絶対者に)「生き方を問われるもの」になろうと決め クリスチャンワーカーになるべく 結婚とほぼ同時期に 大学と院での学びを始めました。
赴任教会での働き以外に 日本キリスト教団の働きも、兵庫教区の働きも担いながら 家庭と教会生活中心の毎日を歩み続けました。
然しプロテスタントとはカソリックにプロテストすることで生まれた 言葉中心、左脳中心の信仰共同体です。
教団内には分派、徒党が沢山生まれ、言葉中心の礼拝には霊性が乏しく 教会内のグループはサロン化し、教会活動を精一杯しても 満たされる思いになれませんでした。
それなりにいろいろ学ばせてはいただきましたが どうしても納得がいかない教義に「時」に対する 概念があります。
キリスト教における「時」の流れは直線的です。輪廻転生の考えもありません。
大宇宙の公理は回転なのに!そして創世記では一日の時の循環、一年の時の循環を語るのに!!何故か時間軸は直線です。
和多志がキリスト教に躓き始めたのは 霊性のなさ、教義に対する不信、そしてリーダーたちに対する不信と世俗化にあります。
教団総会、教区総会、教会役員会など メイン会議の前には 俗世界とおなじように 教団、教区の権力(お金)を握るべく 根回しが横行し どこにも分派が生まれ、徒党が組まれ
教会のリーダーたちが競い合う姿をいやというほど見てしまいました。
世俗化こそ 教会を去ることになった 決定要因かもしれません。
特に 聖職者といわれる牧師(ファミリー)への侮蔑の思いが強いです。最後に出会った一人をご紹介しましょう。
夫婦と、娘3人の家族でした。 夫も妻も 各々が「自分たちは本来離婚していてあたりまえの関係だ」と和多志に語りました。然し教会員の前ではおしどり夫婦を演じます。
長女はうつ病。カウンセリングをして欲しいということで 引き受けたものの、娘のカウンセリングが終われば 必ず母である牧師夫人が カウンセリング内容を聞きたがり、自己正当化のために和多志の居室に居座り続けます。
遂にたまりかねて 両親の問題が 娘を追いこんでいると言ってしまった翌日から 彼女は顔を合わせても視線を反らし 挨拶さえも返さなくなりました。
次女はストーカー事件を引き起こし 警察沙汰にさえなりました。
次女の保護を要請されたり、和多志の夫までも相手との折衝にかりだされたりしました。
牧師は教会員がいない場では 常にビールを片手に、まるでアルコール依存症を疑いたくなる感じでした。
和多志が関わっていた求道中の青年に セクハラ事件を起こし 大問題となり青年の自宅に謝罪に行く故 同行を求められたりもしました。
牧師は玄関先で土下座をして謝りました。にもかかわらず 後の牧師の話では 悪いのは青年の方になってしまいました。
こんなどさくさの中で和多志は教会を去ることを決めてしまいましたが 洗礼を希望していたこの青年はうつ病になったと聞きます。
キリスト教とお別れする氣持ちが強まるなかで 残された人生を 如何に生かされるのかを ずいぶん問い続けました。
プロフィールにも書いたように和多志は人並み以上に いわゆるトラウマというものを持っています。
それが和多志の人生の特徴かもしれません。その人生で出会った大きなものが キリスト教と心理療法でした。
二大特徴の一つであるキリスト教に失望すれば 残されたものは心理療法しかありません。
人生で得た心理療法を 人生へのお返しとして これからのライフワークとしようと決めました。援助者になろうと決めたわけです。
人の援助がしたいと願うからには 自分がとことんクリアリングされる必要があります。
もちろん教育面接類のこと、頭蓋仙骨療法、箱庭療法 各種ワークショップの参加、その他いろいろ自分の浄化のためにしましたが、 スリーインワンコンセプトの一人セッションをまるで仕事のようにやり続けました。
その技法で、僧坊筋にあった スタックポイントを外した時 身体ががたがた震え 座りこむと同時に 直径30センチくらいの白昼光、次いで鮮やかなアメジスト色の光が セットで2回、次の日に一回輝き 基底部から前につんのめるような感じで エネルギーが上がり始めました。
クンダリーニが覚醒したのだそうです。キリスト教とのお別れが霊現象の始まりになった ということでしょうか。
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/categories/1145444 【サダナ】
プロテスタントの霊性のなさをいやというほど実感させられたのが上記のサダナ瞑想会への参加でした。
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