谷川作品

https://book.asahi.com/article/15405983 【歌人・枡野浩一さん 平明なのに深い谷川作品「物事を簡単に理解することの浅はかさをわかっている」】より

枡野浩一さん

 《谷川俊太郎さんに初めて会ったのは18歳のとき。サイン会だった》

 詩集「よしなしうた」にサインしてもらいました。その後、対談の機会を得たり、私のトークイベントにこっそり来てくれたりしました。

 対談するときは、なぜか私のプライベートがうまくいっていないタイミングが多くて。離婚して落ち込んでいたり、親が体調を崩して倒れたり。いつの間にか対談の内容が私の人生相談になってしまうこともしばしばでした。本当は谷川さんも相談されて困っていたんじゃないかな。そんなことおくびにも出さなかったけれど。

 《谷川さんの詩集「となりの谷川俊太郎」は、枡野さんのエッセーが収録されている》

 エッセーにも書いたのですが、私がデビューしたばかりの20代のころ、「この才能ある若い歌人にお金を振り込みたいかたはご自由にどうぞ」と、インターネットで口座番号を公開しました。そうしたら谷川さんが振り込んでくれたんです。しかも金額の数字が、たしか初めて会った日の日付になっていて。粋なんですよね。

 昔の詩人は夭折(ようせつ)で暗いイメージがあるけれど、谷川さんは健康的で長生きで、明るくて鋭い。

 詩歌は、生きづらさから生まれることが往々にしてある。対して谷川さんは、依頼されるから詩を書き続けてきた。破滅的ではないし、ダメさもない。かといってお行儀がいいわけでもない。

 《特に好きな詩の一つが、「あなたはそこに」だ》

 この詩には、〈ほんとうに出会った者に別れはこない〉という一節があります。谷川さんが世界を、人間関係を、どう捉えているかが出ていますよね。

 絵本も、わかりやすいけれど誰にも作れなかったものを生み出している。自死をテーマにした絵本「ぼく」(絵・合田里美)も、「死ぬのはいけないよ」とは言わない。でも、読むと生きていることの尊さが伝わってくる。だから私も、つい人生相談したくなってしまうんでしょうね。

 《今年5月から、芸名「歌人さん」として、芸人の活動も始めた》

 谷川さんって幅広く表現してきているけれど、肩書がずっと「詩人」だけなのも格好良いんですよね。だから私も「歌人」を名乗っていこうと思って。

 〈本当の事を言おうか/詩人のふりはしてるが/私は詩人ではない〉(「鳥羽 1」)という詩の一節も、「そうだよね」と言われちゃう人が書いても何のインパクトも残さないですから。そのくせ〈とべとべおちんちん〉(「男の子のマーチ」)とか平気で書いてしまう。

 作品が平明なのに深いのは、物事を簡単に理解することの浅はかさをわかっているからだと思うんです。「わかった」気になるのは簡単だけれど、谷川さんはそうしない。「わかった」と思っていないし、もしかしたら何も信じていないのかも。とてもじゃないけど追いつけない存在です。(聞き手・田中瞳子)=朝日新聞2024年8月14日掲載

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 ますの・こういち 1968年生まれ。「枡野浩一全短歌集」など著書多数。Tシャツにプリントされているのは自作の短歌。


https://book.asahi.com/article/15405985 【詩人・翻訳家、田原さん 人間の魂の奥底を描く谷川作品「言語を超えている。時間も国境も」】より

田原さん

《谷川俊太郎さんの詩を中国語に翻訳し、紹介してきた。アンソロジーの編者も務めている》

 30年前、留学先の天理大学で学んでいたときに授業で谷川さんの詩に出会いました。「二十億光年の孤独」をはじめとした数編の詩をプリントしたものが配られたんです。私は来日して4年目で、日本語を勉強中でした。辞書を引きながら、詩を中国語に訳しつつ読んでみると、いままでに出会ったことのない斬新さを感じました。

 「なかなかいい詩ですね」と興奮して先生に言ったら「日本一の詩人ですよ」と。以来、作品を追いかけてきました。

 《1999年、谷川さんは初めて中国を訪問した》

 一緒に中国各地を巡りました。どこへ行っても熱烈な歓迎を受けていました。

 谷川さんは、作品の力だけで、中国の読者を征服した。谷川さんの詩は、思想性を表に出さない。言葉はやさしくて、一見すると単純。けれど深みがある。

 センチメンタルではない。けれど、人間の魂の奥底に存在している普遍的な悲しみ、喜び、心配を描きだしている。だからこそ外国語に翻訳され、受け入れられている。言語を使いながら、言語を超えているんですね。時間も国境も超えています。

 《「ことばあそびうた」(73年)は、ひらがなだけで書いた詩集だ》

 韻律を重視したナンセンスな詩なので、中国語に訳すのに非常に苦労しましたね。

 かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった とってちってた

 かっぱなっぱかった かっぱなっぱいっぱかったかってきってくった

 (「かっぱ」)

 この6行を訳すのに、2年近くかかりました。完成した中国語訳を谷川さんに見せたら、「やっと漢字から脱出できたのに、どうして中国語にしたの?」と冗談で言われましたね。

 谷川さんは常に新しさを求める詩人です。自分でも、「すぐひとつの書き方に飽きちゃう」と言っています。常に新鮮な発想がないと、あれだけたくさんの、表情の違う詩は書けない。100歳になっても、感性においては少年でしょう。

 《詩が大衆に受け入れられるのは、「天才だから」ではない》

 あんなに勤勉な人はいないです。一緒に中国へ行ったときも、常に本を読んでいた。離婚をして、精神的にどん底だったであろうときも詩を書いていた。90歳を超えてインスピレーションが枯れないのは、常に新しいものを蓄積しているから。新しいものを吸収しているから。

 才能より、勤勉ですよ。(聞き手・田中瞳子)=朝日新聞2024年8月21日掲載

     *

 ティエン・ユアン 1965年、中国河南省生まれ。91年に来日。2010年に詩集「石の記憶」でH氏賞。翻訳作品に「谷川俊太郎詩選」など。 


Facebook玉井 昭彦さん投稿記事

(天声人語)谷川俊太郎さん逝く

 詩人のねじめ正一さんが、谷川俊太郎さんと即興の「漫才」を演じた。名うての2人による言葉の勝負。なぜか夕日に扮した谷川さんに、ねじめさんがインタビューをするという趣向なのだが、ここぞ腕の見せどころ。変化球を投げつけた。最近、地平線と婚約したそうですね。

「あれ、どうして知ってるの」と谷川さん。「でもさ、入道雲のほうがよかったかな。地平線て一直線で素直そうに見えるけど、夜になると蝶々(ちょうちょう)結びになってひねくれるんだ」。瞬時に選んだ言葉のセンス。真骨頂を見た、とふり返っている。

享年92。谷川さんが亡くなった。記憶に残る作品はいくつもあるが、一連のことば遊びが懐かしい。〈かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた〉(「かっぱ」から)。意味なんてなくてもいい、と詩の楽しさを教えてくれた。

言葉の力と格闘してきたからこその境地だろう。言葉への疑いを隠さなかった。「みんな、自分には言いたいことがある、それを表現できるって信じているんじゃないかな」。

思いが深ければ、なおさらである。盟友の大岡信さんが亡くなった時、本当はヒトの言葉で君を送りたくない、としたためた。

本人の詩「じゃあね」でお別れしよう。〈どこか見知らぬ宇宙のかなたで/また会うこともあるかもしれない/じゃあね/もうふり返らなくていいんだよ/さよならよりもさりげなく/じゃあね じゃあね……〉。二十億光年のかなたへ、すっと旅立ってしまった。

朝日新聞11月20日


Facebook藤井 隆英さん投稿記事

「成人の日に」 谷川俊太郎

人間とは常に人間になりつつある存在だかつて教えられたその言葉がしこりのように胸の奥に残っている

成人とは人に成ること もしそうなら私たちはみな日々成人の日を生きている

完全な人間はどこにもいない 人間は何かを知りつくしているものもいない

だからみな問いかけるのだ 人間とはいったい何かを そしてみな答えているのだ その問いに 毎日のささやかな行動で 人は人を傷つける 人は人を慰める 人は人を怖れ 人は人を求める 子どもとおとなの区別がどこにあるのか 子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな おとなは一生大きな子ども どんな美しい記念の晴着も どんな華やかなお祝いの花束も それだけではきみをおとなにはしてくれない 他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ

自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ でき上がったどんな権威にもしばられず

流れ動く多数の意見にまどわされず とらわれぬ子どもの魂で

いまあるものを組み直しつくりかえる それこそがおとなの始まり

永遠に終わらないおとなへの出発点 人間が人間になりつづけるための 苦しみと喜びの方法論だ[ご冥福をお祈りいたします]


https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/040/096000c 【谷川俊太郎さん 2年前に聞いた「鉄腕アトム」主題歌作詞のこと】より

谷川俊太郎さん=東京都杉並区で2022年8月18日、武市公孝撮影

 谷川俊太郎さんが92歳で亡くなった。現代日本を代表する詩人として有名だが、アニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞も手がけた。私(筆者)は2022年12月、谷川さんに取材した。その時、語っていたこととは――。

そらをこえて ラララ♪

 この主題歌はいまでも、JR山手線高田馬場駅(東京都新宿区)の発車メロディーに使われるなど、時代を越えて親しまれている。

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 1963年元日、漫画家、手塚治虫さん(1928~89年)原作の連続テレビアニメ「鉄腕アトム」(フジテレビ系)が始まった。最高視聴率40%をたたき出す大ヒット作となった。放送開始60周年を前に、テレビ黎明(れいめい)期の製作現場で奮闘した当時20~30代のキーパーソンたちを取材した。その一人が谷川さん(取材時91歳)だった。

 「電話で『やってみないか』とあっさり頼まれた感じです。最初の詩集が『二十億光年の孤独』という題名だったので、何となく宇宙と関係がある詩人じゃないかと思ったんじゃないかしら」

 谷川さんはそう思い起こした。手塚さんとは面識はなかった。それまで歌の作詞をしたことはあったが、曲先(メロディーが先にあって後から歌詞を乗せる方法)は初めてだったという。

 「動く絵にメロディーが乗っているというのは、現代詩を書いている人間にとってはすごく新鮮なメディアなんです。詩はどうしても言葉を重視するのですが、あの場合(アトム)は歌詞が意味ありげなことを言わない方が良いと思いました」と語った。主題歌は大ヒットした。

 放送開始から60年たってどう感じているのかを尋ねると、こう答えた。

 「現代詩はあまり人に読まれないので、何かというと『アトムの作詞家』って言われちゃいますね。手塚さんのおかげなんだけど、自分も、(アトムの人気に)少しは寄与したなって感じがして、うれしいですね」

 実はこの時の取材は電話だった。取材の趣旨を話すと、「それならこの電話で大丈夫ですよ」とのことだった。それから約2年後の訃報。直接お会いできなかったことが悔やまれる。【後藤豪】


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