目薬をさして溺れる冬日かな 五島高資

目薬をさした状態は涙をたたえたような状態でしようか?

まだ 眼のご不調が 続いていらっしゃるのでしょうか? スピ的原因でのご不調の様だとおっしゃっていたのを記憶しています。もしそうでしたら 僭越ながら筋肉反射テストで ご回復のお手伝いができるのではないかと思います。


湛へたる泪や空へ草の花  高資

Tears filled my eyes

autumn flowers bloom to the sky  Taka Goto


chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.jrw-relief-f.or.jp/results/2017/img_2017/inochi_semi2017_4.pdf 【《若松 英輔》氏 「見えない涙 ~かなしみの詩学~」】より

 見えない涙 宮沢賢治の詩に「無声慟哭」と題する作品があります。「無声」は声が出ていないことを意味します。「慟哭」は、声を張り裂けんばかりに泣くことです。「哭く」には「犬」の文字が据えられていますが、泣く声はときに獣のようにすらなることを、この言葉は示しています。しかし、賢治は慟哭も極まれば、声を出さずに泣くことになる、というのです。奇妙に聞こえるかもしれませんが本当です。人は泣くとき、必ずしも大きな声を出すとは限りません。 同様に、悲しい人もいつも涙を流して泣いているわけでない。本当に悲しいとき、涙は涸れ、見えない姿で胸の中を流れ続ける。多くの人がこうした経験を持っているのではないでしょうか。もし、そうだとしたら、目の前で笑っている人の心の奥にも悲しみがあるのかもしれない。むしろ、悲しみの底にあるとき、人は、それを他者に悟られまいと、微笑みを浮べることもあるのかもしれない。そんな風にも考えられます。 5つのかなしみ 「かなしみ」は、さまざまな漢字で表現できます。「悲しみ」「哀しみ」「愛しみ」「美しみ」そして「愁しみ」です。 「悲しみ」は、悲痛、悲嘆、あるいは宮沢賢治は悲傷という文字を自身の詩に用いています。これは、身が砕かれそうになる「かなしみ」です。 「哀しみ」は、「哀れ」と書いて「あわれ」と読むように、他者のかなしみを自分のそれのように感じるはたらきです。 「愛しみ」、この言葉は、悲しみとは、愛するものが失われたことを意味するということを教えてくれています。悲しみは、愛の発見でもあります。 「美しみ」、この文字は、かなしみの底には美が潜んでいることを、また、かなしみを生きる者の姿は実に美しいことを示しています。 「愁しみ」、この言葉をよく用いたのは詩人の中原中也です。この言葉で中也は、自己のかなしみを超え、歴史の、あるいは人類の「かなしみ」にふれたときの心持ちを表現しました。 5つの異なるかなしみが存在するのではありません。少なくとも5つの「かなしみ」が折り重なるように存在していることを「かなしみ」という言葉の歴史は教えてくれています。 言葉を探して ここにいる皆さんが、耐えがたい「かなしみ」、苦しみを経験されていると思います。人生には幾度か、歩き続けるのが難しいと感じさせる試練が訪れます。 そうしたとき、私たちの「つえ」になってくれるのは、言葉です。言葉は目に見えない。しかし人は、大きな困難にあるときもわずかな言葉を胸に抱きしめることで立ち上がることができる。もし私たちが、「つえ」である言葉を見出すことができたら、それをうまく見出せない人に手渡すこともできます。 2012年に父が亡くなりました。今から思うと父は私にいくつもの「つえ」を手渡していてくれていた。でも、彼が生きているとき私は、それをあまり役に立たない棒のように思っていました。そればかりか、「つえ」を手渡されるのが、わずらわしいと感じたこともありました。 たとえば、父がくれた言葉の「つえ」は、「からだを大事にしろよ」というものです。実に当たり前なことですが、本当に大切なことです。 彼は私をとても大切に思ってくれていました。しかし、直接そう口にすることはできない。「からだを大事にしろよ」とは、自分は息子であるお前を心から大事に思っている、ということの別な表現にほかなりません。 人は、ひとりの人が本当に愛してくれていたら、絶望からでもはい上がってこられる。父は、世の中の人がどんなにお前を非難することがあっても、自分はいつもそばにいる、ということを言いたかったのかもしれません。 大切な言葉は、しばしば、じつに凡庸な姿をして現われます。ですから私たちはそれを注意深く見つめなくてはならない。「つえ」になる言葉は、格言のような姿をしているわけではないのです。 書くということ 悲しみがなくなることはありません。愛があるところには必ず悲しみがあるからです。誰かを愛することは、悲しみを育むことだともいえる。しかし、悲しみの経験は人を生の深みに導きます。 そこで私が皆さんにご提案したいのは「書く」ことです。自分の心持ちを知っている言葉で、これまで一緒に生きてきた懐かしい言葉で「書く」ことです。 「書く」こととメモすることは全く違います。メモするとき人は、何を書くべきかを既に理解している。しかし、ここでいう「書く」とは、実際に文字を刻んでみて自分が何を考え、感じ、そして生きているのかを改めて認識しようとする行いです。 本当に「書く」ということが起こるとき、そこに生み出された言葉に、最も驚くのはそれを読んだ他者ではなく、自分自身です。 また言葉は、人間がこの世にもたらすことができるもののうち、最も美しいものの一つではないでしょうか。それは「つえ」でもありますが、枯れることのない花のようにも感じられます。人は、自分に必要な言葉の「つえ」、言葉の「花」を、誰かに頼ることなく、自分で見つけることができます。 さらに、言葉は贈り物になる。身近にいる人はもちろん、それは亡き者たちへのこのうえない捧げものになります。 文字は目に見えますが、言葉の本質である「意味」は目に見えません。しかし、たしかに存在する。人は言葉を書くことで、目に見えないが、疑うべくなく存在するものをはっきりと感じる経験を繰り返すことになります。そのとき私たちは、生者の「言葉」とは異なる亡き者たちからの沈黙の「コトバ」というべきものもまた、より明らかに感じるようになるのではないかと思います。 今日から書いてみてください。ぜひ、懐かしい、用い慣れた言葉で、ありのままを書いてみてください。他の人ではなく自分に、そして自分の大切な人にむけて書いてみてください。 


http://www.midnightpress.co.jp/poem/2009/07/post_100.html 【無声慟哭  宮沢賢治】より

こんなにみんなにみまもられながら  おまへはまだここでくるしまなければならないか

ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ  また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき   おまへはじぶんにさだめられたみちを

ひとりさびしく往かうとするか 信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき  おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

  (おら おかないふうしてらべ)

何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら 

またわたくしのどんなちひさな表情も  けつして見遁さないやうにしながら

おまへはけなげに母に訊くのだ (うんにや ずゐぶん立派だぢやい  けふはほんとに立派だぢやい)

ほんたうにさうだ  髪だつていつそうくろいし  まるでこどもの苹果〔りんご〕の頬だ

どうかきれいな頬をして  あたらしく天にうまれてくれ

  ((それでもからだくさえがべ?)) ((うんにや いつかう))

ほんたうにそんなことはない  かへつてここはなつののはらの

ちひさな白い花の匂でいつぱいだから  ただわたくしはそれをいま言へないのだ

   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)

わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ

ああそんなに  かなしく眼をそらしてはいけない

 きちんとした見通しを立てて書いているわけではないので、大正12年(1923年)の金子光晴の『こがね虫』をうっかりと見落とすことにもなる。そうすると、翌年に出版された宮沢賢治の『春と修羅』は…ということになるのだが、賢治の詩は、今年の初めに「くらかけ山の雪」を読み、続いて「春と修羅(mental sketch modified)」を取り上げている。それにしても、『春と修羅』とは、考えれば考えるほどに、深いタイトルである。その「無声慟哭」詩篇では、どちらかといえば、「永訣の朝」よりも「無声慟哭」に惹かれるのだが、それは、「ただわたくしはそれをいま言へないのだ/(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)/わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは/わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ」の四行によるところが大きい。妹の臨終を前にしてなお書き記された「(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)」という一行が含意する「ほんたう」とはなんだろう。(文責・岡田)


https://kenji.hix05.com/kenji09.doukoku.html 【無声慟哭:宮沢賢治「春と修羅」】より

慟哭とは声を上げてむせび泣くことだ。だから無声の慟哭とは形容矛盾のように見える。だが賢治にとっては、声にならない慟哭もありえたのだろう。妹トシの死に際して賢治をおそったものが、そんな慟哭だった。

この詩は「春と修羅」の挽歌群の中で、「永訣の朝」、「松の針」に続くものだ。妹を失った悲痛な感情とともに、妹への特別の連帯感が現れている。先行する二編と比較すると、この作品には宗教的な色彩が強く感じられる。

  こんなにみんなにみまもられながら

  おまへはまだここでくるしまなければならないか

  ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

  また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

  わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

  おまへはじぶんにさだめられたみちを

  ひとりさびしく往かうとするか

  信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

  あかるくつめたい精進(しやうじん)のみちからかなしくつかれてゐて

  毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき

  おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

      (おら おかないふうしてらべ)

「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ」といっているように、賢治とトシとは法華経の信仰によって固く結ばれていた。賢治の実家は浄土宗だったから、ふたりは法華経に帰依することで、親戚から冷たい目で見られがちだったが、そのことが却って二人の精神的な結びつきを強めたともいえる。

そんなかけがいのない信仰の道づれが、自分をひとり残して死んでいく。ところがそんなトシを自分は強い心で見送ることができない。なぜなら自分はいまだ修行足らずの修羅の身だからだ。

修羅は詩集の題名にもなった言葉だが、仏教で言う六道のひとつ、煩悩の世界をいう。そこに生きるものは、いまだ信仰が成就しない中途半端な状態にある。賢治は自分もまたその修羅と同じ立場なので、妹の死を厳粛に受け止めることができないでいると嘆いているのだ。

  何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら

  またわたくしのどんなちひさな表情も

  けつして見遁さないやうにしながら

  おまへはけなげに母に訊(き)くのだ

      (うんにや ずゐぶん立派だぢやい

       けふはほんとに立派だぢやい)

  ほんたうにさうだ

  髪だつていつそうくろいし

  まるでこどもの苹果の頬だ

  どうかきれいな頬をして

  あたらしく天にうまれてくれ

      それでもからだくさえがべ?

      うんにや いつかう

煩悩で乱れた自分を、死につつあるトシはやさしく受け止めてくれる。トシのほうが一歩先に煩悩を脱し、清浄な世界へと晴れ晴れと旅立っていこうとしているかのようだ。

そんな晴れ晴れとしたトシの顔はリンゴのようにかわいい。どうかそんなきれいな顔で新しい世界に生まれ変わってくれ。修羅である賢治はそのように願う。

  ほんたうにそんなことはない

  かへつてここはなつののはらの

  ちひさな白い花の匂でいつぱいだから

  ただわたくしはそれをいま言へないのだ

       (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)

  わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは

  わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ

  ああそんなに

  かなしく眼をそらしてはいけない

晴れ晴れとした顔のトシがいるその空間は、夏の野原のようにちいさな白い花でいっぱいだ。このイメージは仏教の極楽世界のイメージにつながるのだろう。だがそれを前にした賢治はいまだに修羅であることを脱しきれない。心は不安につつまれてたままだ。

兄さんがそんなに不安な顔つきをしてると、わたしまでが不安になって、無事に極楽へ旅立つことができません、最後にトシが賢治に見せる表情の背後には、こんな叫びが込められているように写る。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000