高原山 南東風黒曜石の目覚めたる 五島高資ー 場所: 重要文化財 木幡神社
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784787705341 【シリーズ「遺跡を学ぶ」
黒潮を渡った黒曜石・見高段間遺跡】
内容(「BOOK」データベースより)
黒潮あらう伊豆南東海岸に、神津島黒曜石を大量に陸揚げした遺跡がある。太平洋上の神津島から六〇キロメートル、黒潮を渡った黒曜石は、この見高段間集落を拠点として南関東一円に流通した。黒曜石と縄文土器の産地分析の成果をもとに、海洋交易者の光芒を追う。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池谷/信之
1959年静岡県の伊豆韮山に生まれる。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。沼津市文化財センター主任学芸員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784787720412 【シリーズ「遺跡を学ぶ」
北の黒曜石の道―白滝遺跡群 (改訂版)】
内容(「BOOK」データベースより)
北海道・白滝は世界第一級の黒曜石原産地である。その黒曜石で作られた石器は遠くサハリンでも出土している。旧石器時代の白滝での石器生産システム解明と道内およびサハリン・シベリアの遺跡研究から、北の物流ネットワークと人類拡散のドラマを浮かび上がらせる。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
木村/英明
1943年生まれ。明治大学大学院文学研究科史学専攻修了。博士(史学)。第7回雄山閣考古学特別賞・第7回岩宿文化賞受賞。札幌大学文化学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
https://jun3519.blog.so-net.ne.jp/2009-08-15 より
池谷信之著『黒曜石考古学-産地推定が明らかにする社会構造とその変化-』
2009年3月20日発行 新泉社 B5版306頁本体8,000円+税
はじめに
このたび、沼津市文化財センターの池谷信之氏によって、『黒曜石考古学-産地推定が明らかにする社会構造とその変化-』が刊行された。本書は、池谷氏が2007年度、明治大学文学研究科に提出した博士学位論文『黒曜石と石器時代史-黒曜石考古学による地域史叙述の試み-』に多少の加除と修正を加えたものである。
「黒曜石考古学」とのタイトル通り、池谷氏のフィールドである東海地方東部を中心に東海地方西部から中部高地、そして関東地方西部までを対象として、旧石器時代から弥生時代中期までを通史的に黒曜石利用の変遷とそこからみた社会構造の変化を最新の研究成果を踏まえ論じられている。
ここ数年、多くの社会人研究者による石器に関する学位請求論文が刊行されているが、いずれも旧石器時代から縄文時代時代草創期まで、あるいは縄文時代単独を対象にしたものであり、旧石器時代から弥生時代までの石器時代全般を対象にした研究書がなかった。また、黒曜石を研究の中心にすえ、通史的に研究がおこなわれている点でも、本書の研究史的な意義は高いものと評価される。
このような学位論文が提出から時間をおかずに刊行され、多くの研究者や一般の考古学好きの読者に読まれることは大変喜ばしいことである。
https://2nd-archaeology.blog.so-net.ne.jp/2009-04-30 より
池谷 信之 2009 『黒曜石考古学 -原産地推定が明らかにする社会構造とその変化-』新泉社
今から20年も前に「湘南藤沢キャンパス内遺跡」という今思えば不思議な名前の<遺跡>の「B2L層」というところから出土した箱根畑宿産黒曜石を主体とした不思議な石器群に出会った時(五十嵐1993a)から気になっていたこと。
詳細は次の機会に譲り、今回はその周辺部分を少し。
「黒曜石」でも「黒耀石」でも、どちらでもいいのだが、こだわる人たちはこだわることになる。そして両者を使い分けなければならない第三者は、大変である。
「黒耀石」の「本家本元」ですら、誤字が散見される。
例えば、明治大学TOP>明治大学博物館>明治大学黒耀石研究センター>活動の記録>研究業績一覧>機関誌『黒耀石文化研究』目次で、第2号や第3号の「特集 黒曜石研究のひろがり」は、当然「黒耀石研究のひろがり」だし、第3号の「石器時代における黒曜石採掘鉱山の研究」は「黒耀石採掘鉱山の研究」の誤り?である。面倒なことである。
ただ池谷2009が提示する「黒曜石考古学」と明治大学が主導する「黒耀石考古学」は、微妙にそしてある部分ではかなり本質的な差異が認められるようである。この点についても、後日、徐々に明らかにされるだろう。
以下は、本書302ページ「註2」に対する応答である。
「黒曜石の「個体」を識別する方法には、研究者の間に伝承された「秘伝」のごとき手続きがあるらしい。しかしその方法が活字となって共有されたことはないし、一部の研究者を除けば[池谷1996a、五十嵐1998]議論の対象となることもほとんどなかった。」(294.)
ということで、同書 註2)にて10年前に発表した五十嵐1998dに言及されることになった。
「2) (前略) 五十嵐彰は「原石」を単位とするレベルの資料群を「母岩別資料」、剥離行為を単位とする資料群を「個体別資料」と規定している。傾聴すべき認識であるが、例えば大形の神津島産黒曜石原石に対して、分割を繰り返して細石核原形を得た場合、いったいどのレベルから「母岩」と「個体」を峻別するのか、なお問題は残されている。」(302.)
池谷氏は、五十嵐1998dにおける「個体別資料」の定義として単に「剥離行為を単位とする資料群」としているが、これは正確ではない。
「意図的な「割り」行為を分析の単位として採用するならば、分析単位の統合性は剥片剥離を表わす「石核と剥片類の接合」という現象で保証されなければならない。これを「個体」として用いる。」(五十嵐1998d:116.)
重要なのは、「石核との接合」という点であり、単に「剥離行為を単位とする資料群」ではないのである。
「「個体」という言葉は、本来、「石器の素材を作り出す剥片剥離作業を行なった結果生じた単一の石核およびそこから剥離された複数の剥片類の組み合わせ」に限定すべきではなかろうか?」(123.)
「接合の有無に関わらず本来一点の資料のみからでも同定が可能とされている「母岩別資料」と石核との接合資料あるいは「母岩」分割の認められない接合剥片群によってのみ識別が可能な「個体別資料」とは同等なものではなく、常に前者が後者を包含する入れ子状態の関係にある。」(116-7.)
剥片剥離という意図的な割り行為を有意な分節単位として認定していく際に常に問題となるのが、「分割」という行為(事象)である。であるから単なる「石核」ではなく、あえて「単一の石核」(123.)という規定が必要になる訳で、さらにはわざわざ「「母岩」分割の認められない接合剥片群」(117.)という冗長な修飾語句を付加しなければならなかったのである。
こうした文章を記した当時(1990年代後半)は、余りにも「母岩」という用語と「個体」という用語が錯綜し過ぎていた。そして余りにも本来基本に据えられるべき「接合」という事象との関連性が意識されずに隔絶し過ぎていた。そうした混乱状態(無意識状態)を少しでも解消できれば、あるいは何らかの方向性を示すことができればという思いで記した文章であった。であるから、「いったいどのレベルから「母岩」と「個体」を峻別するのか」といった点は、むしろ些細な問題であると考えていたし、それは現在も変らない。
しかしながらこうした問題提起から10年余りが経過してもなお、石材-原産地-母岩-接合といった石器資料の基本的階層すら体系的に認識されていない一部の現状を見るにつけ、深い徒労感を覚えるばかりである。
本書を通読して感じるのは、『カヌーライフ』あるいは『シーカヤッカー』といった雑誌が参考文献として挙げられていることからも窺えるように、著者の趣味と実益が一体化したちょっとやそっとでは余人の追随を許さない独自の研究姿勢である。
羨ましい限りである。
https://www.spstone.com/stonemean/obsidian_m.html
【オブシディアン(黒曜石こくようせき) 天然石・パワーストーン 言われ・効果・意味辞典】
和名を「黒曜石(こくようせき)」。火山から吹き上がった溶岩が時間をかけて冷え、固まって出来た天然のガラスです。白い斑点のインクルージョンがあるものは、「スノーフレークオブシディアン」、虹のような光彩のあるものは、「レインボーオブシディアン」と呼ばれています。黒色のこの石は時に、鏡として用いられることもあったのだとか。姿見で自分を見るかのように、人の精神状態を映し出して淀んだ気持ちを解消し、雑念を払う強靭な意志を授けてくれるとされています。
オブシディアンが持つと言われるパワー・意味について
黒曜石の名前は歴史の授業で聞いたことがある人もいるかもしれません。有史以前、人間の祖先である人類がこのオブシディアンを手に入れ、宝飾品にしたり、割れたオブシディアンの鋭いかけらをナイフや矢じりに用いたりしていました。火山活動のあった地域で豊富に産出されたため、古い時代から人類と多く関わってきた石であると言えます。
魔除けや占いに用いられたオブシディアン。後ろ向きな気持ちを浄化し、人生への希望を呼び覚ますと言われています。自分の身に余るような課題やトラブルがふりかかり、生きることに疲れてしまっている人に、人間としての器を成長させるための活力をもたらしてくれるのです。荒波にもまれている間は苦しいですが、仕事や対人関係の中でどうふるまうかを深慮し実践することで、その経験は着実にあなたを生かし成長させるはずです。
何かをしようとしても、ついだらけてしまったり、後回しにしてしまう性格の方。そうした人の精神状態を安定させて集中力を高め、ここ一番でふんばるパワーをくれるのもオブシディアンです。どうも優柔不断で誘惑に負けてしまうという場合に身につけて。底力を発揮し、全力で挑みたい人を応援する石です。
こんな方に好まれて使われています
・気持ちがネガティブになり、行動力が欲しいとき
・困難に打ち勝ち、自分を成長させたいとき
・雑念をなくし、物事を継続する集中力が欲しいとき
https://www.gemstone-wiki.com/a018-obsidian.html
【黒曜石の意味と効果】
日と月や青面金剛風薫る 高資
天地人むすぶ薬叉(やきしゃ)や青葉闇 高資
磨滅して常楽我浄や新樹光 高資
木幡神社ー 場所: 栃木県 矢板市
玉砂利へ還る常磐木落葉かな 高資
溯る忍穂耳へと青葉風 高資
沖辺より風の薫れる鳥居かな 高資
Under a torii -
the woods have a fresh aroma in the breeze
from a faraway ocean T. Goto
木幡神社(主祭神・正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、配祀・田心姫命、大己貴命、事代主命、阿遅志貴高日子根神、創建・坂上田村麻呂): 国指定重要文化財ー 場所: 栃木県 矢板市
神籬へまず潜りたる木暮かな 高資
結葉の光渦巻く社かな 高資
木洩れ日のはためく青葉若葉かな 高資
海坂の渦を仰ぐや新樹光 高資
木幡神社(国指定重要文化財)坂上田村麻呂創建、御祭神 : 正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、配祀 : 田心姫命、大己貴命、事代主命、金剛薬叉明王
今日は納庚申。木幡神社(坂上田村麻呂創建)の金剛薬叉明王坐像(栃木県指定有形文化財)。出典 : 「神社ときどき寺」http://ameblo.jp/dtyjicydi/entry-11711408173.html
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