https://note.com/muratatu/n/n136f39756edf 【増田まさみ句集『遊絲』考 ――存在の迷宮的空洞を満たす幻視的詩魂】より
武良竜彦(むらたつひこ)
先ずこの句集に満ちている魅力的な俳句をいくつか揚げて、鑑賞を試みたい。その後で句集全体の文学的主題の探求を試みよう。
擂粉木を持ち替えるたび春の雪
擂鉢の中で均されているのは未生のことばたちか。春の雪が屋外で降っているのではなく、擂鉢の中に春の雪が呼び込まれて、未生のことばたちに精気を与えているかのようだ。ここにあるのは、よくある「写生」的俳句ではない。ということは、増田まさみ俳句が「視て」いるのは実景ではないということだ。では彼女は何を「視て」いるのか。
泣く夢に母もきて哭く沈丁花
作者の「泣く」という観念の所作が、「母」なる者の、歴史的慟哭を呼び込んでいる。そして下五に記憶を象徴する香を放つ「沈丁花」が、あたかも「俳句的な季語であるかのように」そっと添えられている。「哭く母」が来ているのは「沈丁花」の傍ではない。この句の「表現主体」の「泣く夢」に立ち現れているのだ。つまり増田まさみ俳句が「視て」いるのは、夢という自分の精神のありようなのだ。
峠にはいつも母佇ち毛糸編む
「毛糸編む」類型的母像だけなら抒情歌の領域だが、それを喩としての「峠」に「いつも」母を佇立させることで、歴史的「母」像に投網を掛けたような文学的普遍性を獲得している。俳句の作者という「わたくし性」にべったり貼り付いた視点で、実の母を「視て」いるのではない。増田まさみという生身の俳人を超克する「表現主体」は、歴史的母像を創造しているのだ。表現主体の視線は時空を超越した幻視的眼差しである。
木の洞に存(ながら)えている谺かな
「木の洞」は生体としての樹木の幹を腐食させてできた何もない空洞だが、元は幹という充実した生体が占めていた場所という記憶の場所だ。そこに「谺」を「存え」させる。人の声帯から発せられた言葉の喩である「谺」は、放置すると消滅を待つばかりである。だが「洞」はそれを密かに蓄え続けている。「木の洞」とは、迷宮的欠落性を持つ存在そのものであり、増田まさみ俳句が創造した幻視的場所であり、人間の精神性の喩である。
人体に涯あれば吹くみなみかぜ
「涯」のある「人体」。水際、岸、遠い果て、限り、時間的には終わりに至るまでの間が「涯」である。つまり人体がそこで果て、異界との境界となる時間と地点。そんなものを具有している身体性。その認識が呼び寄せる「みなみかぜ」。その認識のない「人体」には「みなみかぜ」は吹かない。存在にとってその身体性とはそのようなものであるという哲学的喩。
蝉穴も火口もさみし歯を磨く
「蝉穴」、蝉を育んで地上に送り出した後の穴。「火口」、地中の熱いマグマを地上に噴き出した後の穴。その営みの後の僅かな時間に存在し、やがて風雨に晒され埋もれてしまう穴。人の口は息を吐くばかりではなく、真実という保証もない言葉を吐いたり、ものを食べたりもする。句の中に言葉としては書きこまれていない、存在の空洞性が浮かび上がる句である。
梟やなぞなぞの死は円らなる
「円ら」は俗に「瞳」の愛らしい輝きを称える表現に使われる。「梟」の眼の丸さと連動した表現と解しそうになるが、その欠けるところのない完璧さの象徴としての「円ら」なる形態の表現と解しよう。「死は円らなる」は「死」というものの、人間には解けない彼岸の完結性の表現である。増田まさみ俳句が死を語るとき、空洞性、欠落性を抱えた存在のありようそのものが浮かび上がる。それがこの句集の主題でもあるのだ。
古池や浮木は浮木抱いて浮く
「池」は流れてゆく先を持たない。「古池」はその上に時間さえ淀ませている。ここには「翁たらん翁たらんとゆく浮木」と詠んだ永田耕衣的漂泊の流浪感さえない。「浮木」が「浮木を抱いて浮く」ような、寂しい命たちが戯れに「愛」などと呼ぶ究極の寂寥感が「古池」状に包囲されている。
他には次のような印象的な句がある。
かげろうや太古を奔るわが屍 老鶯や巣は迷宮と言い添えて
燃えさしの燐寸をくわえ鳥渡る みんみんや死は凸凹に乾きゆく
鉦叩きすでに液体なるわれに 綾取りになき蝶々の客死かな
幻視的で詩的な俳句世界だ。言葉の一義的な意味性を振り切り、言葉自身の力を詩という荒野に解き放つ。そのままでは言葉自身が野放図に遊び惚けるので、詩人はそのときだけ、俳人となって見えない心の「遊絲」で縛りをかける。すると、言葉は緊張感を持った表象性を身に纏い、詩人が抱える命という「木の洞」のような空洞に、掬いきれないほどの詩泉を湛え始める。そこに独創的な文学的主題が込められている。
句集『遊絲』はそんな類稀な詩書だと言えるだろう。
Ⅱ
『遊絲』は増田まさみの五冊目の句集である。彼女は俳人であると同時に詩人でもある。
彼女の略歴から引用すると、十歳のとき父から俳句の手ほどきを受けている。高校生時代、国語教師に「自由律俳句」を学ぶ。
二十代・三十代は結社誌「青玄」に拠った。ここで「口語俳句」を学び、「青玄評論賞」を受賞している。
ウエブの「Wikipedia」の総括記事に拠れば、「青玄」は一九四九年、日野草城を主宰として大阪市で創刊された俳誌であるという。
草城は当時俳壇から引退していたが主宰を懇願されて俳壇に復帰したという。全会員制の俳誌として出発し、一九五一年より同人制、同年に発行所が尼崎の伊丹三樹彦宅に移る。創刊時より伊丹三樹彦、桂信子らが参加。一九五六年草城が逝去後、伊丹三樹彦が主宰となり第二次「青玄」が発足。このとき桂信子、花谷和子、坪内稔典らがそれぞれ独立したという。
伊丹三樹彦はリゴリズム・リアリズム・リリシズムの「三リ主義」を提唱し、定型を活かすこと、季語を超えること、現代語を活かすことを主張。また新仮名表記・分ち書き俳句を推進したほか、写真と俳句を組み合わせる「写俳」の掲載など実験的試みを行ったという。伊丹の健康上の理由により、二〇〇六年一月号(通巻六七〇号)をもって終刊したと記述されている。
増田まさみは「青玄」を離れた後、俳誌「現代俳句」の立ち上げに参加。坪内稔典らとの先端的な表現を切り拓く意欲に満ちた俳誌である。そこを拠点に現代俳句同人誌「日曜日」、文芸誌「幻想時計」を創刊。終刊まで編集にあたった。
句集『冬の楽想』(冨岡出版)でスエ―デン賞、ソニー賞、兵庫県芸術文化団体「半どん」芸術文化賞、「銀河系つうしん」賞を受賞している。
他に詩集、エッセイ集、詩画集も上梓している多才な人である。自身が版元である霧工房から、俳句、詩の本の出版活動も行ってきた。
彼女は明石市在住であり、近隣の須磨在住の永田耕衣と交流があった。また耕衣の「琴座(りらざ)」の同人だった河原枇杷男とは交流はなかったが、この二人の先人から多くを学んだという。彼女の哲学的、存在・実存的な思惟から言葉を立ち上げるという作句法はその表れかもしれない。
本稿「Ⅰ」で明らかにしたように、一句一句に込められた彼女の文学的主題は、高度に思弁的な世界で、女性俳人に多くみられる、現実の自分の属性に張り付くような表現とは、表現の次元が違う。
彼女の詩人としての側面については、近藤栄治氏が『ガニメデ』の俳句時評「原初風景の記憶」において、句集『遊絲』を論評した一文の中で触れている。『ガニメデ』は惜しまれて終刊となった質の高い韻文総合誌。その終刊号に掲載(銅林社 平成二十九年十二月刊)。句集『遊絲』収録の俳句はこの『ガニメデ』に連載されたものだ。
その近藤氏の評文の一部を次に引用させていただく。
※ ※
作者は詩も書き、詩集『フロッタージュの沼』(一九九四年編集工房ノア刊)がある。その詩集の帯文を、詩人の北川透が書いている。「彼女の眼は過去のどこかで、親しい者たちが兇器をひからせる、犯罪現場を目撃したことがある(のではないか)。そのどこまでも冷えてゆくが、同時に胸の鼓動を熱くさせる惨劇の記憶が、血の筋を引いて散乱する物たちの、いや、ことばたちのドラマとして再生させられる。しかし、彼女はうたわない。あくまで眼に固執したこの詩法からは、湿潤な風土につながる情緒や情念の根が切断されているからだ。そこにはおそらく新しい俳句の作者である、この人の資質もあるのだろう」。詩集から、一番短い詩を引いてみる。
郷愁
晩秋――キッチンの蛇口から 海が 一滴 したたり落ちた まだ目の開かぬ 母が 一滴。
蛇口から滴る海や(おそらくは)生まれてまもない母のシュールなイメージ(光景)も、作者の心奧に潜んでいた遠い記憶が想像力によって喚起され、デフォルメされて作者の眼に映じた詩的風景であり、想像的現実であろう。
今回の句集におさめられた作品群は、明らかにこれらの詩の世界とつながっている。
※ ※
詩集『フロッタージュの沼』は「ブルーメール賞」という賞を得ている。
そして近藤栄治氏は、彼女の句を二十二句引いて、次のように評している。
※ ※
季語は季感を剥奪され、あくまでも詩語として機能している。季語は俳句に精通した大方の読者を裏切り、作者の妄想(想像)に加担して詩的世界を主張する。
※
やはり俳句という表現形式に惹かれる、作者の気持ちのみえて来る作品が多くある。
※
「新しい俳句の作者」の“俳句の眼”は、詩を書く時の眼とは幾分異なり、また山口誓子のメカニックな“俳句の眼”とも違って、何かに抱擁されているようなやわらかな眼差しを時にみせている。だれかが言った「俳句の神様」のいたずらだろうか。
※
この句集は「Ⅰ水の穴」「Ⅱ蝉の穴」「Ⅲ風の穴」の三章から成るが、作者は「穴」について、「さながら私の生に包含される欠落の一つの言い換えである。しかし、一方で「穴」とはあらゆる時空の『出口』であり『入口』である。永遠の『通路』として『穴』は静かに明滅している。再生をうながす記号のように」と「あとがき」で書いている。再生への希求は、「からだを開く」ことを促しているように思われる。
※ ※
近藤氏も指摘するように、また増田まさみ自身が「あとがき」で述べているように、彼女の深い思惟の世界が「穴」という大きなアナロジーとして句集全体を統べている。この象徴的な「穴」とは、彼女の「私の生に包含される欠落の一つの言い換え」で、「穴」が自分自身だけでは存在できない何かの「欠落」状態であることの切実な喩でもあるのだ。「欠落感」は自分という精神的存在への強烈な希求があって初めて感受されるものであり、自分という存在に疑問も持つことなく自足安住している精神には、絶対に生起しない思惟だ。
また「穴」は「再生のシノニム」、つまり再生の同義語か異名だと作者は述べている。つまり「穴」は命、そして存在そのものの俳句的喩に他ならないとも言えるだろう。
そういう意味でもこの句集は、形而上学的で、哲学的な存在・実存的な思惟の、俳句的喩による造形表現に満ちた世界である。
帯に添えられた言葉「虚空をあそび、埋もれた風景を抱き起こす ことば吹きぬける風のやうにー。」がとても詩的だ。ここからこの句集の扉は開かれるのだ。まるで一篇の純文学的物語のオープニング宣言のようだ。形而上学的で難解ではあるが、人間の魂の所在をしっかりと物語る文学だという宣言である。
この句集の各章の末尾に置かれた山中ゆきよしの三篇の詩に触れておこう。
先ず第一章の「水の穴」の末尾の詩を引用する。
景色 Ⅰ
漆黒のまま 漆黒に没す われらの思惟 (ことば吹き抜ける風ですね )
薄ずむ日のなかに ものみなまるく やはらがふとしてゐるのに
自我と非我のあはひに ウイスキーをそそぐ うらぶれがまだやさしく あるやうに
屈託はわづかに退き けざやぐ月光(つきかげ)は そつと告げる 生き死にのとほい悠い秘め事を こひびとの喃語のやうに
「自我と非我のあはひ」「生き死にのとほい悠い秘め事」という詩句が、この詩の中核をなしている。この二つに対する「屈託」が、この句集全体の主題でもあり、この句集が人間の魂の所在をしっかりと物語る文学だという主張を、このような文語的詩篇で念を押すように、各章の末尾においているのだろう。「こひびとの喃語のやうに」という結びは、増田まさみ的含羞の表明か。
次に第二章の「蝉の穴」の末尾に置かれた詩を引用する。
景色 Ⅱ
川はいい あの岸辺のことです 山あひ遠くきて この身を徹り流れゆく
※
死んだ猫が ちよこなんと座つてゐる こころの かたすみ
※
あの時 一度きり 涕いた わたしを 産んだ 悔いに 無伴奏の 弦こそ きしれ
※
笑みと歎きの あはひに なにがゐるのか 朱いべろ出し
※
かつて美しい名が僕の皮膚を破り ながれおちたものがあつた いつの頃か
通常の散文的構文とも、俳句や短歌とも違う、現代詩独特の表現方法に慣れない人には、とても「難解」に感じられるだろう。この詩を鑑賞するには読解の「コツ」というか、詩法についての知識が必要だ。
最初の二連は作者の回想表現のように抵抗なく読み進むことができるだろう。第三連の「わたし」の登場で、散文的な読みでは、ここまで回想の主体をこの「わたし」だと了解していると、最後の第五連で「僕」が出てきて、読者は混乱する。この読解上の混乱とつまずきを乗り越えて現代詩を鑑賞するためには、詩の中に出て来る人称は、この詩を書いている表現主体(生身の作者とは別もの、ということにも注意)が、作中で描写対象としてそう呼んでいる客体である、ということを知っておく必要がある。
読み方のコツとしては、登場する「わたし」「ぼく」をこの詩の語り手の座から解放して読む必要があるということだ。文字としては書かれていないが、この詩には「母」も背後に居る。「わたし」「母」「僕」が語り手としてではなく、この詩で対象として並列に描かれていると了解して読めば、この詩の主題に一歩近づいたことになる。
この詩から離れるが、このような表現方法の端的な例として、この句集の第一章「風の穴」に、
幾人(いくたり)のわれの入水か螻蛄(おけら)鳴く
という句がある。この「われ」も、増田まさみではない。一定不変の存在者というものを認めない詩人的視座からは、過去の一瞬一瞬で様態を変化させてきた、たくさんの「われ」がいるし、「われ」と限りなく近似の人類的規模の「われ」もいる。その総称としての「われ」を、作者というわたくし性から引き剥がして表現しているのである。
だからこの句の文学的主題は、その時その時の「われ」的存在は、精神的自死を繰り返し、蘇生し「螻蛄が鳴く」ようなこの風土の中を生き抜いてきたということになるのだ。これが増田まさみ的、俳句の作法である。
この詩もそれと同じ表現の仕方がされているということだ。
その時の「わたし」的存在は、猫を亡くして「涕いた」――初めての死の体験。
その時の「母」的存在は「わたしを 産んだ 悔いに 心の弦をきしらせ」ていた――誕生・命への戸惑い。
その時の「僕」的存在は「美しい名」が自分の「皮膚」を「破る」体験をする―初めての異性、他者の認識。
そんな主題のパーツが、多様な人称のそれぞれに、「わたし」的に、「母」的に、「僕」的に体験された、人間の思惟を交錯させて詩的に表現された作品だ、という作品受容の地点に、読者は辿り着くことができる。
「蝉の穴」の章を締め括る詩として、ここに置かれている必然性を読者は、ここで識ることになるだろう。
次は第三章「風の穴」の末尾に置かれた詩だ。
景色 Ⅲ
ことばが 失せてしまつた その罪を 僕は 風にかづけた
瀰漫する 愛の形代 過ぎし日の 失意と逆意 自己と放恣は除かれた
不治の病巣のやうに 尖新を称える精神にこそ 古ぼけた因襲はそつと隠れる
少年がひとり 餌のない釣糸を 川岸に垂らす
冒頭二行で「ことばが/失せてしまつた」とあるので、精神の表象である言葉がテーマの詩であることが解る。
失語症的状況に陥った「罪」を「風にかづけた」とある。「風」のせいにしたというだけではない。失語症的状況に自分を追い込んだのも「風」だという認識が前提とされているから、円環的に「風」にそれを返しているのだ。
この「風」がこの章を統べる大事な詩的喩だ。
風、その地上に遍在し覆って不可視のもの。人の間に吹けばさまざまな作用を引き起こす。敵にも味方にもなり、抗えばその者を窮地に陥れる。風とはそんなものだろう。つまりこの詩の表現主体者は抗っているのだ。
だから失語的状況に追い込まれるのだ。
「瀰漫する/愛の形代」とは、世に溢れる大量消費型流通性揮発言語の氾濫のことだろう。心地良さを売りに人間の精神を腐食させる難敵だ。
「過ぎし日の」というのだから、それに抗った表現主体者の闘争の歴史である。「逆意」という謀反を起こそうとする心を表わす言葉でそれが解る。
どのような視座で抗ったのか。
「自己と放恣は除かれた/不治の病巣のやうに//尖新を称える精神にこそ/古ぼけた因襲はそつと隠れる」
世間語とは別次元の魂の言語、芸術言語に命をかけている者からの視座がここにある。
吉本隆明は彼の芸術言語論の中で、世間に溢れる言葉や理屈で成り立っている言葉を「指示表出語」と呼び、魂の言語、つまり芸術言語を「自己表出語」と呼んで、この二つは「逆立」すると説いた。政治、社会などあらゆる現実の場で人の精神を支配する指示表出語の中で生きていると、その言葉では語れない自分だけの想いがどうしても生じてしまう。人は何故、俳句や短歌を詠み、詩や物語を書きたいと思うのか。その原理的な理由が、この二つの言語の「逆立」関係にある。
この詩の「自己と放恣は除かれた/不治の病巣のやうに」という詩句は、そのことを指し示している。魂の言語、自己表出によって、何ものにも囚われないで生きようとするだけで排除される。「不治の病巣」とは、指示表出語に洗脳された社会そのものの喩のようでもあり、何か苦行めく孤独な闘いをしている芸術家の姿の、人目には「不治の病の巣窟」に引き籠っているかのように見えることのアナロジーでもあるだろう。
指示表出語への抗いの闘いが困難を極めるのは、「尖新を称える精神にこそ/古ぼけた因襲はそつと隠れる」という詩句が示すように、形式に囚われない革新的な言語表現を目指すと声高に唱える精神も、今度は自分が提唱した型に囚われてしまいがちであり、そのこととの闘いもあるからだ。自由であり続けることの困難さがここにある。
結びの「少年がひとり/餌のない釣糸を/川岸に垂らす」という詩句は、「餌」という予め用意された方法に固執するのではなく、ただ自分の深い思惟の中へと静かに垂鉛を下ろすかのように、ただ心を澄ませて「釣り糸を/川岸に垂らす」のだという意思の表明であろう。芸術言語という川の岸辺で、孤独に耐えながら。
この詩はそういう意味で、芸術行為論的詩であると言えるだろう。「風の穴」の章と、句集全体を締め括るに相応しい詩である。
このように、自分の句集の中に自分以外の詩人による寄稿詩や、自句を書画化してもらった写真を挿入するという、スタイリッシュでお洒落な美学は、現代の旧守的な俳句界では、あまり歓迎も評価もされない傾向がある。何故か。
それは、通常の句集の在り方と言えば、境涯諷詠の編年体句集が常識化されており、それに違反するからだ。その理由に、よく言われる「俳人なら俳句だけで勝負すべし」という俳壇的常識にも違反しているからだ。
またテーマ性俳句、私の文学評論用語でいうところの「文学的主題詠」をする俳人は稀であり、文学後進国的俳句界においては評価されない傾向がある。このように、今の俳句界には、本当はこのような句集こそが、俳句世界の明日を拓くものだという認識に欠ける傾向が根強い。
増田まさみはそんなことにも、果敢に挑戦し続けているのである。
もう一人、詩人の中西弘貴氏による『遊絲』評を紹介しておこう。(「小熊座」2018年3月号№394)「時と空の間をめぐる生のかたち―意外性と共感性と」という題の論考からその一部を引用する。
※ ※
全体を通して感じたことは、死のイメージを持つ句が二十八句と最も多く、次いで、蝉の二十四句があるが、私の中に強く印象に残ったものは、父・母を描く十七句と、螻蛄や田螺などの、異形異相の生き物を題材とする十五句にある。父・ 母の句から
棉吹くや魚のようなる父の骨
きざはしに潰える父も月光も
鵲や父の虚空は知らぬまま
天上の辻には瓜を売る母も
泣く夢に母もきて哭く沈丁花
大方は戻り来ぬ母橇に乗り
異形異相の句は、すべて印象深いが、どうしても気にかかるものは異形異相のいきものの異常の句だ。
あめつちや罪か罰かと亀鳴いて
幾人のわれの入水か螻蛄鳴く
泣かぬ母小さく在れば田螺鳴く
億万の名もなき佛みみず鳴く
亀、螻蛄、田螺、みみず が「鳴く」という異常。
「あめつちや」の句以外は、「幾人のわれの入水」「泣かぬ母小さく在れば」「億万の名もなき佛」と、いずれも〈死〉のイメージを包含している。けれども「鳴く」は、泣くでもなく哭くでもなく、鳥や虫が鳴くようにきわめて自然に鳴いていて、嘆いているのではない。本来鳴くことが出来ない彼らが〈死〉に呼応して静かに鳴いているのである。この意外性と共感性が、これらの句が、生死の合理を激しく問うているように思える。「あめつち」の句はどうか、「あめつち」雨・土 此の自然の世界に「罪か罰か」亀の甲羅を背負い続けて生きていく姿かたちが潜在する。「亀鳴いて」亀は嘆いてはいない。問うている。この世にあって、このような姿で、このように歩き、このように生きていくことは、罪なのか罰なのか、問うている。神に問うているのである。糾弾しているのかも知れない。人間の苦悩と重なり、ここでも意外性と共感性を感受する。
※ ※
評者は詩人なので、「亀鳴く」「螻蛄鳴く」「田螺鳴く」「みみず鳴く」が俳句の季語であり、季節の変化の気配を生きものの「鳴く」声として喩化された、伝統的な意味を負う表現であることを、ご存じないとしても無理はない。(螻蛄については「チチヨ チチヨ」と鳴くと清少納言も書いているし、それを実際に聴いたという証言もあるが)
増田まさみがそんな伝統俳句的な修辞的意味性を負うこの言葉から、その表現上の約束事的形式性を引き剥がして、現代俳句として、このような一句として成立させたからこそ、中西弘貴氏という感覚の鋭い詩人の心を揺すぶったのだ。先に引用した近藤栄治氏の言葉、「季語は季感を剥奪され、あくまでも詩語として機能している。季語は俳句に精通した大方の読者を裏切り、作者の妄想(想像)に加担して詩的世界を主張する」とは、増田まさみのこのような作句法を指した言葉だと言えるだろう。
また彼女の詩集に詩人の北川透が寄せた言葉、「湿潤な風土につながる情緒や情念の根が切断されているからだ。そこにはおそらく新しい俳句の作者である」証、資質でもある。
例えば伝統俳句では次のように、これらの生き物たちが「鳴く」俳句がある。
亀鳴くや月暈を着て沼の上 村上鬼城
夜のおけら耳朶を聾するばかりなり 原 石鼎
ほしかげに田にし鳴くなり豊浦寺 大江丸
蚯蚓鳴いて夜半の月落つ手水 河東碧梧桐
こんな俳句のように「異形異相の生き物」が「鳴いて」いることを表現されても、中西氏という詩人の心を摑むことはなかっただろう。つまり、この俳句において大事なのは、中西氏の言葉にある、「この世にあって、このような姿で、このように歩き、このように生きていくことは、罪なのか罰なのか、問うている。神に問うているのである。糾弾しているのかも知れない。人間の苦悩と重なる」という心象を、読者の心に巻き起こす俳句であるということだ。
原罪意識、または命が抱え込む不条理感のような哲学的思惟が、この俳句の背後にあるということを、詩人は見抜いているのだ。先に増田まさみ俳句が「形而上学的で、哲学的な存在・実存的な思惟の、俳句的喩による造形表現」世界であると私が述べたのは、そういう意味である。
以上が『遊絲』と増田まさみに関する背景の紹介である。
準備は整った。
いよいよ『遊絲』の文学的主題を探る章に入ろう。
Ⅲ
第一章「水の穴」。
不思議な章題である。中西氏はこの章題と句について、こう論評している。
※ ※
私はここからは、〈時〉を感じ取った。気にかかる句として挙げた五句。時間と事物や情況が突合してもうひとつの風景を創出し、〈時〉のイメージとともに何事かのドラマの出現を感じさせたからである。「水の穴」とは、私の感覚からいえば、水は時、穴は間、と感受した。絲は「時の間」を巡り遊ぶのである。
とんでもない過去時間といま・現在が奔る
〈かげろうや太古を奔るわが屍〉
異様な時間の永さの奇妙
〈鳥の巣をくわえて永き父の春〉
永い時を生きてなお限りない迷宮を遊ぶ
〈老鶯や巣は迷宮と言い添えて〉
老いて半鐘を聴く怖さと可笑しさ
〈みな老いて半鐘を聴く捩れ花〉
燃えたぎり間もなく消える火咥えて渡り鳥
〈燃えさしの燐寸をくわえ鳥渡る〉
※ ※
「水は時、穴は間、と感受した。絲は『時の間』を巡り遊ぶのである」とは、詩人らしい喩の解題である。
「水の穴」とはなんの喩か。
私は増田まさみの住まいが明石市であることから、明石海峡の渦潮を想起した。
渦潮は形状こそ中心に穴に似た漏斗状の窪みを持つが、周りが大量の海水だけに真のホールを形成することなく、やがて海峡の泡となって消滅する運命にある。哲学用語でいうところの「存在の被投性(ある時空に投げ込まれているような存在性)」の不条理そのものではないか。
その意味で中西氏の解題と私の意見は同根だろう。
また人間の体は約六十%が水だという。ちなみに胎児は体重の約九十%、赤ちゃんは約七十五%、子供は約七十%、成人では約六十%、老人では五十%という統計データがある。身体は老いるほど涸れてゆくが、精神は人によって涸れ方が違う。「水の穴」にはそんな水由来の人間という存在の根源と「欠落感」が込められているのだろう。
中西氏が引いた五句すべてに増田まさみのそんな哲学的思惟の深さが感受される句だ。中西氏を真似て、私もその傍に寸感を添えてみよう。
かげろうや太古を奔るわが屍
「わが屍」がそもそも伝統俳句的一人称「私」の「わたくし性」を引き剥がす、表現主体から見られた客体としての「われ」への置き直しだ。「わたくし性」に貼り付いた通常の俳句の詠法では、客体として描写される「わが屍」という言葉は絶対に生れない。そして「太古を奔る」という表現。表現主体が今生きてここで言葉を使っているという時点から見れば、「わが屍」が出現するのは未来時制のはずだ。だが、この「屍」は「太古」という失われた過去時制のただ中を奔走している。矛盾しているではないか、というのは「指示表出語」的思考に慣れてしまった見方だ。
これは俳句という「自己表出」の芸術言語世界である。増田まさみは上五に「かげろうや」ということばを置いて、伝統俳句的季語の縛りから解放しつつ、この芸術言語表現空間が、超時空の地場へと転換されたことを保証する言葉として機能させている。
ここに増田まさみ俳句の超絶的わざがある。
人様には屍のようにしか見えないだろう、わたしの魂は太古と永劫の未来を疾走していると宣言することを、この「かげろうや」が保証しているのだ。
鳥の巣をくわえて永き父の春
鳥に限らず生き物すべてに共通するのが営巣性である。自前の巣を成さず郭公のように托卵するずるい(?)鳥もいるが、鳥の巣がその象徴的なものだ。この句の「父」は作者の個人的な思い入れとも読めるが、それは伝統俳句の作法だ。増田俳句の特性からこれは一般的な父性を詠んだ句と解するのが妥当だろう。連れ合いを得て営巣し、子育てが終わった後の長い人生の、古びた巣を想起させる句だ。そう解すると、そのことを回想する時間が流れ出す。「水の穴」の章に置かれた句である所以だ。そんな父に何を思わせるかは読者次第だが、充実感のなかに空虚感まで漂わせるのは、増田俳句の通奏低音の響きだろう。
老鶯や巣は迷宮と言い添えて
この俳句の主題も前句「鳥の巣を」と重なる。異なるのはこの句の場合、表現主体者が唐突にぬっと顔を出している雰囲気だ。人的比喩の「鶯」の、さらにその心の比喩と読むのは伝統俳句の流儀だろう。私的感慨の俳句となってしまい、そうなると「迷宮」がその私的感慨と釣り合わず、意味不明になってしまう。ここは現実の作者から派生した超越的な表現主体者の託宣の響きでなければ俳句として成立しないと言っておこう。花鳥諷詠的感慨には「迷宮」という詠嘆はない。存在の迷宮性に思いを馳せるのは増田俳句のような現代俳句の特権である。
みな老いて半鐘を聴く捩れ花
現実の半鐘は火災・洪水・盗賊などの事象の発生した非常時に鳴らすもので、町内の物見櫓の上に吊されているものだが、この句の半鐘は見えない虚空で鳴っている雰囲気がある。強迫観念的響きを隠さない。何故か。現実の半鐘は鳴り止むが、耳鳴りと似てこの句の半鐘は鳴り止みそうにないからだ。しかも「みな老いて」という集団幻聴的な不穏な響きまである。下五の季語「捩れ花」。季語的役割よりその「捻れ」の語感が勝っている。訳もなく何かに急かされ、脅迫されているかのように日々を過ごしてしまう生の、これ以上に表現しようのない見事な造形である。
燃えさしの燐寸をくわえ鳥渡る
「燃えさしの燐寸」とは「燃え止しの燐寸」で、燃えきらないままで残った「燐寸」である。わざわざそう表現されていることの意味は、その再燃性の強調のためだ。何か不完全燃焼的な思いが「くわえ」られている状態だ。「くわえ」ているのは鳥なのか。鳥はそんなものを「くわえ」たりはしない。その読みは鳥に人的情感を付与して読む伝統俳句の流儀である。この句は「くわえ」で切れる。そして「くわえ」ている主体は明かされない。だがそんな状況が生じていることは確かだ。その上空をただ「鳥」は「渡る」ということをしていると読むのが正解のはずだ。それが地上の命に憂愁と迷宮を置く増田まさみ俳句の作法だ。
この「水の穴」の章には他に次のような印象的な俳句もある。この章の句には、水由来の人間という存在の根源と「欠落感」が込められていることを念頭に鑑賞すると、さまざまな感慨が沸き起こるだろう。
ふるさとや孵化して永き手水鉢
上五に置かれた「ふるさとや」で切れる。中七と下五の断絶も重要だ。「手水鉢」というある存在の状態にはその前段階があると指摘される。「孵化」とは卵形の未成熟・ 未完成状態から、そのものの「成熟」状態への変身を意味する言葉だ。この「孵化」と「手水鉢」がどうにも釣り合わない。成熟した存在形はその後の固定化、状態性を意味する。好むと好まざるとにかかわらず「手水鉢」は、すっとそのままの形であることを決定づけられる。未完成・未成熟の卵でいたときの方が、世界は可能性に満ちているように感じられなかっただろうか、という感慨を呼び起こす「不釣り合い」あるいは落差、欠落感がここに仕掛けられている。
「擂粉木を持ち替えるたび春の雪」「泣く夢に母もきて哭く沈丁花」「くらやみの蠟梅は帆を見ておらん」「峠にはいつも母佇ち毛糸編む」の句もこの章に置かれている。それについては本稿のⅠですでに鑑賞した。「幾人のわれの入水か螻蛄鳴く」の句も本稿のⅡですでに触れた。
封印の聖典(カノン)みひらき揚ひばり
「封印」という言葉から聖書の黙示録が連想される。だからこの「聖典」は聖書だろう。「みひらき」はその中の二ページが白日に曝されている状態だろう。つまり「封印」は解かれてしまっているのだ。「揚ひばり」には諸説あって断言はできないが、巣に卵を抱いているか、すでに孵化した雛を育てている最中に、その所在を知られぬために、空高く上がってホバーリングしながら鳴くのだという説がある。上空の親的危惧と、地面の命の不安。
さあ、黙示録の封印は解かれた。終末は間近だ。一神教は人類の前途に常在する、永遠に終らない終末という不安を置いた。今や、それを楽園への転生の日だと希望を抱く現代人は一人もいない。わたしたちはもうそんな一神教とは袂を分かとう。ひばりから不安を取り除いてあげよう。
誰も去(い)ぬ天上へ巣を返すため
この句には解けない謎が仕掛けられている。「誰も居ない」の意味を喚起する「だれもいぬ」という響きで「誰も去ぬ」と表記されると、読み取り方に動揺が生じる。この「ぬ」は完了の働きのはずだが、否定の響きを纏っているために、いっそう「もう誰も居ない」という意味の方に振られてしまう。本当の意味は、居なくなる前の「去る」行為を「誰も」がしたと、蒸し返すように念を押しているのだ。強迫観念的表現である。さらに「天上へ巣を返すため」とくる。「巣」はもともと天上の彼方に在ったはずのものだと主張されている。誰がそれをこの汚れきった地上に叩き落したのか。そんな罪がほのめかされて、「誰も」が、巣を抱えて「天上」に「去った」のだ。読者は強制的にその目撃者にされて、罪といっしょに地上に置き去りにされる。これはキリスト教の「原罪」観念より救いがないという意味で、これ以上の命の困難の表現は他にないだろう。
緑陰や穴には穴をみたしけり
この句を読んだとき、これは埴谷雄高がいう「自同律の不快」の俳句版だと思った。言葉という人間の認識は、永遠に言葉という「律」の中から、外の世界(認識)に出ることはできないという、存在の根源的不快感を、かの難解なアフォリズムや小説で、繰り返し埴谷は書いた。小説の『死霊』ではそこからの脱出というメタフィジカルな物語を、神への謀反という副主題をからめて描いた。
言葉は言葉でしか説明できない。
でも文学はその不快感を、言葉を超える言葉を産み出して表現しようとする。それが文学者の業というものだ。
揚句、「穴には穴をみたしけり」と、肯定も否定もせず言葉にただ行為をさせている。埴谷雄高が生きていて、この俳句を読んだら唸っただろう。なんだこれは、と。
「穴」を見たらすぐ人は塞ごうとしてしまうのではないか。これが、神が仕掛けた存在という「罠」に無自覚に嵌ってしまう原因ではないか。
「塞ぐ」のではなく「みたそう」。
言葉を超える言葉である、もう一つの「穴」で、「みたしてやろうじゃないか」。
神との決して闘わない「たたかい」方がここにある。
増田まさみ的哄笑が聴こえる。
後は引用だけにするが、この章には次のような印象的な句の数々が収められている。
父の艦沈めて戻るあめんぼう
うぶすなの夢から傾ぐ砂日傘
邂逅やいずこで撥ねる遠花火
中空のまま死なせてと夕顔は
水煙や父とひぐらしすれ違う
人体の穴は灯りか萩かるかや
次は第二章「「蝉の穴」である。
中西氏はこの章の俳句についてこう述べている。
※ ※
ここでは蝉に象徴された、いのち(生命)あるいは生ということを想った。「蝉の穴」とは、いのち、あるいは「生の間」、人の間と読んでみる。
強い生へのエネルギーを持つ
〈なんどでも白い椿を噴火せよ〉
死を内包したそれでも健気な生の姿
〈日盛や死はとりどりに傘さして〉
いのちの意識が静かに躍動する
〈ことだまを二階へはこぶ蝸牛〉
生の激しさと厳しさを切なく誘う
〈蝉しぐれ蝉にならぬかならぬかと〉
生きる姿勢の謙虚さと奥深さの
〈ふるさとや盗人萩を抜かずおく〉
※ ※
詩人らしい的確な主題の読み取り方だ。
この章は命の章だという中西説に同意して、私は別の句の読みに挑戦しよう。
本稿Ⅰにて「木の洞に存えている谺かな」「人体に涯あれば吹くみなみかぜ」「蝉穴も火口もさみし歯を磨く」「梟やなぞなぞの死は円らなる」の観賞を試みている。この四句がこの章の文学的主題を象徴していると感じたからだ。
キーワードの「蝉」は、永い地中生活の後の、地上での「七日間」という限定的な最後の時間のイメージがある。その個体としての限定性と、命のリレーという意味での継続性という、アンビバレンツのただ中の命そのものを象徴している。
もう一つ、これは句集全体に関わるキーワードだが、「木の洞」という大切なモチーフもある。その空洞性の哲学的意味についてはすでに述べた。
この二つを直接使った句は次の通り。
木の洞に首を入れたる春景色
木の洞に存(ながら)えている谺かな ※
あめつちに離れて鳴くよ春の蝉
蝉鳴くや小川を抱いて泣く母も
蝉穴も火口もさみし歯を磨く ※
空蝉の一つは沖を仰ぎけり
天体を撓めて古き蝉のこえ
蝉しぐれ蝉にならぬかならぬかと
みんみんや死は凸凹に乾きゆく ※※
なにゆえと訊かれて永(ひさ)し蝉の穴
密葬のあとの眩しき蝉の穴 ※※
寒蝉や穴には穴の禊ありて
※一つの句は本稿Ⅰで鑑賞した句。
※※の二つはこの後、「死」の主題で言及したい。
この章の主題は「なにゆえと訊かれて永し蝉の穴」の句が象徴している。その限定性への解けない問いである。続く「密葬のあとの眩しき蝉の穴」に、増田まさみ式回答が暗示されているような気がする。
その理由を次に述べよう。
答えは次の死の諸相を詠んだ句群の中にある。
幼日は死に真似ばかり春の雪
名もなき死針金ハンガー吊るように
死の諸相をこれでもかと詠むことで、人間の生のありようが逆照射される。冒頭の「幼日は」と「名もなき死」は解説の必要はないだろう。そのままの意味だ。この二つを助走として、「死生」の封印を作者は引き剥がしてゆく。私たちはどんなふうに「死」あるいは「生」と向き合っているのか、という問いの。
ともだちの静かに死ぬる朴の花
友の死という一番近い他者の死に纏わる「静かさ」は事故死、病死にはそぐわない表現だから、どうしても自死のイメージが勝つ。その「静かさ」に、友達なのになんで何も言わずに逝ったのか、という最終的には他者性の壁に阻まれたような思いが滲む。
日盛や死はとりどりに傘さして
「死は」「傘さして」と、死を主格に置く読み方で河原枇杷男の「何もなく死は夕焼に諸手つく」の詠み方と通底するものがある。形而上的思惟の造形俳句の読み方で、真正面から「死」を詠むことに怯まない姿勢も同類である。
この枇杷男の句の「何もなく」は唯物論的に言えば死は身体が物質に還ることであり、生きていたときの現象としての精神活動の停止、それが無となる意味の「何もなく」と解するだろうか。その読み方はこの俳句について東洋思想の味わいを見るよりも、その主題に近いかもしれない。日本人が好むのは、ここに宗教的な諦念、つまり死に臨んで後は何もないと冷静に受け止めていること、あるいはそういった感慨の受け止め方であろう。
枇杷男俳句は表現主体がその幻想的な俳句世界を、生きて行為する現場を表現するという方法で詠まれる。その観点でこの俳句を鑑賞すると、死という観念そのものである精神主体が「夕焼けに諸手つく」という行為をしていることが解る。「何もなく」は死ねば何も無くなるとか、死後の無を表現しているのではなく、それ以外に為すべきことが何もない状態を表しているのだ。他に為すことが「何もなく」、ただ死という行為をする精神主体が「夕焼けに諸手つく」という幻想的表現世界から、象徴的な文学的主題が立ちあがってくる。
増田まさみ俳句の「死はとりどりに傘さして」は、どこか諧謔味を伴いつつ、それぞれ違う死の道をゆくさまが浮かんでくる。一見楽し気であることが逆に、究極の無為、欠落感を感じさせる俳句だ。
存亡に節榑はなくははきぐさ
この句にも同じ味わい、趣がある。「生き死に」のことなんて、「節榑はなく」つるんとして捉えどころがないようなものだという思いが、同じように滲んでいる。
必然の黒いアゲハよ山河死す
この句も「必然の黒いアゲハ」という観念的な断定に、それより他の選択の余地がないことを感じさせ、これも生の不条理感に繋がる。こういう観念語で名詞を形容する語法を、俳句界は「きらう」という常識など、増田まさみ俳句世界には通用しない。それは河原枇杷男俳句にも言えることだ。観念にはそれ以外に言い表しようがないという領域がある。だが文学後進地帯の俳句界には、それが通用しない頑なさがある。
みんみんや死は凸凹に乾きゆく
この句も真正面から「死」を主語にした俳句だ。「みんみん」蝉の死体が「凸凹に乾きゆく」のではない。「死は凸凹に乾きゆく」という、抵抗の余地のない、選択の余地のない不条理感の中の死は、この表現でなければ表せないのだ。
密葬のあとの眩しき蝉の穴
この句は「死」と、この章の主題の「蝉の穴」が同時に表現されている。この章のもっとも重要な句だろう。「密葬」だから、会葬者のいないひっそりとした葬儀である。この隔絶した個別性、不連続的断絶感を、増田まさみは「眩しき」輝きを付与して詠む。この絶望感はただごとではない。
手短かに死に神のいる冬花火
この句にも同じ趣がある。「手短かに」という容易さ、瞬時性、はかなさ、そんな「死に神」が居ついている命の、いつだって季節外れ感の漂うありよう。
梟やなぞなぞの死は円なる
この句はⅠで鑑賞した。「死は円らなる」は、死というものの人知を寄せ付けない完結性の表現である。
牡丹雪たれから死ねばいいのやら
この句は林田紀音夫の「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」を想起する。紀音夫も人間存在の不安と不条理を詠んだ俳人だが、社会性俳句志向があり、過酷な労働環境の者たちの悲哀感がつきまとうが、増田まさみ俳句にはそれを取り除いた普遍的な不条理感がある。「たれから死ねばいいのやら」と、選択などできないことを知った上で、迷ってみせるという虚勢を張った言い回しに諧謔味があり、それが逆にある種の悲哀を隠した凄みさえ漂わせている。
このように実に多様な「死」の諸相を詠んで、この章の主題の「命」の表現を試みているのだ。
作者は六年前(二〇一八年の時点から)に、連れ合いを亡している。それ以外にも近親者の死、阪神淡路大震災ではたくさんの死に直面してきた。だが、直接、その死を悼む句を詠むという野暮なことを、この形而上造形俳人は決してしない。
ただ、敢えて指摘するなら「必然の黒いアゲハよ山河死す」「みんみんや死は凸凹に乾きゆく」「密葬のあとの眩しき蟬の穴」の句には、弔意を超えた激烈な電流のような「痛み」が通っているように感じられないだろうか。
この章全体がそんな深い「死」の瞑想句の章だと言えるだろう。
そして第三章「風の穴」へ。
中西氏はこの章の句についてこう述べている。
※ ※
「風の穴」は、空の間。絲は空間に浮遊するいのちの有りようとして、ここでも「空の間」を巡り遊ぶのだ。
天上という空間に人為のイメージを重ねる
〈天上も溺るる海にすぎざらむ〉
廃家を脱出する老人の蠅の滑稽
〈廃家より老人の蝿とびたてり〉
藻―闇―夜の只中を生きる蝉の哀しさ
〈藻のような常闇ありぬ夜の蝉〉
本当は力あるもの斧のようでありたい
〈ひと振りの斧には見えず紅葉山〉
故郷の家謎めいて残る火消し壺の記憶
〈産土やこの難儀なる火消し壷〉
※ ※
そして中西氏はこの句集全体についてこう総括する。
※ ※
いのちのかたちとしての〈蝉〉が、水(時間)と風(空間)を浮遊する。この蝉の動くさまこそが、絲の動き、遊絲のありようであり、それが、〈蝉の穴〉―〈水の穴〉―〈風の穴〉が、上方左右に開くトライアングルをかたどるのだ。
※ ※
中西氏が指摘するように、この章は〈蝉の穴〉―〈水の穴〉―〈風の穴〉の「トライアングル」の仕上げの〈風の穴〉の章である。
大気がおこす風は渦を巻き、この命の球である地球を覆い、稀に無風状態に置きながら、常にわたしたちの命の現場を包囲している。
この章には「命」の形而上的造形のすべてがある。
前二章にはなかった親しき者たちの「死」を悼む、次のような句もある。逆説的「あかるさ」を響かせつつ。
淡雪や巣藁に潜むおとうとよ
慟哭の蚯蚓をみたり路傍の死 ( 悼・たかぎたかよし)
枇杷の花死んであかるい弟よ
一月の真空をいく羽音の在り ( 悼・流ひさし)
そして「死」の形而上造形俳句もある。
揚雲雀死は垂直に垂れ下がり
虚(うつせ)貝(がい)ごまんの春の死に代わり
針山を囀るように死はありき
月の出や綾なきわれの葬送に
綾取りになき蝶々の客死かな
水鳥や死を一瞬の綺羅としぬ
死が詠まれると、死以前のすべてが一網打尽にされる。形而上的に詠まれると、あらゆる事象が手触りを纏う。そんな魔法のような句だ。
父母との冥界通信をはじめ、幽玄なる冥界や天上世界にも扉を開いている。
ちちははよ面窶れなる蝌蚪の水
やまばとを想えば儚(くら)い母情わく
言霊やかたりと墜ちる春の月
花筏手の鳴る方へ行ったきり
天上も溺るる海にすぎざらむ
夕菅のそばに涅槃の灯りいる
見失う蝉穴ひとつ御魂ふたつ
億万の名もなき佛みみず鳴く
棉吹くや魚のようなる父の骨
きざはしに潰える父も月光も
鵲や父の虚空は知らぬまま
幽界に崩落ありや六つの花
衣囊(ポケット)に小さき父の吹雪くかな
日本的な詩歌的叙情とは無縁の血縁の表現だろう。非情の叙事詩が、日本の詩歌の歴史に書き加えられたのではないか。その血を継ぐ「われ」も「わたし」を「産土」に埋葬する。「われ」を産み出しこの世界に置いた「産土」はこう詠まれている。
産土や孤蝶を遂(お)うて帰らざる
ふるさとや愛で殺したる翁草
永遠のとっぷり暮れし水(みず)馬(すまし)
煮て喰うと云われた昔仏の座
産土やこの難儀なる火消し壷
人類単位の時間をも背負い込む句もある。
人類に尾鰭のありし薄ざくら
中でも秀逸なのは、すでに液状化する「われ」や、複数の鳥状に分離した存在認識の句があることだ。死して自然に還るという伝統的な生命・自然観というよりも、「われ」という精神的存在の解体が詠まれているのだ。
鉦叩すでに液体なるわれに
鳥籠に数羽のわれや山ねむる
次の最後の俳句で「われ」の心は鮟鱇と共に吊し切りにされて、その声を他人ごとのように聴いた記憶を、時間の彼方に抛ってこの句集は結ばれる。
鮟鱇や悲鳴の絶えて永(ひさ)しかり
この章は主題の重さと反比例して、その表現方法は自在である。読者は現代俳句の表現の可能性のひとつを目の当たりにしたような気持ちになるだろう。
本稿のⅠの項で私は『遊絲』の表現世界を、幻視的で詩的な俳句世界だと述べた。言葉の一義的な意味性を振り切り、言葉自身の力を詩という荒野に解き放ち、同時に見えない心の「遊絲」でそれに縛りをかけ、言葉に緊張感を持った表象性を纏わせる作句法である、と。
増田まさみの深い思惟の世界が、「穴」というアナロジーとして句集全体を統べている。
作者自身が述べるようにその「穴」とは、「私の生に包含される欠落」の俳句的喩であり、「あらゆる時空の『出口』であり『入口』で」あり、「永遠の『通路』で」あり、「再生のシノニム」、つまり再生の同義語か異名である。
そんな哲学的思惟という文学的主題を表現するために、それに相応しい作句法が創造されているのだ。
そうして創造された一つの迷宮の如き、永遠の欠落という空洞に、掬いきれないほどの詩泉が湛えられている。それが『遊絲』という句集である。
くり返しになるが、「欠落感」は自分という精神的存在への強烈な希求があって初めて感受されるものであり、自分という存在に疑問を持つことなく自足安住している精神には、絶対に生起しない思惟だ。
その思惟そのものを文学的主題として詠んだこの句集は、世に溢れる句集と成り立ちを異にする少数派であり、今の俳句界で、正当に評価されにくい位置に立つ句集でもあるだろう。
そんな評価は捨て置き、増田まさみ俳句は、もっと遠くまで行くだろう。
そしてより深く、自分の迷宮世界を豊かに文学的に耕し続けるに違いない。 ――了
【付記】
本文で句集の題名『遊絲』についての言及を逸してしまったので、ここに付記しておこう。 「遊絲」の「絲」は「糸」の異字体で、「遊(ゆう)糸(し)」「糸遊(いとゆう)」は「かげろう」のことである。その実体のない夢幻性、虚体性のイメージを持つこの言葉は、この句集の文学的主題、存在の迷宮的空洞を満たす詩魂の幻視性を象徴していて、この句集の題名に相応しい。
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