芭蕉が詠んだ「萩」の句

https://ameblo.jp/mt-tokko/entry-12520553868.html 【芭蕉が詠んだ「萩」の句】より

 芭蕉が詠んだ「萩」の句を紹介いたします。皆さんは」どの句がすきでしょうか。 

1 寝たる萩や容顔無礼花の顔(ねたるはぎようがんぶれいはなのかお)

 寛文7年(1667)、24歳。 続山井(ぞくやまい)

(句意)顔かたちが美しいことを「容顔美麗」(ようがんびれい)というが、しどけなく寝た姿だから、「容顔無礼」な顔をしている。

(感想ほか) 続山井は北村湖春が編んだ俳諧集。湖春は北村季吟の子。季吟は芭蕉の師。

2 萩原や一夜はやどせ山のいぬ (はぎはらやひとよはやどせやまのいぬ)

 貞享四年八月(1687)、44歳、鹿島紀行

(句意) 優美な萩の原よ。どうかあの吠えている狼に、一夜の宿を貸してやってくれないか。

(感想ほか) 「古池や」の句と同じスタイル。芭蕉は自分たちを「山の犬」になぞらえて、自分たちもここに一夜を野宿させてくれという意なのかもしれない。

3.一家に遊女もねたり萩と月 (ひとつやにゆうじょもねたりはぎとつき)

 元禄二年七月(1689)、46歳、おくの細道、市振の宿

(句意) 偶然にも遊女も泊り合わせている宿の庭には、月の光のもと萩が咲いている。

(感想ほか)この句はフィクションだとも言われています。芭蕉は「おくのほそ道」全体を一巻の連句と見立てて、ここらに恋の座持ってきものと思われます。芭蕉の視点は家も庭も見渡せる高い所にあり、そこから客観的に屋内にいる「芭蕉と遊女」と「庭の月の光に照らされている萩の花」を眺めているようにも感じられます。

4.しほらしき名や小松吹萩すすき(しおらしきなやこまつふくはぎすすき)

元禄二年七月(1689)、46歳、おくの細道、小松

(句意)「小松」とはかれんな名の土地だなあ。来てみるとその名のとおり小松の生えた野に、萩やすすきが秋風になびいて情緒あふれる所だ。

(感想ほか) 加賀小松は地名でもあり実際に生えている姫小松。あたりの景物を読みこんで挨拶句としたもの。

5.浪の間や小貝にまじる萩の塵 (なみのまやこがいにまじるはぎのちり)

 元禄二年八月(1689)、46歳、敦賀市種の浜(いろのはま)、おくのほそ道

(句意) 浪間の砂原に紅の小貝が散らばっているが、その小貝にまじって紅の萩の花が散りこぼれ、小貝とまがうばかりである。

(感想他) 地の文に「十六日、空晴れたれば、ますほの貝をひろはんと、種の浜に舟を走す」とあります、ここで「ますほの貝とは」種の浜の特産で、うす紅のさした美しい貝のこと。萩の屑が浪間に落ちたものが果たして見えるのか、と議論するのは野暮です。この句の前に置かれた「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」も好きな句。

6.小萩散れますほの小貝小盃(こはぎちれますほのこがいこさかずき)

 元禄二年八月(1689)、46歳、敦賀市種の浜(いろのはま)、俳諧薦獅子集

(句意) 小萩よ散りこんでおくれ。この種の浜で拾った小盃のようなますほの小貝の上に。

(感想) 前句の初案とも言われている。「こ」の頭韻とiの脚韻とを重ねたリズミカルな句。小貝は浜、小萩は庭、小盃は座敷、離れ離れの三つの景色が芭蕉の心の中で一つになり秋景色を描き出している。

7.蕎麦も見てけなりがらせよ野良の萩(そばもみてけなりがらせよのらのはぎ)

元禄三、四年ごろの秋(1690、91)、47、48歳ごろ、(大津市)竜が丘 山姿亭、続寒菊

(句意) 野の美しい萩にだけ見とれずに、みなさん、当家の畠の蕎麦の花も見て、萩を羨ましがらせて欲しい。

(感想ほか) 芭蕉が丈草らと大津市竜が丘にあった丈草の知人荘右衛門の山姿亭を訪れた時の挨拶句。山姿亭付近には荘右衛門が栽培する蕎麦畑があり、近くには萩が咲き乱れる野もあったのでしょう。「けなりがる」とは、羨ましがること。

8.七株の萩の千本や星の秋(ななかぶのはぎのちもとやほしのあき)

 元禄五年七月七日(1692)、49歳、素堂母喜寿の賀、真蹟

(句意) 今日は七夕の星がよく見える。七株の萩が茂り栄えて千本にもなりますように。

(感想ほか)季重なりですが主たる季語は「星の秋」。芭蕉と弟子七人(素堂・嵐蘭・沾徳・其角・杉風・曾良)が集まり素堂の母の喜寿の祝いをしたときに詠んだ句。喜寿、七夕、それに七人がそれぞれ秋の七草を一つづつ詠みました。七づくしです。

9.しら露もこぼさぬ萩のうねり哉(しらつゆもこぼさぬはぎのうねりかな)

 元禄六年秋(1693)、50歳、杉風の別邸採茶庵(さいたあん)、真蹟自画賛

(句意) 美しい花をたくさんつけている萩の花、露をいっぱいためた枝がっ撓み、うねっている。風がそれらを微かに揺すっているが、その露を落さない。

(感想ほか) 句中に秋の風を詠んでいないが、秋の風を感じさせます。萩の種類は判りませんが多くの萩は枝が柔らかく枝垂れます。また萩の葉は小さな水滴を留めます。この句は萩のそんな性質を表現していると思います。美しい句です。

10.風色やしどろに植し庭の萩(かぜいろやしどろにうゑし庭のはぎ)

 元禄七年秋(1694)、51歳、伊賀藩士藤堂玄虎宅、猿雖本三冊子

(句意)座敷から庭を眺めていたら、しどろに植えてある萩の上を秋風が吹きわたり紅い花が揺れ動いた。 まるで風が紅い色に染まったようだ。


http://www.basho.jp/senjin/s0610-2/index.html 【白露もこぼさぬ萩のうねり哉  芭蕉 (真蹟自画賛・秋・元禄六)】より

萩がこぼすものは萩の花ときまっているが、その花はもちろん、花に置いた白露さえこぼすことなく揺らめいていることだ、という意。萩の露が月明かりに美しく見えたとき、おそらく白露という言葉が生まれた。中国の昔から、遠く靄のかかった景色を言ったこの言葉は、古代の日本に根づいて、次第に露の玉を指し示すようになる。この句も同じである。月を背景にした、ひとかたまりの萩の花が、その小さくあやうい露の玉をこぼすことなく、細い枝々に揺らめいている。それは萩の気品であるが、同時に秋風の配慮でもある。杉風筆採荼庵什物によれば、彼の深川の草庵に秋萩を移植した際に芭蕉が詠んだ句ということだから、杉風を称える挨拶句であろうが、そのような詠作の事情をうかがわせない表現で、すぐれた作品は時空をこえて読者の心を写すという好例のひとつであろう。連歌以来、萩は露と結ぶことが多く、取り合わせとしてはありふれているのだが、露を涙や命や浮世などの比喩として用いていない点が品位の秘密である。なお露は古代から秋季だが、ここは萩の句であるから、季重なりをいう必要はない。

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