季何学研究所

https://blog.goo.ne.jp/yuusakata/e/01fb61cb5b2e957958f8cc4ffa009752 【季何学研究所】より

笠間書院のサイトに「季何学研究所」と云う俳句のコーナーが有ることを10月に初めて知り、10月11月と投句してみたのだが、ここは兼題とは呼ばず「実験」と呼び、意地悪で無茶苦茶なお題を出されます。読み込み2題はその言葉を必ず俳句の中に詠み込まなければならず、しばり1題はそのイメージで良い。選者は堀田季可さんで、結果発表は翌月の5日頃に。評価は「天」1句「地」1句、「人」1句、「佳作」10句、そして「力学」84句ですが、力学は名前を出してもらえないw

10月の実験は「ガイド」「反応」が読みこみで、「若さ/老い」がしばりだったのですが、全部で10句投句も全滅。これは当然で本当に詠めなかった。

11月の実験は「アンダー」「液」が読み込みで、「幸福」がしばり。20日も投句期間があったのですが、「アンダー」は1句も詠めななかった。「液」も殺人現場の血液や、性に目覚めた中高生のころの「かはつむり」(←意味は調べてください)について詠んだのですが、これは冒険句と云うよりもヤケクソなので当然なににも引っかからず。

しばりの「幸福」は「嫁ぐシリーズ」で行けそう!と思い、4句投句出来ました。そしてその中の1句が「力学」に選ばれていました。小春日や娘の彼と顔合わせ  ⑦パパ

まんま、ですが、なんとか拾っていただけました。ありがとうございます。12月の実験は、「チューブ」「菌」が詠み込み。「不自由」がしばりです。難し過ぎます。またしばりの「不自由」しか詠めそうにないが、なんとか頑張ってみます。締切は12月21日。


https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12523996000.html 【笠間書院「季何学研究所〜俳句の実験」(1)】より

笠間書院に「季何学研究所」というサイトがあり、俳句を募集し、その選と句評をするという企画があるようです(「俳句の実験」だそうです)。

以前から時々「入選しました」とかいう投稿がフェイスブックにありましたので少しは知ってはいたのですが、この度、フェイスブック友達の砂山恵子さんという大変俳句に熱心な方が入選されたという投稿があり、私も拝見させていただきました。以下はその骨子です。

○「8月の実験」。題は「エスカレーター」、「圧」、「明かり・灯り」の3つ。

○投稿案内には以下のようなことが書いてあったようです。(要約)

・「エスカレーター」(「自動(式)階段」)の句は少ない。「エレベーター」(「昇降機」)は詠まれることが多いが。当研究所にもエスカレーターがあり、一階から地階の特別実験室に降りられるようになっている。

・その特別実験室では「圧」に関する様々な実験を行っている。血圧や気圧だけでなく、秘密俳句結社入会における圧迫面接の生理学、選句時及び披講時における圧の測定、圧を感じないようにして流してしまう心理技術の開発、口語俳句データの圧縮、圧力鍋による野菜季語の調理、などなど。

・うちの研究所はどこも灯りがついている。LEDやハロゲン、白熱灯、ガス灯、和蠟燭、行燈、提灯、紙燭……。もちろん、季節ごとに、秋灯、春灯、と変わる、窓からさしこむ明かりも季節ごと変わる。外は晩夏光、片蔭、西日、夕焼、夏の月、夏の星等も見える。もうすぐ秋の日、月、星月夜を楽しめる季節になる。

【全体評】(要約)

・「エスカレーター」、佳句が多かった。案外扱いやすいことが判明した。

・「圧」は少々難しかったようだ。語感の強さを生かし切れていない句が目立った。香港のデモを詠もうとした句も多かったが、もっと踏み込んでほしかった。

「明かり・灯り」は全般的に良かったが、「月」としてエスカレーターと合体した句も多かった。概ね、月に照らされているエスカレーターと月までのエスカレーター。エスカレーターの片側に立つという発想の句も多かった。

【天】エルサレム行のバスには目玉百 海音寺ジョー

「エルサレム行のバス目玉百」、へえ、どういう光景なんだろう?いきなり「エルサレム」ですからとっさにはやはり「?」が付きます。これは「明かり・灯り」の題詠ですね。作者のお名前も聞いたことがある方です。そしてこの句が天賞。句の評はかなり長いので、後に転載します。他の句も同様です。

【地】地球光書物を開く金の指 笛地静恵

「地球光」!。「書物を開く金の指」、これも外国の物語の構想かも。いや「地球光」だから宇宙規模?これは「光」だから、題詠としては「明かり・灯り」のようです。

【人】transparent skyscrapers conceiving transparent escalators はやみかつとし

あら〜英語!でも作者は日本人のようですね。何で英語なのかなあ?選評の意訳によれば、「透きとほる摩天楼を透きとほるエスカレータ」だそうです。

「透きとほる摩天楼」、うんわかるような気がします。そしてその摩天楼を「透きとほるエスカレータ」か、おお、なるほどわかるような気がする。クリスタルな摩天楼、透きとおるエスカレーター、かなり幻想的な光景が浮かぶような気がします。月光も少し感じる。

【佳作】(10句)

◾皇臣乗せて月へゆくエスカレーター 鈴木牛後

おっ!この間角川俳句賞を受賞された鈴木牛後さんです。え、何々、「皇臣乗せて月へゆくエスカレーター」。「皇臣」は皇臣、我々の普通の感覚で言えば「天皇の臣下」ですが、その皇臣を乗せて月へゆくエスカレーター、ということになります。こりゃかなり想像力を逞しくして読者なりの物語を作らなければならないようですね。評者はどのような物語を構想されたか?

◾エスカレータ右側に立ち須磨は秋 姫野理凡

「須磨は秋」がうまい。神戸市須磨区の人たちはエスカレータの右側の方に立つという事実だけでなく、瀬戸内海を臨む須磨の浦で名高い白砂青松の景勝地という事実(歌枕でもあるが、まるでエスカレータの右に秋の海辺があるかのようである)、そして何より、『源氏物語』の「須磨」の巻を思い起こさせる。「秋」という季節が光源氏が須磨の侘び住まいで送った淋しい日々と重なるし、源氏の左遷はエスカレータに礼儀正しく乗っているサラリーマンたちの哀愁とも通じる。

◾キューランプ群衆Aの立ち上がる GONZA

おっ!GONZAさん!GONZAさんも頑張っているねえ。GONZAさんは前にもこの「俳句の実験」に確か入選されていました。すぐには思い出せませんので悪しからず。

で、句の方ですが。「キューランプ群衆Aの立ち上がる」、ありゃ難しい。「キューランプ」ってテレビや映画の撮影の時の合図ですよね。そしたら「群衆Aの立ち上がる」と。「群衆A」!?Aという人物ではなく「群衆A」? ひとかたまりの群衆(グループ)をAとして置いてあったのかな?そうすると、キューランプが点いて、群衆Aのグループが立ち上がった、と。ははあ、たぶんそういう光景なんでしょうね。

◾月光やプラットホームの下に洞(ほら) 砂山恵子

おっ!やっと出て来ました。フェイスブックに投稿されていた砂山恵子さんの句です。この句は先の句などよりもうんと素直な句でわかりやすい句です。

月光に照らされたプラットホーム、その下に洞があった、という…。月光の下の光と影、幻想的でありかつ現実の光景のように感じ、あんまり奇抜な句よりはこういう身近な感じがする句が好きです。

◾人攫ふ月光のエスカレーター 椋本望生

椋本さんのお名前もよく目にしますね。

あら、今度はまたかなり幻想的な句になりました。「人攫ふ月光のエスカレーター」。月光に照らされたエスカレーターが人を攫う、という感じの意味ですよね。このエスカレーターは月に向かっているような気がします。そこに人が。その人は「攫われた人」と言う。いや自ら乗ったのかもしれない。いろいろ想像しなければなりませんね。

◾かなかなの中エスカレーター長い 未補

未補さん、うん?俳句ポストかNHK俳句かで見たことのあるお名前です。

「かなかなの中エスカレーター長い」、? 「かなかなの中」の「エスカレーター」はわかる。「長い」とは? 長いエスカレーターがかなかなの鳴く夕方にだるそうに動いている、という感じ?、のように読みましたが…。これもやはり深読みしなければならないのかな?はは、「?」がたくさんついちゃった。

◾街の灯へ笑み釦押す爆撃手 仁和田永

いや〜聞いたことのあるお名前が並びます。それに数が多いのかなあ。先を見て見たらあと3句ありました。その内1句がまた英語の句。またそのあとにもまだたくさんの句が並んでいます。あとの方はたぶん私の力量では略するしかないような気がします。悪しからず、です。さて話を戻さないとですね。

「街の灯へ笑み釦押す爆撃手」、読んだ瞬間、原爆を落とす飛行機の中を思い浮かべましたが、どうなんでしょうか。「笑み」が何とも言えない不気味さと残酷さを窺わせます。

◾影の濃き背やナイターのマスコット 寺沢かの

ナイターと言えば野球、確か「ナイター」は夏の季語ではなかったかしら。いつもは華やかな球団のマスコット、夜ともなればその影は確かに濃い。本当はマスコットにも、人しれぬ苦労があることを物語るかのようです。ぬいぐるみの中は本当はかなり暑いでしょうしね。

◾夏の蝶セシウムを手に塗る遊び 小泉岩魚

小泉岩魚さんもよく俳句ポストでお目にかかるお名前の人です。

「セシウムを手に塗る遊び」!なんとまたセンセショーナルな内容と言葉!言い換えれば「放射能を手に塗る遊び」ですからね。その上を夏の蝶が飛び交っている…。何とも不気味で恐ろしい光景です。

◾a ray of light

circumvents

the desert called language 斎藤秀雄

またまた英語の句。作者はれっきとした日本人。わざわざ英語にし、しかも3行書きにするのにもやはり何らかの意味があるのでしょうね。

意味は選評から引くと「言語という沙漠を迂回する一条の光」や「一条の光が迂回して沙漠の名は言語」といった感じになる、そうです。語の並びから行けば「一条の光 言葉という砂漠」という俳句になるのかしら。ふ〜ん、難しいですね。でも何だか詩的な感じも受ける。あとは選評(解説)に回しましょう。

以上が入選句のようです。選評は、たぶんブログにこれ以上入って行かないと思いますので、次ページに書きます。


https://ameblo.jp/kawaokaameba/entry-12523996558.html 【笠間書院「季何学研究所〜俳句の実験」(2) 選評全文】より

笠間書院「季何学研究所〜俳句の実験」(2) 選評全文

各句の選評全文

【天】エルサレム行のバスには目玉百 海音寺ジョー

……大型バスに50人くらい乗っている。暗い車内なのか乗客の目玉が際立っている(「明かり・灯り」の題詠だろう)。(抽象的な意味で)明かりを失っていない目なのか、いや、すでに失っているのか。人間を目玉というモノに還元している。そして、それだけではまだ普通だが、この句は「エルサレム」が効いている。旧約の時代から現代に至るまで、複雑な政情に翻弄されてきた場所である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地でもある。このバスに乗っているのはパレスチナ人かユダヤ人か観光客か判らないし、乗客たちは自らの希望でエルサレムに向かっているのかも不明だが、この句は色々な連想を誘う。ホロコーストによるユダヤ人の強制移送も重なるし、東ローマ帝国のバシレイオス二世がブルガリア人捕虜に行った仕打ちも思い起こさせる。捕虜一万四千を一〇〇人ずつの組にし、九九人の両目を潰し、一人だけ片目を潰して残りの九九人を先導させる方式で、ブルガリア皇帝サムイルの元へ送り返した(サムイルは二日後に死去)。バスの乗客五〇人は生きていると解釈したが、すでに死んでいて、人類の愚かな政治を糾弾する目玉だけが霊としてバスに乗っているイメージも成立すると思う。

【地】地球光書物を開く金の指 笛地静恵

……「地球光」が摩訶不思議。日光でも月光でもなく、作中主体は地球光を浴びながら書物を開いている。地球光という現実の光と書物の叡智という虚の光で指は金に輝いている。地球光を浴びているところを見ると、作中主体は月か地球の衛星軌道上にいる。もしかして句の設定は近未来、人類を育んできた地球がもはや住めない場所になっていて、人類の子孫は地球光を浴びながら紙の書物という地球にいた人類の記録に目を通そうとしているところかもしれない……と思ったが、人類の子孫ではなく、地球の人類絶滅後にやってきた宇宙人かもしれず、その場合の書物は人類が遺した紙のものか自分たちの特殊な素材のものか。

【人】transparent skyscrapers conceiving transparent escalators はやみかつとし

……意訳すれば「透きとほる摩天楼を透きとほるエスカレータ」(conceivingを「宿してゐる」「身ごもってゐる」「抱いてゐる」などと訳しても良いが、日本語だと「を」くらいで良い気がする)。透明な昇降機(シースルー・エレベータ)を扱った俳句や短歌は何気に少なくないが、存在しない透明なエスカレータの句は他に知らない。しかも、エスカレータだけでなく、それを孕んでいる摩天楼さえも透明なのだ。ソビエト連邦ゴルバチョフ書記長時代のグラスノスチ(情報公開)政策のように、体制も内部のメカニズムも透明にならざるを得ない状況を象徴した句かもしれない。無論、逆に、全体も部分も透けすけで、悪事も何もかも露呈してしまっている政体を象徴した句とも読める。いずれにせよ、全体も一部も透けている摩天楼など、ガラスか水晶かプラスチックかわからないが、脆いだろう。ソ連も透明化した後すぐに崩壊した。

【佳作1】皇臣乗せて月へゆくエスカレーター 鈴木牛後

……月へゆくエスカレータを詠んだ句は他にもあったが、この句が異色だったのは「皇臣乗せて」。実に怪しい。「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」(高濱虚子)及び「初空や大悪人虚子の頭上に」(同)の本歌取のような味わいもあるが、『竹取物語』を下敷にしたSF句として読んでも面白い。大昔月の都に行ってしまったかぐや姫を追うため、未来の帝の命を受けた皇臣がエスカレーターで月へ赴くのだ。エレベーターと違って、エスカレーターではきちんとした列をなして移動する事ができるし、階段と違って疲れない。雅な行列がそのまま斜め上の方向へ向けて昇ってゆく。

【佳作2】エスカレータ右側に立ち須磨は秋 姫野理凡

……「須磨は秋」がうまい。神戸市須磨区の人たちはエスカレータの右側の方に立つという事実だけでなく、瀬戸内海を臨む須磨の浦で名高い白砂青松の景勝地という事実(歌枕でもあるが、まるでエスカレータの右に秋の海辺があるかのようである)、そして何より、『源氏物語』の「須磨」の巻を思い起こさせる。「秋」という季節が光源氏が須磨の侘び住まいで送った淋しい日々と重なるし、源氏の左遷はエスカレータに礼儀正しく乗っているサラリーマンたちの哀愁とも通じる。

【佳作3】キューランプ群衆Aの立ち上がる GONZA

……表の意味は、舞台の本番開始などで使われるキューランプが点灯したら、個々の名前がついていなくて「群衆A」としてまとめられてしまっている役者たちが(身体的に)立ち上がった、ということだろう。しかし、それだけでは、原因と結果を詠んだ句に過ぎない。やはり、ここは深読みしたい。舞台でなければ、名もない市民たち、群衆が立ち上がるというのは、決起することに他ならない。近年では、フランスの黄色いベスト運動(2018年~)、香港の雨傘運動(2014年)及び逃亡犯条例改正案反対運動(2019年~)がある。その場合のキューランプとは決起する烽火というか、何か決定的な火種のようなものかもしれない。逃亡犯条例改正案とかである。

【佳作4】月光やプラットホームの下に洞 砂山恵子

……普通に解釈すれば、月光に照らされているプラットホームの上と暗い空洞になっているプラットホームの下の対比を示した句であろうが、やはり「月空洞説」を強く連想させる句となっている。照らされているプラットホームだけでなく、照らしている月自体も空洞なのだ。思えば、月自体も輝いているわけでなく、太陽に照らされているにすぎないので、月もプラットホームも自分で輝くことのない中が空洞の物体である。「月空洞説」はオカルトやSFで長く好まれた題材であり、月の中に基地があるとか、月自体が宇宙船だとか、そういった話はたくさん語られてきたが、近年、NASAやJAXAの研究などによって、月が実際に空洞であることが語られはじめ、もはや定説になりつつある。そういう意味でも、洞(ほら)には、法螺(ほら)でない真実が眠っている。

【佳作5】人攫ふ月光のエスカレーター 椋本望生

……月光に照らされているエスカレーターの句は他にもあったが、初五の「人攫ふ」が尋常でない。静かな夜、エスカレーターに乗っている人たちはカーテンに射してくる月の光に吸われるように消えてしまい、見知らぬ世界に攫われていってしまうのである。妖しい幻想であるが、古来より月が持っている魔力ゆえ、エスカレーターの人たちがいま月光に攫われつつあることを信じてしまいそうになる。

【佳作6】かなかなの中エスカレーター長い 未補

……この句も不思議である。まるでいま乗っているエスカレーターがいつもより長いのは蜩(かなかな)が鳴く中を通っているからだと言わんばかりである。実際、エスカレーターがいつもより長いはずはなく、作中主体にそう感じられただけであろう。それは、かなかなの声の魔力というか、どこか哀れさがあり人の心に染みるような声に集中していると、毎秒毎秒が充実するからであろう。しかも、未明や薄暮の微妙な光に反応し鳴きはじめるので、明かりが弱い中で乗るエスカレーターが長く感じられるのは心理的にも理に適っている。

【佳作7】街の灯へ笑み釦押す爆撃手 仁和田永

……どこの戦争かわからないが、「笑み」にリアリティーを感じた。数千年前から現代に至る様々な文献や記録で知る限り、戦争は人間性というものを容易に麻痺させてしまい、良識ある人間でさえをも時には悪魔に変えてしまえるようである。「街の灯へ」とあるので、夜間だろう。そこは戦場でなく、一般市民たちが日々の生活を営んでいる銃後の街。食事をしている家族、残業をしている人たち、勉強をしている子供たち。爆弾投下後、そこは一瞬で凄惨な地獄と化すのだ。国際法違反だが、勝てば糾弾されない。ましてや一介の爆撃手が責任を問われることはない。笑みてボタンを押した爆撃手は自分が作りだした地獄の一部始終を目にすることはなく(何といっても夜なのだ)、速やかに帰投するのだ。もちろん、爆撃手自身の家族も敵の爆弾で焼き殺されてしまい、復讐の喜びに打ち震えているだけかもしれない。

【佳作8】影の濃き背やナイターのマスコット  寺沢かの

……新しい素材、現代の素材に挑戦してゆくのは俳人の使命だと思うが、ナイターのマスコットなんてものをよくぞ詠んでくださったと思う。人間の入っている着ぐるみに過ぎないが、ライトに照らされるその正面のかわいらしく微笑んでいる姿の裏の「影の濃き背」に着目したのが好い。哀愁がある。入っている人間の悲哀もマスコットという存在の微妙さも運営の闇も、その「影の濃き背」に象徴されているかのようだ。マスコットというものが球団の象徴であるのだから。

【佳作9】夏の蝶セシウムを手に塗る遊び 小泉岩魚

……セシウムと言えば、まずは東海テレビが起こしたセシウムさん騒動を思い出す。ウィキペディアを引用するが「セシウムとは原子番号55の元素の一種であり、その放射性同位体である放射性セシウムは2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故により外部に放出され、東北や関東を中心とした東日本の土壌や農作物・畜産物・魚介類から規制値を超える量が検出されたことでクローズアップされていた」矢先に、不謹慎なテロップが誤って流れてしまったのである。この句の一つの解釈としては、セシウムさん騒動のような事件を引き起こしたような、セシウムの危険性を軽く捉えてしまったテロップ制作担当者の「遊び」を思う。別の解釈として、原発の危険性を無視して各地で再開させようとしている、利権を得ている人間への揶揄とも受け止められる。子どもたちが夏休みに大型の(夏の)蝶を捕獲しようとするように、無邪気で無知な人間たちが原発利権を捉えようとしているのかもしれない。物理的にも、セシウムを極少量手に塗ってもただちに死ぬことはないが、少し量が過ぎれば、待っている結果はおそろしい。そもそもそんなもので遊んではいけないのだ。

【佳作10】a ray of light

circumvents

the desert called language 斎藤秀雄

……訳すと「言語という沙漠を迂回する一条の光」や「一条の光が迂回して沙漠の名は言語」といった感じになるが、文法の制約上、語順の効果を含めて正確に訳すことは難しい。そして、その翻訳の難しさこそが「沙漠」の一つなのだ。ソシュール、ウィトゲンシュタイン、チョムスキー等を読むと、「言語という沙漠」の途方もない広大さに絶望するし、認知にも意思疎通にも懐疑的にならざるを得ないが、それを「迂回」する「一条の光」は沙漠の民である人類にとっての大きなる希望である。

※あと「今月の力学」という所に70句ほど俳句らしきものが載ってました。たぶん応募句ではないかと思います。また「助手の一句」として「圧されて伸びゆく空に白い綿」という句があり、その後4句の添削が載ってました。いずれにしてもこちらは省略させていただきました。「所長代理に堀田季何さん」とありますから、この方が選者なのかしら。短歌も3首ありました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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