春落日しかし日暮れを急がない

https://www.artpr.jp/yamanashibungakukan/kanekotota2024 【開館35周年記念企画展

金子兜太展 しかし日暮れを急がない】より

開催期間:2024年9月14日(土)〜2024年11月24日(日)

山梨県立文学館(山梨県甲府市貢川1-5-35)にて、「金子兜太展 しかし日暮れを急がない」を2024年9月14日(土)より11月24日(日)まで開催いたします。金子兜太(かねことうた 1919~2018 埼玉県生まれ)は、前衛俳句、社会性俳句の中心的存在として戦後を代表する俳人です。生まれ育った秩父への思いや、小林一茶への共感などを根底に創作活動を繰り広げました。太平洋戦争中、海軍主計中尉として赴任したトラック島(現チューク諸島)での戦場体験から、反戦への思いを晩年まで持ち続けました。本展では、その生涯と作品の魅力を紹介し、今日における“俳人兜太”の意義を探っていきます。

展覧会概要

金子兜太(かねことうた 1919~2018 埼玉県生まれ)は、前衛俳句、社会性俳句の中心的存在として戦後を代表する俳人です。生まれ育った秩父への思いや、小林一茶への共感などを根底に創作活動を繰り広げました。太平洋戦争中、海軍主計中尉として赴任したトラック島(現チューク諸島)での戦場体験から、反戦への思いを晩年まで持ち続けました。

本展では、その生涯と作品の魅力を紹介し、今日における“俳人兜太”の意義を探っていきます。


https://plaza.rakuten.co.jp/tenkatu18/diary/202102260000/ 【『春落日、しかし日暮れを急がない』】より

『春落日、しかし日暮れを急がない』俳人、金子兜太(とうた)の句です。

人生をゆっくりと味わい生き抜く 人生の楽しみが心にしみてくる句です。

限られた人生をゆっくりと急ぐことなく、夕映えのように、紅色の艶のある落日は美しい晩年の人生のように、ゆっくりと歩みたいと思うのです。

金子兜太の句に”しかし日暮れを急がない“という心境を大切にしたいと思うのです。

人生訓の書菜根譚にこう書いています。

菜根譚【日既に暮れて、而もなお烟霞絢爛たり。

歳将に晩れんとして、而も更に橙橘芳謦たり。故に末路晩年は、君子更に宜しく精神百倍すべし。】菜根譚前集196

即ち【日がすでに暮れても、なお夕映えは美しく輝いているし、歳の暮に当たっても、橙橘❨だいだいとみかん❩のたぐいは一段と良い香りを放っているではないか。

そこで、晩年に際しては、一段と精神を奮い立たせて最後を飾るがよい。】と晩年の人生の生き方を述べています。

有限な人生、真に豊かに潤い深い人生の楽しみをなしていきたいと思います。


https://ameblo.jp/sawara20052005/entry-12541501293.html 【2019.11/21 俳句 金子兜太 春落日しかし日暮れを急がない 】より

『響き合う俳句と書 下』(金子兜太監修/天来書院)より選句、習字

金子兜太(とうた)

春落日しかし日暮れを急がない 

 定年退職のあとしばらく、付けたし感、おまけ感の虚しさがつきまとった。これを、春落日というべきか、濡れ落ち葉というべきか…

 貧しき若者に「身の丈に合った」も、かなりひどいが、先のない老人に向かって「娑婆にいたければあと2千万円足らんよ」と引導を渡されるに較べれば、まだ未来がある分ましか。

 作者のように、夕日は落ちるが、日暮れは急がないという達観した心境には到底至らない。年金問題や高齢者福祉など、テレビや新聞で目に触れる度にグラグラさせられる今日この頃。

日暮れのある句

芭蕉 草の戸や日暮れてくれし菊の酒

蕪村 橋なくて日暮れんとする春の水

一茶 鵜舟から日暮れ広がるやうすかな


https://kanekotohta3.livedoor.blog/archives/14782906.html?ref=head_btn_prev&id=8486240 【エッセー「夕日よ沈むな」】より

  春落日しかし日暮れを急がない  兜太

 自分が年寄りである、と気付いたときの、みょうな気持が、いまでもそのまま残っている。気付かされた、といったほうが当っているのかもしれない。なんとなく老人あつかいされていることに戸惑っている自分に気付いたのである。

 八十歳に近づいたころだったが、そうなると、会合などで、自分より年寄りはいないかと、ひそかに周りを見まわすようになった。しかし、大方の場合、わたしが最年長で、老人として遇されていることを知る、そのくやしさ。無理をして先輩風を吹かせると、あんがい喜んで受け入れてくれて、座が和んだりするのだから困ってしまう。

 自分の体はまだ壮年、「老人力」とか「老いの性欲」などといった慰めのことばには乗らないぞ、という気持でいるのだが、春の夕日に出合って、夕日といわず「春落日」などといってしまうのだから、やはり老年を気にしているのだ。

 しかし、落日かもしれないが、すぐには沈みません、沈み急ぎはしません、とおもい直す。虚勢ではない。

 それにしても、春の夕日は、四季のうちのどの時季のものより美しい。「なの花や月は束に日は西に」(蕪村)の、あの夢まぼろしのような美しさで、落日とはいえ、西空にいつまでもとどまっているぞ、わが生命(いのち)よ、と自分に言いきかせている。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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