幻日と彩雲、そして夕焼け

https://blog.goo.ne.jp/kotsunagi567/e/f582de491a4ca2a16abe05969f51d7ba 【幻日と彩雲、そして夕焼け (今月の絵日記(2023年1月))】より

この頃、日中は雲一つ浮かんでいない空模様であっても夕刻が近くなると、冬ならではの雲による光景が現れている。今回アップした画像は一作日に出会った光景である。

上空に浮かぶ細長いレンズ状の黒い雲が太陽の方向に流れてきた。そして、太陽の直下付近では、雲の縁が美しい彩りを帯びた。

同時に、鮮やかな虹が太陽と同じ高度の位置に現れた。

虹は「幻日(幻日環)」と呼ばれている大気光学現象によるものである。

このものは、太陽光が空気中に浮かぶ小さな氷の粒で屈折されることに起因すると言われている。幻日と太陽(雲による減光で、太陽がそれほど眩しくない状態になった)

次いで、うろこ雲がレンズ状の雲の上に現れた。

「レンズ状雲(下層雲)の夕焼け」と「うろこ雲(上層雲)の輝き」(1)

「レンズ状雲(下層雲)の夕焼け」と「うろこ雲(上層雲)の輝き」(2)

太陽が近くの山に沈む間際では、下層雲の夕焼けが鮮やかになった。

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ところで、このときは東方向に現れた帯状の雲も夕日に染まった。

このようなときには、山頂付近の冬木立から月が昇ることを望みたくなるが、今は真夜中にならないと月が昇らない。


Facebook西尾仁さん投稿記事  人間関係は鏡。『鏡は先に笑わない』

ほりけんさんよりシェア

意味するところは、鏡に映った自分の姿は、自分の行動に連動して変化する。

自分が右に動けば鏡の自分も同じ方向に動くし、自分が笑えば鏡の向こうにいる自分も笑う。

で、人間関係もこれと一緒。

自分が相手に笑いかければ、相手も自分に微笑む。

自分が相手を労えば、相手も自分のことを労ってくれる。

自分が相手に優しくすれば、相手もまた自分が困っているときに優しくしてくれる。

ここから得られる学びは、「人間関係を良くするには、まず自分から行動しよう」ということ。

相手からほめてもらえたり、優しくしてもらえたりしたら嬉しいですが、それは待っているよりまず自分からしてしまった方が。圧倒的良い。


https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/other-myself/mirror-mirror-on-the-wall-show-me-why-i-always-fall 【OSHO TimesThe Other: Myself鏡よ、壁にかかった鏡よ、なぜ私はいつも落ちるのか教えておくれ】より

鏡よ、壁にかかった鏡よ、なぜ私はいつも落ちるのか教えておくれ

鏡よ、壁にかかった鏡よ、なぜ私はいつも落ちるのか教えておくれ

 嫉妬ではない――私は彼が劣等感を感じているのだと思う。あなたは間違った言葉を使っている。彼はあなたが女神で、自分には価値がないと感じている。そうかね? (彼女は頷く)。 だとしたら、それは嫉妬ではない!

 それもまた、人びとを操る——彼らをとても重要な存在にして操るひとつのやり方だ。それはある種の策略、ひじょうに寄生的なトリップだ。誰かをとても高く持ち上げる時、あなたはその人に対して力(パワー)を持つ。なぜなら今や、その人を高みにとどまらせるのも引きずり下ろすのも、あなたの力(パワー)にかかっているからだ。誰か——例えば、〔あなたのパートナー〕があなたを台座高くに置くと、あなたは彼が自分を力強くしていると考える。だが、彼もまた、力強くなっている。というのも、他の誰でもなく、彼だけがあなたを台座にとどめておくことができるからだ。それに、彼はそのことを——あなたは彼に依存しなければならないし、さもなければあなたは台座の上にはいないということを知っているからだ。あなたはごく普通の女性になってしまう。彼はあなたを女神にしたというのに! だから、それはあなたをコントロールし続けるための、ひじょうに微妙な策略だ。

 あなたに依存することで、彼はあなたを自分に依存させている。そして、あなたはそのトリップ——彼があなたをとても高く崇めるというトリップを楽しむ。そのトリップを楽しむとき、あなたはいくつかの条件を満たさなければならない。これがトリックだ。それはとても古くからある。〔彼〕がそれを発明したわけではない。それはひじょうに古いものだ。

 男性は、いつも女性を台座に載せることで、彼女が降りて来られないようにしてきた。男性は女性を崇拝するか非難するか、どちらかだった。彼女は地を這う虫けらか、あるいは女神か、そのどちらかであり、けっして自分と同等には扱わない。それは危険だ。彼女が手の届かない天上高くにいようが、手の届かないほど低い所にいようが、どちらでも構わない。だがけっして同等ではない。女性がとても低い所にいるときには、彼女は抑圧されうる。男性が違うと感じれば、理由が何であれ、彼女を罰することができる。あるいは、彼女は女神であるかだが、そうなると、彼女は台座から引き下ろされうる——それもまた、ある種の罰だ。

 しかし女性には男性と同等であることが必要だ——低くもなければ高くもなく——だが男性にはその用意ができていない。というのも、相手を同等にするということは、もはや彼女をコントロールできないことを意味するからだ。あなたには同等の人をコントロールすることはできない。低くても、高くても、どちらでもコントロ ールできるが、同等の人は自由だ。同等は同等だ。

 だから台座から降りてきなさい。彼に自分は女神ではなく、人間だと言いなさい。それにあなたは何をしているのかね? あなたは女神のふりをしているに違いない。彼に協力しているのだ。力を貸さないことだ! 彼に言えばいい。「あなたが普通の男性であるように、私も普通の女性なのです。女神のように崇拝されたくはありません。どんな女性でも持っているあらゆる欲望を、私も持っています。私はまったく普通なのです」 彼に放り出される前に、自分から台座を降りなさい。そうすれば気分がいいだろうし、彼の重荷をも下ろすことになる。

 もし彼があなたを愛せないなら、そうだとしたら、彼は誰かほかに台座に載せて崇拝できる女性を見つけるだろう。彼は恋人ではなく、母親を必要としているのかもしれない。その時には、それは彼の問題だ。だが、あなたは台座から降りてきなさい。誰であっても、あなたを高く持ち上げるのをけっして許してはいけない。さもなければ彼はあなたを操るだろう。彼はこう言うだろう。「お前をこれほど崇高な存在にしてやったのだ——お前は俺に従わなければならない。こんなことはしてはいけない。それはお前に似合わない。あんなことはしてはいけない。あれはお前のするようなことではない。自分の地位を保て」

 だから、あなたはその地位を楽しむが、そうなると、あなたは石になったように感じる。あなたは生きた人間でありたいと思っているはずだ。だから、あなたは矛盾するふたつのことをやろうとしている。もしあなたがまったく生身の女性、本物の女性でいたければ、それなら台座から降りてきなさい。あらゆる台座は私が「台座好き」と呼ぶ、ある種の病だ。

 降りてきて、女神になるつもりはないと彼に言いなさい。ありのままに真正でいて、何であれ起こることを受け入れなければならない。彼があなたのもとを去るとしたら、それは彼の問題だ。彼があなたのもとにとどまるなら、あなたはもっと自由になるし、彼ももっと自由になる。そしてこれは彼をも助けることになる……というのも、彼もまた間違っているからだ。彼はけっして幸せにはなれないだろう。まずあなたは女性を台座に載せるが、そうなったらあなたは彼女と愛を交わすことができない。どうして女神と愛が交わせよう? それは醜く思える。自分の母親と愛を交わすことができないというのに、あなたは彼女を母のように、偉大なる母のように敬った。それでは、あなたは彼女と愛を交わせないし、交わせたとしても、あなたは罪の意識を覚える。彼は幸せではないだろう。というのも、彼は絶えず劣等感に苛まれることになるからだ。彼はあなたを自分よりも優れた存在にしてしまったのだ。

 彼に「私はごく普通の女です。それ以外にはどんな尊敬も要りません」と言いなさい。それこそ私たちが人間としてお互いに払い合える、最高の尊敬だ! それが助けになるだろう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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