聴音所

https://battenjiiji.hatenablog.jp/entry/2020/11/11/000722【大島町・崎戸町ドライブ】より

秋晴れの日曜日、連れ合いを誘ってドライブに行く。行き先は大島町と崎戸町である。

今秋、第147回九州地区高校野球大会が長崎で行われ、大島町にある県立大崎高校が長崎県代表として出場した。そして、その大会で並み居る強豪校を押しのけて優勝を飾ったのは長崎県代表の大崎高校であった。大崎高校が九州制覇したことで、長崎のニュース番組では「小さな島の高校球児が大きな勝利をつかみ取った」と大きく報道された。その時のニュースを見て、大島町・崎戸町に行きたいと思いたち、連れ合いを誘ってドライブすることにした。

大島町と崎戸町は長崎県西海市の町で、両町とも島である。大島町は寺島と大島の二つの島からなり、また崎戸町も蠣浦島と崎戸島の二つの島からなっている。この4つの島は全て橋で結ばれており西彼杵半島と陸続きになっている。崎戸町(橋で結ばれていない江島や平島も含む)の人口は約1,800人、大島町は約4,500人である。

今、野球で大活躍の大崎高校の名前は大島町と崎戸町の二つの町名から一字づつ取って付けられたようである。現在の大崎高校の全在校生は118名(男子85名、女子33名)である。3年前には部員数5名の廃部寸前だった野球部が、突然大変身したのは2018年4月に着任した清水監督の指導力が大きいと言われている。今後の活躍を楽しみに注目したい。今日のドライブは景色が素晴らしいという崎戸町の「北緯33度線展望台」を目指すことにした。

自宅を出て約2時間、遠くに白い橋が見えてきた。大島大橋である。大島大橋は全長1,095m、高さ126m、海面高32mの呼子ノ瀬戸に架かる斜張橋である。この橋は「1」にこだわって、平成11年11月11日11時11分11秒に供用開始された。青い海と青い空の中に美しい白い優美な姿を現している。この橋を渡るといよいよ大島町に入る。はるばる来たという感じがする。

白い橋を渡って大島へと思っていたら赤い橋が現れた。そうか大島の手前に寺島があったのだと納得する。赤い橋は昭和63年に開通した全長270mの寺島大橋である。寺島大橋を渡るといよいよ大島である。

大島に渡って崎戸町を目指して進む。大崎高校の前を通過して蠣浦島に入ったら人面岩の文字が目に入った。なるほど、言われて見たらそう見えないことはない。冷たい男性のような顔に見えた。

青い海が広がる海岸線を車は快適に進む。突然、目の前にクジラが現れたような錯覚を起こす。保育園の建物がクジラになっている。アンテナは潮を吹くようすを示している。こどもが喜ぶからクジラにしたのかなと思ったら、あとでその理由がわかった。崎戸町の歴史は捕鯨に始まっていた。17世紀の崎戸には鯨組が置かれ、回遊してくる鯨をしとめ「一頭仕留めれば七浦潤う」のことわざ通り、鯨によってこの地は大いに潤ったようだ。捕鯨の名残りを十分感じることができた。

崎戸町をドライブする楽しみの一つがアラカブのバス停を見つけることである。アラカブはバス停に四匹いるらしいが、私は三匹しか見つけられなかった。崎戸町は、海でも陸でもどこでもアラカブがいるらしい。アラカブは崎戸町を代表する魚である。

北緯33度線展望台目指して進む。観光案内板のフレームはタヌキでできている。そして

案内には、この道路を「たぬき街道」と書かれている。なぜ、タヌキ街道なのだろうと思い、島の人に尋ねたら、ここは昔から「たぬき」の多い島ということであった。昔は昼間でも、よくたぬきが見られるほど多かったようだ。

北緯33度線展望台の駐車場に到着した。駐車場から展望台までは300mほど歩く必要がある。歩道はきれいに整備されて歩きやすい。歩道を少し離れると断崖絶壁になっている場所もある。展望台に近づくと蔦に覆われた廃墟になっている建物があった。案内板を読むと「この建物は、旧日本海軍佐世保鎮守府の聴音所として昭和13年に建築され、終戦までの7年間、水中のスクリュー音を探知するための施設であった。」と書かれている。

最後の階段を上って、北緯33度線展望台に到着。ここはちょうど、北緯33度線上に位置する360度ビューの展望台である。ここから五島列島や平戸島を望むことができる。北緯33度線上には西はカサブランカ、バグダッドに通じ、東はサンジエゴに通じる。今日は、黄砂で視界が少し悪いのが残念である。ここから水平線に沈む夕日を見るとき、地球を感じる瞬間が訪れると書かれてある。地球を感じたいが夕陽まで時間があるので今日は断念する。

崎戸歴史民俗資料館・井上光晴文学館/文学碑

北緯33度線展望台を楽しんだ後は崎戸歴史民俗資料館・井上光晴文学館に立ち寄った。歴史民俗資料館では崎戸の産業である捕鯨、石炭、塩の歴史を物語る様々な資料が展示されていた。また、井上光晴文学館は氏が崎戸町で少年期を過ごした縁で設置されていた。また、庭園には氏の文学碑が建てられていた。井上文学の根幹をなす思想の原郷が、ここ崎戸であったことを知って氏に親近感を持った。氏の不条理を追求する文学に触れたいと思う。

左:本郷橋、右:崎戸橋

往路では慌てて通り過ぎた橋を、帰路はじっくり味わって渡っていくことにした。左の本郷橋は崎戸島と蠣浦島を結ぶ橋で昭和46年に開通した。右の崎戸橋は崎戸港にかかる橋で昭和42年に完成した。橋ができる前は、船頭さんが艪をこぐ「艪漕ぎ船」の渡し船が雨の日も風の日も年から年中、船は往っては帰り、50有余年通い続けたと渡し場の説明板に書かれていた。「艪漕ぎ船」の渡し船の時代はもはや見ることはできないが、大島・崎戸ドライブは古き良き時代を思い出すノスタルジーを覚える旅であった。


https://ameblo.jp/yoshidanoharuo/entry-12829997554.html 【[佐世保鎮守府]崎戸特設見張所聴音所】より

[佐世保鎮守府]崎戸特設見張所聴音所 長崎県西海市崎戸町本郷362-1

長崎県西海市崎戸町本郷、捕鯨基地として栄えた崎戸島(さきとじま)の最先端(九州最西端)にある。現存する唯一の煉瓦造り2階建ての建屋は聴音所。ここで潜行する敵の潜水艦のスクリュー音等を傍受していた。

敷地内には兵舎、ポンプ室、発電施設、96式25ミリ機銃座などがあった。戦後、ホテル咲き都(閉館)の建設や公園化整備でこれら遺構は消滅した。

昭和13年、佐世保鎮守府によって聴測照射所が設置。

昭和17年3月、特設見張所に改称

昭和19年9月時点で探照灯1基、聴音機1基が増設されている。

引渡目録

出典:アジア歴史センター(C08011163300)引渡目録 佐世保海軍警備隊 長崎県の部(2)

探照灯、96式25ミリ連装機銃の銃座が何処にあったかは不明。

何せ、遺構は聴音所のみ。

96式25ミリ機銃

崎戸町の郷土史『国家総動員法が発令された昭和13年に御床島周辺に海軍防備隊ができることとなり、住民は島の頂上まで資材運搬の奉仕作業に連日出かけていった』

内部

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本土から寺島〜大島〜蠣浦島〜崎戸島〜御床島、と幾つもの橋を渡ればリクルートでも行ける。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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