風土学 『空気と水とこころ』

https://www.koganei-style.jp/rokubu/about-rokubujuku/rokubu-school-profile/about-hudo/ 【風土を学ぶ:その1>「風土」とは】より

先ずは、Wikipediaからの一般的な「風土」を知っておきます。その上で、注目すべきWikipediaでは、最終章の近代地理学と風土論にある和辻哲郎の「風土とは」として、太字にしてあることを知っておいてください。

<Wikipediaより、転載>

風土(ふうど、古くは「ふど」)は、

主にある土地の気候・気象・地形・地質・景色(景観)などの総称という概念で使われる用語である。英語ではclimateなどが当てられるが、climateも日本語で言う「気候」という意味だけでなく、「風土」や「地方」という意味ももつ。climateの語源は古代ギリシア語で「傾き」おという意味で太陽光の傾きが場所によって異なることから、気候という意味が生まれた。また気候が変わると土地柄なども変化することから、「風土」という概念も生まれた。しかし、『風土』という概念を考える場合、単なる自然現象の他に人間存在や歴史的・文化的な背景も考慮しなければならない事も多い。

【語源】

「風土」という単語は古代中国発祥の用語で元来は季節の循環に対応する土地の生命力を意味した。

天からの光や熱、雨水などは土地毎で異なるので土地の生命力には差が生じる。この異なる生命力のもとでは、大元は同じ人間の性も様々な育まれ方をすることから、やがて「風土」という言葉には場所ごとに異なる地域差を意味するようになっていった。

2世紀になると『風土記』と称した中国各地を記した地誌書がみられるようになった。その後、この用語や考えは日本にも移入され、奈良時代である和銅6年(713年)には中央政府から諸国の国司に各地の『風土記』(ふどき)の編纂を命じた例は日本の歴史の中では知られているものである。

【日本の風土論】

日本では熱帯的気候と寒帯的気候が共存し、四季の明確な変化、多くの島からなる国土など様々な景観や気候変動をみせる風土から古来より風土観が育まれ、風土は日本人の生活様式や思考様式を探る原点のひとつとして考えられてきた。その風土観は時代によって異なり、古代では自然と人間の未分離のアニミズム的自然観などが見られていたが、中世に入ると仏教に見られる無常観が風土観にも見られるようになり、自然とは「はかないもの」という認識が広まった。近世に入ると封建制社会に中国の儒教的な自然観が加わったのと同時に、各地域の風土性と人間の特質に関する考察が見られるようになった。

この時期の風土論として『人国記』(元禄14年(1701年))や『日本水土考』(元禄13年(1700年))などがあり、これらは日本の自然と住民の特質を論じたものである。その後、蘭学の勃興など西洋の考えが風土観にも広がった。

明治時代になると風土論を扱った書として内村鑑三の『地人論』(1894年)、志賀重昂の『日本風景論』(1894年)などが生み出された。

【西洋の風土論】

西洋では古来より住民と1自然との関係が論じられてきた。古くはギリシアのイオニア学派の人々が、神話的世界観からの脱却し、土と水と空気と火の四つの要素で自然を捉えなおし、それと人間社会や民族性などを論じた。こうした議論の中でヒポクラテスは『空気・水・場所について』で温暖な地域の住民の特質と寒冷な地域の住民の特質とさらに中間にあたるギリシアの住民の特質を説き、その中でギリシアの住民は勤勉で自主性に富み、独立性が高く、知性豊かであるのでアジアのような専制的政体は生まれないと自讃的な主張した。しかしこの考えは後世にも影響した。アリストテレスも、『政治論』において自己讃美的に風土と政治形態との関連を考察し、南方の住民と北方の住民とギリシアの住民の特性論じ、その中でギリシア人は聡明で武勇に優れ、優秀な政治組織を持つことができると説いている。いずれの場合も、この時代の風土論は気候的な部分が優先され風土が人間に直接的な力を及ぼすという点が認められる。

その後中世には神学の影響で風土論は一時衰えたが、近世に入るとのフランスのジャン・ボダンではその著『共和国』(1580年)で温帯、寒帯、熱帯などに分けそれらと政治との関係を述べている。同じくフランスのモンテスキューは、その著『法の精神』(1748年)でジャン・ボダンよりもさらに細かく地域を分けて気候と国家、国民性の間に密接な関係があることを論じた。ここまできても、土地柄を規定する主因として素朴に気候が取り上げられ、風土がすなわち気候とみなされがちであるが、われわれを包み込む全環境としての風土を包括的に体系化したのは、ドイツの哲学者・ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーであった。ヘルダー著「歴史哲学の理念」(1784年-91年)の中では、風土とは何か、そして風土が人間の心と体にいかに関係するかが重要なテーマであった。著作の中でヘルダーは「土地の高低、その性質、その産業、飲食物、産業。娯楽、衣服などはすべて風土の描き出したもの」とし、「人間にも動物にも植物にも、固有の風土がありその風土の外的作用を特有の仕方で受け止め、編みなおすものであると」説いた。すなわち、気候のみならず生活の様式や物の考え方が風土の上にあるという考えを示した。ヘルダーはこうした立場から民族の個性などを風土の側から捉えようとした。こうした人文科学的な立場からのヘルダーの風土論は後のヘーゲルの歴史哲学や、アレクサンダー・フォン・フンボルトやカール・リッターなどによる近代地理学の始まりに大きな影響を与えた。

【近代地理学と風土論】

近代地理学と風土論

風土論あるいは環境と人間の問題は近代地理学においても重要なテーマのひとつとなった。初期はヘルダーの影響を受けた近代地理学の父であるカール・リッターや、その後のフリードリヒ・ラッツェルなどに見られる。特にラッツェルはダーウィンの影響の元で動物学を学んでいたこともあり、歴史を進化論的に解釈しようとし、人間や国家あるいは歴史も大きな自然環境の下にあるとして人間の作用に自然環境が及ぼす事を重視し、「環境決定論者」と呼ばれるまでになった。ラッツェルの環境論(風土論)はアメリカのエレン・センプルやエルズワース・ハンティントンなどに影響を与えた。地理学者における風土の見方のほかに、地理学者らによる各個別の各地の地誌などの研究は各地の風土を把握するうえで重要なものになっていた。

<転載、以上>

<Wikipediaの転載部分>

【和辻哲郎の『風土』】

風土論が展開されていく中で見逃せないのが日本の哲学者・和辻哲郎が著した『風土』(1935年)である。サブタイトルに『人間学的考察』とありハイデッガーの哲学に示唆を受け、歴史への視点を場所に移して論じたものである。和辻によると「風土」は単なる自然現象ではなく、その中で人間が自己を見出すところの対象であり、文芸、美術、宗教、風習などあらゆる人間生活の表現が見出される人間の「自己了解」の方法であるという。そしてこうした規定をもとに具体的な研究例として

1.モンスーン(南アジア・東アジア地域)

2.砂漠(西アジア地域)

3.牧場(西ヨーロッパ地域)を挙げ、

それぞれの類型地域における人間と文化のあり方を把握しようとした。和辻の風土論はユニークなものとして受け入れられ、各方面に与えた影響も大きく後の比較文化論などに影響を与えた。

<転載、以上>

「六部塾」では、その地域ごとの「知」=「風土知」を基礎とした学びを進めています。モデル地区として、東京の郊外の「小金井市」での風土知づくりを取り上げていきます。こちらから、特に時代的に「地域知」を知っておきたいものです。


https://www.heibonsha.co.jp/book/b643624.html 【俳句表現 作者と風土・地貌を楽しむ】 より

『俳句表現 作者と風土・地貌(ちぼう)を楽しむ』の編著者は長野県松本市在住の俳人、俳句雑誌「岳(たけ)」主宰の宮坂静生(みやさか しずお)さんです。本書は2019年刊の『俳句必携 1000句を楽しむ』、2023年刊の『俳句鑑賞 1200句を楽しむ』につづく俳句鑑賞の入門・案内書の3冊めになります。前2冊は、それぞれ1068句、1208句の作品と鑑賞文で構成し、新年・冬・春・夏・秋・冬の季節をたどった、俳句を身近に感じていただける書籍です。

宮坂静生さんは俳句鑑賞学を提唱し、作句と同時に優れた鑑賞力をつけることが俳句作者には必要と唱えています。そのためには、作者と作句の背景を理解し、また一般の歳時記に載る季節のことば・季語のみならず、俳句に詠まれた風土や地域に根ざした季語「地貌季語」を理解することが、より豊かで深い俳句世界を楽しむ鑑賞には必要と、平明な文章で具体的に書いています。本書では、俳句作者の作品と生涯をたどり、いのちが煌めく一瞬をとらえた俳句作品を紹介していく稿を縦軸として、日本風土の多様性や、地域に息づき、暮らしや文化に根ざした季節のことば・地貌季語を、いわば水平的なひろがりをもった横軸として、俳句作者と俳句作品を紹介していきます。収録句は560句ほどとなります。

そして今日的な話題である、死後生、生者も死者もがともに存在できる世界、戦争や幼児虐待、東日本大震災などを通して、人のいのちと俳句表現のひろがり、深まりをさぐっています。また、近世の芭蕉と近代の子規とを架橋する幕末・明治の俳人で、信州伊那(いな)に生きた井上井月(せいげつ)の興味深い講演録も収録しました。巻末には、二十四節気一覧、おもな地貌季語[地域別]、人名索引、季語・事項索引を付けました。

いまいちど、いのちとこころ、俳句のことば、地域の暮らしと文化に立ち戻って考えてみよう、という、意欲的な編著者の試みです。俳句に詠まれた日本各地の四季と多彩な季語、人の生とこころ、地域の暮らし・文化の成り立ちをお楽しみください。


https://yukihanahaiku.jugem.jp/?eid=20 【生活実感の勁さ ~ 宮坂静生「季語体系の背景 地貌季語探訪」を読む】より

生活実感の勁さ ~ 宮坂静生「季語体系の背景 地貌季語探訪」を読む

鈴木牛後

宮坂静生「季語体系の背景 地貌季語探訪」(二〇一七年/岩波書店)を読んだ。先ほど届いた「現代俳句」五月号に宮坂氏の本年度の現代俳句大賞受賞が決まったという記事が出ていた。氏の永年の活動が評価されたということで、心よりお祝いを申し上げたい。

選考委員長の中村和弘によれば、宮坂静生の業績の中心は、「地貌季語」、全国の各地の「土に根付いた言葉」を発掘蒐集したことである。全国的な歳時記に載っていないというだけの理由で、「それは季語ではないから俳句に使ってはいけない」などとと貶められたり退けられたりした言葉がおそらくあっただろう。それを、著名な俳人である宮坂が「地貌季語」と名付けて紹介したことは、そのような言葉が本来の光を取り戻す大きな契機になったに違いない。

本書「季語体系の背景」の「はじめに」で宮坂は、地貌季語に執した理由を書いている。そのひとつには、能村登四郎「合掌部落」、沢木欣一「能登塩田」、岸田稚魚「佐渡行」、村上しゅら「北辺有情」などのいわゆる「風土俳句」への違和感があったという。これらの作品は「社会性」を風土詠の一面から受け止めた真摯さはあるが、どこか都鄙意識(都会と田舎との間にある優劣感情)がありはしないか、と感じたというのである。

宮坂が挙げた作品のうち、私の手元には沢木欣一のものしかないが、

塩田夫陽焼け極まり青ざめぬ

貧農が海区切られて塩田守る

と、金沢大学助教授から文部省教科書調査官となった沢木が詠むとき、そこに塩田夫への共感とともに都鄙意識が確かに感じられる。ここに都鄙意識を感じるかどうかは、読者の立ち位置が「都」の側か「鄙」の側かによってかなり違うだろうが、宮坂は一貫して「鄙」の側に立とうとしていることが窺える。

私などは明らかに「鄙」の人間だが、大きな視点で見れば北海道全体が「鄙」であるとも言える。その「鄙」が自らの存在を顕らかにしようとするとき、この「地貌季語」という言葉が側面から「鄙」照らしてくれるように思えた。

本書のまえがきに

向日葵を鋤き込む北の大地かな  橋本幸篤

という句が紹介されている。この句は、二〇一六年のNHK全国俳句大会の大賞に選ばれたという。この句について宮坂は《いまだ盛んな生気を留めた花がトラクターによって大地に鋤き込まれてゆく。枯向日葵なら驚かない。美の絶巓(ルビ:ぜってん)の存在が一瞬に消える驚きは大きい。私には既存の歳時記に載る向日葵の本意を超えた地貌からの従来の季語大系への挑戦と思われる》と書く。

作物としてのヒマワリが緑肥として漉き込まれるという景は、農村ではそれほど珍しいものではないので、宮坂の捉え方の方にむしろ驚く。北海道に住む者ならば、実際に見たことはなくてもニュース映像などで誰でも一度は見たことがあるのではないだろうか。

確かに歳時記を渉猟してみても、「向日葵」という季語に緑肥としての使い方を載せているものは見つからない。このことだけを取ってみても、歳時記の「季節」と私たちが日々見て感じている「季節」との違いは歴然としている。

本書によれば、季語は古の歌人が用いた歌語から生まれたもので、主として畿内で用いられたものだ。江戸時代には江戸や太宰府などの地域も加わるが、地図上の緯度でいえば北緯三十四~三十五度の範囲内の風土に基づいている。一方北海道はといえば、函館でも四十二度、稚内なら四十五度を超える。これだけ違えば風土が違うのも当たり前で、そこに「季語体系の見直し」の必要性があると宮坂は言うのである。

この点には私も全面的に賛成したい。まず風土があって季語があり、その上に俳句があるのであって、所与のものとして歳時記があるわけではないのだ。

以上のことを踏まえて、本書第二部では具体的な地貌季語を拾っている。北海道の季語にも大きなスペースを割いていて、とても興味深く読んだ。

《「笹起きる」「蝦夷梅雨」「虎杖」「枯どぐい」「けあらし」は季語でありながら、美意識よりも生活実感を掻き立てることばとしての勁さを持っている。》として、その迫力を讃えている。それぞれ引かれている句を挙げてみれば、

羽搏きの風どつと湧き笹起きる  木村敏男

蝦夷梅雨や限界集落逃げ場なく  谷口亜岐夫

虎杖の嫌われ村の壊れゆく  鈴木八駛郎

枯どぐい海鳴り返す崖屏風  山岸巨狼

けあらしや渡り鴉のざつくばらん  石川青狼

と、実感を手づかみにした句ばかりが並ぶ。

その他にも、たとえば「霧」は秋の季語だが、北海道では夏に発生が多いとか、「初雪」は暮らしを脅かす嫌なものの到来であること、あるいは「立春」は、暦の上では春になったことでかえって春が遠いことを感じさせることなど、知れば知るほど歳時記を超克する、いや、超克せざるを得ない季節感がこの地にはあることを実感する。

歳時記の季感と北海道の季感、そして私の季感。このことは「雪華」の前号にも書いたが、本書を読むことでさらに考えを深めることができると確信を持って言いたい。

(「雪華」2019年6月号)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000