宇宙原理

https://ameblo.jp/amenooshiwo/entry-12841987002.html 【季題を超える「宇宙原理」】より

 元禄二年、七夕の夜、松尾芭蕉は『奥の細道』で〈荒海や佐渡によこたふ天河〉と詠んだ。荒海には、佐渡の歴史的明暗あるいは芭蕉自身の漂泊の人生などが重なるが、それも所詮は仮の世のこと。雄大な銀河を天空に横たえる造化の妙を全身全霊で受け止めてこそ天人合一という至境が掲句に開かれたのである。ここにおいて「天河」は季題や季語を裏打ちする太陽原理を超えて造化随順つまり宇宙原理に根ざすものとして機能することになる。些末写生や季題諷詠に拘泥して停滞する現代俳句が取り戻すべきものがここにある。

  太陽は律儀で難儀芹に花     鳥居真理子

 『月の茗荷』(角川書店)からの一句。ほとんどの歳時記で、芹は春、芹の花は夏の季語となっている。ところが、榎本其角の〈うすら氷やわづかに咲ける芹の花〉について山本健吉は「『芹の花』によって春の句となる」と述べている。本来、無限定なる森羅万象を律儀に分別すること自体難儀なのであり、もっとも、俳句の本分がそんなところにはないのである。同じ作者の〈嗽するたびに近づく銀河かな〉〈天の川肉もこころの類なる〉では、人体あるいは生命という小宇宙と星々の耀く大宇宙との深い共鳴が詩的昇華されていて琴線に触れるものがあった。

  流星を両手で掬う洗面器     対馬康子

 掲句所収の『天之』(富士見書房)の後書きには「時間を創造し、風土を顕現せしめ、新たな関係性を創造するという喜びをあきらめることなく」と述べられている。海外生活の多い対馬さんにとって四季のない国での句作は難儀だったに相違ないが、天の原を振り放けて見る流星と日常生活との新しい関係性に季題を超えるべき深い詩性が耀いている。

 最後に『祈りの天』(ふらんす堂)から昭和五二年生まれの新鋭の句。

  星涼し夜空に沖のあるやうな     日下野由季

 季節感が薄れゆく現代にあって宇宙的スケールの詩性が実に頼もしい。

                                           初出 : 朝日新聞「俳句時評」


https://ameblo.jp/heroesjourney/entry-12840940541.html 【「私」は「無」。とわかってこそ謳歌されるもの、がある。】より

審神者セカンドの皆さんとは私は居ないよね、という話に普通になります。

本当、普通ですよね。「私」は「無」。存在しない。存在するのは神のみ。

存在するのは宇宙原理、自然の摂理。システムが働いている。まさにマトリックス。

しかしマトリックスとわかってこそ謳歌されるもの、がある。

私にとってそれは何だろう?私を通して、何が謳歌されるのだろう?😇


Facebook田中 宏明さん投稿記事

どうやらあなたは今を心地よくすごすことよりも世界の不正を正すために怒る方が大切なようだ

無礼な相手を糾弾し屈服させることの方が大切なようだ

理想の自分というものを描いて終わりない葛藤と承認欲求を満たす事の方が大切なようだ

あらゆる知識を得て実践をして何かになろうとしている自分の「もっとよりよくなれ!」という叫びを聞きながら自分を走らせ続けることの方が大切なようだ

もっと楽しみもっと満たされもっとありのままにもっと無欲になろうとして いつも今を見失うことの方が大切なようだ

そうしてあなたはいつものテーブルで いつものパートナーと いつもの変わり映えのしない

食事にうんざりしている いつもの職場に いつもの面子に いつもの通学路に うんざりしている あらゆる知識や情報に うんざりしている この先の未来に うんざりしている

なぜなら今を生きていないから^ ^

今にいなければ 人と話しながら 話していない ご飯を食べながら 食べていない

子どもといながら 子どもといない 抱きしめ合いながら 抱きしめていない

歩いているのに 歩いていない 生きているのに 生きてはいない 今この世界に起こって

いる終わりない欲求の 原因は あらゆる人が 頭の中の声に操られて 今を見失っている

ことに尽きる 仕事が忙しいと あなたは言う

パートナーが不誠実だとあなたは 言う 子どもが悩んでいると あなたは言う

世界はグローバリストの 支配の中にあると言う でもあなたは今誰かがつくってくれた

椅子に腰掛けている 誰かがつくってくれた茶碗で 誰かがつくったお茶を 誰かがスーパーまで運んでくれたから 飲むことが出来ている

でもそれは 当たり前のこと当たり前が 世界を蝕んで久しい 当たり前が世界を 灰色にしてから久しい

もしあなたが もし世界が 当たり前への感謝を つまりは 存在している事の喜びを

思い出すためには どうすればいいだろう?

一つは全てを 失うこと  一つは丁寧に 今を生きることそのどちらかしかない

こんな声が いつも僕の内側から 聴こえてくる その声の主は「美しい真の自分」

であり そして この声に共鳴しているのは「美しい真のあなた」です


https://ameblo.jp/amesatin/entry-12798130921.html 【note〜人間社会の声より宇宙原理の声・・・】より

この前TVでたまたま見た映画、ハリウッドの娯楽映画だろうとタカを括って見ていたら、意外なことに、noteに書いたこととリンクしていてちょっとびっくりしました。

noteには自分の心の社会化されている部分を落としていけば、より純粋な自分に近づいて宇宙原理に沿って無理なく生きられるんじゃないか、ということを書いたのです。


人間社会の声より宇宙原理の声ー発達障害と呼ばれる人が有利なこと|luckycat|note

これまで発達障害というキーワードからの記事に始まり、ありのままの自分を受け入れることが自己肯定感を上げ、幸福度を上げるのに役立つのではないか、という仮説を書いてきた。 ただ、このありのままの自分を肯定することと今の自分のままでいることは別の話だ。 ありのままの自分は実際には、エゴにまみれ、いろんな規範や記憶に縛られている存在だ。 そのままで何もしなくて…

リンク  note.com

この映画は、強盗に銃で打たれて九死に一生を得たけれど、以前の記憶を失ってしまった敏腕弁護士の話。

記憶を失う前までは社会的に成功して豪華で大きなマンションに住み(NYでこれだけのマンションに住むにはどれだけのお金がかかるのだろう?)仕事の仕方も冷徹だったのが、それら以前の人格が一瞬にして落ちてしまう。

まあ、お話といえばお話だけど、記憶を失わなくても重大な病気になって死の淵まで行って生還した人が、それまでの人間と180度変わったというのはよく聞く話です。

死の際に立ったとき、それまでの成功や競争が意味のないものだったことを身をもって知り、冷たい人間だったのがとても暖かい人間になるようなことが起こる。

私が書いたことを病気や事故で体験するということも実際あるんだろうなと思いました。

でも病気や事故に遭わなくても自分の意思で社会化された心を落とすこともできると思うので、できればそっちの方がいいですね。

子役の女の子がとても可愛いです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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