言葉を実体に近づけよう

https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article【言葉を実体に近づけよう】より

 美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない(小林秀雄)。この名言は、俳句を作る上でのヒントになります。「美しさ」は感覚です。印象です。その実体は何かといえば「花」そのもの。感覚や印象を俳句に詠むのは当然ですが、もう一歩踏み込んで言葉を「実体」に近づけてゆく。そこが肝腎です。

 高浜虚子に「待たれたる葭簀の雨を見上げけり」という句があります。夏の日、一雨欲しいと思っていたら、葭簀(よしず)=窓などに立てかける日除け=に雨の音。思わず空を見上げたのです。

 この句は当初「うれしさの葭簀の雨を見上げけり」でしたが、推敲(すいこう)して「うれしさの」を「待たれたる」に変えました。「うれしさの」の実体が何かといえば、待ち望んでいた雨が降って来たときの気持ちです。そこで「うれしさ」より、もう一歩実体に近い言い方を探した結果「待たれたる」という表現が得られたのです。今回はまず、この虚子の句に似た作例の添削を試みます。

実体を強調する

辞書たどる指の細さよ春の夕

 加藤菜々さん(由利本荘市、会社員23歳)の作。辞書の文字を指でたどるように読んでいる。春の日がしだいに暮れてきた。そんなときに指の「細さ」を感じたのです。ここで「指」という実体を強調する添削を試みます。まず思いつくのは

辞書たどる指細くして春の夕

「春の夕」の柔らかい感じに合うと思います。辞書をたどっている状態を強調するなら

辞書たどりつつ細き指春の夕

「指」そのものを強調するならば

辞書たどるその指細し春の夕

「その」は、目の前にある「その指」という意味です。作者もきっと、いろいろな言い方を試みたことと思います。

視点を変えて詠む

夕蛙(ゆうかわず)魑魅魍魎の本捲る

 京野晴妃さん(秋田市、専門学校1年)の作。蛙が鳴く夕ぐれ、開いてあった本の頁がひとりでに捲(めく)れた。作者はそれを「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」のしわざと見た。逢魔(おうま)が時ともいう日暮れ時の気分を捉えた句です。この句、魑魅魍魎のことが書いてある本(たとえば『日本妖怪図鑑』)を作者が捲っているとも解釈できますが、魑魅魍魎が本を捲っていると解釈したほうが面白い。そこで、

夕蛙魑魅魍魎が本捲る

としてはどうでしょうか。「が」は音がよくないので出来れば避けたいのですが、「何が」という主語をはっきり言いたいときは「が」を使ってよいのです。山口誓子に「掃苔や餓鬼が手かけて吸へる桶」という句があります。墓参のとき桶の水が漏れて減ってしまった。きっと目に見えない餓鬼(がき)が桶に手をかけて中の水を吸っているのだろうというのです。水を吸う行為の主語をはっきり示すため「餓鬼が」としたのです。

文字の無駄を省く

初雪やインターホンの鳴るやうに

 米屋結衣さん(県立大1年)の作。初雪の捉え方が新鮮です。俳句では、文字の無駄を省く、といいます。「風が吹く」と言わなくても「風」だけで意味が通じるというような場合がよくあります。この句もパッと見たとき、インターホンは鳴るものだから「鳴る」は無駄かな、とも思いました。たとえば「初雪が或日インターホンのやうに」という案も考えました。しかし初雪は突然ピンポーンと鳴るように到来する。そう思えばやはり「鳴る」は必要です。よって、この句は添削不要です。

さあ、あなたも投稿してみよう!


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_02.jsp【響きと余韻を楽しもう】より

 第1回目(4月6日付)のこのコーナーはいかがでしたでしょうか。私のお示しする添削案は、あくまでも一つの選択肢にすぎません。ぜひ批判的な目でお読みいただきたいと思います。今回は前回に引き続き、切字の「や」を用いた添削を試みます。

響きを良くする

オリオンの吹雪を透かす三連星

櫻庭小夏さん(大館鳳鳴高3年)の作。吹雪の上の夜空にオリオンの三つ星が見えた。力強い作品です。これをさらに響きの良い句にするため、切字の「や」を使い、オリオンや吹雪を透かす三連星 としてはどうでしょうか。「オリオンや」とすると、オリオンの全体像が一度目に浮かびます。さらにそこから三つ星にズームインしてゆく感じです。なお、オリオンと吹雪はともに冬の季語ですが、どちらもこの句にとって必要な言葉です。「季重なり」の問題は生じません。

流れを断ち切る

星飛びて雨に降られたままでいる

千葉優翔さん(秋田大1年)の作。「星飛ぶ」は流れ星。秋の季語です。雨が上がって流れ星が飛んだ。雨に降られて濡れた状態でしばらく夜空を見つめている。叙情的な作品です。「星飛びて」に続いて「雨に降られたままでいる」という叙述の流れがあるわけですが、その流れを断ち切ってみましょう。切字の「や」を使って、 星飛ぶや雨に降られたままでいる

としてはどうでしょうか。「星飛ぶや」とすると「や」の後に時間と空間の余韻がたっぷり生まれます。そのあとに、おもむろに「雨に降られたままでいる」と続きます。

表現を再構成する

つぎに言葉の背景にある情景や作者の意図を考えながら、表現を再構成する、ややハイレベル?な添削を試みます。

祖母の手の細さを知りて目貼剥ぐ

岡田水澪さん(潟上市、会社員22歳)の作。祖母が目貼を剥ぐのであれば「祖母の手のその細きこと目貼剥ぐ」とする案が考えられます。しかし「知りて」とあるので、高齢の祖母の手が細くなったのを知って、孫である作者が祖母に代わって目貼を剥ぐのだと解釈しました。「知りて」を直してみたいと思います。私の添削案は、細き手の祖母が見てをり目貼剥ぐ

です。目貼を剥いでくれる孫の姿を祖母が見守っている場面を想像しました。作者の意図と合っているかどうか、少し心配です。

短い文に切って考える

眠すぎてミルクに溺れる子猫かな

浦島奈々さん(能代西高3年)の作。子猫が春の季語。眠そうな子猫が皿のミルクに突っ伏している。あるいはミルクに噎(む)せている。子猫の可愛らしい姿を捉えた作です。添削のポイントがいくつかあります。「眠すぎて」の「すぎて」は不要です。「溺れる」はじっさいに溺れるわけでなく、溺れそうだという意味ですね。「ミルクに溺れる」が八音で字余りです。やりくりが難しいときは短い文に切ってみましょう。一つは子猫が眠いということ。もう一つは、ミルクに溺れそうだということ。それをつなぐと「猫の子は眠しミルクに溺れんと」となります。さらに句の仕上がりを元の句に近く、柔らかくしましょう。添削の最終案は、

眠そうな子猫ミルクに溺れそう です。旧かな表記では「眠さうな子猫ミルクに溺れさう」です。私の添削案が作者のお気に召すとよいのですが…。

さあ、あなたも投稿してみよう!


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_92.jsp 【実作に役立つ形とは】より

より具体的にする

新型の車両も褪せし帰省かな

 とりまるさん(秋田市)の作。久々の帰省。故郷の交通機関の以前はピカピカだった車両も色褪(あ)せていた、と解しました。電車かバスかを示し、「色」を入れたほうが分かりやすいでしょう。どんな車両も最初は新型であって、色褪せる頃には新型ではなくなると考えれば、「新型」という語は略せそうです。

色褪せし電車の走る帰省かな  色褪せしバスの車体も帰省かな

 次の句もとりまるさんの作。電灯の中に虫ゐる帰省かな 

夜になると電灯の笠に蛾などが入り込む。そんな帰省先の家だというのです。

典型的な形を覚える

足もとの影が先ゆく西日かな

 木崎善夫さん(大阪府)の作。足元から長く伸びた自分の影が自分よりも先をゆく。そんな西日の情景です。

乳飲み子と祈りのやうな夜長かな

 貴田雄介さん(熊本市)の作。目を覚まして泣く。病気もする。子育ては大変だが、元気に育ってほしい。祈るような思いで、乳飲み子と秋の夜長を過ごすのです。

父読みし學書繙く夜長かな

柿の木坂まもるさん(秋田市)の作。かつて父が読んだ学術書を繙(ひもと)く。そんな夜長。

気が急くは老いて変わらぬ師走かな

 河端悟宇さん(川崎市)の作。気が急(せ)くことは年をとっても変わらない。まして師走ともなれば、というのです。

 以上ご覧いただいたように、上五中七で何かまとまったことを述べておいて、下五に「○○かな」と季語を置く。この形を覚えておくと、俳句の実作や鑑賞に大いに役立ちます。 

 なお「梅雨の入り糸切りばさみかろきかな」(伊藤てい琴さん、秋田市)のように形容詞に「かな」が付く形、「箱庭の吾子の世界の宇宙かな」(伊藤敦さん、岐阜県)のように季語ではない名詞に「かな」が付く形など、「かな」にはいろいろな用例があります。「箱庭」の句は「世界」と「宇宙」との関係が分かりにくい。たとえば「吾子がつくりし箱庭は宇宙なり」「吾子のゐて箱庭のある宇宙かな」「箱庭の世界は吾子の宇宙かな」などとなさってみてはいかがでしょうか。


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_64.jsp【想像をかき立てる極意】より

 高浜虚子に「馬の尾の静(しずか)に動く栗の花」という句があります。栗の花の咲く夏のはじめ、馬が静かに尻尾を揺らしている。この句は俳誌「ホトトギス」の1932(昭和7)年8月号に発表されました。その10カ月前、31(昭和6)年10月号には「馬の尾の静(しずか)に遊ぶ栗の花」という形で発表しています。最初は、馬の尾が遊ぶ、と詠んだのですが、推敲(すいこう)の結果、馬の尾が動く、と改めたのです。

 馬が尾を振っているのを見ると、何だか遊んでいるように見える。それを「遊ぶ」と見たのは作者の主観です。それをもっと客観的な言い方にしたのが「動く」です。

 「馬の尾の静に動く」という措辞を読んだ読者は、馬が尻尾を動かしている様子を想像します。遊んでいるような動きであることは、作者がわざわざ「遊ぶ」と言わなくても、読者が自然に想像してくれるのです。逆に、作者が「遊ぶ」と書いてしまうと、読者は作者の主観を押しつけられたままで、読者自身の想像を楽しむ余地がなくなります。

 読者が想像を楽しめるように、極力客観的な表現をする。それが俳句の極意です。こんなことを考えながら、投稿を見ていきます。

客観的な表現に直す

彼岸花稲穂に代わり天めざす

 小西遊子さん(大阪府、63歳)の作。稲田のほとり、あるいは畔(あぜ)に曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が咲いているのでしょう。稲穂は垂れている。そのいっぽうで曼珠沙華はまっすぐ天へ伸びている。そんな情景がよくわかります。

 この句をより客観的な表現に直してみましょう。彼岸花と稲穂を対照させるならば「稲の穂は垂れ彼岸花まっすぐに」とでも書くのでしょうけれど、そもそも曼珠沙華はまっすぐな茎に咲くもの。いちいち「まっすぐ」と言わなくても読者は曼珠沙華の咲く様子を想像してくれます。稲穂に関しては、出はじめの穂は垂れていませんから、この句では垂れているという言葉はあったほうが良さそうです。

彼岸花稲穂垂れたるほとりかな

とすれば、稲穂と彼岸花が対照的な様子で並んでいる情景は十分に伝わると思います。

縁側のすみに蜉蝣かげろうひとやすみ

 坂口いちおさん(群馬県、69歳)の作。ふと見ると縁側のすみの方にカゲロウがとまっている。それを「ひとやすみ」と見たのです。これをより客観的な表現に直してみましょう。「縁側のすみに蜉蝣とまりをり」ではあまりにも素っ気ない。ひっそりととまっているカゲロウが翅(はね)を閉じているさまを詠んではいかがでしょうか。 縁側のすみに蜉蝣翅を閉じ

重要な事柄に絞る

お向かいの美邸の木々の上の満月

夕暮れの美邸の木々の上の満月

 伊藤和子さん(由利本荘市、68歳)の作。上五を変えた二句の投稿です。美邸とは立派な邸宅のこと。その庭の木々の上に満月が上っている。「美邸」という硬い言葉と字余りを直したいところ。「美邸」は「お屋敷」にしましょう。「お向かい」と「夕暮れ」は省略します。この句で重要なのは、立派な邸宅の庭木が茂っている様子と、その上に見える満月の見事さです。お向かいかお隣か、夕暮れか夜更けかは読者にとってさほど重要ではありません。重要な事柄に絞ることで字余りを解消します。

お屋敷の木立の上の望の月 あるいは お屋敷の木立の上の月まどか でもよいでしょう。


https://www.sakigake.jp/special/2020/haiku/article_38.jsp 【色で変わる句の気分】

 「白」を詠んだ芭蕉の句を拾います。

 梅白し昨日ふや鶴を盗れし 芭蕉

  (梅が白く咲いている。この庭に鶴がいないのは昨日盗まれたのか)

 石山の石より白し秋の風      葱(ねぶか)白く洗ひたてたるさむさ哉(冬)

 海くれて鴨のこゑほのかに白し(冬)    月白き師走は子路が寝覚哉

  (冬・師走の月の白さは、孔子の門人で廉直で知られた子路の清々(すがすが)しい寝覚めの心地のようだ)

 水仙や白き障子のとも移り(冬・水仙と白い障子が相ともに映え合っている)

 こうして見ると、寒々とした冬の感じを「白」に託した句が多いことに気づきます。一句の気分と色彩の表現とがどう結びつくか。今回も色彩に着目した投稿句を見ていきましょう。

省略で想像をかき立てる

刈田とて求めて集う白きたち

 山内景子さん(横手市、39歳)の作。落穂や小動物を狙って白い鳥などが刈田に集まって来るのでしょう。淋しい刈田の景のささやかな賑わいです。「白き」は白きものという意味。鷺(さぎ)などと特定せず、漠然と「白きたち」と言ったことで、かえって読者の想像が膨(ふく)らみます。同じような手法を用いた作例に  

冬晴に応ふるはみな白きもの 後藤比奈夫  があります。

表現をなめらかにする

闇に浮く白き指先風の盆

 結城啓至さん(神戸市、83歳)の作。風の盆の物寂びた感じを、踊る人の指の白さに託しました。よりなめらかな表現を試みましょう  闇に浮く指先白く風の盆

省略できる語を探す

雨上がり道の烏や白日傘

 西田みや女さん(神戸市、53歳)の作。夏の雨上がり、黒と白を対照させました。「道」は省略できそうです。  雨上がり白き日傘と烏かな

形容する言葉を重ねる

黒々と濡れて小さし鹿の鼻

 南幸佑さん(東京、海城高校2年)の作。「黒々」「濡れて」「小さし」と畳みかけるような形容を重ね、「鹿の鼻」をクローズアップしました。

 濡れたものの質感を「黒」で表現した句は芭蕉にもあります。

 しぐるゝや田の新株(あらかぶ)の黒むほど 芭蕉 

 収穫して間もない田んぼの刈り株が、時雨に濡れて黒ずんでいます。

主体は何かを考える

鮎の里渓谷の青迫り来る

 桝尾初美さん(山口県、63歳)の作。鮎の名産地。渓谷の側壁が迫って来る。その青さは草木の青さでしょうか。迫って来るのは「青」ではなく「渓谷」です。その点に留意して添削を試みます。

鮎釣や渓谷青く迫り来る

 中七は「渓谷の青」より「渓谷青く」のほうがよいと思います。人物の姿を入れると句が生き生きとしますので、上五は「鮎釣」にします。

 蕉も「青」という色を句に詠み込んでいます。 青くても有(ある)べき物を唐辛子 芭蕉

 青いままでもいいのに、秋になると唐辛子が赤く色づく。唐辛子という植物を詠んだ句ですが、人生訓にも通じるような味わいがあります。

ざり蟹の爪鮮やかな朱を掲げ

 吉野宥光さん(埼玉県、70歳)の作。ザリガニ(夏)の鮮やかな朱色の爪。掲げるのは爪そのものですから、以下のように語順を入れ換えましょう。切字の「や」を使って句の形を整えます。  ざり蟹や鮮やかな朱の爪掲げ

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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